英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

私から彼を奪う人


NEWSの6人時代の曲の中でも特に思い入れがある楽曲の1つに『share』がある。6人時代のNEWSが、6人で作詞作曲した歌。NEWSだから、この6人だから作れる歌だと思った。嵐じゃなくて関ジャニ∞じゃなくてKAT-TUNじゃなくてNEWSだから作れる、NEWSだけの歌だと本気で思った。

すれ違いゆく風の中で僕らはなぜ出会えたんだろう
同じ星が今見えるなら 僕らはただそれだけでいい

 

無理に一つにならずに 分かりあえない日はそのままでいい
一人一人が持つ色だから鮮やかなマーブル描けばいい

P亮シゲの3人が好きだった。ビビって敬語のシゲと、そんなシゲを可愛がるP様と亮ちゃん。少しずつ距離が縮まっていくのをリアルタイムで見れたのは僥倖だったと今でも思う。大野くんと松潤とか、横山くんと大倉くんとは全然違うけど、でもNEWSのメンバーにはNEWSのメンバーの関係性があって、私はそれが好きだった。

好きだった。本当に。敬語でも、混ざりあえなくても、1つじゃなくてもほかのグループと絆のあり方が違っても、私にとってそれはNEWSの個性だし他との大切な差異だった。それは私にとって紛れもなく、NEWSの好きな部分の1つだった。


今もあの頃の歌が好きだし、今でも6人のNEWSが好きだ。でも、あの頃みたいには好きじゃない。それでいいしそれがいいって言えたのは、たとえ他と違ってもそれがNEWSの形だと思えたからだった。上手くいってないんでも関係が築けてないんでもなくて、それがNEWSなりのあり方だと思えたからそこを好きでいられた。今でも好きだし見て懐かしむこともあるし全てが嘘だとは今も思っていないけれど、でもあの頃と同じ気持ちで愛することはもう出来ない。だって結局壊れてしまった。私が好きだったものが本当にNEWSなりの形だったのか、それともただの破綻の予兆だったのか、今ではもう分からない。

好きだったはずの時間を否定された気になるのはとてもしんどい。見ていたもの、愛していたものが本当はあの時はもうとっくに駄目になっていたんじゃないか、自分が愛したものなんか本当は最初から存在しなかったんじゃないかって、そう思ってしまうのはとてもむなしい。もしかしたら、「もう見れない」という形で未来を奪われるより、「好きだと思っていたものは幻に過ぎなかった」のだと思わされて過去を奪われる方が辛いことさえあるかもしれない。
6人のNEWSのことを私にそう思わせたのは、他でもない6人のNEWSだ。私からNEWSを奪ったのはNEWS自身だった。

NEWSの皆の人生を何より狂わせたもの。ファンが何より怯えたもの。最年少となった手越さんが成人した時、同い年の加藤さんと2人でお祝いしたことに勝手に特別な意味を見出していた。
未成年飲酒って言葉、大嫌いだ。どうしてこんなことで未来を失わければならないんだろうって、だって大したことじゃないのに。どうせお酒なんかみんな飲むのに勝手に飲むのに飲ませるのに、芸能人にとってだけあまりに代償が大きくて大嫌いだ。
でも、それが禁止されていることにはきちんと意味があって、それは紛れもなくこの社会のルールで、そして何よりそれがもたらすものを誰より分かっているのがNEWSだと思っていた。私たちが怖がるのと同じように怖がってくれると、避けてくれると、勝手に信じていた。あのとき形振り構わずしがみついたんじゃん。自分の居場所として残したんじゃん。ステージに立つ資格と引き換えにできるほどの楽しみなんてあったのかよ。なあ、ないって言えよ。言ってよ。


少し話は変わるけれど、アイドルの恋愛を悲しいとか嫌とか思う気持ちの構成要素には、私の場合間違いなく「アイドルとしての自分より恋愛を取られた気がして悲しい」がある。自分の立場を危うくするほどの価値をそれに見出されたことが、と言うよりもっと正確には、アイドルであることにそれと天秤に掛けられる程度の思いしか持ってくれていなかったことが悲しい。
そんなに簡単な話じゃない。それだけが全てなわけじゃない。だから今まではそこまで気にならなかった。誰の何も全部、正直別にどうでもよかった。アイドルは私を看取ってくれないし、私はアイドルを看取れない。アイドルの人生はアイドルのもので、私の人生は私のものだ。嫌な気持ちが全くないと言ったら嘘になるけど、恋愛しないでほしいと言うのはもっと嘘だった。人間としての人生をちゃんと生きて、ちゃんと幸せに死んでほしいから。


