英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

0.担当

http://ichigonokimi.hatenablog.jp/entry/2015/10/17/204842

 

エッセイ書きたかったけどなんにも思いつかなかったので都々逸をいくつか。

 

 

星の海なら 溺れないでしょ 潜っていてよね 永遠に

 

愛してるよと 叫んでみるけど ほんとは知ってる 愛じゃない

 

心に形が もしあるならば 縛りあげるわ 君のこと

 

砂みたいだね あなたはまるで 一握でさえ 掴めない

 

 

 

 

↓ 最初は小説を書こうとしたんだけど夢小説っぽくなってしまい挫折した。

 

 

NEWS4人の"っぽさ"について

 

コンサートで三角形のペンライトを振りたい欲が湧き出てやまない。なぜ三角形限定なのかというと、2013年幸福魂のペンライトが四角で2015年純白魂のペンライトはハート型だったからである。□、♡と来たらそれはもう▽が来るしかない、来てほしい。来てくださいお願いします。

と、祈り始める程度には□♡▽○のロゴが好きだ。好きすぎて4人の□っぽさや♡っぽさについてあれこれ考えてたらなんだか楽しくなってきた。ほんと低燃費。

 

 

 

小山慶一郎

小山さんはNEWSの輪郭だ、とよく思う。

アイドル小山慶一郎を守るためにNEWSを続けることを決めたあの日、それが自分の我が儘だとしてもそれでNEWSが形骸になったとしてもNEWSを捨てないと決めたあの日、彼は多分NEWSの進退に関する全ての責任を負う覚悟を決めたのだと思う。NEWSという□の枠を小山さんが作ってどうかこの中を選んでよとテゴマスに祈って、それが叶って今のNEWSがある、という感じだ。

NEWSのリーダーとしての小山さんの在り方にもそれが現れているように思う。「僕は先頭に立ってみんなを引っ張るタイプじゃない」と彼は言う。真ん中に立ってみんなを率いて意見をガンガン言って…というのがリーダーのあるべき姿なのだとしたら確かに彼はリーダーらしからぬリーダーなのだろう。小山さんは、イエスマンだしみんなの意見をなんでも肯定しちゃうしやられキャラだし、カリスマ性には乏しい。でも、NEWSの内部に張り巡らされる神経として、NEWSの外部に意志を伝える伝達器官として、彼が一番にNEWSを背負ってくれている。NEWSがNEWSの道をゆくためのキーマンが手越さんなのだとしたら、NEWSがNEWSであるためのキーマンはきっと小山さんだ。小山さんが守ってくれた枠があるから、何もかもを繋ぐ覚悟を持ってくれているから愛しい今があるのだと思う。

もう一つ、□は4つの角で出来ている。誰よりメンバーを好きだという小山さんこそが一番一番『4』を担うに相応しい。

10ve anniversary を謳ったコンサートのDVDのパッケージは真っ白な四角形で、その真ん中に紫の□とピンクの♡と黄色い▽と緑の○が描かれている。紫の□が小山さんなのはもちろん、このDVDのパッケージそのもの、真っ白い四角形もなんだか小山さんみたいだなと見る度思う。小山さんはそんな風に"□っぽい"。

 

 

手越祐也

この4つの図形の中からどれか一つを手越祐也に与えていい、と言われたら、きっと誰もがこの形を選ぶだろう。

愛されること、愛すること、その両方を無邪気に「嬉しい」と抱きしめてくれる手越さん。私はもてないしひねくれてるし、自分とアイドルが通じあってると思ったことはない。私たちファンと彼らアイドルは徹頭徹尾隔てられて生きていると心の底から思っている。けれどそれでもきっと私たちは手越さんに本当に真実愛されていて、彼のことを愛せている。そう思わせる手越さんの力が魅力なのか魔力なのかはわからない。けれど胸を張って言える。愛してるんだよって、愛されてるんだよって、恥ずかしいくらい大声で叫びたい。

疑似恋愛の対象のくせに、テレビ画面の向こう側とか遠く隔てたステージの上とかにしかいないくせに、「そんなもんぶち破ってそっちに行くよ」「俺はこの世界で君と同時に生きてるんだよ」ってそんなおとぎ話を大真面目に語るところが好きだ。愛こそが手越さんにとってはアイドルという存在の本質なのかもしれない。

「俺は本物だよ」と嘯く手越さんは愛だし、そして同時にNEWSの心臓だ。生きてる限り絶対とまらない、一生動き続ける原動力。エースとして全部受け止めて走り続ける覚悟が眩しい。真っ赤な血にアイドル色の白を混ぜて、ピンク色の血を永遠に巡らせ続ける。この強い強い心臓がど真ん中にあるから戦いの土俵に立てている。誰より強くて誰より可愛くて世界一カッコいい手越さんは、この上なく"♡っぽい"なぁと思う。

 

 

増田貴久

まっすーと言ったらまず真っ先に赤い髪と左耳に揺れる金色の三角形が思い浮かぶ人は少なくない気がする。

三角形は、一番安定していて一番強度が高い形だ。そして多角形の一番初めの形。この世に存在するありとあらゆる多角形は全て三角形の組み合わせのみで作られている。歌と踊りというアイドルとして一番シンプルな武器だけを研ぎ澄まして戦ってきた増田さんは、余計なものを全て削ぎ落とした三角形の魂を『まっすー』の中に閉じ込めているのかもしれない。正三角形はとても安定した形だけれど、その反面頑なだ。「俺は大器晩成型なの」と冗談交じりに言うけれど誰より高い誇りとプロ意識を持っていたり、それが故にとても頑固で意地っ張りなところがあったり、増田さんはちぐはぐで不思議だとよく思う。あどけない顔とたくましい身体、男らしい声とやわらかな歌声、人当たりの良さと頑固さ、そんなバラバラでトゲトゲの小さな三角形が全部組み合わさったら大きな三角形になる。そんな無数の部分で出来ているところが彼の"▽っぽさ"の1つだ。一体感のないもの、一見正反対のはずのものがかっちりぴったり組み上がっている不思議さこそが増田さんの魅力なんじゃないだろうか。

自立するために必要な最小の数の点だけで揺るぎなく立っている、というのも大きなポイントだと思う。増田さんは揺るぎない。揺るぎなく自立している。誰の助けも借りずに自我が確立していて、本当は1人っきりで生きていけそうなところも"▽っぽい"。

 

 

加藤シゲアキ

加藤シゲアキは苔むさない転石だ。

増田さんが自分という▽をどんどん大きくしていくのだとしたら、加藤さんは自分という○を果てしなくどこまでも転がしてゆく人だと思う。自分に出来ることを探し続けて、藻掻くこと足掻くことを決してやめない加藤さん。転石が苔むさないのは転がっているからだ。動かなければ苔むすという摂理を誰より知っている、自分が転がり続けなければならないのだということをちゃんと自分に言い聞かせ続けて彼は生きている。どうにもならない今をどうにかしようとする気力を捨てないところに加藤さんの性根の真っ直ぐさが表れているように思う。人と人とは理解し合えると信じていそうな純朴さが加藤さんにはある。きっと分かってもらえると信じているからこそ言葉を尽くして語ろうとするのではないだろうか。ひずみなく真ん丸な加藤さんはきっと、止まることなく転がり続ける。

○という形は、とても調和がとれている完璧な形のようでいて、その実そうでもないところがある。一見美しく矛盾ないように見えて実は割り切れないような、そんな円周率のような割り切れなさもまた加藤さんの魅力だ。ピンクとグレーを初めて読んだとき、りばちゃんが加藤さんに見えて仕方なくて、これを山下くんと加藤さんで実写化出来たらどんなにいいだろうかと切実に思った。でもそれは私が加藤さんの苦悩や駄目なところを意識して見ていたからこそ芽生えた感覚なのだろう。加藤成亮というアイドルは、順風満帆なJr.人生を歩んできていてよく知らない人から見れば恵まれているように見えるのかもしれない、と最近不意に気付かされた。りばちゃんばかりがシゲに見えたけれど、本当はごっちも正しくシゲの分身なのだと、りばちゃんとごっちが同一人物の中に危うく共存するその不確かさはとても"○っぽい"し、その相反の克服が加藤さんの主人公力の源泉であるようにも思う。

 

 

 

紫ピンク黄色緑の並びがとても好きで、テゴマスをコヤシゲで挟む並びもすごく好きで、でも一つ、NEWSの4文字にメンバーを当て嵌めるアレに噛み合わないのが残念だ。

NNews caster 小山

EEntertainer 手越

WWriter 加藤

SStylist(またはSinger) 増田

という例のアレである。

 

WとSを入れ替えて

WVocal & Visualizer 増田

SStoryteller 加藤

にしたらいいかなあ、とかわくわく考えるのがとても楽しいのでNEWSがNEWSという名前で良かったなあこの名前が好きだなあとしみじみ思う今日この頃なのでした。

 

 

 

 

 

 

余談。

実は個人的には、加藤さんの方が▽っぽいし増田さんの方が○っぽいなあと思っている。

 

加藤シゲアキ

 真っ直ぐな分不器用な印象が強くて、直線だけで構成された形を司られたくなるのかもしれない。

△じゃなくて▽なのも大きい。増田さんはド安定な人なので、その揺るぎなさはどちらかというと△っぽい。それに対して、不安定な感じを受ける▽には加藤さんの方が似合う気がする。そして、▽は♡に似ている。加藤さんと手越さんの、すごくよく似ているのにほんの細部が違うために全く違う印象を与えるところはとても▽と♡っぽい。加藤さんの、愛になりたいけれどなりきれないところ、グラグラしながら自分で立ってるところ、なんかすっごく"▽っぽく"ないですか?

 

○ 増田貴久

増田さんは丸い。何もかもが丸い。顔も身体も声も何もかもがまぁるくて優しくて、私なら迷いなく○を与えるなあとどうしても思ってしまう。声に形があるのなら、増田さんの声は絶対まんまるだ。顔も丸いし(悪口ではない)、頭(特に後頭部!!)も丸いし、笑った顔もなんだかまぁるい。

体積が同じなら、表面積が最も小さくなる形は球体だ。優しくて柔らかで、それなのに閉じている球、○は増田さんに似つかわしい気がする。

ていうか公式でおまんじゅうとか弄られる人が丸じゃないわけなくない?

