英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

『そんなシゲが愛しい。』

 

 

この文章を読む人の中に、『そんなシゲが愛しい。』と聞いて「ああ、あれか」とピンとくる方はどれくらいいるのだろうか。

そんなシゲが愛しかった、愛しい。今も変わらず、でも全然違う。

 

 

ジャニオタとしての私が初めて生息したSNSmixiだった。モンストのおかげで息を吹き返しはしたものの、SNSとしての地位はTwitterFacebookに完全に敗北して久しいあのmixiである。

あの頃の私にとって、mixiは非常に刺激的な世界だった。なんせジャニオタがいっぱいいる。当時一番楽しかったコンテンツがmixi日記だった。『コヤシゲ』とか『マッスー』とか3日に一度は検索し、人の書く文章をにやにや眺めたものだった。ハイテンションで萌えを叫ぶ人の圧倒的な面白さにあこがれを抱いていて、真似して自分もハイテンション日記を書き散らしていた。あの文章が今この世に残っていたら大惨事である。(幸か不幸か痕跡さえなく綺麗に消え失せているので若干寂しくもある)

 

高校2年生の初夏、クラスメイトの「湯坂もmixiやってるの?やってないなら招待するし、マイミクなろうよ!!」という言葉により私のmixiでのジャニオタライフはあえなく終わりを告げた。日記はすべて非公開にし、マイミクさんたちは全員解除し、プロフィールはガラッと書き換えetc.

ここでTwitterに移行したのだが、この時泣く泣く切ったマイミクさんの何人かはいまだにTwitterで繋がっている。インターネットってすごいね。

 

あの頃指を咥えて見ていて、結局最後まで見ているだけで終わったのがmixiコミュニティという制度だった。

 

Q.コミュニティとはなんですか

A.mixiコミュニティは掲示板を利用して共通する趣味や関心ごと、考えなどをほかのメンバーと共有することができます。

また、参加することで他者に自分の趣味や属性、どういった人間なのかを端的に表現することもできます。

(mixiヘルプのよくある質問より)

 

参加コミュニティ一覧を見るだけでそのユーザーの趣味嗜好がけっこうわかった。18歳未満は参加してはいけないことになっていたので参加はしなかったが(もしかしたら18歳未満はそもそもユーザー登録が禁止だったかもしれないが覚えていない)、名前を見るだけで参加ボタンを押したくなるコミュもいくつかあった。

その中で、圧倒的に入りたかったのが『そんなシゲが愛しい。』だったのである。

 

『そんなシゲが愛しい。』というこの短いフレーズは、ものすごく的確にシゲの魅力を言い当てているように感じた。

 

インテリなはずなのにイマイチ見せ場のないシゲ。

静止画だとかっこいいのに動くとそこはかとなくゴリラなシゲ。

小山と2人でMC担当なのに何故か一方的にいじられてばかりのシゲ。

スタイルはいいし見た目もスポーツマン風なのに運動はてんでダメなシゲ。

 

シゲ。かっこいいのに残念なシゲ。そんなシゲが愛しかった。

本当に純粋に、『そういうところ』が好きだった。これこそがシゲの魅力だとさえ思っていた。シゲの魅力はただかっこいいだけじゃないところで、みんなシゲのそういうところが好きで、シゲの周りにいるNEWSメンバーは楽しそうで、そんなところが好きだった。キャラクターに焦点を当てれば増田さんより加藤さんの方がよっぽど好きで、日記でも加藤さんのことばかり叫んでいたと思う。

だから、雑誌の取材か何かで「付き合うならどんな子?」と訊かれた加藤さんが「俺をいじらない子」と答えていたとき、ちょっとびっくりしたくらいだった。私はシゲがいじられているのを見る度に、「わあ、オイシイな!」と喜んでいたから。

だってそりゃあ、ジャニオタ初心者の私にもNEWSが山下くん中心なことくらいはわかったし、シゲはお世辞にも歌が上手いともダンスが上手いともいえるようなレベルじゃなかったし、喋れることがシゲの生きる道、輝ける活路に見えた。喋れること。小山と2人でMCが回せること。いじられること。

 

NEWSの中で役割があること。

 

純粋な愛しさと、キャラ萌えと、うっすらとした役割意識の中で、私はずうっと『そんなシゲが愛し』かったのだ。この頃の私の加藤さんへの感情は、端的に言えば『萌え』だった。

