英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

ミクロな地獄に君を落としても/人間のまま愛せないなら

 

最近、アイドルを好きな自分と人間の自分がバラバラになっている気がすることがあって苦しい。バラバラになるというか、ちぐはぐでないとやっていられない、整合性を取ろうとすると破綻するというか。人間のまま何かを好きでいられるのってすごく当たり前、いや当然そうであってしかるべきことで、でもそれって時には難しくて、人間のまま好きでいつづけることが出来ないものも時にはあるのかもしれない。

好きだと思う。
好きでいたいと思う。好きだから。
でも、好きでいられないこともあるのかもしれない。たとえそれそのものに罪などなくても。 

 

■私たちの愚かさゆえに

もう随分前のことに感じるが、2016年12月に俳優の成宮寛貴さんが引退したことを覚えているだろうか。薬物使用疑惑を週刊誌に取り上げられ、その疑惑は彼自身も所属事務所も否定したものの、 

この仕事をする上で人には絶対知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまい、このまま間違った情報が拡がり続ける事に言葉では言い表せないような不安と恐怖と絶望感に押しつぶされそうです

(中略)

今後これ以上自分のプライバシーが人の悪意により世間に暴露され続けると思うと、自分にはもう耐えられそうにありません

 という悲痛な声明とともに彼は引退していった。彼の引退に多くの人が悲しみ、また、他者の性指向を面白おかしく書き立てるメディアに怒りを表明する人もたくさんいた。

彼の引退についてのツイートの中で一際強烈に覚えているものがある。元ツイートが見つけられなかったのでうろ覚えだが、

「私たちが愚かだから、私たちが下世話だから、私たちは彼を失ってしまった」

というような内容だった。

そうだ、私たちが愚かで、下世話で、他者を傷つけるようなふざけた記事に興味を示すから、それがお金になるから。だから彼は私たちの前からいなくなってしまった。需要があるから供給される。大衆全員がNoを突きつければ、彼らはあっさりそれをやめるだろう。そうすることが正しいからではない。儲からないからだ。

  

山口真帆さんとNGT48の結末

先日、NGT48の山口真帆さん、菅原りこさん、長谷川玲奈さんの3名が卒業を発表した。1月の暴行事件告発から今日にいたるまで、ついぞ一度も外野がAKSをまともな会社だと思えるような出来事がないまま“山口真帆さん暴行事件”はこれが結末となるのだろう。

事件の発表後、NGT48に在籍していたことのある北原里英さんは山口さんへのエールを送った。

https://twitter.com/Rie_Kitahara3/status/108333762122

 「(前略)

あなたは謝るべきではありません!
謝らないで。悪いことしてないです。本当に!頭を下げるのは間違ってます!わたしが悔しい。
犯人である男性に謝ってほしいわけじゃない。だけどこんなの変でしょ?絶対に間違ってる。もうほんとうに悲しい。」

 
ワイドショーでは指原莉乃さんが厳しく運営を批判し、今回の卒業発表後にはTwitterでこんなコメントも述べている。

 「本当だとしたら未成年の子供も預かっている会社としておかしい。大人数を預かっておいてその感覚の人とは思いたくない。私も現社長とは一度しか会ったことも喋ったこともなかったしコミュニケーション不足もあるのか、いま預けられている人の不安さ不信感がわかってないような。全体的に怖いしおかしい」

 事件に関わっている、いわゆる“黒メン”ではないかと疑われているメンバーたちの過去の生配信(NGT48のメンバーたちは個人で映像付き生配信を行っている)やモバメ(登録者にはメンバーからのメールが届くサービス)、Twitterの投稿などの裏の意味を読もうと様々な憶測が繰り広げられ、こんな風に山口さんを侮辱していたのではないか、こんな風に勝ち誇っていたのではないかという“解説”も多数見た。インターネットユーザーが推測して作り上げられた相関図もある。

何が事実なのかは現時点ではわからない。今になってもわからないということは、大衆がそれを知ることはないのかもしれない。

 

事件に関わっていた、あるいは山口さんと対立していた側ではないかと目されているメンバーの1人、山田野絵さんのTwitterを見た。「握手会ありがとうございました。大人っぽくなったって言われてうれしかったです!」というコメントと、笑顔のものと花束を持って笑うものの2枚の写真が添付された投稿。素直に、かわいいなあと思った。ぱっと見の感じはアンジュルム竹内朱莉ちゃんみたいな系統の、ショートヘアの元気そうな女の子。過去の投稿を少しさかのぼってみた。

