読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

若さと容姿は氷の剣

 

今日の記事は長くなると思うので、先に主旨について簡潔に述べます。

今日の記事?今日の記事だろ?と思ったそこのあなた……正解です(今さらの走魂ネタ)

 

私が今日この記事で言いたいのは、アイドルとはある評価軸で見たら明らかにかわいそうな存在であるということと、その評価軸はある意味非常にまっとうで清潔な類の軸であるということだ。

抽象的には、アイドルに限らずこの世のすべてのありとあらゆる事物・事象は価値観や立場の取り方によってありとあらゆる評価を下されうるものであるということである。その価値観や立場が説得的か、正しいかということとは全く別に、単に厳然たる事実として『異なる観点から見れば同じものにも異なる評価が下される』し、『観点の数だけ評価もある』と思う。

そして、結論のところでもう少しきちんと書くけど、私自身は『アイドルかわいそう陣営』にコミットする気はない。アイドルは多分今後もかわいそうなままだし、そのかわいそうさをもってアイドルをなくすべきとはならない。さらに、アイドルがかわいそうであることはアイドルの魅力や尊厳を減じるものでもない。ファンが非難されるようなものでもない。ただ、それを踏まえた上で、それとは別種のかわいそうさもアイドルには付きまといがちなのではないかと思う。そしてこちらのかわいそうさは、できることなら自担や推しには身につけないでほしいタイプのかわいそうさだ

 

 

 

 

昨日、私のタイムラインにあるブログが流れてきた。そのブログを流したフォロワーさんは、「○○の中の××という点について批判されたときに短絡的に『○○を否定された』と思うのは間違ったことなのかもしれない」という旨のツイートを添えていた。

そういう経緯で読んだものなので、読む前からなんとなくそのブログを肯定的に評価する心づもりがあったことは否定できない。しかしともかくそのブログを読んで、わりと私は納得した。(ちなみに、ジャニオタとしての自分を否定されている気にも特にならなかった)

 

 

 

http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/08/10/171344

 

 

既に読んでいる方もいらっしゃるかもしれない。NMB48についての記事で、秋元康氏を非難するものだ。(このブログを書いた方にNMB48という特定のアイドルグループを批判したい気持ちはないように感じた)

 

 

私は単に納得したが、同じくこの記事を読んだらしいフォロワーさんの1人が、非常にショックを受けていた。正確には私が一方的にフォローしているだけの方なので彼女は私のフォロワーではないが。私がフォローしているTwitterユーザーさんが、とかいえばいいのだろうか。

こういうときに全文を引用せずに私が恣意的にその発言をまとめるのは卑怯かなとも思うが、全文引用すると個人が特定できてしまうしそっちの方がなんかいやなのでざっくりまとめる。

(仮にこのブログを読まれて、全文掲載してもいい、ツイートを直接貼り付けても構わない、あるいはそうしてほしい、と思われた場合は湯坂まで連絡いただけたらそうさせていただきます)(私のまとめ方が悪くてご自分の意図とずれたり異なったりしているなと感じられた場合も一報いただけたら修正いたします)

 

(8/13) 

→元ツイート主の芦屋こみねさんに掲載許可をいただいたので元ツイートに差し替えます。

twitter.com

twitter.com

twitter.com

twitter.com

 

 

冒頭にも述べたがもう一度声を大にして言おう。アイドルはかわいそうだ。ある評価軸から見れば、どう見ても明らかにかわいそうだ。

その『ある評価軸』がどういうものかというと、主に「人間は容姿や若さではなく個人の個性や性格・価値観や言動によって、人間的な魅力をもって評価されることが望ましい」という価値観と、「性的な意味で人をくいものにしたり慰み者にするのは望ましくない」という価値観である。

この2つの考え方は、特に世間的に反感を買うようなものではないし、むしろ至極まっとうで清潔だ。

 

 

 

 

そもそもアイドルが売れようとするとき、彼ら彼女らは一体誰に向けて自分を売り出そうと思うのだろう。アイドルを売ろうとするとき、『大人』は一体誰に向けて彼ら彼女らを売り出そうとするのだろう。