 

 

 

最近TwitterでNEWSの形について(主に増田さんと加藤さん逆の方がしっくりくる話について)うだうだ呟いていたら、フォロワーさんから結構反応というか考察?を頂いた。

加藤さんと円周率の話、りばちゃん≒加藤さん≒ごっちの話はフォロワーさんから聞いて納得させられた案件です。あと、増田さん=△のイヤーカフも私にとっては盲点でした。そう考えるとやっぱり色々考え尽くして図形も決めてるのかな〜〜。

 

私は増田さんといえばなんだか何もかも丸い、という自分の認識に疑問を持ったことがなくて、「増田さんの声丸いよね!」 と言ったら「声に形を見出す人初めて見ました」と言われてちょっと恥ずかしくなった。まぁそうだよね声に形ないもんね。

 

どうかどうか末永くこのロゴが使われますように!!次のコンサートのペンライトが▽でありますように!!!

まぁつまりは早くコンサートやろうよおおおおお。っていう。

 

(笑)

 

 

 

あと2日で四銃士フルが聴けると思うとちょー楽しいですね。いい子で待ちますこーゆー下らないこと考えながら。

己のこじつけ力の高さにおののきながらせっかく書いたので一応ブログに上げてみるのでした。

ジャニオタが自分が恋愛できない理由について本気出して考えてみた

前記事でアイドルと恋愛、結婚について考えながら、15分に1度くらいの頻度でとある虚しさに襲われていた。なんで私、見ず知らずの好きでもない(※恋愛対象として好きではない、という意味で)他人の恋愛に口出してるんだろう…どっちかっていうと自分の恋愛について考えた方がいいんじゃないの……

 

 

ということで考えた。ジャニオタなりに自分が恋愛できない理由について本気出して考えてみた。私はどうして恋愛できないのか?ていうか私が恋愛できないのってジャニオタだからなの?

ちなみに、おそらく私は世にいうこじらせ女子というやつなのだが、その辺についての著作やらネット上の議論やらは特に読んだことがないので既存の何かしらの議論と被ってたらすいません。

 

 

私の駄目っぷりについて考える前に過去の恋愛遍歴を軽くさらっておく。

 

 

1人目。小学校の同級生のゆういちくん(仮名)。

現在はUVERworldのボーカルみたいな風貌だが昔はコアラに似ていた。

好きになったのが小学校5年生な上に最初から最後まで何もなく終わった。じゃあ書くなよと言う話だが、なんだかんだで高校2年生まで実に6年以上好きだったので一応ね、一応。とにかく面白い変人。小学生の頃、授業中にはさみとでんぷん糊を取り出しておもむろにはさみで前髪を切り出すような奴だった。その糊では前髪はくっつかない。余談だがゆういちくんは高校入学後彼女が出来て、今年で5年その子と付き合っている。

教訓:何もしなければ何も始まらない

 

 

2人目。高校の同級生のゆうじくん(仮名)。

長身痩躯のあっさり顔ひょろひょろスポーツマン。

出会いは高校1年生の終わりごろ、3クラス合同の体育でたまたま同じスポーツを選択していて同じ班になったことだった。そして高校2年生で同じクラスになる。私とゆうじくんは1年生の時は共に理系クラスだったのだが2年生から文系クラスになった。結果、クラスを発表されて教室に行ってみたら知り合いが2人しかいないという絶望に見舞われた。その1人がゆうじくん。そりゃあ仲良くもなるよね!!

ついでにゆうじくんはこの時期に私と同じ予備校にも通いだした。そして1つ目の事件が起こる。ある日、同じ予備校に通っていたゆうこちゃん(仮名)が、おずおずと頬を染めてかわいらしく言った。

「私、ゆうじくんのこと好きになっちゃったかも」

ザ・青春。こうして私はゆうこちゃん主導の元『ゆうこちゃんの恋の成就のためゆうじくんともっと仲良くなろう計画』を余儀なくされた。そりゃあ仲良くもなるよね!!!!(2回目)

なおゆうこちゃんは実にあっさり振られた。ゆうじくんからは「ゆうこちゃんが俺のこと好きなんて予想外すぎてびっくりした」というコメントをもらった。いやお前以外全員気づいてたよこの鈍感野郎!!

実はこの時ゆうじくんには好きな人がいた。また別の私の友達だった。そして誰がどう見ても明らかに両想いだった。スタート時点でお互いクラスに友達がいなかったこともあって、私とゆうじくんはどんどん仲良くなっていった。これはやばい、と思いながら仲良くし続けていたら案の定好きになった。バカ。竹輪の穴に指突っ込んで食べてたら指噛んじゃったレベルのバカ。

私は超ド級のバカなので、なんとここから卒業まで1年半ゆうじくんの1番仲のいい友達でい続けた。恋の悩みも勉強の悩みも家族の悩みも部活の悩みも全部聞いてあげて(私が愚痴や悩みを聞いてもらうことはほとんどなかった)優しく慰めては「俺、こんなに仲良いいんだからお前とは一生友達でいれる気がする…」「おー、一生親友でいようぜ」みたいなバカっぽい会話を交わした。ぶっちゃけ高校時代の思い出はほとんど全部ゆうじくん*1。一応言い訳しておくと、高校2年生はゆうじくんにとっては人生の暗黒期で割と何もかもが上手くいってなかった。「お前がいなかったら高校行くの辞めちゃってたかも」とまで言うレベルで目に見えて弱っている好きな人を突き放せるほどの強さは私にはなかった。「私がこいつに告白したらこいつの友達1人減っちゃうなあ」と思うと告白さえできなかった。バカ。

来年の2月にゆうじくんと彼女は5年記念日を迎える。結婚式には呼んでくれと言ってあるので、もし彼らが結婚したらスピーチでもなんでもして家に帰って引き出物のバウムクーヘンを食べながら1人でしんみりする予定である。

教訓:与える方と与えられる方が決まっている関係は不健全

 

 

3人目。1つ上のゆうぞうさん(仮名)。

顔と声がめっちゃ好みだったが中身はすがすがしいほどのクズ。私の初めての彼氏(交際期間2週間)。通っていた予備校でバイトしていた。高校の卒業式の日、急にマイミク申請かmixiメッセのどちらかが来たところから関係が始まった。ちなみに目的は私ではなく私の友達。

しかしゆうぞうさんはあっさり振られた。あっさりきっぱり振られた。落ち込むゆうぞうさんを一生懸命慰めていたら告白された。この時点で知り合って1か月。直接会ったことはほぼない。(もともと同じ予備校内にいたので面識は一応あった)

その後なんやかんやで一応付き合った*2ものの先述した通り2週間で別れた。出会いから別れまで2か月。

ゆうじくんを諦めようと心に決めた矢先に振られたてほやほやのイケメンが現れたので、あと告白されたのも人生初だったので、まあ好きになれそうだし好きになってもらえそうだし頑張ろう!と思ったのに速攻で振られた。

別れてからも結構仲良くしていたのだが、彼は割と強烈なクズだった。3か月くらい前にラインでしつこくセフレになろうと言われた挙句「じゃあその気になったらこっちから連絡するんで!」と強引に話を切り上げたら「オッケー、いつ誰に見られるかわからないからいきなりそういう話送ってきたりしないでね」と言われて衝動的にブロックした。これでそろそろ1年は続いている彼女がいるのだから世の中は不公平だ。

教訓:クズとクズが傷の舐めあいをするのは遠距離だと困難

教訓:ノリがあうことと価値観が合うことは別問題

 

 

4人目。大学の同級生のゆうしくん(仮名)。

今年の1月に別れた。交際期間1か月というスピード感あふれる恋だった。半年くらい友達以上恋人未満期間を過ごし、なんか違うかなと思いつつ、でも付き合ったら変わるかなと思いつつ付き合ったけど何も変わらなかった。あと、正直なところ「なんで3年も彼氏いないの?」と訊かれるのがダルすぎてとりあえず一瞬でもいいから『彼氏がいた』という実績が欲しかったのも少なからずあった。よい子は絶対真似しないように。

ゆうしくんの何が駄目だったのかというと何も言えない。背が高くて運動出来て優しくて顔も普通で、でも駄目だった。周りの友人にもったいないって言われまくったし怒られまくった。

教訓:駄目なものは駄目だから駄目

 

 

 

以上である。こう書くと4人と恋愛してきたっぽいがお気づきの通り付き合ったのは2人だけ、しかも総交際期間わずか1か月半。22年生きてて恋人いた期間1か月半。

 

ちなみに、「なんで恋人できないんだろう」と言った時に帰ってくる言葉は、1番多いのが「自立しすぎ」で、女子から言われるのは「その気が足りない」、男子から言われるのは「隙が足りない」である。じゃあ誰かその気の出し方講座開いて!!自立できなくなる方法教えて!!!