「お前なんかいいとこない」というコメントに、「あるよ!こんな顔でもアイドルできてる!」と返していた。

好きなアイドルに言わせたくない言葉5本の指に入る気さえするひどい言葉だ。プロデュース48というオーディション系の番組に出ていたことがあるらしい。「いつも元気で頑張り屋さんな野絵ちゃんがだいすき!」というリプライが過去のツイートについていた。彼女はかわいいし、きっと努力家(少なくとも表に見える部分はそうだったのだろう)なのだろうし、たくさんの魅力に溢れているのだろう。

  

だから、彼女を好きな人、彼女を推している人、きっときちんといただろうと思う。「こんなブスを好きな奴いないだろうけどw」と彼女たちを揶揄するツイートもこの頃見かけるが、そんなことは絶対にない。いたに決まっている。どんな気持ちなんだろうな、と思う。煽りではなくただ、苦しいだろうなと思う。彼女に非があったと確信していても苦しいし、非がなかったと確信していても苦しいし、どちらかわからないと思っていても苦しいだろう。好きだった人が悪い奴だったと思うのは苦しいし、好きな人が謂われなきバッシングを受けているのもしんどいし、好きな人のことが分からなくなるのも言い知れない不安だろう。私が山田さんのファンだったらどう考えてたのかな、とも少し考えた。わからない。うまく想像できなかった。

最近の山田さんのツイートは、もう誹謗中傷のリプライの方が多い。まともな言葉遣いのものもそうでないものも、数百単位の言葉が彼女を責める。こうなってしまったらそれは仕方ないのかもしれない。怒りをただぶつけることに生産性があるのかは置いておいて。

  

山口さんが名指しで「私の味方」と明言した人は、菅原さんと長谷川さんのほかにももう1人いた。それが村雲楓香さんである。

3人の卒業発表後、彼女はTwitterで悲痛な決意を表明した。

こちらにはたくさんの応援コメントが寄せられていた。それはもうたくさんの温かい言葉が。

 

「(前略)

事件以降、真帆ちゃんの苦しむ姿をずっと見てきました。被害者でありながら、すぐにグループの正常化を考え始めた真帆ちゃんは本当に強い心の持ち主だと思います。

 

たくさん泣いて、苦しんで、それでも諦めずにグループを変えようとしてくれた真帆ちゃんには感謝してもしきれません。

それなのに、グループは真帆ちゃんの気持ちに寄り添うことができませんでした。

グループが変わることを信じて訴え続けてきた真帆ちゃんが、段々と人を信じられなくなっていく姿は、見ていて本当に辛かったです。

 

このような事件が起きて、被害者であるメンバー、そしてそこに寄り添ったメンバーが辞めるなんて、絶対にあってはならないことだと思います。そうならないためにはどうするべきかずっと考えながら過ごしてきました。

しかし結果として、昨日3人にあのような発表をさせてしまいました。わたしには何もできませんでした。ごめんなさい。

 

最悪の結末と言われても仕方ありません。

 

でも、これを結末にはしません。悔やんでも悔やみきれないけれど、それでもたくさん後悔して、反省して、それぞれが自分を見つめ直していかなくてはいけません。

これまでたくさんの方がNGT48を支え、応援してくださいました。そんな皆さんに、ここで何も変わらないまま終わる姿を見せられません。NGT48に変わって欲しかったという3人の願いを胸に、正しいグループとしての姿を皆さんにお見せできるように頑張ります。

(後略)」

 
いいんだろうか、と思った。

自分がファンならどうするのかとこちらも考えた。というより、考えずにはいられなかった。彼女のこの決意を応援できるだろうか。ファンとしてじゃなくて、外野としてでも。口出しするようなことじゃないとわかってても、それでも考えずにはいられなかった。私は彼女のこの決意を応援できない。だって心の片隅で彼女を応援しているから。

 

 

■マクロな地獄へ君の背を押す

今回の一連の騒動について私は怒っている。我慢ならないと思っているし、許してはいけないと思っている。それは黒と噂される彼女たちとか、実際に暴行をはたらいた奴らとか、そういう当事者たちよりも、運営に向けられた怒りなのだと思う(暴行の加害者にも当然めちゃくちゃ怒っているけれど)。地獄か?と思う。事実は確かにわからないけれど、山口さんの発言とAKSの人々の言い分はあまりに齟齬がある。対応もあまりにお粗末だと感じるし、正直なところAKS、NGT48運営の言っていることが信じるに値するとはとても思えない。

それで、この信用ならない組織で、村雲さんは頑張るのだという。

 

