英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

トンチキはNEWSの通過点であってほしい

「慌てるでない、慌てるでない」と加藤さんに言われた。「我慢すればするほどすごいから」「今年も残り4か月、いいNEWSを届けるよ」と手越さんに言われた。

正直、それは今まで待たせた上で「待っててよかった」と言えるような結果を出してきてくれた実績のある人が言うセリフであってNEWSファンが慌てるし我慢したがらないのは自然の摂理やで!!!と思う。思うけれどもまあ待つし、期待しちゃうのでおとなしく期待しよう。

 

新曲四銃士はどうやらすごいらしい。

(そして加藤さんは四銃士だったらしい)

 

 

どんな感じかなあ早く聞きたいなあと思いながら、なんで発売未定なんだろうと思いながら、(あと単独カウコンやってくれたりしねえかなあと思いながら、)NEWSの今後について私個人の希望を一つ。トンチキをNEWSの終着点にしないでほしい。

 

 

これは単に私の予測に過ぎないのだけれど、NEWSが4人になって以降様子のおかしい曲(とサッカーとブラジャー)ばかりをリリースしているのは、ざっくり言えば『そのポジションが空いているから』だろうと思っている。そして、『そのポジションをNEWSは埋められる』から。

 

以前書いたこちらの記事を読むと私の言いたいことが理解しやすいかもしれない。

特殊トンチキ免許2級の持ち主NEWSの次のシングルが楽しみな話 - 英雄は歌わない

 

 

 

私はトンチキが嫌いなわけではない。と言ってもものによるので、どうあがいても好きになれない曲もある。ちなみにチャンカパーナ、ONE –for the win-、ポコポンペコーリャは好きで、KAGUYA、チュムチュムは正直あまり好きではない。特にチュムチュムは、非常に恥ずかしいのだが発売から3か月が経過した現在も楽曲自体の魅力はイマイチよくわかっていない。PVが麗しいことはよくわかるしタカヒサマスダブランドは文句なしにかっこよかったしインパクトは半端ないし別にいいのだが。

 

いい。そう、いいのだ別に。

 

私がトンチキを、名曲というより迷曲に近い楽曲をそれでもいいと思うのは、それが確かに『NEWSにしかできないこと』の1つなのだろうと思うからだ。きっとNEWSは、いや、NEWSに限らずすべてのアイドルたちが『自分だけの何か』を探している。だってそうしないと生きていけない。

全てのアイドル、というのはもちろんこの世に存在するありとあらゆるアイドルを指すのだが、その中でもジャニーズ事務所所属のアイドルは同じ事務所内で差別化を図らなくてはならないのが難しいところだなあと思う。特に――これは完全に私の主観だが――2003年以降のデビューグループは、事務所内に同年代のグループが多い。*1

 昭和終わり際~平成初頭辺り生まれ(主として’82~’90ぐらい)の年齢のメンバーで構成されているグループが、デビュー順にNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNKis-My-Ft2A.B.C-Zで5つ、平成頭~20世紀終わり頃生まれ(主として’90s)が主成員のグループがHey! Say! JUMPSexy ZoneジャニーズWESTで3つ。通常、同世代のアイドルは主要なファンの世代もかなりかぶってくる。このような状況で各グループがみな同世代の同じような人たちをメインターゲットにしてしまうと同事務所内で限られたパイを奪い合うことになってしまう。これは非常によろしくないし、そんなことをするのは非合理的である。だから彼らは各々自分たちの色を打ち出さなくてはならないし、『他と違う』(そしてできれば『たった一つの』)アイドルであることを志向し、各々が違うファンを獲得しなければならない。

  

 

You&Jはこの点から見ると完璧だったなあと思う。王道アイドルのNEWS、初の関西系ジャニーズ関ジャニ∞、初のオラオラ不良系アイドルKAT-TUN。新世代を担うアイドルとして、3つとも全然違って、3つとも輝いていた。

今にして思えば、その中でもYou&Jというくくりの恩恵を最大限に受けていたのがNEWSだったのかもしれない。ジャニーズの未来を背負う新世代というくくり、関ジャニ∞KAT-TUNが強烈な個性を放つそのくくりの中では、王道アイドルという存在は必要だったし個性だった。真っ白という個性でNEWSは戦えた。

 

山下智久錦戸亮という圧倒的な二枚看板を失って以降、NEWSはずっと自分たちの存在意義を示そうとし続けてきた。と言うと重たい感じになるが、早い話が

 

「グループの顔2人がいなくなりました!」

「うっわイチゴのないショートケーキじゃんおまえら(笑)」

スポンジケーキになにができるんだよ(笑)(笑)」

 

「どうもー!イチゴがなくなってスポンジケーキになったと思うじゃん?下にあったのは豆腐でした!!どうも豆腐でーす!!!今までクリームかぶってましたけど豆腐でーーす!!!!!」

 

ということである。(前掲記事より)

 

 

山下くんを輝かせるための土台じゃなくて、錦戸くんの特異性を目立たせるための母体じゃなくて、KAT-TUN関ジャニ∞のカウンターとしてじゃなくて、NEWSがNEWSだから意味があるということ。NEWSがNEWSとして存在することに意義も意味も利益もあるのだということ。

 

『大人』にそれを示せない限り、NEWSはずっと寡作アイドルのままなんだろうなあ、そうやって、探して見つけたのがトンチキなのかなあとなんとなく思う。だからいいと思う。

トンチキでいい。

 

 

イロモノだけどイロモノじゃないギリギリのラインを狙えるのは、これまで静かに積み上げてきた真っ白な個性があってこそだ。

不良オラオラ系KAT-TUN、お笑いもできる関ジャニ∞、アクロバットがすさまじいA.B.C-Z、容姿が劣ることをごまかさず不細工を売りにするKis-My-Ft2。でもやっぱりどこもかっこよくて、キラキラ(たまにギラギラ)していて、ジャニーズで。

彼らと異なり、彼らと戦えて、NEWSにしかできないこと。さらに言えば、山下くんと錦戸くんがいた時にはできなかったことである方が望ましい。さらにさらに言えば、山下くんが今後やらないようなことの方がいい。

 

どう見ても頭のおかしいコンセプトを、アイドルらしい音作りとアイドルらしいビジュアルで無理矢理アイドルとして許される域に持ち込む。ダサいけどダサくなくてダサくないけどダサいギリギリのラインにいながら、まるで普通のアイドルみたいな顔をして笑ってみせる。

増田さんの言う通り、『チュムチュム』は攻められるギリギリ際どいラインを攻めに行った作品なんだろうと勝手に思っている。これができるのは今までのNEWSのイメージがあるからだし、今の4人のビジュアルがちゃんとジャニーズにしか見えないからだし、今の4人の歌唱力があるからだ。これが私の思う『ポジションが空いている』『それをNEWSは埋められる』ということである。要するにNEWSは生クリームをかぶれるタイプの豆腐ですって言ってるだけなのだが。

 

 

 

で、である。

ここまで切々とトンチキを甘受するわけを語っておいてなんだが、しかし私はトンチキのままではいてほしくないのだ。私がトンチキのままでいてほしくない理由は、彼らがトンチキでいるのは『ポジションが空いているから』で『それをNEWSは埋められるから』だと思っているから。つまり、私がトンチキを受け入れる理由と同じである。どっちやねん!と言われそうだが、でもそう思うんだから仕方ない。

トンチキはNEWSだからできることだと思う、彼らが見つけた武器だと思う。これは本当に心から思っている。でも同時に、彼らが彼ら自身の身の内から創りだした武器だとは思っていない。お前らが解散しない理由は何、お前らに曲を出し続けさせる意味は何、って問われたNEWSが頭を使って考えて周りを見て戦況を分析して見つけたんじゃないだろうか。

 

KAT-TUNのオラオラや関ジャニ∞のど根性泥臭くまっすぐ精神と、トンチキとの最大の違いはそこだ。ジャニーズにいながら反骨精神の塊だったんだよね、と笑うKAT-TUNはたくさんの魅力を持ってるけど、あの時見つけた路線は彼らにぴったり合っていて彼らの魅力も未熟さも叫びたいことも表現できるKAT-TUNだけの路線であるように私には見える。東に比べ明らかに冷遇されてきた関西でメンバーを引き抜かれもしながら諦めないでデビューに漕ぎつけた関ジャニ∞は、本当に心の底から根性があって情に厚くてまっすぐなように見える。

 

 

果たしてNEWSのトンチキはそうだろうか。トンチキは彼らの本質だろうか。私にはそうは思えない。

 

 

全面的に衣装をプロデュースできるレベルのスタイリストがメンバー内にいること。残された4人のメンバーカラーがピンク、黄色、緑、紫の4色で、すべて並べてもそれなりに統一感がありお洒落にまとめられること。ツアーのグッズにも並々ならぬこだわりがあり『普段使い』を必ず重視してくれること。私たちへの愛を惜しげもなく発信してくれるところ。4人でいるといつまででもふざけていられて大学生みたいな空気感なところ。カメラの前ならいくらでも振り切ってなんでもやれる手越祐也がいること。クソサブカル男子がいること。キャスターがいること。エンターテイナーがいること。

 

彼らの魅力をもっともっと発信できるフォーマットが、トンチキ以外に何かあるはずだとどうしても思ってしまう。美恋魂も幸福魂も純白魂も、全体を通してみるとトンチキよりはお洒落に寄っていたからこそ余計に。NEWSさんたちってお洒落なものが作りたいんだろうなあってなんとなく思うのは私だけなんだろうか。

真価を発揮できるフォーマットって、じゃあそれがなんなのかって言われたら何も言えないからこんなこと言う資格多分ないんだけど、ないんだけどやっぱりきっとどこかに正解があるから、ここを終着点にしないでほしい。「トンチキはこれで終わり」「次からは新しいフェーズに」と言っていた増田さんを信じている。「もうトンチキしか出せない」とか小山さんが言ってたのは聞こえません。

 

 

 

って綺麗めにまとめてみたけど、要するにトンチキって広く浅く受けるものじゃないし1回解釈を挟まないと受け止められないものを差し出されるのはどうしても嬉しくはないし『NYARO』をシングルカットできないなんてくそくらえだしどうにかなってほしいという話でした。あと私が個人的に民族調と和調の音楽があまり好きではないという話でした。まじごめんNEWSさん。でも好きじゃないものは好きじゃないから仕方ないじゃない。

 

 

 

四銃士期待してるよーー早く豆腐ドーナツになってねーーーー!!!!