 

 

 

・自信がない――愛されたい編

そんなこんなで自分がもてないというか恋愛が下手くそな自覚はある。じゃあ何が駄目なのかと言うと、それはもう「自信がない」の一言に尽きる。私はもてない。容姿にも性格にも自信がない。そして厄介なことに、私の自己評価と他者からの評価にはおそらくほどほどの落差がある。ゆうしくんと付き合った理由には、「なんでそんなに長いこと彼氏できないの?」とあちこちで訊かれるのがだるい、というのもだいぶあった。それは裏を返せば「こいつに3年も彼氏がいないなんて少し不思議だなあ」と思われているということだ。それも1人ではなくそこそこの人数に。

 

高校生までの私はどう見ても不細工寄りだった。だから自分がもてないことについてあまり深く考えることはなかった。だってかわいくないんだからもてなくてもしょうがないし、ゆうじくんの好きな人は私よりずっとかわいかったから彼女に負けることに異存はなかった。

容姿の問題を抜きにしても私はずっと男みたいで、クラスまたは学年に1人はいるような『男女』だった。髪もずっと短くて顔もどこか男らしくて恋なんて全然似合わなかった。「お前は女じゃないもんな」となんの悪意もなく言われることに慣れ切っていたし傷付きもしなかった。中学生の頃、社会の授業中先生に「お前体重何キロだ?」とことあるごとにきかれたのを今でも覚えている。私が素直に「55キロです」と答えると先生もみんなもどっと笑って、「でもこんなこと聞いていいのこいつだけだからな、ほかの女子にはやっちゃ駄目だぞ」と先生はいつも言った。そういう、『ちゃんとした女子じゃない扱い』はべつにいやでもなんでもなかった。「お前に好きな人なんかいるの?」「お前でも恋なんかするの?」と笑われたことも一度や二度ではない。男言葉で口汚くしゃべり学校生活のほとんどをジャージで過ごすうるさい自分と、家で悶々とゆういちくんのことを考える自分はまるで別人みたいだった*3。中学生の頃は人にはたくさんの顔があるのが当たり前だということもよくわかっていなかったから、ますます恋をすることへの恥ずかしさが増した。

自分が恋をするなんて人に笑われるんじゃないか、自分に好きになられたら人に嫌がられるんじゃないか、と思い続けたまま高校生になってしまった。そこで出会って好きになったゆうじくんにも結局は女の子としては好きになってもらえなかった。好き=「ただ好きでいること(=なんの行動も起こさないこと)」という精神が抜けないまま、言ってしまえば小学5年生の時と同レベルのまま私の高校時代は終わった。それでも問題はなかったのだ。どうせゆうじくんとは付き合えなかったし、それでなくても私を好きになる人などいなかった。(それに、ゆうじくんにべったり過ぎて他の人が私を好きになることなどまずなかっただろう)

しかし大学生になって、髪を染めたりメイクをしたりすることを覚えて、徐々に私は気づいた。残念ながら私は容姿だけを理由に恋愛を諦められるほどの不細工ではない。決して美人ではないが笑いをとれるほどの不細工でもない。そして、私が誰かに恋をしていつもの私を失って取り乱したって、本当は誰に笑われる筋合いもない。

頭ではこれがわかっているつもりだ。でも駄目なのだ。自分が誰かに好きになられるということが全然信じられないから、ちょっとそういう空気になった時にもとにかく傷付かないように傷付かないようにとなんの進展も起こらないようにふるまってしまう。ラインのやり取りでも、「お前あいつとお似合いなんじゃないの」って誰かにからかわれたときも、とにかく全く意識していないかのような態度をとる。いやだからではない。嫌われたくないからだ。何かを考えるより先に、「私がこの人に気があるとか好きだとか思われたら気持ちわるがられるんじゃないか?嫌われるんじゃないか?」と思ってしまっててんで駄目なのである。そしてあとから思い返して、あれはフラグだったのかもしれないとかあそこでこうしていれば何かが変わっていたかもしれないと後悔するというパターンをすでに何度か経験している。

 

私は今でも決して女らしくはない。一人称こそ「俺」から「私」になったけれど言葉遣いは今でも男みたいだし、何より私はそんな自分のままアイデンティティをそれなりに確立してしまった。私は自分が決して女らしくないことも、それほどの美人ではないことも、少し変わった人間であることも自覚していて、それでもそれが自分だと思っている。少し変わった、というのはたとえば1人で温泉旅行に行けたり、男5人女1人で旅行に行ったり、自転車を75キロ漕いで実家に帰ってみたり、回転寿司を20皿食べられたり、そういう常識の範囲内でちょっと人と違うところだ。そして普段からの男みたいなしゃべり方とか、虫が怖くなくてセミやカマキリが手づかみできるところ、お化け屋敷で叫ばないところ、言ってしまえば可愛くないところだ。そう、私は可愛くない。でもそれが私だ。

私は自分がキラキラした可愛い女の子ではないことを知っている。でも同時に、自分が別に特殊な存在ではないことも同じくらいちゃんとわかっている。この程度の差異ならば社会の中で単なる個性として扱ってもらえるはずだ。私が少し変わっているのは、少なくとも人間として失格なレベルのおかしさではないはずだ。人間としてちゃんと生きている、友達だって普通にいるし人間関係で困った事態になったことも別にない。だから、自分を変えたいとかどうにかしなきゃいけないとあまり思えない。私は私のままで生きていたいし今がとても楽しい。心の中では、いつか誰かがこのままの私を好きになってくれて面白がってくれるんじゃないかと期待している。好きになってもらえる気はしないくせに、愛されたい欲だけは人一倍あるのだ。どこにでもいる凡人なんだから、ほかの誰かと同じように私だって誰かに好きになってもらえたっておかしくないはずだ。おかしくないはずなのにそんなことありえない気がするし、実際ない。なんでありえない気がするのかも、なんで本当にないのかもよくわからない。

 

何が駄目なのかわからないが、とにかく何かが駄目なんじゃないか、自分には何か致命的な欠陥があるのではないかという恐怖がますます私を駄目にする。22歳にもなって長らく恋愛をできていないこと、まともに恋愛した経験がないことを知られると、十中八九それを聞いた人からは「きっと何かが駄目なんだな」「きっと人間性に何かしらの問題があるんだな」という反応が返ってくる。それに何の反論もできないからますます自分が駄目に思えて、震えるほど怖い。怖いからどんどん誰かに好きになってもらえるなんて信じられなくなって、傷付かないように傷付かないようにと予防線を張って生きてしまう。おかげさまで男友達超いっぱいいる。予防線張るプロです。

昨年就活の一環でインターンシップに参加した際、グループの中で議論をバリバリ取り仕切っていたら「女子なんだからもっとムードメイカーになりなよ。それが女子がいる意義でしょ」と違うグループの男の子に言われた。そこまではまあよかった。さほど気にせずそのままでいられた。(その企業から届いた年賀状には「女王として君臨していましたね!」と書かれていて笑った) でも「その性格のままじゃ絶対一生彼氏できないぞ(笑)」と言われてから、ずっと考えている。この性格が駄目なんだろうか。じゃあ恋愛のためには自分を変えなきゃいけないんだろうか。可愛くなりたいとかこんな服が着たいとか思うのは全然いやじゃない。可愛い性格になるのもそれと同じことなんだろうか。どこからが私でどこまでが私だろう。私は私のままで何かを変えたいけど、変えた方がいいものは何だろう。変えなくていいものは何で、変えちゃいけないものは何だろう。私が私のままでいたら、私はずっと駄目なのかもしれないと、ずーっとずっと思い続けている。

 

 

 

・自信がない――愛したい編

嫌われるんじゃないかと思うと怖くてつい友情しかないかのようなふるまいをしてしまう、というのも紛れもない事実だが、私の中にはもう1人厄介な自意識が住み着いている。それが、愛せない気がするという「自信のなさ」である。

 

前項でも軽く述べたが、私は大学に入学してからの3年半で何度かフラグをへし折っている。その中にはもう、嫌われるんじゃないかの域を越えて明らかに私に気持ちのベクトルが向いているものもなくはなかった。でもその中の誰一人に対しても私は手を伸ばすことができなかった。ゆうぞうさんと一応は付き合っていたときに口説いてきた人や、交わしたメールのやり取りがあからさまに気持ち悪かった人のときは特に気にも留めていなかったが、4人目くらいで雲行きが怪しくなってくる。「俺の後輩が『俺、先輩といつも一緒にいる金髪の人めっちゃタイプなんです』って言ってるけど紹介してもいい?」と言って引き合わされた後輩くんは、特に何の欠点もなくいい人だった。気に食わないところは特に何もなかったのに、ある日急に面倒になって連絡を取るのを辞めてしまった。だって全然好きじゃなかったのだ。好きになりそうな気もしなかった。何が駄目でこの人が駄目なのかわからないのに駄目だった。

ゆうしくんと付き合うまでに半年も友達以上恋人未満の期間があったのもこのせいだった。押せばいけるんだろうなとはなんとなく分かっていた。アタックをかけていたのはどちらかと言うと私の方だった。でも、好きかと考えてみたらよくわからなくて、好きかどうかもわからない相手に告白する気は起きなくて、結局ゆうしくんに告白されるまで私からは何も言わなかった。そしてたった1か月で別れた。

 

大学生になるまで、私は自分をそれなりの恋愛体質だと思っていた。好きでも告白はできない行動力のなさはあったものの、幼稚園で初恋をしてから高校卒業まで『好きな人がいない』『だれも好きじゃない』という期間は全くなかった。私にとって誰かを好きなのは当たり前のことだったし、好きな人のことを好きかどうか迷うこともなかった。だって好きだった。

それなのに今は本当に誰のことも好きではない。好きな人の前でだけ可愛かった高校生までの私はどこかに消え失せ、今の私は24時間365日可愛くない。今なら恋をしているときだけうじうじしたりくよくよしたりする自分のことも仕方ないと思えるのに、私はいつだって元気でいつだって『女じゃない』ままだ。私だって人並みの欲はある。好きな人には会いたいし喋りたいし仲良くしたい。それは嫌われる怖さに勝る欲だ。この人が好きだと思うなら手を伸ばすのも怖くない。高校生までずっとそうやってきた。でもそれは裏を返せば、好きかどうかわからない人に手を伸ばすのは怖いということだ。怖い、怖いから手を伸ばせない。欲しいかどうかわからないものを欲しがるなんてそんなの変だ。欲しくなるまで欲しがれない。欲しかったら欲しいってわかるはずなのに、欲しい人が誰もいない。だから誰にも手を伸ばせない。

空から好きな人が降って来ればいいのに。落ちてきた瞬間もうその人のことが好きだったら迷いなく頑張れるのに。

 

 

「隙がない」「その気がない」とは要するにこういうことなのではないかと思う。

友人たちの言う通り私は傍から見たら恋愛する気がない人みたいに見えるのだろう。あるのに。めっちゃ愛されたいしめっちゃ愛したいのに。愛されるより愛したい、なんて謙虚なことは言わない。どっちも喉から手が出るほど欲しい。

 

 

 

・で、ジャニオタなのと恋愛できないのって関係あるのかな?