 

 

最近、『ピンクとグレー』映画化関連の情報が出る度に、震えるような嬉しさに包まれる。7年前の、5年前の、3年前の私に教えてあげたい。

ねえ、シゲね、小説家になるんだよ。その小説が、映画化するんだよ。主題歌がASIAN KUNG-FU GENERATIONなんだよ。ねえ、信じられる?「世界は意外とお前に優しいよ」って、シゲが過去の自分に言えるくらい、胸を張って背筋を伸ばしてシゲは生きてるよ。集団の中で余ってる役割じゃなくて、シゲがシゲのために見つけた輝きが今ここにあるよ。

 

 

少し前にask.fmで「加藤シゲアキさんの好きなエピソードを教えてください」という質問をされて、私はその回答を「『どうか恋であってくれ』『どうかこれで潰えないでくれ』と願いながら全力で恋心を抑え込んでは、枯れてしまった恋を心の片隅に放り投げるような恋愛をしていそうで、まじシゲアキめんどくせえ…愛しい…」と締めくくった。

私はずっと、めんどくさいシゲが好きで、そういうところが愛しくて…違う。違った。不意に気づいてびっくりした。

 

今も私は日常的に、「そんなシゲが愛しい」と思うし、そういうツイートもしていると思う。『そんなシゲが愛しい』という気持ちは私の中にずっと当たり前にある感情だったから、気にも留めずにこのフレーズを使っていた。でも違う。違うのに、いつの間にかすり替わっていたから、全然意識していなかったのだ。

 

 

正統派イケメンなのにサブカル男子なシゲ。

自意識が肥大するあまり自分の行動に制限をかけちゃうシゲ。

たくさんの変人を虜にしておきながら自分の魅力に無自覚なシゲ。

自分のすごいところに無自覚なシゲ。

 

シゲ。かっこいいのにめんどくさいシゲ。残念なんかじゃないシゲ。

――そんなシゲが愛しい。

順調にアイドル街道を走ってきたのにNEWSに入ったことで急に端っこの目立たないやつになって、周りの人に勝るところも見つけられなくて、「こんな世界マジファック」とさえ思っていた。人見知りで同期も少なくて仲がいいのは小山さんだけで、でも心のどこかで小山さんに劣等感を抱いていて、それなのに同時に泥のような連帯感もあった。どんなにあがいても無駄だという焦燥感、どうにもできない暗闇の中で、それでもこれじゃ駄目だと思って、もがいてもがいてつかみ取った小さな光が『ピンクとグレー』だったのだ。『今』は変えられなかった。加藤さんが決死の思いで守ろうとしたものは結局壊れてしまった。

それでも、NEWSに入ってから今までの、栄光と挫折と慢心と諦観と努力と絶望と希望とで、加藤さんは変わったと思う。『今』は守れなかったかもしれない。でも、あの頑張りが『未来』を切り開いた。あのとき加藤さんが死に物狂いで切り開いた『未来』が、私たちが見ている今なのだ。

私にとって加藤さんは単なる萌えるキャラクターではなくなった。生きていて、努力をして、前を向いて進んでいく人。見る者を奮い立たせてくれる人だ。もうダメダメなシゲじゃない。残念なシゲじゃない。加藤さんの魅力は、駄目なところでもいじられるところでもない。生きていること、生きていくところ、人としての魅力が私を惹きつける。

 

ここまでの過程の中で加藤さんは、たくさんのものを見つけて好きになって取り込んで身につけて、今私が愛する彼がいる。変化していく彼が、全部ずっと好きだった。

これからも私は、「そんなシゲが愛しい」と思うだろう。何度も何度も繰り返し思うだろう。そしてまた気づいたら、『そんなシゲ』という言葉の真意はいつの間にか変化していたりするのかもしれない。それでもやっぱり、「そんなシゲが愛しい」と思いたい。思えるだろう。この胸いっぱいの愛と信頼と憧れを、あなたに。

 

 

 

ずーっとずっと、『そんなシゲが愛しい。』よ。

 

 

 

 

映画『ピンクとグレー』公開まであと119日!!

みんなみてね!!!!

(もし日数の計算が間違ってたらこそっと教えてください…)