*1:SMAPTOKIO辺りの世代もかなり同年代がひしめき合っているのだが、何故か私の眼にはNEWS以下が異常に詰まってみえる

我が家に来航した黒船には慶応義塾大学の卒業証書が積載されていた

夏の終わりにほんのり怖い笑い話を一つ。

母を嵐オタに突き落としてからもう7年が経とうとしている。実を言うと、自分がジャニオタになったことよりも母がジャニオタになったことの方がいまだに意外だ。

櫻井翔さんがペリー提督のごとく我が家に現れ、すべてを変えてしまった。

 

 

 

開国前の湯坂家の話を少ししよう。私は極端に娯楽を制限される家で育った。

それはもうマジで鎖国としか言いようのない状態だった。テレビをほとんど見せてもらえないのはもちろん、漫画も禁止されていたしゲームもやったことがなかったし、もはや電池で動くおもちゃは禁止!くらいの勢いだった。親戚の家に遊びに行ったときに妹がト●ザらスで喋って跳ねるハム太郎のぬいぐるみを買ってもらったことがあったのだが、替えの電池が買ってもらえなかったのでそのうち重くて固いただのぬいぐるみになった。

テレビを見れるのは週に2~3時間くらい。それも決められたアニメだけ。

 

今でも、同世代と話すときは時折なかなかの寂しさに襲われながら生きている。

伊藤家の食卓』も『ミルモでポン!』も『おジャ魔女どれみ』も『ごくせん』も『野ブタ。をプロデュース』も通らずに大人になってしまった。一度でいいから『トリビアの泉』を見てみたかった。なんなんだへぇ~ボタンて。そんなもん授業中に鳴らすんじゃありません見てない子が寂しくなるでしょう。

 

テレビ番組といえば、幼稚園か小学校くらいの頃に『ハイパードールリカちゃん』というアニメが周りではやった。(ハイパードールじゃなくてスーパードールだったかもしれない)

周りが楽しそうにリカちゃんの話をするものだから、思い切って母に頼んでみたことがある。

「ねえお母さん、湯坂ちゃんもリカちゃんのアニメみたい」

「何曜日なの?」

「かようび」

「じゃあ木曜のポケモン見れなくなるけどいい?」

いいわけあるか。こうしてポケモンの前にリカちゃんは散った。

 

あと、小学校6年生の頃に、先生になぞなぞを出されたことがあった。

「『13S=6』という式に2本棒を足してこの式を成り立たせてごらん」

考えたけどさっぱりわからなかったので、結局降参して答えを聞いた。

正解は1の上に一本、3の左側に1本足して、『TBS=6』だった。ぽかーーんとした顔をしていたら、先生は思い出したように笑った。

「お前、姉ちゃんもおんなじ顔してたぞ~お前の家じゃわかんないかあ」

TBSが6チャンネルということも知らなかった私がのちにジャニオタになるとは先生も予想だにしなかっただろう。なおこの時点ではテレビの点け方さえ分からないというレベルだった。

 

そんな我が家にも、徐々に徐々に長崎出島のようなものができる。

その最たるものがパソコンとCS放送だ。

中学生になった私は、親の目を盗んでは夜な夜なニコニコ動画を徘徊し友人に借りた漫画とラノベを読みふけりポケモンに励むようになった。模範的な厨房だ。ちなみにポケットモンスターダイヤモンドだった。母に内緒で祖母に買ってもらったDSはとんでもない宝物に見えた。(余談だがこれは私が初めて手にしたゲームハードである。私の歳で初めてのゲーム機がDS、初めてのポケモンがダイヤモンドというのは多分かなり珍しい)

 

そしてCS放送。東京ヤクルトスワローズの試合を見るために加入したこれのおかげで、音楽専門チャンネルというものが我が家に上陸した。スペースシャワーTVM-ONなどだ。CSが我が家にもたらした最も大きな変化は、「とりあえずテレビをつける」という文化が生まれたことだった。帰ってきたらテレビをつける、目的の番組がなくともテレビを流すというのはそれまでの我が家では考えられないことだった。

 

 

 

こうして私は2008年、増田貴久さんと運命の出会いを果たすのである。

なにこの子かわいい。めっちゃかわいい。あ、これ山Pだ。青春アミーゴの人だ。えーこの子かわいい…!!!

(青春アミーゴは小学校の音楽の授業で合奏したので知っていた)

 

中学3年生の私は、『タイミング』/ブラック・ビスケッツと『A・RA・SHI』/嵐を同じ人が歌ってると思っているような深刻な芸能音痴だった。音楽なんて給食の時間に校内放送で流れてくるのを聴く程度だったから仕方ない。ついでにジャニーズがなんなのかもわかっていなかった。テレビに出ている若くてかっこいい男性芸能人のことをジャニーズって呼ぶのかなあと思っていた。山下智久はジャニーズなのに小池徹平はジャニーズではないのはなぜなのかという疑問がようやく解けた歴史的瞬間だ。

 

 

こうしておずおずとジャニーズの世界に足を踏み入れた私は速攻で嵐にも手を出した。理由は簡単で嵐には冠番組があったがNEWSにはなかったからである。

この冠番組が問題だった。

 

当時、関東で見れる嵐の番組は2つ。『嵐の宿題くん』(月曜23:58~24:29)と、『VS嵐』(土曜12:59~13:30)だ。宿題くんはよかった。親が寝てからテレビの音を小さくして部屋の電気は消しひっそりすれば大抵は見ることができた(たまに消されたが)。曲者だったのはVS嵐の方である。

私の母はパートの仕事をしていて、それが終わるのは13時だ。それから徒歩で帰ってくると、帰宅は大体13:20~25辺りの時間になる。つまり、VS嵐が終わるほんの少し前に母は帰ってきてしまうのである。

流石に完全な鎖国を続行することはもうあきらめていたと思う。でも母の眼に触れるところでまでそれを許してくれたりはしなかった。

 

妹と2人VS嵐を見て笑う土曜の午後。いいところ。決着がつくまであと少し。

というところで毎週帰宅する母。

母「ただいま」

私・妹「おかえり」

母 プツッ(無言でテレビ消す)

というやり取りを何回繰り返しただろうか。もう一度言うがこの時点で番組は残り5分かそこらである。それなのに消される。頼んでも消される。その5分も許せないほどVS嵐が不快だなんてそんなことがあるか――ついに私は決心した。

 

 

母に嵐を布教しよう。

 

 

ゴールは明確だった。母がパートからの帰宅後の5~10分間嵐の番組をつけていることを許してくれるレベルまで嵐の好感度を上げる。それだけだ。

 

 

戦況は芳しくなかった。そもそも今までも何度も「あと5分だから!消さないで!」とお願いしてはぽちっとされているわけで明らかに敗色濃厚である。しかし私はあきらめなかった。そもそも好きになってもらおうとは思っていない。「見るのもイヤ(好感度マイナス)」から「興味ない(好感度ゼロ)」に変わるだけでいいのだ。

というか今でもわからないのだがこの頃の母はなぜあんなに嫌悪感を示したのだろう…。

 

どのくらいの期間布教にもならない布教を試みては折れ試みては折れたのかもう覚えていない。安定の鳥頭。

そして運命のXデーが訪れる。

 

「ねえ知ってる?嵐の翔くんて慶應なんだよ。すごいでしょ」

「…へぇー」

 

記憶にある限り初めての(というか唯一の)好感触だった。

 

 

なぜだかわからないが、気づいたら母はVS嵐を一緒に見るようになっていた。

明りのついた部屋で胸を張って宿題くんを見れるようになった。いつの間にか増えるドル誌。積まれるテレビ誌。消費されてゆくVHSテープ。

いつの間にか好感度はマイナスからゼロへ…どころの話ではなかった。

 

 

 

気付いたら母は翔くんを好きになっていた。

 

 

 

それはもう本当に、黒船が現れて開国でも果たしたかのようだった。黒船に積載されているのは大砲などではなかった。慶応義塾大学の卒業証書だった。

母が、ミュージックステーションなど一度も見せてくれなかった、友達と同じカルチャーをほとんど共有させてくれなかった母が、みるみるうちに私よりよほど強火のジャニオタになってゆく。私は能天気に「ドル誌買わなくてもNEWSの切り抜き手に入ってラッキーだな」と喜んでいた。

こうして私は母と趣味を共有できるようになり、テレビを制限されることもなくなり我が家は徐々に普通の家に…となったらどんなに良かっただろう。

 

 

 

私は、本当に、母のことをわかっていなかった。頑なで厳しい母が、要するに0か100かタイプの人間であることを、全然わかっていなかったのである。

 

 

 

母はジャニオタになった。それはそれは模範的なジャニオタに。

嵐の冠番組を全録するのはもちろん、朝のワイドショーまでベタ録りするようになった。ブラウン管テレビが壊れた我が家にやってきたのは、カラオケにあるモニターよりでかい液晶テレビ。朝起きる、食卓につく、録画ランプがついている、テレビには触れない。夕方帰る、テレビで嵐の何かが流れている、部屋に引っ込む。夕飯を食べる、嵐関連の何かが流れる、見たいテレビは見れない。

嵐だった。流れる音楽も映像もテレビチャンネル権も何もかもが嵐だった。ステマしていたはずの相手からこれでもかこれでもかと繰り出されるダイレクトマーケティング。ダイレクト、あまりにもダイレクトなボディブローが私の精神に蓄積してゆく。しかもときは2008~10年、そう、嵐が爆発的な人気を得るか得ないか得るかくらいの頃である。追おうと思えばいくらでも追うものがあった。嵐。嵐、嵐、嵐嵐嵐A・RA・SHI

 

 

 

こうして私は嵐アレルギーになった。

父はぽつりと、「俺があの勢いでAKBにはまってもアイツは嫌がらないのかな…」と言った。父が女子アイドルにはまることはなかったが、断言しよう。母は嫌がっただろう。

 

母の性格と嵐のすさまじい人気と、どちらが悪かったのかはわからない。母と嵐の相性があまりよくなかったということなのかもしれない。それはわからないが、ともかく、母はあまりにも模範的で盲目で熱心だった。