それはおそらく、アイドルに対して恋心もしくは擬似的な恋心を抱いてくれる人に対して売り込もうとしているのではないだろうか。

もちろん、アイドルオタクのすべてがそういうタイプだとは思わない。なにしろほかならぬ私がそうではないタイプのオタクである。自分のコミュニティを基準に判断させてもらえるなら、そうではないタイプのオタクも一定数いる。一定数どころか結構いる。たぶんめっちゃいる。

でも、現実のオタクの分布がどうなっているかは置いておいて、売り出す側の立場に立ったときまず真っ先にターゲティングされるのは恋心を抱ける側、私たちじゃない側の人間だと思う。アイドルというのは、人間が消費の対象となる非常に稀有な職業だ。つくる歌とかできる演技みたいな人間性と離れた成果ではなくて、アイドル自身が消費と評価の対象となる。人間が需要され人間を供給するこのビジネスの中で最も間口が広く消費者(つまりファン)を取り込みやすい、最も顧客を獲得しやすく儲けにつながりやすいのが恋愛感情に訴えるやり方ではないかと思う。

アイドルが稀有と書いたが、恋愛感情に訴えるやり方の効率がいいのは多分二次元でも同じだ。恋愛に近い感情を抱いている客が多ければ多いほど、客単価(あるキャラクターに対して消費者1人当たりがいくら払ってくれるか)は上がる。『テニスの王子様』とか各種乙女ゲームのキャラとかのファンの人々を筆頭に、愛するキャラになかなかになかなかな額を投じている。

 

 

 

我々一般人は恋心を抱くことを期待されてアイドルとアイドルを取り巻く大人たちからマーケティングを受けているわけだが、恋愛と性欲とは不可分に結びついている。恋愛と性欲を同一視するのがナンセンスであるのと同じくらい、遠く離れた無関係なものだと思い込むのもナンセンスだ。

私は今までの人生で、「恋人のことはとても好きで愛しているけど、触れたいとかセックスしたいとかは全く思わないんだよね。身体が好みの人に対してはそういうことも思うんだけど」という人には一度も会ったことがない。「恋人のことは好きだけど、セックスしたいと思わないんだよね」なら普通にいるが、性欲を備えているにも関わらず恋愛感情を抱く相手に対してはその欲望が全く向かわない人というのはほとんど存在しないのではないだろうか。また、性欲まではいかない接触欲を人並みに持っていながら、恋愛感情を抱かない相手にのみその欲求が働く人はマジでほんとうに存在しないと思う。

これは私の個人的な感覚なのだが、恋愛感情と性欲とはそれぞれ別個の範囲をとって他者を分類するカテゴリーのようなものだと思っている。多くの場合、性欲の範囲は恋愛感情の範囲より広い。そして、恋愛感情の範囲は性欲の範囲内の中にある。高校の数学でやった集合みたいなイメージ。もうあんまり覚えてないけど。セックスしたくない派=性欲という集合が空集合の人。

 

相互にコミュニケーションをとりお互いを知り恋愛感情を抱いてもらうことは、アイドルにとって非常に困難だ。これは私がジャニーズという巨大で勢力のある組織に属しているアイドルのオタクであり、アイドルとファンの相互の絶望的な一方通行性を愛しているから思うことなのかもしれない。しかし、たとえ握手会で会話が出来ようと自分を覚えてもらえようと2人の間に秘密の合図を生み出せようと、その営みと一般的な恋愛とは決定的に異なる。

本来あるべき双方向的なコミュニケーションが取れないアイドルたちがカメラの向こう側にいる誰かの愛をもぎ取るために出来る最も基本的な手段が容姿や行動などの目に見えるもので魅了するやり方だ。その可愛さや格好よさは多分、アイドルがアイドルの世界に足を踏み入れるための入構証であり、同時にアイドルとして戦うための最も基本的な武器だろう。

そしてその戦い方にはほとんど不可避に『カメラの向こう側の誰かの性欲を煽ること』がついてくる。

 

 

 

この『性欲を煽る』という行動は、男女の別なくアイドル全員がやっていると思う。そしてオタクの側も『性的に食い物にする』という行為を、男女の別なくしている。

今回のNMB48でいえば水着のPVもそうだし、週刊誌のグラビアもそうだ。あとは握手会での会話や認知もそういう側面がなくはないと思うし、釣り行為とかもそうだ。

ジャニーズでいえば腰振り曲なんかはガンガンのセックスアピールのつもりでやっているはずだ。雑誌でお便りを取り上げて返信することもそれにあたるし、ラジオで甘い言葉をささやくのも大きく言えばそれだ。妄想キッスシチュエーションとかね。ギャグなのかマジなのか本気でわかんないけど、本来の意図はそういうことのはず。