ここまで読めばわかると思うけど、多分あんまり関係ない。少なくとも直接的な因果関係はおそらくない。私がもてないのはジャニオタだからではない。しいて言うなら私はもてないからジャニオタなのであり、もっと正確に言えばもてないのとジャニオタなのとは同じ要因に端を発しているのではないかと思う。

それはたとえば愛されるのが下手だということ。アイドルたちはとても上手に愛してくれるから、嫌われたらどうしようなんてなんにも考えなくていい。私がアイドルを好きだというだけで、彼らは私を嫌わない。そして何より、愛するのが下手だということ。アイドルは愛されるのがとても上手だ。私がどんなにふんわり曖昧に彼らを愛しても、それが愛なら別にいい。これが好きじゃなかったらどうしようとか、これがちゃんとした感情じゃなかったらどうしようなんてなんにも考えなくていい。しかも私は、彼らに恋愛感情を抱いていない。愛でも恋でもないけど好きでいていいのはとても楽で、一方通行なのも楽で、でも私にとっては全然、恋愛の代替にはなっていない。

 

有名なはてなユーザーのジャニオタさんが自分の恋愛について書いたとき、「私の愛は分散してるくらいでちょうどいい」「彼氏一人に私の愛を向けたら重すぎてヤバいんじゃないか」というようなことを言っていた。そういうタイプの人もいるのだろう。それも「下手くそな愛し方」の一種なのかもしれない。ただひとつ確かなのは、私がジャニオタであることと私が恋愛が下手くそなことに直接的因果関係は特になく、従ってジャニオタを辞めたところで別に恋愛が上手になったりはしないだろうなあということである。

ジャニオタを辞めたら自分に自信が持てるなら足を洗う価値はあると思う。少なくとも私にとっては意味のある行動になるだろう。恋愛が少し上手になるだろう。でも違う。確かにたまに思う。「付き合っていつまでもジャニオタを隠し続けるのって無理だよな」「ジャニオタって割と地雷だよな」って思う。でもそれと私が抱く『自信のなさ』って別物だ。もっと根本的に自分を駄目な人間だと思っているのが駄目なのだ。その根本はジャニオタとはあんまり関係なくて、だからジャニオタであることは何の言い訳にもならない。

 

ジャニオタだからもてないんじゃない。不細工だからもてないんじゃない。なんかもっとでっかい何かが多分駄目なのだ。それを克服できる日が来たとしても、私はきっと増田さんのことやNEWSのことが好きなままだろう。

恋愛の代替ではないし、特に生きる上での足かせにもなっていない。いないがゆえに逆に、オタ卒できるビジョンはあんまり見えないけどそれはまたいつか暇なときにでも考えよう。

 

 

 

・最後に

以下、仲のいい友達とのラインのやり取り

湯坂「可愛げってどこに売ってるんですか」

友人1「まず彼氏を作ろう」

湯「ちょっと何言ってるかわからない。彼氏が欲しいから可愛げが必要なのであって、彼氏作れるなら可愛げなどいらない」

1「可愛げを試される前に速攻で落とすのだ。ポイントはボディタッチと上目遣い」

湯「それもはや可愛げじゃね?それこそが私に足りないものじゃね?」

1「違う。これはテクニック的なもの」

湯「みんなどこでテクニック身につけてるの、、、」

友人2「本能じゃね」

湯「あれ?私本能ないの?野生失っちゃった??」

 

 

 

【ゆるぼ】本能

*1:お弁当を2人で食べる、放課後の教室でお互いの好きな音楽を聴かせあいながら勉強する、予備校帰りに改札前で20~30分以上立ち話するなど。ちなみにゆうじくんが好きだという理由でアルバムを買った9mm Parabellum Bulletには残念ながら特にハマらなかった。

*2:この『なんやかんや』の間に、ゆうこちゃんがゆうぞうさんを好きになるという事態が発生したりした。私たちは男の好みが似ているのだが要するに2人とも趣味が悪い。

*3:いっそ性同一性障害だったら楽なのになんてくそみたいなことを考えたりもした。しかし私はどう考えてもただの女の子だった。

『あなた』にお金を払っているのだ

アイドルと恋愛に関して、自分がお金を払っているものに関して色々と考える機会があった。色々、というのは多分ほとんどの人が容易に想起できる最近の様々な出来事のことだ。大野さんの熱愛疑惑報道やアイドルの恋愛禁止裁判、それから国分さんをはじめとする数々の有名人の結婚、そういうもの。

 

「アイドルは歌や踊りで魅せるのが仕事だよ」

「アイドルだって恋愛するのは当たり前のことでしょう」

「付き合えるわけがないのにどうしてショックを受けるの」

「恋愛するのはいい、隠して」

「恋愛を禁じるのは人権侵害では」

 

様々な出来事に対して様々な意見が飛び交っていた。私たちはどこまでアイドルに求めてよくて、何にお金を払っているのか。アイドルたちは一体、何を提供してくれているのか。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、アイドルが恋愛することに嫌悪や怒りはない、でもアイドルには恋愛を隠していてほしい。これが私の現在のスタンスである。

 

 

・アイドルは歌や踊りを売っているわけではない、と思う

アイドルと恋愛問題について論じるときに、最もアイドルの人権に配慮した立場が「アイドルは歌や踊りを売っているのであって、ファンにアイドルの人間性や生活について口を出す権利はない」というものではないかと思う。最初に言っておくと、私はこの意見に反対である。少なくとも私は、彼らの歌や踊りにお金を払っている(=歌や踊りが消費の対象)という意識はない。そして同時に、アイドルが自分のありのままの姿をファンに見せている/見せるべき(=彼らそのものが消費の対象)だとも思わない。では私は何をもって彼らを評価し彼らの何にお金を費やしているのかというと、『彼ら』という擬似人格を消費しているのではないかと思っている。

 

 

herodontsing.hatenablog.com

 

今回の記事とは全く異なる文脈だが、以前書いたアイドルの人格と擬似人格についての持論だ。

私たちが見ているアイドルは、本人そのものの生身の人間ではない。しかし、生身の人間から全く乖離した無機物でもない。私にとっては、この『擬似人格を消費される存在』という点こそがそのままアイドルの定義だ。だから「歌や踊りで魅せていればそれで仕事は済んでいる」「擬似恋愛はファンの勝手な行動であってそこにアイドル側の責任はない」という人に賛同できないのだ。

 

 

・『擬似人格を消費する』という私たちだけに許された快楽

本格的なジャニオタになる前の私はライトな二次オタだった。BLEACHにはまり友人たちと自分のオリジナル斬魄刀を考えたし(大変どうでもいいが始解卍解のそれっぽい台詞考えるのすごく難しかったので久保先生は偉大)、家庭教師ヒットマンREBORN!銀魂が大好きだった。ボーカロイドもそこそこにはまったし、西尾維新を読みふけった。それと、ヘタリアという国擬人化漫画も好きだった。それぞれの国を擬人化してお国柄ギャグにする漫画で、たとえば日本はオタクだったりドイツはムキムキだったりフランスは女たらしだったりするのである。私のお気に入りはドイツとリトアニアだった。好きなキャラがたくさんいた。

 

ジャニオタになりかけの頃、実は同時並行でお笑い芸人さんにはまりかけていた。その頃の私は、それまでほとんど見せてもらえなかったテレビという媒体から流れてくるものの数々にいたくびっくりし衝撃を受けていた。お笑い芸人という存在も私にとってはアイドル同様完全な異文化で、はねるのトびらやらめちゃイケやらにはもういっそ感動した。それで、今まで知らなかったキラキラの世界の住人であるアイドルと芸人にほぼ同時並行で足を突っ込んだのだ。しかし私は結局お笑い芸人のファンになることはなかった。

お笑いという文化に疎い私でもさすがにわかった。芸人さんは、ドイツやリトアニアのように好きになっていい存在ではない。幼稚園からの幼馴染なところとか、お金がなくて同居してるところとか、そういう今まで二次元で誰かを好きになってきたときと同じようなところを理由にこの人たちのファンになるのは多分失礼なんだろうなと思った。今でもそう思う。音楽家は性格ではなく音楽で評価されるべきだし小説家は顔ではなく文章で評価されるべきだ。それと同じように、芸人さんのファンになるのは芸に惚れたからであるべきだ。

 

消費の仕方として、アイドルの方が圧倒的に性に合っていた。アイドルを好きになる理由はなんでもいい。顔でもいいし、仲の良さでもいいし、好きな人に似てるからでもいい。その、なんでもいいところが二次元に似ているように思えて楽だった。この人の顔が好きだからファンだと胸を張って言えるし、この2人の絆が深いから好きになったとも堂々と言える。

そして、この人が生きていくところを楽しむこともアイドル相手なら許される。歌がうまくなっていくとか、誰かと仲良くなっていくとか、いろんな苦難を乗り越えていくとか、そういうまるで物語のような人生。現実に生きている人間の人生を消費しているなんて、ひどく不思議な感覚だ。でもそれをやっていい。だってアイドルだから。

擬似恋愛も擬似人格の消費の一つの形だ。テレビに映るキラキラの彼らを見て、『彼』に恋をする。アイドルの側も恋をしてねと囁いてくる。そういう風にアイドルを好きになるのはすごく普通のことだ。アイドルと大人たちが想定している好きになられ方で、希望している好きになられ方。

 

私はNEWSのファンとして、彼らの有様と彼らが歩んできた道を愛している。本当は頑固で神経質な増田貴久がカメラの前ではふわふわでキラキラのアイドルになるところを愛している。肥大した自意識を持て余しながら生きている加藤シゲアキがそれでも思い切りアイドルをやろうとするところを愛している。私にとって一番大事なのは、増田さんが増田さんであることで、加藤さんが加藤さんであることで、NEWSがNEWSであることだ。

ただふわふわなんじゃなくて本当はドライで男らしいというところに意味がある。私にとって加藤さんは、ありったけ尊敬する人でありありったけ萌える人でもあり、叱咤激励してあげたくて叱咤激励してほしい人だ。すべての自己嫌悪と全ての自己愛を投影したい人でもある。私のこんなむちゃくちゃな思いを加藤さんは否定しないだろう。なんの接点もなく一生会えない、本当の性格など知る由もない私がこういう風に彼を好きであることはきっと誰にも責められる謂れなどない。だって、彼らは『彼ら』を売っているのだから、買った『彼ら』をどういう風に食べようがそれは私の自由で、だからこそアイドルはとんでもなく美味しい魔性の食べ物なのだ。

 

 