端的に言ってしまえば、彼女は他との共存が非常にへたくそなタイプのジャニオタだった。

 

全ての時間と全てのお金と全てのデバイスが嵐に費やされた。それでも多分嵐を追い切れてはいなかっただろう。お金は母の自由だ。しかしデバイスは違う。

私がどんなにNEWSを見たいと訴えても、その言葉は母には微塵も理解されなかった。自分は前振りスポットCMから最後の予告まできっちり録画しきるのに、NEWSのメンバーがテレビに出た時はギリギリまでチャンネルを変えさせてもらえないし本編が終わると即切られた。私がDVDを見ることを許されるのは母が寝た後だけだった。母が起きている時間はパソコンとテレビの両方が母のものだった。

徐々に私は、家じゅうにあふれる嵐がうざくてうざくてたまらなくなった。自分の部屋で嵐の画像を眺めているときは全然いやじゃないのに、家に帰ってきた瞬間に嵐の歌声が聞こえるとイライラしてたまらない。

にのあいも泣き虫も天然も好きなのに、うんざりだった。

 

嵐が絡むと母は、他人の心情を慮る能力が著しく低下した。

録画してもらったはずの番組を見たかどうかの確認もされずに消されてしまうくらいのことは日常茶飯事だった。自分が嵐に関して言われたら絶対嫌がるようなことを、平気でNEWSには言われることもよくあった。

 

高校生になってから、私がテレビ欄を見ていて気になった番組があった。正確なタイトルは覚えていないが、「GHQが漢字廃止を施行しようとしていたときに、どういう経緯で日本は漢字文化を守ることができたのか」という内容だった。ジャニーズは1ミリも関係なかったが、私はそれを面白そうだと思ったし見たいと思った。

その時間に嵐の番組はなかった。しかし母は不機嫌になった。パソコンをいじり続ける母を無視して強引にチャンネルを変えたら、映し出されたドキュメント番組を一瞥して母は「ダサッ」と吐き捨てた。今考えてもジャニーズの方が漢字文化よりよっぽどダサいと思う…。

 

 

 

なぜ自分がいまだに嵐を好きでいられるのかちょっと不思議なくらいだ。

なんなら、嵐がいなければ私の反抗期はもう1年か2年は早く終わっていた自信まである。櫻井さんが我が家にもたらした影響はそれほど甚大ですさまじかった。もちろん、何もかもが悪かったわけではない。黒船来航前に比べれば随分と自由度は上がったし、妹は私と姉に比べればかなりドラマなども見ながら育つことができた。

ジャニーズのおかげでテレビを見れるようになって好きな役者さんもできたし、嵐はそれでもやっぱり面白いし、何より上京してからいろいろどうでもよくなった。母は母なりに色々大変なんだろなあとも少しずつ分かった。

 

 

だからまあ、今では悪くなかったんじゃないと思えている。

思えているのに、なぜ今さらこんな記事を書いているのか。実はこれまでの経緯は、私にとっては笑い話だ。

 

 

 

母が嵐のファンクラブに入会してから6年、いまだ一度もコンサートに当選していない。

 

 

 

 

 

母が生でアイドル翔くんを拝める日は来ないかもしれない。これをきいた瞬間今年の帰省で一番血の気が引いた。

 

 

 

嵐やばすぎる。みなさん布教は計画的に。

『そんなシゲが愛しい。』

 

 

この文章を読む人の中に、『そんなシゲが愛しい。』と聞いて「ああ、あれか」とピンとくる方はどれくらいいるのだろうか。

そんなシゲが愛しかった、愛しい。今も変わらず、でも全然違う。

 

 

ジャニオタとしての私が初めて生息したSNSmixiだった。モンストのおかげで息を吹き返しはしたものの、SNSとしての地位はTwitterFacebookに完全に敗北して久しいあのmixiである。

あの頃の私にとって、mixiは非常に刺激的な世界だった。なんせジャニオタがいっぱいいる。当時一番楽しかったコンテンツがmixi日記だった。『コヤシゲ』とか『マッスー』とか3日に一度は検索し、人の書く文章をにやにや眺めたものだった。ハイテンションで萌えを叫ぶ人の圧倒的な面白さにあこがれを抱いていて、真似して自分もハイテンション日記を書き散らしていた。あの文章が今この世に残っていたら大惨事である。(幸か不幸か痕跡さえなく綺麗に消え失せているので若干寂しくもある)

 

高校2年生の初夏、クラスメイトの「湯坂もmixiやってるの?やってないなら招待するし、マイミクなろうよ!!」という言葉により私のmixiでのジャニオタライフはあえなく終わりを告げた。日記はすべて非公開にし、マイミクさんたちは全員解除し、プロフィールはガラッと書き換えetc.

ここでTwitterに移行したのだが、この時泣く泣く切ったマイミクさんの何人かはいまだにTwitterで繋がっている。インターネットってすごいね。

 

あの頃指を咥えて見ていて、結局最後まで見ているだけで終わったのがmixiコミュニティという制度だった。

 

Q.コミュニティとはなんですか

A.mixiコミュニティは掲示板を利用して共通する趣味や関心ごと、考えなどをほかのメンバーと共有することができます。

また、参加することで他者に自分の趣味や属性、どういった人間なのかを端的に表現することもできます。

(mixiヘルプのよくある質問より)

 

参加コミュニティ一覧を見るだけでそのユーザーの趣味嗜好がけっこうわかった。18歳未満は参加してはいけないことになっていたので参加はしなかったが(もしかしたら18歳未満はそもそもユーザー登録が禁止だったかもしれないが覚えていない)、名前を見るだけで参加ボタンを押したくなるコミュもいくつかあった。

その中で、圧倒的に入りたかったのが『そんなシゲが愛しい。』だったのである。

 

『そんなシゲが愛しい。』というこの短いフレーズは、ものすごく的確にシゲの魅力を言い当てているように感じた。

 

インテリなはずなのにイマイチ見せ場のないシゲ。

静止画だとかっこいいのに動くとそこはかとなくゴリラなシゲ。

小山と2人でMC担当なのに何故か一方的にいじられてばかりのシゲ。

スタイルはいいし見た目もスポーツマン風なのに運動はてんでダメなシゲ。

 

シゲ。かっこいいのに残念なシゲ。そんなシゲが愛しかった。

本当に純粋に、『そういうところ』が好きだった。これこそがシゲの魅力だとさえ思っていた。シゲの魅力はただかっこいいだけじゃないところで、みんなシゲのそういうところが好きで、シゲの周りにいるNEWSメンバーは楽しそうで、そんなところが好きだった。キャラクターに焦点を当てれば増田さんより加藤さんの方がよっぽど好きで、日記でも加藤さんのことばかり叫んでいたと思う。

だから、雑誌の取材か何かで「付き合うならどんな子?」と訊かれた加藤さんが「俺をいじらない子」と答えていたとき、ちょっとびっくりしたくらいだった。私はシゲがいじられているのを見る度に、「わあ、オイシイな!」と喜んでいたから。

だってそりゃあ、ジャニオタ初心者の私にもNEWSが山下くん中心なことくらいはわかったし、シゲはお世辞にも歌が上手いともダンスが上手いともいえるようなレベルじゃなかったし、喋れることがシゲの生きる道、輝ける活路に見えた。喋れること。小山と2人でMCが回せること。いじられること。

 

NEWSの中で役割があること。

 

純粋な愛しさと、キャラ萌えと、うっすらとした役割意識の中で、私はずうっと『そんなシゲが愛し』かったのだ。この頃の私の加藤さんへの感情は、端的に言えば『萌え』だった。

 

 

最近、『ピンクとグレー』映画化関連の情報が出る度に、震えるような嬉しさに包まれる。7年前の、5年前の、3年前の私に教えてあげたい。

ねえ、シゲね、小説家になるんだよ。その小説が、映画化するんだよ。主題歌がASIAN KUNG-FU GENERATIONなんだよ。ねえ、信じられる?「世界は意外とお前に優しいよ」って、シゲが過去の自分に言えるくらい、胸を張って背筋を伸ばしてシゲは生きてるよ。集団の中で余ってる役割じゃなくて、シゲがシゲのために見つけた輝きが今ここにあるよ。

 

 

少し前にask.fmで「加藤シゲアキさんの好きなエピソードを教えてください」という質問をされて、私はその回答を「『どうか恋であってくれ』『どうかこれで潰えないでくれ』と願いながら全力で恋心を抑え込んでは、枯れてしまった恋を心の片隅に放り投げるような恋愛をしていそうで、まじシゲアキめんどくせえ…愛しい…」と締めくくった。

私はずっと、めんどくさいシゲが好きで、そういうところが愛しくて…違う。違った。不意に気づいてびっくりした。

 

今も私は日常的に、「そんなシゲが愛しい」と思うし、そういうツイートもしていると思う。『そんなシゲが愛しい』という気持ちは私の中にずっと当たり前にある感情だったから、気にも留めずにこのフレーズを使っていた。でも違う。違うのに、いつの間にかすり替わっていたから、全然意識していなかったのだ。

 

 

正統派イケメンなのにサブカル男子なシゲ。

自意識が肥大するあまり自分の行動に制限をかけちゃうシゲ。

たくさんの変人を虜にしておきながら自分の魅力に無自覚なシゲ。

自分のすごいところに無自覚なシゲ。

 

シゲ。かっこいいのにめんどくさいシゲ。残念なんかじゃないシゲ。

――そんなシゲが愛しい。

順調にアイドル街道を走ってきたのにNEWSに入ったことで急に端っこの目立たないやつになって、周りの人に勝るところも見つけられなくて、「こんな世界マジファック」とさえ思っていた。人見知りで同期も少なくて仲がいいのは小山さんだけで、でも心のどこかで小山さんに劣等感を抱いていて、それなのに同時に泥のような連帯感もあった。どんなにあがいても無駄だという焦燥感、どうにもできない暗闇の中で、それでもこれじゃ駄目だと思って、もがいてもがいてつかみ取った小さな光が『ピンクとグレー』だったのだ。『今』は変えられなかった。加藤さんが決死の思いで守ろうとしたものは結局壊れてしまった。

それでも、NEWSに入ってから今までの、栄光と挫折と慢心と諦観と努力と絶望と希望とで、加藤さんは変わったと思う。『今』は守れなかったかもしれない。でも、あの頑張りが『未来』を切り開いた。あのとき加藤さんが死に物狂いで切り開いた『未来』が、私たちが見ている今なのだ。

私にとって加藤さんは単なる萌えるキャラクターではなくなった。生きていて、努力をして、前を向いて進んでいく人。見る者を奮い立たせてくれる人だ。もうダメダメなシゲじゃない。残念なシゲじゃない。加藤さんの魅力は、駄目なところでもいじられるところでもない。生きていること、生きていくところ、人としての魅力が私を惹きつける。

 

ここまでの過程の中で加藤さんは、たくさんのものを見つけて好きになって取り込んで身につけて、今私が愛する彼がいる。変化していく彼が、全部ずっと好きだった。

これからも私は、「そんなシゲが愛しい」と思うだろう。何度も何度も繰り返し思うだろう。そしてまた気づいたら、『そんなシゲ』という言葉の真意はいつの間にか変化していたりするのかもしれない。それでもやっぱり、「そんなシゲが愛しい」と思いたい。思えるだろう。この胸いっぱいの愛と信頼と憧れを、あなたに。

 

 

 

ずーっとずっと、『そんなシゲが愛しい。』よ。

 

 

 

 

映画『ピンクとグレー』公開まであと119日!!