こういうものに萌えるとき私たちは、性欲もしくは性欲に近い何かによってアイドルを消費している。「かわいい」「水着最高」「抱きたい」「抱かれたい」「耳で孕める」みたいな反応は全部そうだ。

 

 

見た目じゃなくて中身を見てよ。『私』を、『俺』を愛してよ。というのは漫画やドラマで使い古されたセリフだ。でも、使い古されるだけの価値と説得力のあるセリフだ。人間は愛されたい。たった一人の個人として、自分の全部を愛されたい。唯一無二な自分を愛してほしい。

身体目当ての恋愛なんて、まともな恋愛じゃないのだ。誰も誰かの性欲の捌け口になんかなりたくない。そそるからというだけの理由でセックスされるのは、一方的に性欲の対象にされるのは、誰だって不快だ。

 

先述したように、アイドルは人間を商品にする職業である。愛されるのが仕事だ。それなのにアイドルは、本当の意味でのありのままの自分を愛してもらうことなど絶対にできない。1人の人間として愛されることなんて絶対にない。愛されるけど、愛しあうことは不可能だ。ありのままの自分を見せることなんてできないのに、作ったものじゃなくて自分を売るなんて、そんなことをしなければならないアイドルはとても不毛な生き方なのかもしれない。

そして、不特定多数の誰か、アイドル本人にとっては必ずしも性欲の対象にはならない相手に性欲を向けられることが多々あるのも真実だ。性的な要素の多いグラビアの機会や水着になる機会が多い分、女性アイドルの方が本人もオタもそれを自覚しやすいかもしれない。しかし、特に女性アイドルに限らず、アイドル全般がそうだ。

男性アイドルに対して女性ファンが「抱かれたい」「キスされたい」と思うのは、一見女性が受動的なようにも見えるし、性的に消費している実感もあまりないかもしれない。ひょっとしたらアイドル本人にもその自覚はなくて、「キャーキャー言われんのマジ気持ちいい!!」と思っているアイドルもいるかもしれない。けれど、顔の見えない性格のわからない『だれか』に性的にまなざされるというのは、本来不快な経験であってそこに男女の性差はない。お金もらってでも触れたくないレベルの醜い人にも、アイドルを性的にまなざす権利がある。アイドルにはそれを受け入れる義務がある。それは絶対に、心地よいことではない。

 

こういう風に考えるのは一種の筋の通ったものの見方だし、この意味ではアイドルは確かにかわいそうだ。少なくとも私個人としては、「っていうわけで私はアイドルのことかわいそうだと思うんだけどどう思う?」と訊かれたら「まあ確かにかわいそうですねえ」と返す。

別にアイドルに限らず、愛し合いたいのに愛し合えない人や向けられたくないまなざしを向けられて生きる人への形容として『かわいそう』は間違った言葉ではないし、アイドルのかわいそうレベルが高いのもまあ間違いではない。この観点から見た時、人は皆少なからずかわいそうで、アイドルはその中でも特にかわいそうな生き方だ。

 

 

ただ、私はそのかわいそうさを踏まえた上でもアイドルといういきものをとても尊いと思うし、好きだし、アイドルがアイドルである自分に執着を見せるのも普通のことだと思う。そういうかわいそうなことっていうのは、裏を返せばまさにアイドルと一般人を分かつ特異点でもある。普通に生きていたら誰もが経験するそのかわいそうさを、普通に生きていたらありえないほどの量背負って生きるからアイドルなのだし、彼ら彼女らの輝きと自己顕示欲と承認欲求と野望と慈愛とかわいそうさは表裏一体だ。

 

 

だから私は『アイドルかわいそう陣営』に納得はするし間違ってもいないと思うがコミットはしない。ただ、このアイドルのかわいそうさについて考えた時に、このやり方にはほかにもある種のかわいそうさがあるな、とぼんやり思った。そして、こっちのかわいそうさは、アイドルがアイドルとして生きていく上で障害になる方のかわいそうさなのではないかと思うので、頑張って文字にしてみる。

