英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

アイドルは人間だ/上手なさようならの仕方


他人なんだよなあ。
人間は誰でも自分の幸せを自分で決められて、相手のことをどれだけ好きでも相手のことをどれだけ思っていても他人の幸せを決める権利は私にはない。そしてアイドルは他人だ。生きていて絶対関わりのない、お互いがお互いの幸せに何の干渉もできない他人。

知っていた。5年前から、ちゃんと私はそれを知っている。

 

■田口くんの話
私がそれを心から分からされたのは2015年11月のことだった。
田口君がKAT-TUN脱退を発表した。アイドル、心からグループを愛していて仲間を好きでアイドルになるために生まれてきたようなアイドルでも、それでも自分の人生を考えたときにアイドルであることを捨てる選択をすることがある。
アイドルでいることは自明の、当然の、絶対外れない道ではない。この人なら仕方ない、と思うようなほんの一握りのアイドルにとってだけそうなのではない。誰にとっても、私の知っている誰でも、アイドルでいることと他の道を天秤にかける可能性がある。その天秤が別の道に傾く可能性がある。今日、今この瞬間にもその天秤に掛けざるを得なくなり、もう彼の別の幸せの方に秤は傾いてしまったかもしれない。

山下くんと錦戸くんがNEWSを抜けた時心底傷ついた。本当にショックだった。傷ついたのはNEWSが好きだったからで、ショックだったのはそんなことはありえないと思い込んでいたから。
何の保証もなく、ジャニーズのアイドルは「普通は辞めない」のだと信じていた。だから本当にびっくりした。辞めていいのだと思っていなかった。辞めたいだけで辞められるようなものだとわかっていなかった。だから上手くいっていない片鱗を感じても、何の活動もなくても、思い描く最悪の事態はその状況が続くことだった。既に底にいると思っていた。でもそうではなかった。


如何ともしがたい本当にどうにもならない理由が、もしくは事務所にはもうどうにもならないくらいの本当に強い希望と圧倒的な実力がない限り辞めないなんて、そんなこと実はないのかもしれない。
赤西くんが辞めたのは、彼が特別だからだと思えた。錦戸くんが辞めたのは仕方なかった。だって2つのグループを続けていくのはもう無理だった。山下くんが辞めたことに心底傷ついた。それでも、彼が心からNEWSを愛していたわけじゃないのを本当は分かっていたから特殊事例だと思い込めた。こきたん(田中聖)は辞めたわけじゃない、彼は解雇された。彼が自分でアイドルを捨てると最終決断したわけじゃない。
辞められるのかもしれない、アイドルってアイドルでいるのが心底嫌じゃなくても辞めるのかもしれない。アイドルって永遠じゃないのかもしれない、でも。


でもなんかない、ないのかもしれないんじゃない。ないんだ。
と思い知らされたのが田口くんの脱退だった。
山下くんと錦戸くんが辞めた時に、アイドルは辞めないという私の盲信の土台は崩れ落ちて、でも今までのことは特殊事例だっていう命綱があったから同じ高さに浮いていられた。辞めるかもしれないけどそれは非常事態だ。普通は辞めない。信じていたい。安心していたい。ぐらぐら揺れながらも私を繋ぎ止めていたその綱をぶつりと断ち切られた。
アイドルでいることは必ずしもアイドルにとって至上の幸せではない。アイドルでいることと自分の幸せがバッティングしてしまうことは誰の身にも起こりうる。そうしたら辞める。誰でも。
虚無感に苛まれながら、それでもいつか忘れるだろうとも思った。目の前の楽しさに紛らわされて、この虚しさをきっと忘れる。早く忘れて、もう二度と思い出さなくて済むといい。

 

■永遠に回収されない伏線の話
手越さんが辞めると知って、その経緯のあれもこれも何もかも訳が分からなかったけれど、今に至るまで一度も怒りが沸いたことはない。心のどこを見渡しても悲しみと困惑と疑問が渦巻くだけで怒りはなかった。今もない。
嫌いになっていないし、憎んでいないし、恨んでいない。

忘れてなかったなあ、と思った。5年間、ちゃんと覚えていた。あの時思い知った事実は残念ながら覆されることはなく、むしろこの5年間で追加の証拠ばかりが積み重なっていった。
知っていた。アイドルでいることと自分の幸せが決定的な齟齬を起こしてしまうことがある。そうなったら「アイドル」と「別の何か」を天秤に掛けるしかない。別の何かの方が幸せだというならそっちを選ぶだろう。選んでほしい。
ないから、あなたの幸せより大事なものなんてあなたには1つもなくていいから。