 かなり昔にNMB48の水着MVを批判するブログ記事が少々波紋を呼んだことがある。私はそのブログと、それから、NMB48のことが好きな女性のそのブログへの悲しみを読んで、自分もブログを書いた。

 

■発端のブログ

ninicosachico.hatenablog.com

 

■見かけたツイート

NMB48の「ドリアン少年」を聞いたら秋元康に怒りしか沸かない - 限りなく透明に近いふつう http://t.co/F2PRxuisie せやけども「好き」っていう人のこと、この人はどう思うんでしょうか。酷いやつだというんだろうか。

— 2015, 8月 11

 

アイドルとして出会ってしまった子を好きになってしまったら、その子が脱いだりしたときもがんばれと思ってしまうんだけど、それはだめなことなの?この好きな気持ちはどうしたらいいの?それをその子が望んでいたとしても、わたしはそれを止めたほうがいいの?どうやって?

—  2015, 8月 11

 

私がやっていることは犯罪なのだねって思って落ち込む 素直に落ち込むし素直に死にたくなる

— 2015, 8月 11

  

■私が当時書いたブログ

herodontsing.hatenablog.com

ただ、たとえ大人がどう思っていようが、アイドル自身は必ず鋼の剣を模索しながらアイドルをしていると感じるし、そういうときでもそのアイドルを応援するのは極めて自然なことだと思う。事務所が安易に肌を見せようとかファンサまき散らさせようとか思っていたとしても、それでもアイドル本人は真摯に仕事に取り組んでいる。そういうときに、『大人が気に食わない』という理由でそのアイドルと彼/彼女の夢をあきらめることは、多分私にはできない。大人の意志が透けて見えて、それがどんなに優しくなくたって、それでも私の好きな人は輝いているだろうし、素晴らしいだろうし、私はそれを愛するだろう。

 

この当時、私は「じゃあ彼女を好きなこの気持ちはどうすればいいんだろう」という言葉に対して、確かにそうだと思った。だって、だれが何と言おうと好きな人はそこにいる。推しは替えがきかないただ1人の人間なのだ。そこがひどい場所だと思ったとして、それでもそこにいる彼女が好きだったら、好きでいる以外何ができるんだろうとこの時は思った。

今は違う。今は、もしそう思うなら、そこが“汚い大人”の思惑に満ちていて、彼女が使い捨てにされようとしているのなら、織の中で牙を剥くんじゃなくて織そのものから出ていってほしい。だって、結局私の愛は私が認めたくない人々の財布を肥えさせる。私たちがそれを許すから、私たちはそれを淘汰できない。

 

彼女が決めたことを応援したい、彼女が好きだ、彼女の歌う歌が、写真が、文章が欲しい。その気持ちに従ったとき、結局私たちは彼らを許し、認め、肯定しているのだ。だからなくせない。だからずっとこのまま、だから彼らは未だ何も変わらない。たとえ喉から手が出るほど彼女の商品が欲しくても、お金を払うべきではないことも時にあるのだと今は思う。なぜなら、そうする限り地獄はずっと続くから。彼女はずっとそこにいるから。

 

当たり前のことだが、地獄がなくなれば誰も地獄には落とされない。だから私は地獄の存在を許したくない。認めたくない。肯定したくない。だって彼女が好きだから。好きな子にそんなところにいてほしくないから。だから、私が村雲さんのファンだったら、NGT48の彼女を応援し続けることはできない。好きな人の背を地獄に向かって押す自分を私は許せない。だって私は人間だ。アイドルオタクなんか、ほとんど全部欲望で動いている。むしろそうであるべきだというのが個人的な信条だ。応援してあげたいとか、ライブに行ってあげたいとか、そんな「~~してあげたい」で動きたくない。したいことにお金を払う、消費者であることがオタクとして闇落ちしない健全な在り方だと思っている。でも、だからこそ、欲望だけで動いてはいけないのだ。その欲望が私の倫理にもとるなら、私は欲望を我慢しなくてはならない。

まともな人間性を保てないなら、他者の侵害に加担しないと欲望が果たせないなら、そんなものを趣味にしていいわけがないだろう。だって好きなんだ、好きなんだぞ。正しくないことに加担しないと好きでいられないようなものであることを、好きな人に許したくないよ。たとえそれが好きな人個人の決意や信条、夢を後押しできることであったとしても、長い目で見たときにいいことなんかきっとない。一番よくて、せいぜい現状維持だろう。現状維持、つまり地獄の存続。そんなのは嫌だ。

 

  