 

 

 

こういう性的な側面を含んだ魅力/目に見える魅力――かわいい、かっこいい、えろい、性的、そそる――というのは、アイドルにとって武器だ。容姿が人より優れている、という武器。

でも、武器は武器でも氷の剣だ。大きくて強くて鋭いかもしれないけど、いろんなものを切り倒して進んでいけるかもしれないけど、でも氷でできている。いつかは溶けてなくなってしまう。氷の剣だけで死ぬまで戦い抜くことは誰にもできない。とれる道は2つだ。1つ目は、年を重ねて加齢で氷の剣が溶けきったら潔く死ぬこと。2つ目は、氷の剣で闘いながらそれと同じかそれより強い鋼の剣を創ること。

 

 

勘違いしないでほしいのだが、私は氷の剣で戦うこと自体には何の問題もないと思っている。逆に、人が自分のもてる武器で戦うことを批判する方がずれてないか?とすら思う。現代社会ではみんな誰でも、氷の剣を持っているし、それで戦っている。人によって大きさは違うし、アイドルに比べたら攻撃力のずっと低い剣だけど、みんなそれで戦ってる。

私がダイニングバーの店員だから、余計にそう思うのかもしれない。例えば大人数の貸切の宴会の会場になると、絶対にキャパオーバーが起こる。ドリンクの提供が滞ったり席間が通常より狭くなってしまったり、取り皿を料理ごとに変えることができなくなったりする。こういうことはお客さんにとっては当然ストレスなので、店員に対してわりと失礼な態度で催促をしたり大声で文句を言う方というのも時々現れる。そして、こういうときに不快な態度を取られる頻度は、女性店員より男性店員の方が圧倒的に高い。

本当に、びっくりするほど態度が違うこともある。こうなると店側も客側もいい思いはしないしこちらもできることなら気持ちよく働いて気持ちよく感謝されたいので、私はわりと躊躇なく氷の剣を抜く。

「提供遅くてごめんなさい、がんばりますっ」って言うし、褒められたら「え、私かわいいですか、そんなこと全然言われないけどうれしいです」、今度は飲み物来るの早いねって言われたら「そうなんですがんばりました!」とか、ガンガン言う。にこにこする。まあ正直見た目はそこまででもないので剣の威力はだいぶ低めだが、お客さんの態度はめちゃめちゃ軟化する。グラスの回収を手伝ってくれたり、快く皿を回収してくれたり、飲み物を聞き直してもにこにこ答えてくれたり、非常にやりやすい。双方楽しい。

酒の席だと愛嬌さえあればそれなりにはかわいく見えるようなので、それを学んでからは剣振り回し放題である。

 

で、私は自分がそうすることに特に嫌悪感はないし、責められる謂れもないと思っている。だってお客さんには優しくしてもらえた方が働いてて楽だし、店員がノリよくて愛想いい方がお客さんも楽しい。なんなら、飲食店のお代には原価と利益のほかに店員の給料も乗ってるわけで、必要に応じて可能な限り切り倒す義務があるとまで思っている。まれにとんでもないガチ恋を釣り上げてしまうことがあるのが玉に瑕だが、まあそういうこともあるよね~~。

 

 

 

現代社会に生きる人間はみんな、そういう剣で戦っている。アイドルもそういう氷の剣を持っている。大きくて強くて鋭くてよく切れる、大事な大事な武器だ。その剣でアイドルは、とんでもない高みまで辿りつけるかもしれない。

でも、どんなに強くてもやっぱり、それが氷でできているのは動かしようのない事実なのだ。

 

(「30歳を超えて、何か変化はありましたか?」という問いに対して)

俺は、すっごいあった。それはやっぱり大野さんが一番分かってくれると思うけど、異様な焦りがあって。30超えたら、次に見えるのは40じゃん。(中略)どうせ、いつかかわいくなくなっていくんだから、人間だから。じゃあ、そうなったときの畑を、今から耕しとかなければならないんじゃないかなって、ずっと思ってたの。

 

7月30日に日本テレビで放送された、News ZEROのスピンオフである『アイドルの今、コレカラ』という30分の対談番組の中で、嵐の櫻井翔さんが語った言葉だ。いつまでも、肩を組むだけでキャーかわいいと騒いでもらえるようなビジュアルは保てない、自分たちは年をとっていく。だって人間だから。加齢からは絶対に逃れられない。