みんなみてね!!!!

(もし日数の計算が間違ってたらこそっと教えてください…)

NEWS de イメージビデオ

 

最初に断わっておくとエロい映像の話ではない。イメージビデオってググると真っ先にD●M.comのアダルトページが表示されるがそういう話ではない。

 

イメージビデオ:紹介したい対象物のイメージを映像化した作品またはその映像ジャンル(By Wikipedia)

という話です。

歌詞とか曲が○○にあってるなーって曲を選んで頭の中で○○主演のPVをつくるだけの低燃費な遊びに勤しんでいる今日この頃。

めっちゃ楽しいのでこの遊び流行ってほしい。

 

今回はとりあえずNEWS4人に1曲ずつ!

 

 

 

曲は完全に私の独断と偏見である。意外性の低そうな人から。

歌詞の表記(主に改行)が歌詞カードと違うのは許してください。公式動画がある曲のみYouTube貼っときます。

 

 

 

エントリーナンバー1.加藤シゲアキさん

曲:『こころとあたま』/チャットモンチー

はい意外性ゼロ!なんなら意外性マイナスの域!!

www.youtube.com

 

こころ あなたが感じることは、うそのない、気持ちなのね

あたま きみの考えることが、うそのない、答えなのね

 

こころと、あたまよ ずっと寄り添っていて

二つで、一つでいて

離れていたらかなりしんどいのよ どっちも正解にしてあげるよ

 

回り続ける地球の上で 使い慣れた悲しみをしょった

笑って暮らせる一生の中で 面倒な顔を捨てては拾った

 

・いろんな服装と髪型と角度の加藤さんのカットが次々と切り替わる映像からスタート。最低でも、長髪、ソフモヒ、短髪、金髪、茶髪、黒髪はマストで。

・歌いだし、鏡に向かう加藤さんを後ろから映す。鏡の中の加藤さんはしかめっ面。しかめっ面の自分を見ながら顔を洗って歯を磨いて踵を返す。鏡の中の加藤さんはなぜか後頭部ではなくこちらを向いたままで、出ていく加藤さんをじっと見ている。家を出て、次のシーンは改札前。改札を抜けたらなぜか道が伸びている。その道を歩いていく。

・道が二手に分かれているところで立ち止まる。地面に小枝で数式をあれこれ書き始めて、答えを出す。真剣な顔で地面をがりがりする加藤さんはとてつもなくかっこいいんだけど、表情は晴れやかではない。→、と地面に書いて、左を見て、右を見て、もう一度左を見て、意を決して右の道へと歩き出す。一瞬電車に揺られる加藤さんが挟まれて、窓に映る加藤さんは悔しそうな顔。

・しばらく進むと再び分かれ道に辿りつく。小枝を拾ってふと目線を下に落とすと、なぜかそこには先ほどの数式が。わずかに目を見開いてほしい。今度はスマートフォンを取り出し、「正解」を検索する。ちょっとおびえた表情で一度後ろを振り返って、でももう一度歩いていく。

 

こころ あなたに教えたいのは、アクセルとブレーキのバランス

あたま きみに忠告しておくよ、偉いのは、きみだけじゃない

 

こころと、あたまよ ずっと寄り添っていて 

二つで、一つでいて

離れていたらかなりしんどいのよ どっちも正解にしてあげるよ

 

あなたの言うとおりにだけできたらなあ きみも納得してくれたらなあ

私が間違っていたとしても

 

回り続ける地球の上で 使い慣れた悲しみをしょった

笑って暮らせる一生の中で 面倒な顔を捨てては拾った

 

・場面は変わって、パソコンに向かう加藤さん。ぼーっとして、掲示板に「正解ってなに」と書き込む。目を閉じるとフラッシュバックするあの道。歩く、歩くけど先が見えない。ふっとパソコンの画面が落ちるとそこに写る加藤さんはやっぱり浮かない顔。浮かない顔がぐっと目線を上げて、液晶に写る加藤さんが胸のあたりを見る。

・恐る恐る自分の胸元を見る加藤さん。何もない自分の胸を見て、そっと手を置く。(「私が間違っていたとしても」のところで胸に手あててほしい!!)

・分かれ道の前、目を閉じて心臓の音を聴く。まっすぐ前を向いて歩いていく。

・次の瞬間加藤さんは再び鏡の前にいて、顔を洗って歯を磨いて出ていくんだけど、今度は鏡に写った加藤さんは笑っている。

 

フィニッシュ!!!

『正解にしてあげるよ』がテーマでお願いします。画面は全体的に青とか緑とか黒とか白とか。邦ロックぽさを出してほしい。加藤さんは黒髪で、髪型は今の感じかな~。最初のカットとるのが一番手間暇かかりそうだけど、シャララタンバリンのPV撮りを頑張れた加藤さんならこれくらいは余裕でしょう。試行錯誤する加藤さんが見たい。

 

 

 

エントリーナンバー2.小山慶一郎さん

曲:『ソラニン』/ASIAN KUNG-FU GENERATION

意外かどうかはわかりませんが。似合うか似合わないかで言ったらあんまり似合わないかも。

www.youtube.com

 

思い違いは空のかなた さよならだけの人生か

ほんの少しの未来は見えたのに さよならなんだ

 

昔住んでた小さな部屋は 今は誰かが住んでんだ

きみに言われたひどい言葉も 無駄な気がした毎日も

 

あの時こうしてれば あの日に戻れれば

あの時の僕にはもう 戻れないよ

 

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする

きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ

 

・マフラー巻いて河原に立ってる小山さんの画からスタート。アングルは正面。顔のアップからどんどん引きの画になる。殺風景な中に佇む。足元は砂利だけ、なにもない。

くるりと振り返り歩いていく。カメラは固定のまま。ボトムは細身のジーンズで。歩いていく小山さんはスタイルよくて、格好も若干チャラめでお願いしまーす。でもなんとなく画面は暗い。

・クラブみたいなパーティみたいなとこにいる小山さん。めっちゃ華やかな雰囲気で、たくさんの人の中で笑う。女の人が時折寄ってきては、ブレスレットや指輪をつけてくれたり、逆に小山さんが何かあげたりする。できたら黒ワイシャツを着ていてほしい。楽しそうだったのに、少し曇る表情。

・大輪の花束を抱えて、アパートのドアを開ける。部屋の中には何もなくて、真ん中にぽつんと鉢植えの木が。葉っぱもついていなくて、枯れているみたい。その木の根元に、小山さんは無心で花を置く。まるでお葬式みたいな、はたまた肥料みたいな、鮮やかな花で鉢が埋まる。

・画面が暗転、切り替わるとジュエリーショップにいる小山さん。そうっとガラスケースの中をのぞき込む。小山さんの眼に不意にピントが合って、その中にぐううっと寄っていくとさっきの部屋が。鉢植えに敷き詰めた花は枯れていて、木は何も変わらないまま。そこに小山さんが再び帰宅して、手には宝石箱を持っている。茶色くなった花びらを見ながら、美しいネックレスや指輪でなおも鉢植えの中を飾る。(このシーンで「たとえばゆるい幸せが~」)

・砂に変わる宝石たち、小山さんの手が今度は綺麗な女性の写真を置く、それも萎れる。綺麗な貝殻、高価そうな時計、たくさんのお金etcを、小山さんの手が鉢植えに入れては全部無残に崩れて消えていく。木だけがなにも変わらない。そうだよ小山さんの手を思いっきり映してほしいだけだよ悪いかこのやろう。綺麗なものを持つ小山さんの手、絶対綺麗。

 

寒い冬の冷えた缶コーヒーと 虹色の長いマフラーと

小走りで路地裏を抜けて 思い出してみる

 

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする

きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ

 

さよなら それもいいさ どこかで元気でやれよ

さよなら 僕もどーにかやるさ

さよなら そうするよ

 

・ぼーっとした顔で歩く小山さん。ぼーっと自分の手を見る。なんにも持ってない手を見て、街を見渡すけど目を引くものは何もない。ふと見ると、この間のジュエリーショップの中に男の人がいる。あのときの小山さんとは対照的に、ものすごく楽しそうな顔でケースの中を凝視している。

・それを見て、もう一度自分の手を見て、瞬きを一つしてから歩き出す小山さん。栄えている街中を抜けて、川に辿りつく。ポケットから財布を取り出して、クレジットカード、お金、何かの会員証を一枚ずつ捨てていく。そして、財布も捨てて、最後に、携帯も川に投げ込んでしまう。

・去っていく小山さんと、流れていく持ち物。携帯が光って着信を知らせるけど、もちろん小山さんが電話を取れるわけもない。途中自動販売機の前で立ち止まってポケットに手を突っ込んでから、ちょっとだけ笑ってそのまま歩み去る。

・部屋の扉が開いて、鉢植えを見る小山さん。何もない部屋を見渡して、寒々しい木を見て、うつむいて泣く。

・手でぐいっと涙をぬぐったら、なぜか涙じゃなくて宝石が手の中にある。不思議そうな顔をして宝石を見ると、光を放ち始める。もっとびっくりしてると、何故か自分の胸まで光りだす。あっけにとられながら、優しい手つきで光る宝石を木の根元に置くと、崩れないでますます光る。

・手も足も胸もどこもぽわぽわ光りだして、木も光って、葉をつけて、花が咲く。

・花を一輪摘み取って、髪につけて出ていく小山さん。小さな女の子とすれ違って、頭につけている花を指さしてにっこり笑う子ににっこり笑い返す。

 

フィニッシュ!!!