■ミクロな地獄へ私が落とす

推しその人は、その人しかいない。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、本当にそうなのだ。私の好きな人はたった1人しかいない。星の数ほどいるアイドルの中の有象無象の1人かもしれないけど、似たような人なんか腐るほどいるかもしれないけど、でも替えのきかないたった1人の存在で、だからこそ地獄の拒絶はむずかしい。

だって、そこにいる。そこにしかいない。そうやってお金を払うから、許せない状況が許されて、認められて、それを肯定することにつながるとわかっていても。大衆全員がNoを突きつければそんなものは消えるとわかっていても、それでも。

私たちは知っている。全員そろって手を離すこと、本当の本当に全員でNoを突きつけることがどれほど困難で、ほとんど達成不能であるか。自分1人が手を離したところで、ただ1人ファンが減るだけであることを。

生きていて1000人の同意を得ることがどれほど稀だろう。でもきっと1000人じゃ全然足りない。1000人が背を向けても地獄は平然と運営を続けるだろう。あるいは奇跡的に地獄が立ち行かないほどの人が手を離したとして、それはただ地獄もろとも好きな人を消してしまうかもしれない。二度と見られないかもしれない。

長い目で見て地獄が続かないようにふるまうことは、短い目で見ればただの地獄の召喚かもしれない。だからこんなに難しい。

 

山口真帆さん事件”は憤りしか覚えない結末をもって幕引きだろう。でも、“NGT48事件”は違う。違うし、“秋元康系列アイドルグループ事件”としても違うだろう。違わせなくてはいけない、と思う。変わることはないかもしれないけど、そうやって広く広く見れば結局何も変わらないかもしれないけれど、好きな人がいる場所は、好きな人がいるにふさわしい場所なのか、そこにいる好きな人にお金を払うことは、私の払ったお金の流れる先は肯定に値するものなのか、私は考えなくてはいけない。私がアイドルオタクでありつづけるために。

 

 

■地続きの地獄

偉そうなことを言っているけれど、私はNGT48のファンでもなければ48系、坂系の誰かのファンですらない。週末Not Yet上からマリコくらいしか買ったことがない、ファンですらない人間だ。

今回のこの件についてできることはない。引き続き何もお金を落とさない、それだけ。損失にすら別にならない。

ただ思うのだ。NGT48事件で終わらせてはいけない。秋元康系列アイドルグループ事件だと考えたい。それで一体、どこまで広げればいいだろう。どこまで広げて考えて、どこまで私は拒絶すべきだろう。どこまで拒絶すれば、私は人間のままアイドルオタクでいられるのだろう。しかも、そうやって風呂敷を広げれば広げるほど相対的に私の影響力はますますちっぽけになって、ただ地獄の中で怒っているだけの人になってしまう。

村雲さんの言葉を見て、指原さんの言葉を見て、北原さんの言葉を見て、私は彼女たちの誰1人に対しても、いなくなってほしいとかお金を払うに値しないとか全然思わないし、好意か嫌悪かで言えば間違いなく好意を抱いている。

それでも許したくない。私はどうしてもどうしてもどうしても、今回のことを許したくないし、今回のようなことをする人々を肯定したくない。

私がやっていることは犯罪なのだねって思って落ち込む 素直に落ち込むし素直に死にたくなる

—  2015, 8月 11

  このツイートを読んだ当時は、どうすればいいのか考えて、どうしようもないんじゃないかと思った。犯罪じゃないと知っている。私1人がお金を出さなくても何も変わらないかもしれない。でも私が私を許せなくなる。今の私はそんなのは嫌だ。

 

私は本当に自分を律することができるのかとても不安になる。私がファンとしてこういうことの当事者になったとき、今回で言う村雲さんのファンの立場になったとき、私は私の愛を手放せるだろうか。私の愛を、欲望を、消費を、本当に辞められるだろうか。だって何も変わらないかもしれないのに。

でも、それでもどうしても、私は私の好きな人を好きでいることで、死にたくなんかなりたくないし、人間として許せないものをオタクだからって許すなんて絶対に嫌だ。

 

私はこれからNGT48に、48G系列に、坂系列に関するあらゆるものにお金を払わない。そこにいる女の子1人1人に必ずしも罪がないのはわかっているけれど、でももうこの系列の消費者にはならない。たとえその行動になんの意味もなくても、それでも。どうしてもどうしてもどうしても、今回の出来事を肯定するのが嫌だから。
そして、自分がファンであるコンテンツで同じことが起きたら、その時は手を放す。私が私であるために、人間として生きていくために。