めちゃくちゃだとは思った。
アルバムを発売して、ツアーを発表してチケットを売ってコンサートの日程が決まって本当なら決まっていた初日を迎えて。すべてが決まっていた。ギリギリまで開催しようとしてくれていて、だからこそ毎週毎週開催地ごとに延期が決まっていってつらかった。
全部決まってるんだよ、いつでもやれるよと4人ともが言っていた。当たり前だ。リハまでやった。衣装に袖を通しさえした。
それなのに今?どうして?
どうしてこのタイミングで、どうしてこんな風に、どうして何の言葉もなく。

分からない。今も分からないし、多分この先も分からないままなんだろう。

奇妙に現実感がなく、すべてがちぐはぐに感じられた。
彼の復帰を祈るようにあからさまに空白を作った配信ライブも、待っているのかと思いきや即座に発表される脱退と退所も、最後の言葉も何もなくSNSに現れたことも、それから元気いっぱいの会見も。
手越さんの会見を聴いている間もずっと同じ気持ちだった。理解が及ばない、言っている言葉の意味は分かるけれどそれをきちんと咀嚼できない。大事な仲間、じゃあなんでこんな風に辞めたの? いつ辞めさせられるか分からなかった、信じていて円満に退社した事務所なのに? 仕事をする仲間だから会って話したかった、メンバーとはLINEのやりとりだけで我慢できたのに? STORYやりたかったよ、じゃあなんでこんな風にやめたの?
何で、何でそんなことを言うのか本当にわからなかった。会見のほとんどの間私はただ呆気に取られていた。それで納得すると思う?できると思う?今自分の言っていることが私たちの知りたいことだと本当に思ってる?

置物のように座っているだけだった弁護士の先生が会見終盤に突如マイクを持ち「お互いの認識に相違があり……」としゃべりだした時、ズドンと強烈に腑に落ちた。私たちは教えてもらえない。本当に知りたいことはこの先もずっと聞けない。

嘘をついているとは思わなかった。
世の中には嘘にならないぎりぎりのラインを見定めて本人も心から「嘘ではない」と思っているからこそ雄弁に説得力を持って話ができるタイプのパフォーマーがいて、手越さんもそのタイプだ。本人が本当だと信じているからこそ迷いなく話ができる。それは1つの個性であり長所だ。
嘘をついているというよりはそういう印象だった。言わないと決めたことが何かあって、嘘をついてはいないけれど「それ」を迂回して喋っている。
でもその「言わないと決めたこと」こそが多分私の聞きたいことで、それを聞かないと私がこの顛末を理解することはできない。
なんでなんだろうな、とまだ今も思う。半年経っても思う。
STORY、どうして諦めちゃったんだろう。1公演でもいいから、配信でもいいから最後に届けて去っていってほしかった。文章だけでいいから、手書きじゃなくてただのコメントでもいいから「NEWSの手越祐也」としての、「辞める人」としての言葉がほしかった。

そうしなかった合理的な理由が今も思いつかない。
脱退と退所が不可避だと事務所と本人双方が思ったとして、「どう辞めるか」の検討がこの形で落としどころとされることがあるだろうか。どうして。
そう、これは、落としどころだ。ベストではないけど今の状況からしたらこうするしかないねって、事務所と手越さん両方が考えた末に折り合いをつけた場所。それがどうしてこうだったんだろう。こんなやり方が落としどころになる事情って何だろう。

何なんだろう。何だったんだろう。多分知ることができたとしてずっと先だろう。
不思議な気持ちだ。怒ってはいないけど訝しんではいて、何かあると思わずツッコミを入れてしまう。笑ってツッコミを入れながら、自分で自分にいやどんな気持ち?と思う。
分かることはないのだと諦めてしまったから、諦めたのに分からないままでいる。

 

■私が見てきた彼の話
信じられないくらい愛らしい笑顔で笑う人だった。
感情が顔から溢れちゃってるみたいな、表情に気持ちが収まりきらないみたいな、そんな大輪の笑顔で笑う人。その顔を見る度に愛おしすぎてちょっと胸が苦しかった。
優しい人だった。優しいからこそ強かった。信じられないほど優しいから信じられないほど強くあろうとして、自分の弱さを切り捨ててしまうような人だった。
てんでめちゃくちゃな人だった。人と違うことを恐れない人だった。