・皆同じ穴の狢

私は『彼らの人生を楽しむ』『彼らを愛し尊敬し萌える』という形で彼らの擬似人格を消費している。そしてこういう楽しみ方は一見ある種冷静というか、いわゆる本気愛やリア恋とは異なる種類の愛に見える。実際、愛の種類ということでいえば決して同じではないし、永遠にかみ合わない部分も多いと思う。でも、やっていることは実は同じだ。

子どもを見るような気持ちも、不倫相手のような感覚も恋人にするような恋も私が捧げる尊敬も、動物に感じるような愛くるしさも、全部、すべて等しく『擬似人格との間に結ぶ擬似関係』である。どんなファンも同じ穴の狢だ。

私たちは本気愛の人を笑えない。そして、アイドルもまた自分に恋をするファンを笑うことなどできない。ほかならぬアイドル自身が自分への擬似恋愛を煽っている張本人なのだから。『擬似人格を消費される』ということについて無自覚なアイドルなどいないのではないかと時折思う。『自分』を好きになってもらうことこそが目的だ、と思いながらやっているんだろうと、Jr.を見ていても思う。そして、消費のされ方において最も手っ取り早く最も収益性の高く最も健全なやり方が擬似恋愛なのではないだろうか。だから彼らは基本的に、擬似恋愛をしてくれる人に向かって『自分』を売り込んでいる。雑誌の撮影でも様々な設定をつけるし、カメラに向かって甘い言葉をささやいたりもする。

そういうアイドルのふるまいをこれまで散々見てきているから、「アイドルに恋をするのはファンの一方的な行動だ」とか「アイドルの責任は歌って踊るところまでで、彼らの私生活でまでアイドルでいることを求めるのは間違いだ」という言説がピンと来ないのだろう。お金を稼ぐためにファンを増やすために、つまりは利益のために擬似関係を結んでもらおうと躍起になっておいて、「生身の人間としての彼らはそもそもファンとは無関係」というのは少し無理がありはしないかと思ってしまう。生身の彼らは私たちの恋人でも不倫相手でも尊敬する人でもないかもしれない。でも、生身の彼らじゃなくて擬似人格の『彼ら』はずっとこっちを向いている。それはインタラクティブな関係ではないと思う。しかし完全な一方通行でもないのではないか。アイドル→ファン、ファン→アイドルの二つの一方通行がちゃんとある。アイドルとファンとは共犯者で、アイドルもまた私たちと同じ穴の狢だ。

 

 

・『彼ら』にはどこまでの責任があるのだろう

生身の彼らと擬似人格の『彼ら』は別物だ。完全な別物ではないが同一ではない。そして『彼ら』とファンとの関係はあくまでも擬似関係に過ぎない。アイドル対ファンの(つまりアイドル⇔ファンの)関係ではなく、アイドル→ファンとファン→アイドルの、永遠に繋がらない関係だ。

果たしてこの両者に何らかの義務や責任は生じうるのだろうか。答えはわからないが、現時点での私の見解はNOだ。今風にいうと「あり寄りのなし」だ。彼らはアイドルをやっている人間だ。人間だから悲しんだり怒ったりするし、人間だから恋もする。それをするなといわれる筋合いはない。私たちには何も言えない。でも、彼らの恋愛は一般人の恋愛とはやっぱり違う。『彼ら』は、出会えもしない無数の女の子たちと擬似恋愛をしている。それは絶対に、無自覚な行動/一方的な思い込みなどではない。擬似関係の中で最も手っ取り早くて最も利益になる『恋愛』を、『彼ら』が選んだ。選んでみんなの『恋人』になって今の場所に辿りついた。

たいていの場合彼らの恋は、『彼ら』の『恋』の鮮やかさを減じさせる。恋をしていることを明らかにしながらほころびのない『恋』を提供できるほどのアイドルはなかなかいないし、恋をしていることを知っていながら擬似恋愛に身も心も投じることができるほどのファンもそう多くはない。

誰にも何の責任もない。アイドルには私生活でまでアイドルでい続ける責任などないし、ファンには彩度の低い夢しかくれないアイドルについていく責任などない。だから、私がアイドルに対して恋愛を隠していてほしいと思うのは、ほかのたわいない願いと同じ水準の願い事でしかない。例えば、ボイトレを頑張っていてほしいという願い。ボイトレをしなければならない義務はべつにないし、しなくたって上手に歌えるならますます何の必要もない。でも、自分が好きなアイドルの歌唱力に不満があるなら、ボイトレしててほしいと思う。もっと成長してほしいと思う。そっちの方がもっと素敵になるから、もっと上に行きたいって思い続けてほしいしそのためにやった方がいいことには全力で取り組んでほしい。

恋愛を隠してねって、要するにそのレベルの願いなのだ。あなたを好きでいたい、ずっと好きでいたいしもっと好きになりたい。でもあなたは、恋愛していることを公にした状態で『ずっと好きでいさせ』たり、『もっと好きにならせ』たりできるほどのアイドルじゃない。だから隠してほしい。

 

 

・いやなのではなく、いやだと思われるのがいや

先にも述べたが、私にとってアイドルは恋愛対象ではない。たとえ事実婚10年目だったとしても増田さんは私が好きな増田さんだし、たとえ明日結婚したとしても小山さんは私が好きな小山さんだ。にもかかわらず私がアイドルの恋愛をいやだと思うのは、多くの場合恋愛と人気の低下が直結しているからである。

国分さん結婚の折、「ジャニーズでは結婚したいというと、結婚によってどの程度売り上げが下がりどの程度人気が下がるかというデータを見せられ、それでも結婚したいのか確認される」という話がテレビでやっていた。この話の真偽はともかくとして、恋愛がプラスに働くことがほとんどないということは紛れもない真実だと思う。

アイドルが恋愛してそれが明らかになったら人気が落ちる、それをわかっていてボロを出すのは、なんだか人気よりも恋をとられたような気がしていやなのだ。恋愛がいやというよりは、恋愛によって好きなアイドルの人気が落ちるのが嫌だから恋愛がいやなのだ。

こういう風に考えると、『恋をしてそれが明らかになったとしてもなお夢を与え無数の擬似関係を結べる人間』だけがアイドルの資格があるのだと言え、そうでない人間はアイドルをやる器がそもそもないのだと言われるかもしれない。ここに関しては正直よくわからない。

私はアイドルが好きだ。擬似人格を消費される存在なところが好きだ。だから、それを駄目だとか、システムとして破綻しているとはどうしても思えない。

そして、瞬時に情報が広まり、誰もがカメラを携えていて、どんどん技術が進化していく現代において、特別な個人はどんどん生まれにくくなっていると思う。SNSのアカウントがあれば遠いはずのアイドルに直接言葉を伝えられる。(ジャニーズは無理だけど)

特別な人間だけがアイドルになれるんだ、といってしまったら、そのうちアイドルいなくなっちゃいそうだなあと思う。

 

 

・アイドルの平均寿命の長寿化

アイドル、特に男性アイドルの平均寿命はどんどん延びている。いわゆるアフターSMAPというやつである。SMAP以下のジャニーズデビュー組は1組も解散していない。アイドルの平均寿命が延びるということは、それだけ高齢になるまで擬似関係を結び続けなければならないということでもある。

嵐、関ジャニ∞などの現在の人気グループは、すでに30代半ばだ。しかしどうしても「まだ早い」と思ってしまう。おそらくはあと5年経っても誰も結婚していないのではないだろうか。

いつかのラジオか何かで加藤さんが、「アイドルも恋愛するのが普通になっていった方が、そりゃあ当事者としては嬉しい」というようなことを言っていた。このままアイドル人生が50歳、60歳まで続くのが当たり前になっていったら、たとえば親に孫の顔を見せたいとか、たとえば結婚したいとか、そういう人としてありふれた幸福にたどり着けないまま死期を迎えてしまう人、身寄りをなくして孤独に死んでいく人もそのうち現れるかもしれないと思うとさすがにぞっとする。

好きな人の不幸など誰も願わない。いつかどこかでアイドルとしての幸せが人間としての幸せを完全に破綻させる日が来るのなら、そのときにはどうか人間としての自分を選んでほしいと思う。そしてできることなら、そうではなくてアイドルとしても人間としても幸せになれる道を見つけてほしい。現状それが「アイドルではなくタレントとして老若男女に愛されてタレントとして食っていけるようになること」なら、結婚適齢期のうちにそこに辿りついてほしいとも思う。

 

 

 

でも、やっぱり、アイドルを選んだのは自分だから、アイドルの自分を大事にしてほしいし、私が愛する『あなた』をあなた自身に奪われるのはいやだ。できることならいつまでも『あなた』が欲しいと思ってしまうオタクたちを上手に手なずけて、一方通行の愛同士で上手に愛し合っていたいなあと思う。

 

 

 

 

 

最後に。

パパラッチはまあいいから、それは『あなた』の努力不足ともあなたの努力不足とも思わないから、インスタとTwitterとブログには気を付けてください。もういっそジャニーズ専用SNS作ってそこでだけ公開して身内だけで楽しんで。

あと「もう時効だよね」って言って「実はあの頃話してたあのエピソード、女の子同伴だったんだよね」っていうのは許されるエピソードと許されないエピソードがあるからそこはちゃんと見極めてください。メンバー間の絆とかいい話系は「実は女がいました」って言うことが許される時効はないと思ってくれお願いします。

それはあれだから、信じてた絆だけじゃなくて今その『あの頃』と同じくらいの年齢の後輩へのキラーパスになりかねないしオタの心に不死の疑心暗鬼が爆誕するから。

#とあるジャニオタの1日 ――ジャニオタでいられる時期といられない時期

 

#とあるジャニオタの1日 というタグを見ていて、薄々気づいてはいたもののあえて確認しないで生きてきたある事実を突き付けられた。私は時間の使い方が下手だ。

 

 

ジャニオタになってから、はまりたて熱中期(2008~)→激しめの冷め期(2011)→ゆるオタ期(2012~2013)→激しめの冷め期(2014)→緩めの熱中期(2015~)という感じで今に至っている。

自分のこのテンションの上下を振り返ってみたら原因があまりにもわかりやすすぎて笑った。2011年と2014年、奇しくもNEWSの無活動年とかぶっているがこれは偶然である。冷めていた理由はたった一つ、忙しかったから。

 

ということで私の1日だが、ジャニーズ断ちをしようとしている受験生以外には何の参考にもならない。

 

 