テーマはなんだろう。『武器は心、たからものも心』って感じかな~。手とか脚とかを執拗に映したい(笑)

ゆるい幸せっていうフレーズが小山さんに合うなあと。頭がゆるいとか言いたいわけではなくてね。何とかなるよ大丈夫だよって、ほんとはそうもいかなかったね。でも大丈夫だよ。

 

 

 

エントリーナンバー3.手越祐也さん

曲『キャノンボール』/中村一義

ここから二人は選曲がちょっとアレになる。真面目に選んでるんですけどね、一応。

 

そんなにさ、しゃべんなくたって、伝わることもあんだろ?

僕は死ぬように生きていたくはない。

僕は死ぬように生きていたくはない。

 

※そこで愛が待つゆえに。そこで愛が待つゆえに。

│愛が待つゆえに。そこで愛が待つゆえに。

│愛が待つゆえに。そこで愛が待つゆえに。

※愛が待つゆえに。そこで愛が待つゆえに。

 

僕は行く。

僕は死ぬように生きていたくはない。

僕は死ぬように生きていたくはない。

 

・歩道用の下でギターを弾きながら歌ってるところからスタート。Tシャツジーパン。私服の人が多いお客さんの中にスーツの人がいて、ふと目が合う。

・安っぽい居酒屋でスーツの彼と向かい合う手越さん。泣きそうな顔をして、でも泣かないで、じっと彼を見て首を横に振る。

・一人になって、夜の道をずんずん歩く。歩くスピードがどんどんはやくなって、しまいに走り出す。走って、全力疾走して、光に向かって飛び込む。顔を上げてみるとそれは公園の自動販売機のコーナーで、脱力して空を見る。月と星が光るのを眺めながらぐっと唇をかむ。(「僕は死ぬように生きていたくはない~」がこんなに似合う顔の人ほかにいないでしょ…)

 

何ひとつ、言えなかったのは、ただひとつ、伝えたかったから。

僕は死ぬように生きていたくはない。

僕は死ぬように生きていたくはない。

 

(※繰りかえし)

 

立ち止まる。

僕は死ぬように生きていたくはない。

僕は死ぬように生きていたくはない。

僕は死ぬように生きていたくはない。

 

傷だらけの消えそうなメロディー…、目を刺す青空達…、

あぁ、そこらにあるオレンジジュースの味…、

穢れの先で。70’s、80’s、90’sだろうが、今が二千なん年だろうが、

死ぬように生きてる場合じゃない

 

(※繰りかえし)

 

僕は往く。

僕は死ぬように生きていたくはない。

本音さ、死ぬように生きていたくはない。

 

・オーディションぽい雰囲気の中、レコーディング用のマイクに向かって歌う手越さん。思いっきり気持ちよさそうに歌う様子に、目を見開く大人たち。握手を求められて、ぽかんとした顔でぎゅっと手を握る。(イメージはモーニング娘。’15の小田さくらさんのオーディション風景で。『Be Alive』歌ってる動画なんですけどめちゃめちゃいいのでお勧め)(つんく♂さんが痙攣かよってくらい首振りながら聴いてるのも見どころ)

・電話を握って嬉しそうな顔で通話する。

・場面が変わって、差し出された楽譜を見た瞬間顔色が変わる。険しい表情になった手越さんを見て訝しげな顔をする大人。なだめようとする手を振り払って、会議室を出ていく。やっぱり悔しそうにずんずん歩いて、歩調がはやくなって、ずんずんずんずん歩いて、しまいには走り出す。走りながら、さっきの大人とか、幼年期の手越さんぽい子供とか、スーツの誰かとか、そういうものの幻覚が現れては振り払って、いつの間にかギターじゃなくて剣を手に持ってて、大きな目をいっぱいに見開きながら走って戦う。

・息を切らしてたどり着いたのはいつもの歩道橋で、膝に手をついて肩で息をしていたら、ふと革靴が目に入る。恐る恐る顔を上げると、そこには友人。無言で手を差し出されて、そっとギターを渡す。観客が一人もいないまま、友人の伴奏で歌い始める手越さん。友人を見て、思いっきり破顔。

・友人と二人で夜道を歩く。空を見上げると美しい月と星。月に雲がかかって、流れて、再びくっきりとした月。

・歩道橋の下、ではなくちょっと開けた広場に現れるスーツの手越さん。スーツの彼が待っている。二人でスーツの上着を脱いで、友人伴奏の手越さんボーカルで歌い始める。以前より多いお客さんを前にして気持ちよさそうに歌う。シャウトしながら目を瞑って、開けるとそこはもっともっと広くてちゃんとしたステージで、客席は人で埋め尽くされている。

・熱狂の中、歌い続ける手越さん。天井に向かって歌い上げると、照明が月にかわって目線を下げると元の広場に戻っていて、さっきとは比べ物にならないくらい少ないお客さんがいるだけ。でも手越さんはそれを見て、目を細めて顔いっぱいに笑う。

 

フィニッシュ!!!

テーマ?『そこで愛が待つゆえに』『僕は死ぬように生きていたくはない』に決まってるでしょ。歌詞がめっちゃ単調?なのが手越さんぽい。

加藤さんの2作目の小説『閃光スクランブル』のテーマソングの一つなのは気にせず手越さんのイメージビデオ撮ります。ちなみに友人は加藤さんのつもりで妄想している。

余談ですが友人とのカラオケでこれ歌うと高確率で途中で飽きた顔をされます。

 

 

 

エントリーナンバー4.増田貴久さん

曲:『ジターバグ』/ELLEGARDEN

個人的には一番なんのこっちゃな選曲である。

 

たった一つのことが今を迷わせてるんだ

数えきれないほど無くしてまた拾い集めりゃいいさ

 

遠回りする度に見えてきたこともあって

早く着くことが全てと僕には思えなかった

間違ったことがいつか君を救うから

数え切れないほど無くしてまた拾い集めりゃいいさ

 

一切の情熱がかき消されそうなときには

 

いつだって君の声がこの暗闇を切り裂いてくれてる

いつかそんな言葉が僕のものになりますように 

そうなりますように

 

・林檎を食べてる増田さんの画からスタート。髪色は赤で。うさぎさんに剥こうとして失敗して、崩れた林檎を見てからそのまま食べる。(隙あらば増田さんに何か食べさせたいタイプのオタク)

・暗転、端っこが折れたチケットを握りしめて幕をくぐる少年。そこはサーカスで、火の輪をくぐるライオンや空中ぶらんこで舞うぶらんこ乗りに夢中になる。そしてステージに現れるマジシャン。彼が繰り出す様々な手品に、身を乗り出して夢中になる。

・増田さん登場。Tシャツジーパン。財布にしまったあのチケットを見返して、サーカスのテントを再びくぐる。サーカス衣装に着替えて、鏡の中の自分を見てくるくる回る。

・ひたすら手品の練習をする増田さん。(「いつだって君の声が~」)

 

たった一つのことが今を迷わせてるんだ

誰を信じたらいいのか気づけば楽なのに

初めからずっと分かってたことがあって

そのレールはまた途中で途切れていたりするんだ

 

一切の情熱がかき消されそうな時には

 

いつだって君の声がこの暗闇を切り裂いてくれてる

いつかそんな言葉が僕のものになりますように 

そうなりますように

 

目を閉じて指先に意識を集めて

確かめる足元

 

一切の現実に飲み込まれそうなときには

 

いつだって君の声がこの暗闇を切り裂いてくれてる

いつかそんな言葉が僕のものになりますように

そうなりますように

 

・誰もいない閉幕後のサーカス小屋の中、空中ぶらんこで宙を舞う増田さん。衣装はタンクトップ一択。宙返りを一つ決めてから、タオルを拾って楽屋へと帰っていく。

・狭いアパートで一人でハンバーガーを頬張る増田さん。ふとテレビを見ると、女子アイドルがキラキラ踊っている。それを見ながらハンバーガーを食べ終わり、紙くずをごみ箱に投げ入れて、ベッドに寝転び目を閉じる。小さい頃に見たあのサーカスの様子がフラッシュバック。

・まだ誰もいない開幕前のステージ、Tシャツスウェットで手品のリハーサルをする。真っ暗な客席を見渡してから、ステージを見る。(「目を閉じて~」)

・楽屋で衣装に着替えて、ステージに向かう。髪を弾いて、こぶしで胸を一つ叩く。

・スポットライトに照らされて、満員の観客を前にショーを披露する。小さな子とか、団体の中学生とか、サラリーマンと思しきおじさんとかが、おおって楽しそうに笑う。出番を終えて一礼、客席を見ると一番後ろにあの頃の自分がいて、こちらを一心不乱に見ながら夢中で笑っているのが見える。

・それを見てちょっと眉を下げて、もう一度深く頭を下げる。

 

フィニッシュ!!!