だから彼は、それだけじゃない、消えない武器が欲しかったのだ。若さや容姿などの一過性の強みじゃなくて、氷の剣が溶けた後もなくならない鋼の剣を何とかして作りたかったのだ。とんでもない人気を誇る嵐のメンバーが言うからこそその自己分析力に感嘆するけれど、この危機感はきっとアイドル全員が持っているものなのだろう。

NEWSの加藤シゲアキさんは、自分がNEWSメンバーに選ばれた理由が「顔」だったと知ったとき、ショックを受けたそうだ。顔だけで選ばれるんじゃ、きっとみんないやなのだ。この話には後日談として、NEWSが4人になり再始動をする際に自分の武器について考えた加藤さんが「自分のもてる武器は全部使おう」と、ダイエットなどに励みかなりビジュアルを改善した、というエピソードがある。

櫻井さんと加藤さんの2人のこの逸話に、アイドルと剣のあり方についてのアイドル側の意見は集約されていると思う。アイドルである以上それを振るわないのは間違いなのだ。けれど、氷の剣はいつか絶対に溶けて消えてしまうというのも、目をそらしてはいけない真実だ。そうなる前に自分だけの武器を、折れない、溶けない、消えない武器を掴もうとして、みんなもがいている。

 

 

そして、氷の剣だけじゃ戦いぬけないことが圧倒的に明らかな世界で、大人が彼ら彼女らを氷の剣だけで戦わせようとするのなら、そのやり方は絶対にアイドル本人のためにはならない。

氷の剣がいつか消えてしまうことを理解していながらアイドルが鋼の剣を創れるようにサポートしないのは、剣が溶けたら死ねということに等しいはずだ。女性アイドルのプロデューサーはそういうスタンスの人が多いように見えることがあるのは否めないような気がする。

賞味期限が切れたら速攻辞めて普通の人になろう、と思って芸能界に入ってくる子がどれくらいいるというんだろう。この世界で燦然と輝く大スターになりたい子の方が、圧倒的に多いだろう。

 

 

 

もしも仮に、そういう子たちを売り出す立場にある人が「武器が消えたら次の子を探せばいい」と思ってビジネスを行っているのなら、それはとても悲しいことだと思う。そういう風に武器を使わされるのは、性的にまなざされるよりも一方的にいびつな愛を注がれることよりもずっとずっとかわいそうだし、ずっとずっと憂うべきことだ。

ただ、たとえ大人がどう思っていようが、アイドル自身は必ず鋼の剣を模索しながらアイドルをしていると感じるし、そういうときでもそのアイドルを応援するのは極めて自然なことだと思う。事務所が安易に肌を見せようとかファンサまき散らさせようとか思っていたとしても、それでもアイドル本人は真摯に仕事に取り組んでいる。そういうときに、『大人が気に食わない』という理由でそのアイドルと彼/彼女の夢をあきらめることは、多分私にはできない。大人の意志が透けて見えて、それがどんなに優しくなくたって、それでも私の好きな人は輝いているだろうし、素晴らしいだろうし、私はそれを愛するだろう。

 

実際に現在の女子ドル界隈がどういう感じなのかは知らないし、件のNMB48についても特に何も述べる気はないが、もしも自分が愛するアイドルの裏にいる大人が、そうやって彼ら彼女らを使い捨てにしようとするなら、それを丸ごと肯定してしまうようなオタクには、「かわいいからいいじゃん」で許してしまうようなオタクにはなりたくないなと思う。

決して交わらない一方通行の愛かもしれないけれど、彼ら彼女らが追っている夢を私もみたいし、アイドルを取り巻くすべての大人も一緒に夢を見てくれるような、そういう優しい世界を欲望することを、オタクである限り辞めたくない。

 

 

 

 

最後に、『ドリアン少年』についてごく私的な感想をちょこっとだけ。

これ、言ってしまえば西野カナさんの『Daring』と同じこと言ってるのかなって思うんですよね。恋は盲目。でもなんか、印象全然違うなーと。どんな言葉を選ぶかによって、受け手に与える印象は全く変わってくることを知るいい例だなと思うので、自分も発言には気を付けようと思います。