・2011年8月の私の1日(高校3年生、受験期)

 

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大変わかりづらいが、オレンジ:睡眠、緑:勉強、黄色:食事や移動、水色:余暇である。

 

・1:00~5:00 睡眠

この頃は1日4時間睡眠で元気に生きていた。信じられない。

・5:00~6:00 起床、勉強

ご飯の前に勉強

・6:00~7:00 朝食、身支度

ちなみにこの間HDDはずっとWSを録り続けている。私と真逆に母は元気にジャニオタをしていた。

・7:00~9:30

腹ごなしに勉強

・9:30~10:00 塾に移動

ちなみに自転車で通塾していた

・10:00~21:30 勉強

合間に食事休憩を昼夜30分ずつ挟む。大体昼は母に作ってもらったお弁当、夜はコンビニおにぎり1つ。睡眠時間といい食事量といい異様な省エネ体質だった。食事のときは大体山川の世界史用語集を読みながら食べていた。

・21:30~23:30 帰宅、友人と帰り道で談笑

自転車通塾の友人4、5人で毎夜毎夜帰り道の途中で立ち話していた。彼らとは今でも仲良しである。

・23:30~24:00 風呂

半身浴とか美容のためになんちゃらみたいな習慣は一切なかった

・24:00~25:00 余暇

Twitterしたりインターネットしたりちょっとジャニーズ情報を追いかけたりする時間。眠かったらカットして寝る。

 

以上。まあ正直なところなにせ2011年なので、意図的にジャニーズを断ってるのか単にジャニオタとしてすることがないのかよくわからない感じだった。1日13~14時間くらい勉強していた計算になるが実際夏休みはそれくらい勉強した。そこからは3か月ごとに勉強時間が半減していく感じでセンター後とか多分1日3~4時間しか勉強してない。大学受かってヨカッター(笑)

記憶にある限りではこの年にやったオタ活は①『テゴマスのあい』DVDを買う。(買ってブックレットを見ただけで中身は見ていない)②『ピンクとグレー』を買う。(こっちは我慢できずに速攻読んだ)の2つくらいである。あと③山下くんと錦戸くんの脱退にショックを受けてやけ食いする、も広義ではオタ活かもしれない。あ、あとカウコン中継もみたかな。それくらい。

 

 

 

・2014年10月の私の1日(大学3年生、文系暇人)

 

 

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赤:バイトが新しくグラフに加わる

 

・2:00~5:00 睡眠

何故か受験期よりさらに減った。一応他の時間に少しずつ寝ていたので1日4~6時間くらいは寝ていたはず。

・5:00~6:00 起床、身支度、出勤

化粧5分くらい出勤8分くらいの時短野郎である。5時起床ということになっているがベッドの中で自分と戦う時間が15~20分くらいはあった。この頃使ってたアラーム音マジでトラウマ。大体途中のコンビニでパンを買って食べながら出勤していたら通い過ぎで最終的に店員さんがめっちゃフレンドリーになった。「いらっしゃいm…あっおはようございまーす」って言われたときはびっくりした。いらっしゃいませは流石に言おうか。

・6:00~10:00 バイト

眠い目をこすりながら喫茶店でバイト。朝6時半の開店時から意外とお客さんが来るので日本のサラリーマンマジヤバい。

・10:00~10:30 帰宅、通学

バイト先→自宅が8分くらい、自宅→大学が5分くらいだったので時間との戦いだった。よく自分に負けて遅刻しまくった。

・10:30~16:00 大学

授業受けてご飯食べて授業受けるだけ。結構寝てた。

・16:30~17:30 睡眠

流石に1日3時間ではもたないので授業とバイトの間に少しでも寝ていた。去年1年間で3回くらい寝坊しました。

・17:30~19:00 身支度、出勤

朝の化粧はあまりにも雑なのでダイニングバー出勤前に化粧をし直す。電車で出勤。

・19:00~25:00 バイト

ダイニングバーで普通にバイト

・25:00~26:00 帰宅

・26:00~27:00 風呂等

自転車で出勤できる居酒屋と電車で出勤のダイニングバーとを掛け持ちしていたのだが、居酒屋の方が1時間ほど帰宅が早いため大体居酒屋の日2時就寝、ダイニングバーの日3時就寝だった。夜ダイニングバー→翌朝喫茶店パターンの時は寝たら起きれないのでベッドの脇に座って仮眠。

 

以上。今までの人生で最も忙しかった1年間である。喫茶店、居酒屋、ダイニングバーと3つのバイトを掛け持ちしていた。中間テスト・レポート期間の12月に140時間、期末期間の1月は160時間働いた。グラフは朝からバイトバージョンだが、ダイニングバーでは4時までの朝まで勤務パターンもあった。6時から働いたり28時まで働いたりしていると日付感覚がぐちゃぐちゃになる。

1度だけ、18:00~23:00居酒屋バイト→電車移動→24:00~4:00ダイニングバー→電車帰宅、仮眠→9:00~14:00喫茶店→仮眠、移動→19:00~4:00ダイニングバー→始発で神戸へ

というデスマーチをやる羽目になったが死ぬかと思った。今が何月何日なのかわからなくなる。

これで一応週4日は学校にいっててフル単だったし、サークルや飲み会などにも普通に顔を出してはいた。(ちなみに3年までで単位は取りおわった。3年間で138単位かな?)月1くらいでデートもしてて彼氏もできたし犠牲になったのはジャニオタライフだけかもしれない。彼氏とは即別れたから彼も犠牲になったと言えばなったのかな。幸か不幸かどうせNEWSは活動してなかったんですけどねこの年!!

今にして思えば電車でパズドラやってた時間とかをジャニーズに充てればよかったのかもしれない…。

 

 

 

・2015年9月の私の1日(大学4年生、クソ暇人)

 

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余暇と睡眠の圧倒的な増加

 

面倒なので詳しくは書かないが、私が楽しくジャニオタライフを送れているのは一目瞭然である。ひどいときは1日13,4時間とか平気で寝ている。YouTube見てるだけで1日終わるとかざらにある。

 

 一応念のため言っておくと、夏休みだからここまで堕落しているのであって普段はもう少しマシ。

 ブログ始めた頃は就活の真っただ中で、就活しながらバイトしてジャニオタしてコンサートまで行ってたので多分この時期のことを書くべきだったんでしょうね。書かないけど。

 

 

私は割とストレートに、忙しければ忙しいほどジャニオタタイムが減り暇が増えればその分アイドルにのめりこむタイプだ。忙しくても人付き合いを減らすことは基本しないので、人生におけるジャニーズの優先順位があまり高くはない人種ということかもしれない。生活とジャニーズとだったら120%私生活をとる。

あと半年ほどで社会人になるわけだが、そこで2014年のような忙しさに追われることになったら多分真っ先にジャニーズを切り捨ててしまうんだろうなあと思う。もっと上手に時間を使える人間になって細く長くジャニオタでいたいと思う22歳の秋なのでした。

トンチキはNEWSの通過点であってほしい

「慌てるでない、慌てるでない」と加藤さんに言われた。「我慢すればするほどすごいから」「今年も残り4か月、いいNEWSを届けるよ」と手越さんに言われた。

正直、それは今まで待たせた上で「待っててよかった」と言えるような結果を出してきてくれた実績のある人が言うセリフであってNEWSファンが慌てるし我慢したがらないのは自然の摂理やで!!!と思う。思うけれどもまあ待つし、期待しちゃうのでおとなしく期待しよう。

 

新曲四銃士はどうやらすごいらしい。

(そして加藤さんは四銃士だったらしい)

 

 

どんな感じかなあ早く聞きたいなあと思いながら、なんで発売未定なんだろうと思いながら、(あと単独カウコンやってくれたりしねえかなあと思いながら、)NEWSの今後について私個人の希望を一つ。トンチキをNEWSの終着点にしないでほしい。

 

 

これは単に私の予測に過ぎないのだけれど、NEWSが4人になって以降様子のおかしい曲(とサッカーとブラジャー)ばかりをリリースしているのは、ざっくり言えば『そのポジションが空いているから』だろうと思っている。そして、『そのポジションをNEWSは埋められる』から。

 

以前書いたこちらの記事を読むと私の言いたいことが理解しやすいかもしれない。

特殊トンチキ免許2級の持ち主NEWSの次のシングルが楽しみな話 - 英雄は歌わない

 

 

 

私はトンチキが嫌いなわけではない。と言ってもものによるので、どうあがいても好きになれない曲もある。ちなみにチャンカパーナ、ONE –for the win-、ポコポンペコーリャは好きで、KAGUYA、チュムチュムは正直あまり好きではない。特にチュムチュムは、非常に恥ずかしいのだが発売から3か月が経過した現在も楽曲自体の魅力はイマイチよくわかっていない。PVが麗しいことはよくわかるしタカヒサマスダブランドは文句なしにかっこよかったしインパクトは半端ないし別にいいのだが。

 

いい。そう、いいのだ別に。

 

私がトンチキを、名曲というより迷曲に近い楽曲をそれでもいいと思うのは、それが確かに『NEWSにしかできないこと』の1つなのだろうと思うからだ。きっとNEWSは、いや、NEWSに限らずすべてのアイドルたちが『自分だけの何か』を探している。だってそうしないと生きていけない。

全てのアイドル、というのはもちろんこの世に存在するありとあらゆるアイドルを指すのだが、その中でもジャニーズ事務所所属のアイドルは同じ事務所内で差別化を図らなくてはならないのが難しいところだなあと思う。特に――これは完全に私の主観だが――2003年以降のデビューグループは、事務所内に同年代のグループが多い。*1

 昭和終わり際~平成初頭辺り生まれ(主として’82~’90ぐらい)の年齢のメンバーで構成されているグループが、デビュー順にNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNKis-My-Ft2A.B.C-Zで5つ、平成頭~20世紀終わり頃生まれ(主として’90s)が主成員のグループがHey! Say! JUMPSexy ZoneジャニーズWESTで3つ。通常、同世代のアイドルは主要なファンの世代もかなりかぶってくる。このような状況で各グループがみな同世代の同じような人たちをメインターゲットにしてしまうと同事務所内で限られたパイを奪い合うことになってしまう。これは非常によろしくないし、そんなことをするのは非合理的である。だから彼らは各々自分たちの色を打ち出さなくてはならないし、『他と違う』(そしてできれば『たった一つの』)アイドルであることを志向し、各々が違うファンを獲得しなければならない。