彼のめちゃくちゃな語順の喋り方が好きだった。
テレビで服をいじられて「オシャレしてなくてもモテんのよ」に続けて「よくね?別にだから服なんて」と言った時みたいな、頭の中がそのままこぼれてくるみたいな話し方。「~なのよ」「~だわ」って、乱暴でもないけど丁寧でもない語尾も好き。
人と違うことを恐れないけれど、一方で本人が思っている以上にずっと素直でピュアな人でもあった。「俺清楚だからさあ!」とギャグのつもりで言ってどっと笑いが起きた直後に、死後の世界があるかないかと言われて「あった方が素敵じゃない?」と他意なく言うような人だった。心根の優しい人だと今も本気で思う。

活力あふれる人だった。
大好きなサッカーに携わる仕事がしたくて、実際にその夢をかなえた人。虹色のマフラーを巻いてサッカーの解説をして「手越は本当にサッカーが好きな人、好きじゃないとあんなことまで話せない」という声を見る度嬉しかった。
NEWSのリリースにすごく間が空いた時、大人のところに「シングル出したい!」と直談判しにいったらしい。
努力して英語を身につけた。イッテQのロケでよく海外に行き、NEWSのメンバーの中では飛びぬけて渡航経験が多かった。
海外ではさあ、と口癖のように言っていた。海外ではこうだから、日本はそうじゃないけど俺は全然恥ずかしくない。愛情表現はした方がいいよ、堂々としていいじゃん。

出来ることもやりたいこともたくさんたくさんある人だった。
ジャニーズをよく知らずにデビューして、ジャニーズという概念に憧れのない人だった。少し見ているだけで分かった。ファンのこともNEWSでいることも愛してくれていたけれど、ジャニーズ事務所にいることへの執着は感じなかった。ジャニーズという組織の中のてっぺん、ジャニーズという存在の中の最終形態に、多分彼は全然憧れていなかった。

辞めたい気持ちを全く感じない人ではなかった。本人も「辞めようと思ったことがある」と語っていたし、彼がやりたいことのいくつかはこの事務所にいたら実現に途方もない時間と労力がかかるのはファンである私にもわかった。
それでも手越さんがNEWSでいてくれるのは、彼をアイドルに繋ぎ止めているのはファンからの愛とファンへの愛だったんだろう。
時々少し申し訳ない気持ちになった。アイドルでいてくれてありがとう、この場所に引き留めてごめんね、そんな風に弱さを捨てさせてごめんね。それをこんな風に申し訳なく思うことが一番後ろめたかった。彼が選んでくれたことに、ありがとう以外の言葉なんて本当は望まれていなかったと思う。彼はそういう人だった。

 

■上手なさようならの仕方
絶対辞めたがってなんかない、とは思っていなかった。結構ずっと、多分少なくないファンがそれを感じていたんじゃないかと思う。
手越さんが辞めてから、恐る恐るというように何人かと話した。「本当はさあ、STORY完結したらNEWS解散するんじゃないかってちょっと思ってた」「STORY終わって、NEWSこれで終わりです!って言われたら、死ぬほど悲しいけどどっかでそっかぁってなってた気がする」これも多分、1人や2人ではない数が思ってたと思う。口に出さないだけで、そういう終わりがありうるんじゃないか、自分は多分それを受け入れられるだろうな、とうっすら思っていた。
だからこそ衝撃だった。だからこそこれだけは絶対にやり遂げてくれると思っていた。
4人で進めてきた、NEWSという言葉を司る4部作。
その完結を待てなかった理由。どうしても2020年の前半に辞めたかった理由。
何だったんだろうなあ結局。

終わりを覚悟していたからこそ、こんな風に終わるとは思いもしなかった。
「言い訳ひとつせず」「悪者になって」みたいなの、誰が言われててもいつも全然誉め言葉だと思えない。言い訳してくれよ、悪者にならないでくれよ、こっちは嫌いになりたくなんかないんだよ。

 

アイドルは「普通辞めない」ものなんかじゃなくて、結構普通に辞める。それはもう知っている。それでも傷つく。
失恋に似てるなって思う。私にとって山下くんと錦戸くんの脱退は初めての恋の終わりだった。初めて人を好きになって、初めて付き合って、本気で結婚するって信じてた恋人。別れることなんて絶対ないんだって心から信じてた恋人。それでも別れることがある。本気で好きだった恋愛でも終わることがある、それを知ってしまった感じ。
別れがありうると知る前と後ではやっぱり心の持ちようが違う。違っても、終わることがあるって知ってても、本気の恋が終われば毎回本気で傷つく。でももう衝撃はない。