『いつかあの時見た光に』ですね。

「この暗闇を切り裂いてくれてる」って別にショータイム中の暗い客席の話じゃないのは分かってるんですけども。サーカスとジターバグって胡瓜に生クリームレベルで合わない気がする。少年マスダを探してこなきゃいけないのと、手品と空中ぶらんこを練習しなきゃいけないあたり一人だけ異様に難易度が高い。頑張れ増田さん。

 

 

 

・反省

多分これ読んでも全く楽しさが伝わらないなとは今読み返して思った。思ったが、マジで楽しいのでだまされたと思って一回やってみてほしい。イメソンの延長でイメージビデオ、いい暇つぶしになるのでおすすめ。

それはさておき、全体的に4曲とも加藤さんぽい曲になってしまった。私の好きな曲は大体どれも加藤さんぽいので不可抗力である。加藤さんは世界で一番主人公だから仕方ない。

 

178cmと169cm/君を組み上げるネジも歯車も、僕が外そう僕が嵌めよう

 

最近始めたask.fmで「NEWSで好きなコンビはありますか?」という質問をいただいたので「しいて言うならコヤマスとテゴシゲです!!」と答えた。そしてコヤマスについてはブログを書いたけどテゴシゲはまだ書いていない。ということはそうです、今日のブログのテーマは……

 

 

 

 

 

コヤテゴです。どーん

 

 

気分の問題。ちなみにhttps://m.ask.fm/navy_blueeeeです。お気軽にどうぞ。

 

 

 

NEWSで一番様子のおかしいコンビ、コヤテゴ。基本的に加藤さんが絡むと誰も彼も重めの愛がむきだしになることに(私の中でだけ)定評のあるNEWSだが、実は一番ヤバいのがコヤテゴコンビなのである。

どれくらいヤバいのかについては、ちょっと某チューブを開いてKちゃんNEWSの手越さんゲスト回をきけば15分でわかる。もうね、ヤバい以外の言葉が出ない。通称ネジ外れ手越。電車の中で聞いちゃいけないラジオNo.1の座は彼らのものだ。

 

単純に手越さんが割とマジでヤバい上に、小山さんがそれに抵抗を見せないのでヤバさが全く薄まらない。(編集という魔法の力で一応薄められてはいるが)

だからまあ頭空っぽにして見ているだけでも存分に面白いしそれが正しいコヤテゴ摂取法だと思うのだが、あえてちょっと言葉にしてみる。

 

 

この2人の好きなところは、どっちも『愛されたがり』で『求められたがり』なところだなあと思う。実はアイドル哲学の一番根っこが通じているような気がする。そんな2人だけが作れる、そんな2人にしか許されない世界があるのかもしれない。

 

 

 

完全に私の私見なので合っている自信は特にないのだが、マスシゲの2人は「アイドルとは?」という問いを突き詰めると『何かを与えられる存在』という答えに辿りつくタイプであると思っている。その何かはきっとキラキラだったり、愛だったり、幸福だったり感動だったりそういうもの。増田さんはアイドルとしての原風景を抱き続けて、『与える存在』であることを志し続けている。あのとき感じた感動を自分も誰かに与えたいから、彼はずっとそれを突き詰める。加藤さんは、なかなか自信が持てなくてもがき続けてここまで来た人だ。彼が自分を肯定する許可を自分に出せるようになったのは、自分がグループに貢献できていると思えるようになったからだ。自分がちゃんとここにいていいと、自分が確かにここで何かを成して、何かを人に与えていると思えたから。だからマスシゲは『与えたい人』なのだ。

 

それに対してコヤテゴは、「アイドルとは?」という同じ問いを投げかけられたとき、『何かを求められる存在』と答える2人ではないだろうか。何かって何なのかと言ったら、感動だったりキラキラだったり幸福だったり、愛だったり。マスシゲとほとんど変わらないようでいて、実は小さくない違いだと思う。手越さんは特にそれが顕著だ。彼はきっと無関心が一番怖い。嫌われるより叩かれるより、存在を知られないことや一つまみの興味も向けてもらえない方がずっと怖い人。叶うことなら世界中の人に愛されたいと無邪気に笑う言葉は、あながち冗談でもないように思う。きっとそれこそが――世界中の人に愛されて世界中の人に求められることこそが――手越さんにとってのアイドルの完成型なんじゃないだろうか。小山さんは、特に近年4人になってから欲しがりになったなあと思う(笑)「NEWSを残したのは俺のワガママ」と言い切る彼の選択をただのワガママじゃなくしてくれたのはきっと、「残してくれてありがとう」という私たちの声だ。無様に居場所にしがみついたその選択を、私たちの愛だけが肯定してあげられる。だから彼は、正解であるために求められたがる。『求められたい人』、コヤテゴは、ぎゅううぅっと抱きしめたくなるくらい愛しい。

 

求められたい同士の2人だからあんな世界が作れるのかなと思う。「してほしいんでしょう?してあげる!」「したいんでしょう?させてあげる!」そうやって求め合って許しあえることはきっと、彼らにとっては必要なことなのだ。

 

 

話は少し変わるのだが、小山さんは基本的にとても優しい人だ。誰にでも65~70くらいの優しさを注げる人。でも、誰にでも優しいって、誰でも同じ扱いってことで、時に誰にも優しくないということと同義だったりする。不器用で30くらいの優しさしかふりまけない代わりに、大事な人には150の気持ちを捧げられる人の方が実は誠実だと思いませんか。

そういう誰にでも優しいから誰にも優しくない人の『特別』になる方法ってなんなんだろう。多分三つのやり方があって、まず「優しい人に何かを求められるようになること」、次が「優しい人が粗雑に扱う相手になること」じゃないかと思う。そして最後が、「ほかの人が求めないくらい求めて求めて求めることで『特別』をもぎ取ること」だ。

手越さんと小山さんの関係は、こんな感じだなあと思う。手越さんは小山さんに圧倒的に許されている。酷いイタズラも酷いラジオも酷いいじり方も酷いセクハラ(?)も、小山さんはなんでもかんでも許してしまう。

優しい人が許してくれることで得られる『特別』は、本来ひどく不確かだ。だって、優しいその人が自分だけを許してくれるなんてどうして思えるだろう。特別に見えるのは、自分しかそこまで求める人がいないからかもしれない。ほかの誰かが同じものを求めても彼はあっさり許してしまうのかもしれない。彼にとって自分が特別なんじゃなくて、自分がほかの人より彼を求めているから特別みたいに見えるだけのハリボテかもしれない。その不安を吹き飛ばすことはとても難しい。

でも手越さんは吹き飛ばす。圧倒的にシンプルに、常軌を逸したレベルで求めることでその懸念を吹き飛ばす。ほかの人が絶対真似できないくらい求めて許されてしまえば、ほんものの『特別』になれるのだ。笑えるくらい直球勝負の解決法。小山さんにあんなことをできる人は手越さんしかいなくて、それを小山さんが許すから、2人はちゃんと特別だ。(あんなことの詳細?ググれよ(©加藤シゲアキ))

 

 

 

度を越した無邪気は狂気に似ている。だからまあコヤテゴのおかしさって、要するにそういうことなのかもしれない。すごく微笑ましいはずなのに、微笑ましさを煮詰めてみたらトンデモダークマターが生まれちゃいました、みたいな感じ。

 

かわいいけど、手越さんて確かにめちゃめちゃかわいいけど、小山さん一回よおおく見てみよう。手越さんは27歳男性で、すね毛も生えてて、ひげはないけど脚はムキムキだし、手越さんだ。つくもんついてる男性だ。あ、それは知ってるねこの間マッキンリーが8合目までコンニチハしたもんね。

もうこういう色々があってなおかわいく見えるなら何も言うことはないのかもしれない。

ジャニーズアイドルには、各種おかしいコンビが美しく揃っている。なんなんだお前らって叫びたくなるやつらがいっぱいいる。でも、実はそのおかしい人たちの何がおかしいかというと、『男同士としておかしい』ということが多々ある。コヤシゲとかやまけととか山とか横雛とか。怪しいけど、まあ、夫婦とか恋人ならギリセーフな人たちだ。多分。自信ないけど。

コヤテゴは違う。人としておかしい

 

 

めちゃくちゃ面白いし、腹抱えて笑えるし、だからもうそれだけでコヤテゴの魅力なんか全部なんだけど、でも時々ちらっと思う。愛されたくて求められたくて欲しがりなこの人たちは、本当はこういうやり取りが心底必要なのかもしれない。

 

24時間365日アイドルでいようとする手越さんにとっては、これが一つの肩の力の抜き方なのかなって、ほんのちょっぴり思うのだ。支離滅裂で人としておかしいこういうやり取りは、弱音の吐き方を忘れた手越さんに残されたリセットの方法なのかもしれない。好き好き大好き俺を愛して許して求めて愛をちょうだい!!!って馬鹿みたいに大きな声で叫んで、何もかも許してくれる人に全力でしがみついて、お腹が痛くなるくらい笑って、そうやって手越祐也は守られているのかもしれない。そうやって今日も、あの幸福そうな笑顔で私たちを見る心を育てているのかもしれない。

あんなに愛おしいいきものである手越さんに、あんなに全力でネジを外した状態で迫られて、それってどんな優越感なのかな。小山さんを、あんなに無邪気に純粋に欲しがってくれる手越さんは、自分も小山さんも救っているのかもしれない。「もうコイツやだ~~~」ってどんなに小山さんが言ったって、小山さん以外ああなった彼の相手はしない。小山さんだけが相手をしてあげられる。小山さんがいなきゃ駄目なのだ。小山さんだけが彼にあんな風に必要とされている。

 

 

だから、もしも万が一、2人にとって2人でいることがなんらか心の清涼剤になっているなら、どうかいつまでも変わらない2人でいてほしいなと思う。優しくて素直で大人な小山さんと、かわいくて無邪気で優しい手越さんが、あのトンデモでトンチキな時間に癒されていたらいいなあと思う。

 

絶賛手越さんを抱きしめたい病の定期発作中なのでこんな感じになってしまったが、ここまで読んでくださったあなたにはぜひとも今すぐKちゃんNEWSをきいてほしい。

 

聴きました?どう思いました??

 

「いや、こいつらのこれにそんな深い意味ないだろ……」

 

と思ったそこのあなた。

私もそう思いますしコヤテゴのそういうところが好きです。

 

 

(笑)

 

癒されるどころか体力削られてそうだよね間違いなくね!