  

 

You&Jはこの点から見ると完璧だったなあと思う。王道アイドルのNEWS、初の関西系ジャニーズ関ジャニ∞、初のオラオラ不良系アイドルKAT-TUN。新世代を担うアイドルとして、3つとも全然違って、3つとも輝いていた。

今にして思えば、その中でもYou&Jというくくりの恩恵を最大限に受けていたのがNEWSだったのかもしれない。ジャニーズの未来を背負う新世代というくくり、関ジャニ∞KAT-TUNが強烈な個性を放つそのくくりの中では、王道アイドルという存在は必要だったし個性だった。真っ白という個性でNEWSは戦えた。

 

山下智久錦戸亮という圧倒的な二枚看板を失って以降、NEWSはずっと自分たちの存在意義を示そうとし続けてきた。と言うと重たい感じになるが、早い話が

 

「グループの顔2人がいなくなりました!」

「うっわイチゴのないショートケーキじゃんおまえら(笑)」

スポンジケーキになにができるんだよ(笑)(笑)」

 

「どうもー!イチゴがなくなってスポンジケーキになったと思うじゃん?下にあったのは豆腐でした!!どうも豆腐でーす!!!今までクリームかぶってましたけど豆腐でーーす!!!!!」

 

ということである。(前掲記事より)

 

 

山下くんを輝かせるための土台じゃなくて、錦戸くんの特異性を目立たせるための母体じゃなくて、KAT-TUN関ジャニ∞のカウンターとしてじゃなくて、NEWSがNEWSだから意味があるということ。NEWSがNEWSとして存在することに意義も意味も利益もあるのだということ。

 

『大人』にそれを示せない限り、NEWSはずっと寡作アイドルのままなんだろうなあ、そうやって、探して見つけたのがトンチキなのかなあとなんとなく思う。だからいいと思う。

トンチキでいい。

 

 

イロモノだけどイロモノじゃないギリギリのラインを狙えるのは、これまで静かに積み上げてきた真っ白な個性があってこそだ。

不良オラオラ系KAT-TUN、お笑いもできる関ジャニ∞、アクロバットがすさまじいA.B.C-Z、容姿が劣ることをごまかさず不細工を売りにするKis-My-Ft2。でもやっぱりどこもかっこよくて、キラキラ(たまにギラギラ)していて、ジャニーズで。

彼らと異なり、彼らと戦えて、NEWSにしかできないこと。さらに言えば、山下くんと錦戸くんがいた時にはできなかったことである方が望ましい。さらにさらに言えば、山下くんが今後やらないようなことの方がいい。

 

どう見ても頭のおかしいコンセプトを、アイドルらしい音作りとアイドルらしいビジュアルで無理矢理アイドルとして許される域に持ち込む。ダサいけどダサくなくてダサくないけどダサいギリギリのラインにいながら、まるで普通のアイドルみたいな顔をして笑ってみせる。

増田さんの言う通り、『チュムチュム』は攻められるギリギリ際どいラインを攻めに行った作品なんだろうと勝手に思っている。これができるのは今までのNEWSのイメージがあるからだし、今の4人のビジュアルがちゃんとジャニーズにしか見えないからだし、今の4人の歌唱力があるからだ。これが私の思う『ポジションが空いている』『それをNEWSは埋められる』ということである。要するにNEWSは生クリームをかぶれるタイプの豆腐ですって言ってるだけなのだが。

 

 

 

で、である。

ここまで切々とトンチキを甘受するわけを語っておいてなんだが、しかし私はトンチキのままではいてほしくないのだ。私がトンチキのままでいてほしくない理由は、彼らがトンチキでいるのは『ポジションが空いているから』で『それをNEWSは埋められるから』だと思っているから。つまり、私がトンチキを受け入れる理由と同じである。どっちやねん!と言われそうだが、でもそう思うんだから仕方ない。

トンチキはNEWSだからできることだと思う、彼らが見つけた武器だと思う。これは本当に心から思っている。でも同時に、彼らが彼ら自身の身の内から創りだした武器だとは思っていない。お前らが解散しない理由は何、お前らに曲を出し続けさせる意味は何、って問われたNEWSが頭を使って考えて周りを見て戦況を分析して見つけたんじゃないだろうか。

 

KAT-TUNのオラオラや関ジャニ∞のど根性泥臭くまっすぐ精神と、トンチキとの最大の違いはそこだ。ジャニーズにいながら反骨精神の塊だったんだよね、と笑うKAT-TUNはたくさんの魅力を持ってるけど、あの時見つけた路線は彼らにぴったり合っていて彼らの魅力も未熟さも叫びたいことも表現できるKAT-TUNだけの路線であるように私には見える。東に比べ明らかに冷遇されてきた関西でメンバーを引き抜かれもしながら諦めないでデビューに漕ぎつけた関ジャニ∞は、本当に心の底から根性があって情に厚くてまっすぐなように見える。

 

 

果たしてNEWSのトンチキはそうだろうか。トンチキは彼らの本質だろうか。私にはそうは思えない。

 

 

全面的に衣装をプロデュースできるレベルのスタイリストがメンバー内にいること。残された4人のメンバーカラーがピンク、黄色、緑、紫の4色で、すべて並べてもそれなりに統一感がありお洒落にまとめられること。ツアーのグッズにも並々ならぬこだわりがあり『普段使い』を必ず重視してくれること。私たちへの愛を惜しげもなく発信してくれるところ。4人でいるといつまででもふざけていられて大学生みたいな空気感なところ。カメラの前ならいくらでも振り切ってなんでもやれる手越祐也がいること。クソサブカル男子がいること。キャスターがいること。エンターテイナーがいること。

 

彼らの魅力をもっともっと発信できるフォーマットが、トンチキ以外に何かあるはずだとどうしても思ってしまう。美恋魂も幸福魂も純白魂も、全体を通してみるとトンチキよりはお洒落に寄っていたからこそ余計に。NEWSさんたちってお洒落なものが作りたいんだろうなあってなんとなく思うのは私だけなんだろうか。

真価を発揮できるフォーマットって、じゃあそれがなんなのかって言われたら何も言えないからこんなこと言う資格多分ないんだけど、ないんだけどやっぱりきっとどこかに正解があるから、ここを終着点にしないでほしい。「トンチキはこれで終わり」「次からは新しいフェーズに」と言っていた増田さんを信じている。「もうトンチキしか出せない」とか小山さんが言ってたのは聞こえません。

 

 

 

って綺麗めにまとめてみたけど、要するにトンチキって広く浅く受けるものじゃないし1回解釈を挟まないと受け止められないものを差し出されるのはどうしても嬉しくはないし『NYARO』をシングルカットできないなんてくそくらえだしどうにかなってほしいという話でした。あと私が個人的に民族調と和調の音楽があまり好きではないという話でした。まじごめんNEWSさん。でも好きじゃないものは好きじゃないから仕方ないじゃない。

 

 

 

四銃士期待してるよーー早く豆腐ドーナツになってねーーーー!!!!

*1:SMAPTOKIO辺りの世代もかなり同年代がひしめき合っているのだが、何故か私の眼にはNEWS以下が異常に詰まってみえる

我が家に来航した黒船には慶応義塾大学の卒業証書が積載されていた

夏の終わりにほんのり怖い笑い話を一つ。

母を嵐オタに突き落としてからもう7年が経とうとしている。実を言うと、自分がジャニオタになったことよりも母がジャニオタになったことの方がいまだに意外だ。

櫻井翔さんがペリー提督のごとく我が家に現れ、すべてを変えてしまった。

 

 

 

開国前の湯坂家の話を少ししよう。私は極端に娯楽を制限される家で育った。

それはもうマジで鎖国としか言いようのない状態だった。テレビをほとんど見せてもらえないのはもちろん、漫画も禁止されていたしゲームもやったことがなかったし、もはや電池で動くおもちゃは禁止!くらいの勢いだった。親戚の家に遊びに行ったときに妹がト●ザらスで喋って跳ねるハム太郎のぬいぐるみを買ってもらったことがあったのだが、替えの電池が買ってもらえなかったのでそのうち重くて固いただのぬいぐるみになった。

テレビを見れるのは週に2~3時間くらい。それも決められたアニメだけ。

 

今でも、同世代と話すときは時折なかなかの寂しさに襲われながら生きている。

伊藤家の食卓』も『ミルモでポン!』も『おジャ魔女どれみ』も『ごくせん』も『野ブタ。をプロデュース』も通らずに大人になってしまった。一度でいいから『トリビアの泉』を見てみたかった。なんなんだへぇ~ボタンて。そんなもん授業中に鳴らすんじゃありません見てない子が寂しくなるでしょう。

 

テレビ番組といえば、幼稚園か小学校くらいの頃に『ハイパードールリカちゃん』というアニメが周りではやった。(ハイパードールじゃなくてスーパードールだったかもしれない)

周りが楽しそうにリカちゃんの話をするものだから、思い切って母に頼んでみたことがある。

「ねえお母さん、湯坂ちゃんもリカちゃんのアニメみたい」

「何曜日なの?」

「かようび」

「じゃあ木曜のポケモン見れなくなるけどいい?」

いいわけあるか。こうしてポケモンの前にリカちゃんは散った。

 

あと、小学校6年生の頃に、先生になぞなぞを出されたことがあった。

「『13S=6』という式に2本棒を足してこの式を成り立たせてごらん」

考えたけどさっぱりわからなかったので、結局降参して答えを聞いた。

正解は1の上に一本、3の左側に1本足して、『TBS=6』だった。ぽかーーんとした顔をしていたら、先生は思い出したように笑った。

「お前、姉ちゃんもおんなじ顔してたぞ~お前の家じゃわかんないかあ」

TBSが6チャンネルということも知らなかった私がのちにジャニオタになるとは先生も予想だにしなかっただろう。なおこの時点ではテレビの点け方さえ分からないというレベルだった。

 

そんな我が家にも、徐々に徐々に長崎出島のようなものができる。

その最たるものがパソコンとCS放送だ。

中学生になった私は、親の目を盗んでは夜な夜なニコニコ動画を徘徊し友人に借りた漫画とラノベを読みふけりポケモンに励むようになった。模範的な厨房だ。ちなみにポケットモンスターダイヤモンドだった。母に内緒で祖母に買ってもらったDSはとんでもない宝物に見えた。(余談だがこれは私が初めて手にしたゲームハードである。私の歳で初めてのゲーム機がDS、初めてのポケモンがダイヤモンドというのは多分かなり珍しい)

 

そしてCS放送。東京ヤクルトスワローズの試合を見るために加入したこれのおかげで、音楽専門チャンネルというものが我が家に上陸した。スペースシャワーTVM-ONなどだ。CSが我が家にもたらした最も大きな変化は、「とりあえずテレビをつける」という文化が生まれたことだった。帰ってきたらテレビをつける、目的の番組がなくともテレビを流すというのはそれまでの我が家では考えられないことだった。

 

 

 

こうして私は2008年、増田貴久さんと運命の出会いを果たすのである。

なにこの子かわいい。めっちゃかわいい。あ、これ山Pだ。青春アミーゴの人だ。えーこの子かわいい…!!!