そういう感じだなあ。
4人を見てるのがあまりにも楽しくて、4人のことがあまりにも好きで、4人を好きでいるのがあまりにも幸せだった。でも、それでも終わってしまうことがある。それをもうちゃんと知っていた。
上手にさよならしてほしかった。上手じゃなかったことを残念に思っている。さよなら自体じゃなくて、さよならの仕方の話。
ダサいな。「恋愛に怒ってるわけじゃない、相手が悪すぎるから怒ってるだけ」って言ってる人たちみたいだ。でも本当に怒ってるわけじゃない。信じてもらえるのか分かんないけど。


私は手越さんに、「卒業」をしてほしかった。退学じゃなくて卒業を。話し合って全員が納得して、背中をたたかれ送り出されてほしかった。好きだから、4人が大好きだったから、完結した漫画を大事に本棚にしまうような気持ちで「4人のNEWS」とお別れしたかった。できなかった。打ち切りになった漫画、解散したバンド、そういうものと同じ気持ちの箱に4人を入れなければならないことが素直に悲しい。
でもそれも悲しくて寂しいだけで、やっぱり怒ってはいないのだ。

 

■この世で一番大切なもの
好きな人にとっての幸せが、私が望む彼の幸せだったらいいのに。でも必ずしもそうじゃない。違う、その2つが一致していることの方が本当は奇跡だ。

人間だから、生きてる人間を好きでいるから得られる幸せを馬鹿みたいにたくさんもらった。過ぎていった愛おしい時間は、生きている生身の人間を好きだからもらえたものだ。不安なく信じていられる命綱はとうに切れて、私はただ「好き」という気持ちだけで浮遊している。いつまで好きか自分でもわからないし、好きな人がいつまで目の前に望む姿でいてくれるのかもわからない。不安定で、むなしくて、でも好きだ。なんの確証もないし明日終わってしまうかもしれないし、でも、得られる楽しさと天秤に掛けた時、私の秤は楽しさを選ぶ。

綺麗にさよならできなかった。知りたかったことは教えてもらえないまま、それでも恨もうとは思わない。どうしてこうだったのか、多分ずっと納得できないと思う。それでもぐらぐら宙に浮かびながら、傷つきながら、「捨てやがって」と思うことは多分もうない。こう思えるのはきっと、もらった愛を信じているからなんだろう。
好きだった。愛おしかった。まっすぐで激しい愛の言葉、狂おしいくらいに愛おしい満開の笑顔、マイクを通さず叫ぶ全力の「ありがとう」
私が愛していた4人を手越さんも愛していた。愛していたものは嘘じゃなかった。そう信じているから憎まない。それでもNEWSでいることより大事なことが彼の人生にできてしまったんだなあとぼんやり思う。要らなくなったんじゃない、嫌になったんじゃない、大事なものと大事なものを天秤に掛けた。そしてこっちは選ばれなかった。

じゃあ捨てていいよって心から思う。

生きている人間を好きで、楽しかった。相手が生きているからもらえる幸せを手に余るほどたくさんたくさんもらった。ご飯を食べて、友達がいて、悩んだり迷ったりして自分の意思がある生きた人間を好きでいた。どこにでも行けるその足で、永遠にここにいてほしかった。でもちゃんと知っていた、絶対どこにも行きたくないなんて彼が思っていないこと。
だから分かっていた。いつか終わってしまうかもしれない。終わるならその時は、ありがとうって気持ちだけでさよならをしたかった。ごめんねって思いたくないなって思ってた。
いざ現実になってみたら、「ありがとう」と「なんで?」がぐるぐるぐるぐるしている。想像してたかっこつけた終わりどころか、想像してたかっこわるい終わりにすら辿りつけなかった。思い描いてたかっこわるいさよならよりもっとずっとみっともなくて下手くそで、笑ってしまう。
かっこよく捨てられたかったな、かっこつけてさよならしたかった。こんな風になんでなんでって思い続けたくなかった。本当にかっこわるくてバカみたいだ。
だけどそれでも心から言える。捨てたこと全然怒ってないよ。
こんな風に捨てられたくはなかったけど、でもいいよ。自分の幸せのためならどんな風にでも捨てていい。それが幸せを選ぶために必要なんだとしたら、必要なように捨てていってほしい。あなたより大事なものなんて一つもなくていいから。

どこにでも行けるその足で、「正解」の方に走っていけますように。人間みんな自分だけが決められる、自分の幸せの方へ。


こんなの嫌だよ、ありがとう、さようなら。