好きやで、コヤテゴ。

些末な思い出と死に方の話

 

些末な思い出の話をしたい。めっちゃ私的。24時間テレビスペシャルドラマの話をさらっとちょこっとしているので、未視聴でネタバレが嫌な方はちょっと注意。あと全体的に暗くて重い。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに24時間テレビを少しだけ見た。普通の社会人の顔をする増田さんはちゃんと普通の大人に見えて、なんだか変な感じがした。途中で仕事辞めちゃったけど。笑

冒頭いきなりお葬式から始まったのでどう考えても諒平くんが死んでしまうのはわかりきったことだったが、それがわかっていても悲しいものは悲しい。痛いものは痛い。わずか17歳で病気になって、1年も闘病して、歩けなくなって髪も抜けてぼろぼろに痩せて力尽きて亡くなってしまうなんて、どう考えたって悲しい。

 

でも、見ていて、こんな風に死にたいなあと思った。どうせ死んでしまうなら、私は病気で死にたい。ある程度の期間闘病してぼろぼろになってやせ細って死にたい。

 

 

多分私はずっと、8歳の頃からずっと、突然死んでしまうのが怖かった。

小学2年生の春、祖父が交通事故に遭った。日課だった朝の散歩をしていたところを車に撥ねられた。即死でこそなかったが事故の瞬間には意識を失い、そこから約24時間意識が戻ることは二度となかった。祖父は事故の翌日にはそのまま逝ってしまった。事故を知らされてから、実の娘である母だけが関西に行き、私たち姉妹と父は関東に残っていたので死に目には会っていない。「おじいちゃんは脳死状態だ」と姉と二人で聞いて、家にあった『家庭の医学』という辞典か何かでノウシという聞きなれない単語を引いたのをぼんやりと覚えている。祖父が助からないらしいことはなんとなくわかった。

「祖父の怪我のことを考えたら、事故から1日も命があっただけでもありがたいこと」と誰かに言われた。「お別れを言う時間があっただけでも幸運なんだ」と。意識のない人に言うお別れに、どんな意味があるんだろう。

奇しくも祖父が亡くなったのは私の誕生日だった。事故の前日に誕生日祝いをしてもらっていたが、訃報を聞いて同じく関西にある父の実家に行ったらケーキを用意してくれていて、8歳の誕生日は2回お祝いをしてもらった。

 

祖父は健康な人だった。事故に遭ったその日は、定期的に開催していた「1日10000歩歩く日」だったらしい。几帳面な人でもあった。亡くなってから一度だけ見せてもらった手帳には予定が事細かに書き込まれていた。厳しい人だった。北陸出身だった彼は大阪に住んでいたくせに大阪弁が嫌いで、娘たちが喋るのを嫌がった。だから私の母と叔母は、大阪生まれの大阪育ちのくせにほとんど大阪弁を話せない。祖父は不運な人だった。当たり所が少し違えば足を折るくらいで済んだかもしれなかった。

祖父を殺した人は善良な人だった。今まで事故を起こしたことも目立った違反をしたこともなく、事故後にはすぐに通報をし、裁判の時にはずっと頭を下げていたらしい。家庭もあった。彼に実刑はつかなかった。

祖父は死ぬような人ではなかった。健康で厳しくて元気で几帳面で、多分誰も彼の死を想像したことなどなかったのだろう。誰も覚悟などできていなかったのだろう。

 

突然夫を亡くした祖母は壊れてしまった。一番何もかもを受け入れられなかったのが祖母だった。納骨さえ嫌がって、随分長いこと遺骨は大阪の家に置いたままだった。

実を言うと、この頃どんなごたごたが起きていたのかをいまだによくわかっていない。私はわずか8歳で、そういう色々を教えてもらえるような歳ではなかったし、そのうち母方の親類縁者との付き合いはほとんど絶えてしまった。あれもこれも何もかも揉めて、夫の死を受け入れられなくて、祖母はうつ病になったらしい。「らしい」というのは、それが本当かを私たちは知らなかったからだ。母はそれを信じていないようだった。

鳴り響く電話が怖かった。祖母が何度も何度もかけてくる電話を母は決してとらなかった。電話が鳴るとナンバーディスプレイを見て、それが祖母からだったらただじっと鳴りやむのを待つ。うっかり電話をとってしまうと、それが私たち家族の誰であっても構わずに祖母は助けを求めた。今ならわかる。あれはSOSだったと頭ではわかる。でも、10歳にもならない私には、「私が死ねばいいんでしょう、私に死んでほしいんでしょう」と訴える声を受け止める器などあるはずもなかった。私の3つ下の妹に対してさえ祖母はそんな調子だった。怖かったし憎かったしわからなかった。

祖父が死んで、私の家は普通ではなくなってしまった。祖母の押し付け合いの挙句親戚には半ば縁を切られた。祖父の墓参りを最後にしてから何年経つのかさえ分からない。関西在住だった叔母は、実の母であるはずの祖母に家がばれることを極端に恐れていて、半年に一度は住民票を移していた。6年ほど前に北陸に住んでいた祖父の母(私の曾祖母)が亡くなったとき、姉と叔母は葬式に参列したが母はしなかった。母たち姉妹はかわいがってもらっていたらしいから、行きたかっただろう。けれど行けなかった。頑ななところが、祖母と母は似ている。それから数年後、一度だけ曾祖母の家を訪ねた。親戚に見つかりやしないかとびくびくしながら、母と叔母と姉と妹と、住む人を失って荒れ果てた家を見た。

今、祖母は大阪にある老人ホームにいる。その前は、私たち家族が知らないうちに精神病院の閉鎖病棟に入院していた。入院していることを知ってから、一生懸命話し合って、昔よりほんの少しだけ『普通』に近づいたけれど、きっとここが限界なんだろうなと思う。時々お見舞いに行く。時々手紙を書く。本当は、祖母を愛しているのかよくわからない。手紙にいつも書く「会いたい」という言葉は多分嘘だ。

 

 

あの頃からずっと、死が怖かった。何もかもを変えてしまう死が、突然訪れるそれが多分怖かった。

 

 

父方の祖父の肺の病気が発覚したのは私が小学校高学年の頃だった。苦しいときも弱音を吐かないのが男らしさだと思っているような人で、わかった時にはもう手遅れだった。入院しても祖父はしっかりしていて、頭だけはかなり最後の方まできちんとしていた。祖母も気丈にしていて、何度もお見舞いに行った。最後にお見舞いに行ったとき、祖父母の家から病院に向かう道で父に「おじいちゃんに会えるのはこれが最後だよ」と言われた。そこから2週間も経たずに祖父は亡くなった。それでも祖母は気丈だった。私たち家族と祖母の間に何かしらの亀裂が入ることなどなく、法事にも滞りなく出席することができた。おばあちゃんはすごいと思った。

 

 

そんな気丈だった祖母が亡くなって、来年でもう丸2年だ。

膵臓がんだった。見つかった時にはもう…というよくある膵臓がんだった。自分の死期を知ってなお気丈な人だった。

一応手術もしたけれど駄目で、いわゆる『開いて閉じるだけ』の手術になってしまった。祖母はどんどんどんどん痩せ細っていった。太り過ぎを医者に注意されるような人だったはずなのに、会うたび小さくなっていった。それでも祖母はずっと、本当に死の間際まで、祖母のままだった。

亡くなる3か月ほど前に、祖母は傘寿の誕生日を迎えた。祖母の希望で割烹で誕生日会を開いた。誕生日会と銘打ってはいたけれど、本当のところはお別れ会だった。付き合いの深い親戚と、女学校時代からの友人を数人招いて、その日の祖母は綺麗にめかしこんでいた。「今日は集まってくれてありがとう」「皆さんご存知の通り私は病気になりました」「今日は楽しみましょう」そんな感じのことを冒頭に話して、たくさん写真を撮った。

 

それからも亡くなるまで、暇を見つけては関西まで通った。孫の中でピアスの穴が開いているのは私だけなので、祖母のお下がりをいくつかもらった。たくさんの思い出話を聞かせてもらった。お正月を迎える頃には祖母は完全に弱ってしまっていて、話をしながら時折涎を垂らしてしまっては気まずそうにこっそり拭っていた。

父が小さい頃とても頭がよかったこと。地元の国立大学を目指していたのに友達が東京に行く人ばかりで自分も東京に進路変更してしまったこと。挙句浪人した上に予備校を勝手に辞めたこと。お見合いで私の母を初めて見た時美人でびっくりしたこと。女学校を出て服飾の仕事に就いたのに、結婚が決まっていた祖父がそれを嫌がって辞めさせられたこと。「だからね、『それなら辞めますけど絶対稼ぎませんからね』って言って、本当に10円稼いだこともないの」と笑いながら言っていた。それから、戦争で死んでしまった姉の話。二重の美人さんで、家族で唯一一重だった祖母は容姿がコンプレックスだったこと。「湯坂ちゃんも3人の中で1人だけふたかじゃないから同じだね」と、「私も自分のひとかが本当に嫌だった」と、似ていることを喜んでくれた。正直そこは似たくなかったよおばあちゃん…。

 

一番一番泣いたのは、ずっと持っているポーチから小さな紙を取り出して見せてくれた時だった。一切の延命措置は望まない、苦痛を感じるようになったらそれを減じる最大限の処置をしてほしい、それが命を縮めるような麻薬の類でも構わない、と自筆で書かれたその文字は祖母の字で、祖母は強くて、でももうすぐ死んでしまう人だった。阪神淡路大震災を経験してから肌身離さず持ち歩き氷砂糖やチョコレートを入れていたポーチの中に紙が1枚。

最後にお見舞いに行った日、私が着くほんの少し前に祖母は痛みを訴えだしてモルヒネ投与が行われた。話をすることもできないまま帰った。

結局次の日の明け方に祖母は亡くなった。

 

驚いたことに、葬式の段取りはすべて決まっていた。業者も進行も、着る服から遺影から流す曲にいたるまで事細かに決めてから祖母は逝ったのだった。棺の中に思い出の品々を入れるとき、その中に私が昔あげたティッシュケースがあった。ヘッタクソな字でガタガタに祖母の名前を刺繍した、フェルトで作ったそれを入れるとき、めちゃくちゃ泣いた。お葬式でもお通夜でも泣いて、泣いているけど実感もなかった。なんだか非現実的だった。父なんか、少なくとも5回は「実感わかない」って言ってた。わかなすぎだろう実の息子よ。

 

 

親戚が集まって食事をしながら、皆が口々に「こういう風に死にたい」と言った。私もそう思う。心底思う。

「死ぬなら老衰がいい」「寝ている間にぽっくり」「苦しまず安らかに」っていう気持ちもわかるけど、そりゃあ苦しいのなんかいやだけど、突然死ぬのはもっといやだ。朝起きたら死んでるなんて、絶対にいやなのだ。

 

死ぬなら病気がいい。発覚してから半年か一年かはもつような病気がいい。自分も周りもみんな私の死を受け入れられるくらいの時間が欲しい。お別れ会だってしたいし祖母のように全部決めたい。

闘病して、ぼろぼろになってやせ細って、死んだときには「楽になれたね」って泣きながら笑われたい。いいんだよ、ありがとう、幸せだったよ、バイバイって周りの人に伝える時間が欲しい。死ぬほど苦しんで、もういいやって思いたい。もういいよって思われたい。

 

 

 

本当はそんなの関係ないのかもしれない。死に方なんて関係なく、強い人は受け入れられるし弱い人は壊れるだけなのかもしれない。そもそも私の祖母が壊れたことと、祖父の死とにそこまでの関連はないのかもしれない。本当は祖母はずっと不安定な人で、祖父の死がなくてもいつかはそれが顕在化していたのかもしれない。(というか、多分もともと遺伝的に精神を病みやすい傾向がある血統なのだと思う)

 

それでもやっぱり、それならなおのこと、どうか突然死ぬことなどありませんようにと思うのだ。弱いかもしれない私の周りの人々が覚悟を決める時間を与えてあげられますようにと思うのだ。もういいよって言ってもらえるくらい頑張って生きようとして見せるから、頑張り切ったら「がんばったね」ってちゃんと褒めてね。

 

 

 

来年は祖父の13周忌、祖母の3周忌です。

ティッシュケース向こうで使ってくれてるのかなあ。天国では鼻水なんか出ないかな。笑

 

 

 

山田さんも増田さんも井ノ原さんもお疲れ様でした。

きみの名前だけがきみの名前だよ

 

突然ですが、皆さんは自分の名前がお好きですか?