(青春アミーゴは小学校の音楽の授業で合奏したので知っていた)

 

中学3年生の私は、『タイミング』/ブラック・ビスケッツと『A・RA・SHI』/嵐を同じ人が歌ってると思っているような深刻な芸能音痴だった。音楽なんて給食の時間に校内放送で流れてくるのを聴く程度だったから仕方ない。ついでにジャニーズがなんなのかもわかっていなかった。テレビに出ている若くてかっこいい男性芸能人のことをジャニーズって呼ぶのかなあと思っていた。山下智久はジャニーズなのに小池徹平はジャニーズではないのはなぜなのかという疑問がようやく解けた歴史的瞬間だ。

 

 

こうしておずおずとジャニーズの世界に足を踏み入れた私は速攻で嵐にも手を出した。理由は簡単で嵐には冠番組があったがNEWSにはなかったからである。

この冠番組が問題だった。

 

当時、関東で見れる嵐の番組は2つ。『嵐の宿題くん』(月曜23:58~24:29)と、『VS嵐』(土曜12:59~13:30)だ。宿題くんはよかった。親が寝てからテレビの音を小さくして部屋の電気は消しひっそりすれば大抵は見ることができた(たまに消されたが)。曲者だったのはVS嵐の方である。

私の母はパートの仕事をしていて、それが終わるのは13時だ。それから徒歩で帰ってくると、帰宅は大体13:20~25辺りの時間になる。つまり、VS嵐が終わるほんの少し前に母は帰ってきてしまうのである。

流石に完全な鎖国を続行することはもうあきらめていたと思う。でも母の眼に触れるところでまでそれを許してくれたりはしなかった。

 

妹と2人VS嵐を見て笑う土曜の午後。いいところ。決着がつくまであと少し。

というところで毎週帰宅する母。

母「ただいま」

私・妹「おかえり」

母 プツッ(無言でテレビ消す)

というやり取りを何回繰り返しただろうか。もう一度言うがこの時点で番組は残り5分かそこらである。それなのに消される。頼んでも消される。その5分も許せないほどVS嵐が不快だなんてそんなことがあるか――ついに私は決心した。

 

 

母に嵐を布教しよう。

 

 

ゴールは明確だった。母がパートからの帰宅後の5~10分間嵐の番組をつけていることを許してくれるレベルまで嵐の好感度を上げる。それだけだ。

 

 

戦況は芳しくなかった。そもそも今までも何度も「あと5分だから!消さないで!」とお願いしてはぽちっとされているわけで明らかに敗色濃厚である。しかし私はあきらめなかった。そもそも好きになってもらおうとは思っていない。「見るのもイヤ(好感度マイナス)」から「興味ない(好感度ゼロ)」に変わるだけでいいのだ。

というか今でもわからないのだがこの頃の母はなぜあんなに嫌悪感を示したのだろう…。

 

どのくらいの期間布教にもならない布教を試みては折れ試みては折れたのかもう覚えていない。安定の鳥頭。

そして運命のXデーが訪れる。

 

「ねえ知ってる?嵐の翔くんて慶應なんだよ。すごいでしょ」

「…へぇー」

 

記憶にある限り初めての(というか唯一の)好感触だった。

 

 

なぜだかわからないが、気づいたら母はVS嵐を一緒に見るようになっていた。

明りのついた部屋で胸を張って宿題くんを見れるようになった。いつの間にか増えるドル誌。積まれるテレビ誌。消費されてゆくVHSテープ。

いつの間にか好感度はマイナスからゼロへ…どころの話ではなかった。

 

 

 

気付いたら母は翔くんを好きになっていた。

 

 

 

それはもう本当に、黒船が現れて開国でも果たしたかのようだった。黒船に積載されているのは大砲などではなかった。慶応義塾大学の卒業証書だった。

母が、ミュージックステーションなど一度も見せてくれなかった、友達と同じカルチャーをほとんど共有させてくれなかった母が、みるみるうちに私よりよほど強火のジャニオタになってゆく。私は能天気に「ドル誌買わなくてもNEWSの切り抜き手に入ってラッキーだな」と喜んでいた。

こうして私は母と趣味を共有できるようになり、テレビを制限されることもなくなり我が家は徐々に普通の家に…となったらどんなに良かっただろう。

 

 

 

私は、本当に、母のことをわかっていなかった。頑なで厳しい母が、要するに0か100かタイプの人間であることを、全然わかっていなかったのである。

 

 

 

母はジャニオタになった。それはそれは模範的なジャニオタに。

嵐の冠番組を全録するのはもちろん、朝のワイドショーまでベタ録りするようになった。ブラウン管テレビが壊れた我が家にやってきたのは、カラオケにあるモニターよりでかい液晶テレビ。朝起きる、食卓につく、録画ランプがついている、テレビには触れない。夕方帰る、テレビで嵐の何かが流れている、部屋に引っ込む。夕飯を食べる、嵐関連の何かが流れる、見たいテレビは見れない。

嵐だった。流れる音楽も映像もテレビチャンネル権も何もかもが嵐だった。ステマしていたはずの相手からこれでもかこれでもかと繰り出されるダイレクトマーケティング。ダイレクト、あまりにもダイレクトなボディブローが私の精神に蓄積してゆく。しかもときは2008~10年、そう、嵐が爆発的な人気を得るか得ないか得るかくらいの頃である。追おうと思えばいくらでも追うものがあった。嵐。嵐、嵐、嵐嵐嵐A・RA・SHI

 

 

 

こうして私は嵐アレルギーになった。

父はぽつりと、「俺があの勢いでAKBにはまってもアイツは嫌がらないのかな…」と言った。父が女子アイドルにはまることはなかったが、断言しよう。母は嫌がっただろう。

 

母の性格と嵐のすさまじい人気と、どちらが悪かったのかはわからない。母と嵐の相性があまりよくなかったということなのかもしれない。それはわからないが、ともかく、母はあまりにも模範的で盲目で熱心だった。

端的に言ってしまえば、彼女は他との共存が非常にへたくそなタイプのジャニオタだった。

 

全ての時間と全てのお金と全てのデバイスが嵐に費やされた。それでも多分嵐を追い切れてはいなかっただろう。お金は母の自由だ。しかしデバイスは違う。

私がどんなにNEWSを見たいと訴えても、その言葉は母には微塵も理解されなかった。自分は前振りスポットCMから最後の予告まできっちり録画しきるのに、NEWSのメンバーがテレビに出た時はギリギリまでチャンネルを変えさせてもらえないし本編が終わると即切られた。私がDVDを見ることを許されるのは母が寝た後だけだった。母が起きている時間はパソコンとテレビの両方が母のものだった。

徐々に私は、家じゅうにあふれる嵐がうざくてうざくてたまらなくなった。自分の部屋で嵐の画像を眺めているときは全然いやじゃないのに、家に帰ってきた瞬間に嵐の歌声が聞こえるとイライラしてたまらない。

にのあいも泣き虫も天然も好きなのに、うんざりだった。

 

嵐が絡むと母は、他人の心情を慮る能力が著しく低下した。

録画してもらったはずの番組を見たかどうかの確認もされずに消されてしまうくらいのことは日常茶飯事だった。自分が嵐に関して言われたら絶対嫌がるようなことを、平気でNEWSには言われることもよくあった。

 

高校生になってから、私がテレビ欄を見ていて気になった番組があった。正確なタイトルは覚えていないが、「GHQが漢字廃止を施行しようとしていたときに、どういう経緯で日本は漢字文化を守ることができたのか」という内容だった。ジャニーズは1ミリも関係なかったが、私はそれを面白そうだと思ったし見たいと思った。

その時間に嵐の番組はなかった。しかし母は不機嫌になった。パソコンをいじり続ける母を無視して強引にチャンネルを変えたら、映し出されたドキュメント番組を一瞥して母は「ダサッ」と吐き捨てた。今考えてもジャニーズの方が漢字文化よりよっぽどダサいと思う…。

 

 

 

なぜ自分がいまだに嵐を好きでいられるのかちょっと不思議なくらいだ。

なんなら、嵐がいなければ私の反抗期はもう1年か2年は早く終わっていた自信まである。櫻井さんが我が家にもたらした影響はそれほど甚大ですさまじかった。もちろん、何もかもが悪かったわけではない。黒船来航前に比べれば随分と自由度は上がったし、妹は私と姉に比べればかなりドラマなども見ながら育つことができた。

ジャニーズのおかげでテレビを見れるようになって好きな役者さんもできたし、嵐はそれでもやっぱり面白いし、何より上京してからいろいろどうでもよくなった。母は母なりに色々大変なんだろなあとも少しずつ分かった。

 

 

だからまあ、今では悪くなかったんじゃないと思えている。

思えているのに、なぜ今さらこんな記事を書いているのか。実はこれまでの経緯は、私にとっては笑い話だ。

 

 

 

母が嵐のファンクラブに入会してから6年、いまだ一度もコンサートに当選していない。

 

 

 

 

 

母が生でアイドル翔くんを拝める日は来ないかもしれない。これをきいた瞬間今年の帰省で一番血の気が引いた。

 

 

 

嵐やばすぎる。みなさん布教は計画的に。