私は大好きです。漢字の見た目も好きですし、両親が込めてくれた願いも好きです。いい意味ばかりがある漢字ではないのですが、それも込みで好きです。

 

まあ何が言いたいかというと、私は『名前』という概念が好きなわけですよ。わりと大事にしたいタイプなわけですよ。そんな感じで名前のお話です。グループ名の。

 

 

さっくり言ってしまえば、この夏一番推されていたJr.だったであろうMr.King VS Mr.Prince、通称キンプリの名前があまり好きではないというお話です。キンプリというグループが嫌いと言う話ではありませんしキンプリの個々のメンバーが嫌いと言う話でもありません。

非常に色々な感情が渦巻く話題なので、ちょっと設定をつけます。

 

  1. Mr.King VS Mr.Princeは今夏をもってグループ名としての役割は終了。
  2. キンプリ6人の命運は考慮しない。(解散もしくは『Mr.~』から違う名前に改名して活動)
  3. なぜかジャニーさんが、「キンプリって名前めっちゃ気に入ったから2代目キンプリ作ろうかなって思ってるんだよね」と言い出した。

 

という状況を想定。

ちなみにジャニーズWEST中間淳太さん、桐山照史さんが『ばど』と呼ばれているのは元々B.A.D.というJr.内ユニットを組んでいた2人だからなのだが、このB.A.D.は一番最初は東京Jr.内のユニットだった。(第1期メンバーは現嵐の相葉雅紀さんと二宮和也さん)

それが途中で関西Jr.へと名前だけ移動?みたいな形になったわけで、ジャニーさんがすごく、ものすごーーく『Mr.King VS Mr.Prince』という名前を気に入ってたら誰かへ『名前のおさがり』が行われる可能性はゼロではない。ゼロであってほしいけど(笑)

この状況になったら私はぜひともジャニーさんに説きたいのだ。世の中にはもっと素敵な名前がたくさんあるよと。2代目キンプリじゃなくて初代ナニカを創りましょうと。

 

 

冷静に考えて私がジャニーさんと接触できる可能性などあるわけがないのだが、言いたいから言うよ!

 

 

 

ちなみにこの話、キンプリさんたちの進退が決まる前に上げてしまいたかったのだが、予想より数日早く彼らの今後が発表されたので間に合わなかった…頑張ってね…。

 

 

 

・名前に求める条件

そもそもいいグループ名とは何だろうか。私は別に姓名判断師でもないしショービジネスを手がけたこともないし22年しか生きていない。なので全くの素人考えなのだが一応私が思う『いい名前』の条件をいくつか挙げてみる。

 

  1. オリジナリティがある
  2. 読み方に無理がない
  3. 程よい長さ
  4. 変な意味を内包していない

                                  

以上である。至ってシンプル。

 

1.オリジナリティについて

なぜこう思うのか。簡単だ。私がNEWS担だからである。オリジナリティとは言い換えてしまえば唯一無二さということだ。もっと平たく言えば、「検索した時に目当て以外のものが引っかかることがない」ということである。ぶっちゃけた話NEWSのネーミングはこの観点から見ると15点ぐらいだ。100点満点でね。NEWSって単語が1日に何回テレビで使われるのか知らなかったの!?とジャニーさんに聞いてみたい。

唯一無二さ、というところでいうと嵐も結構微妙だと思うのだが、『嵐』という単語は意外と日常生活での使用頻度は高くない。単語としてはジャニーズの嵐以外の意味もごく普通に浸透してはいるが、正式な気象用語ではないため新聞やテレビであまり使われないことも関係していると思う。あとは、ジャニーズ嵐が、自分たちが嵐という単語の筆頭語義になれるくらい人気を得たことも大きい。

要するに、何か既存の1単語をグループ名にする場合は元々の意味より自分たちの名前の方が優勢になるように『本来の意味』と戦う必要が出てくるのである。勝てばいい、人気を出せって思うかもしれないけど、世の中には勝つことがおよそ不可能に近い単語もあるのである。NEWSとか。NEWSとかNEWSとか。

EXILEなんかは高校生向けの英単語集に乗ってるぐらいのレベルの英単語なんだけど、日常生活でまず使わないので完全にアーティストEXILEが『本来の意味』に勝利してる例かな?

ちなみにそうは言いつつも、ってロゴ考えた人天才だよね!?って思ってるしNEWSの4文字にメンバー4人を当てはめるやつも大好きなので、NEWSって名前好きなんだけどね。完全に愛着湧いてるんだけどね。

だからまあ大事だとは思うけど、必須ではないのかもしれない。

 

 

2.読み方に無理がない

これもめっちゃ簡単な話で、そもそも名前とは何かを識別するためのものだ。だからあまりに読み難い名前=他者が読めないことを厭わない名前はあんまりよくないのでは?と思う。新生児のキラキラネームは話題になるけど、グループ名だとなかなか聞かないし思いつく例もないけど。

ちなみにKis-My-Ft2はさして無理があるとは思わない。変わった読み方ではあるけれど、アルファベットとしてさして無理のない当て方。最近のジャニーズ界隈で強いて例を挙げるならSixTONESかな。これでストーンズと読むのは若干無理矢理感があるような気がする。シックストーンズからストーンズに変わるついでにSxTONESとかに変えるんじゃ駄目だったのかな~。でもまあ京桜靖(きょおせい)とか苺苺苺(まりなる)レベルじゃなければ別にいいと思う。

 

3.程よい長さ

だって長いと不便じゃん。せいぜい3単語ぐらい(例:「ムエタイ・ムカイ・ブラザーズ」「ヒップ・ホップ・ジャンプ」)までが適正じゃないかなー。日本人は基本的にわりとなんでもかんでも略しちゃうのでそこまでの実害はないかもしれないけど、長くて得をすることって基本的にないんじゃないかと思う。あるなら教えてくれ。

 

 

4.変な意味を内包していない

これもすげー普通のことで、例えば人種差別的な単語が入ってたり、あとは略した時に俗語になっちゃったりするのはあまりよくないなあと。例えば私の地元ではファーストキッチンのこと「ファッキン」て呼ぶんだけど、まあグループ名だったらあまりよろしくはないよね。

そもそも単語として変な意味が入ってるのは論外かと。バンドならこれは許されるけどアイドルだと駄目みたいな境界線の違いはあるだろうな。セックスピストルズってバンドならアリだけどジャニーズとしてはナシだよねえみたいな。

 

 

 

・『Mr.King VS Mr.Prince』という名前の何が気に食わないのか

というわけで『Mr.King VS Mr.Prince』の話。まず「①オリジナリティ」に関して。これは普通にクリアしているように思う。次、「②読み方に無理がない」これもクリア。

私がモヤるのはここから。「③程よい長さ」長い、どう考えても長い。ミスター・キング・バーサス・ミスター・プリンスって、5単語ある。Mr.KingとMr.Princeの2ユニットをJr.内に作りまーす、っていうんだったらまだギリわかるけど、それを統合するときにそのままくっつけちゃうのはどうなんだろう、と思ってしまう。そもそも別々に活動するのがメインでたまに一緒にやります、というならそれでもいいと思うけど、(というかそのバラしやすさがこの名前の狙いなのかもしれないけど)一つのグループです!感に欠けるなあと思う。

 

最後に、「④変な意味を内包していない」これです。なんなら私が一番気に食わないのはこれ。上では差別的な意味が、とかよくない俗語が、みたいな例を挙げたが、グループの名前として見落としてはいけない『変さ』はほかにも何種類かある。

KingとPrinceは対等な概念ではない。だって王は統べる人で、王子はその子供だ。対等なわけがない。実情として、アイドルグループの成員がすべて対等であることはなかなかないとは思う。ただ、人気や露出が対等ではないことと名前に格差がついていることとは全くの別問題ではないだろうか。だからこの単語をチョイスした意味がよくわからないのだ。少なくとも私は自分がアイドルで、BESTとBETTERというユニットがつくられてBETTER側に入れられたらうれしくはない。BETTERの方が優遇されるとしてもいやだ。

BESTと7くらい比較不可能な名前でよくないか?と思う。

 

というわけでジャニーさん、2代目Mr.King VS Mr.Princeをつくるなんて言わないで、新しい名前を考えようよ。キンプリという響きにこだわりたいならMr.KingとMr.Prismとかでいいじゃん。グループ作るならMr.Kingdomとか、とにかくちゃんと名前つけようぜ。内部ユニットの名前くっつけるだけにするのはやめようぜ。

と言いたいのでした。そんなパイプないけど。

 

 

 

ちなみに現実にいる6人と現実のキンプリに関してはこういうことは言わない。結局のところ名前なんてセンスと愛着の問題なので、そこを抜きにして名前だけについて語ることには何の意味もないし。

あとジャニーズのアイドルたちは往々にして「初めて自分たちのグループ名をきいたときはセンス終わってると思った」「この名前絶対売れないと思った」的なことを言っている印象がある。けど、今彼らを見ると嵐は嵐でしかないし、KinKi KidsKinKi Kidsでしかないと思うので、ほんと、結局はそういうもんなんだなと。NEWSって名前のNEWSが好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱりだいれん好きだなあ。