今回も私は怒ってはいないのだと思う。怒るとかそういう話じゃない。
ただ「ああそうなんだ」と思う。感覚として分かる。複数人でお酒を飲むこと、盛り上がることは別にそう悪いもんでもない。ジャニオタの私は傷ついてるけど、一般人の私はどうしてもそれを忌むべき圧倒的な絶対悪だとは感じられない。絶対悪じゃない、みんなやってる。私も好きだ。でも、でもNEWSのメンバーにだけはやってほしくなかった。もう2度とお酒で失敗なんてしてほしくなかった。だってしょうがないじゃないか。1度や2度なら許されるかもしれない。牽制球を投げられてもギリギリセーフかもしれない。でもそうじゃないじゃん。そうじゃないグループだって分かってるでしょ。当人達が誰よりも1番身に染みて、分かってるでしょ。違ったのかよ。
違ったね、そっか。喉元過ぎたら熱さ忘れちゃうんだね。こっちはまだまだ火傷痕残ってるけど違うんだね。そっかぁ。

 

してしまったことが消えないのと同じように、してくれたことも消えない。見せてくれたたくさんの素敵なもの、素敵な言葉、大好きな気持ち、全部消えない。私は今日もNEWSが好きだ。
好きだよほんとに。でも私多分、今回のこと許さないと思う。許せないと思う。6人のNEWSを6人のNEWS自身に奪われたのを今でも許せないのと同じように、多分いつまでも今回のこと許せない。好きでいる限り永遠に。ねえ私まだ信じてるよ。あなたたちのアイドルでいることへの執着を、決意を、みっともなさを。でもいつか思うのかもしれないね。NEWSなりの良さとかNEWSなりの絆とか、そんな風に良いように良いように捉えてたの間違いだったなあって。信じたものなんて最初から存在しなかったんだなあって、いつか思わされるのかもしれないね。怒ってないのに許せないの変だね。なんなんだろうねこれ。

結局のところ、私の好きな人を私から奪えるのは私の好きな人自身なのだ。よくよく知っていた。それこそ身に染みて知っているはずだった。そして私の好きな人たちは、残念ながらあと1枚イエローカードが出たら退場させられかねないような、あと1球危険球を投げたら退場させられかねないような、そういう人たちだ。

 

986日々 だから今があって やっと叶えたこの 4合わせ

  

冷めていた あの頃の声 ごめんね もう二度と泣かさない

 

私からあなたを奪うのはあなただ。あなたに奪われるなら仕方ない。諦める以外何もできない。本当はいつまでもずっと、あの頃『share』を聴いていたのと同じような気持ちで『愛言葉』を聴いていたかった。ねえ、まだ好きだよ。きっと明日も明後日も好き。でもね、いつかなくしちゃうのかなあって、いつかまた奪われるのかなあって、多分しばらく忘れらんないや。

 忘れらんねえよ。忘れられるわけねえだろ。でも君たちは忘れられるのかもしれないね。それでもきっと好きだけど。ねえ嬉しい?私あなたたちのこと大好きだよ。

垢抜けたら人生おいしくなくなった話

こんにちは、凡庸な不美人です。
東京に出てきてから6年、随分垢抜けたもんだと思う。自分で言うことでもないけれど、私は年々綺麗になってゆく。髪を綺麗にして、眉を整えて、頬を淡く染めて…そうやって、鏡の中の私の憎むべき要素を一つ一つ消していくのは結構たのしい。何もかも根本的に駄目だと思っていたのは実は勘違いで、それなりに磨いてみれば私は路傍のビー玉程度には輝いていた。

綺麗になったと自分で思う。痩せて、垢抜けて、お金の自由が増えて。小学生の頃より、中学生の頃より、高校生の頃より、大学生の頃より、今の私が1番かわいい。1番かわいくて、1番つまらない。

そう、つまらない。つまらなくておいしくなくて時々発狂しそうになる。綺麗になって可愛くなって女の子になって、そして私は人間ではなくなってゆくような、そんな気がしている。


ブスの人生
以前飲み会の席で会社の同期に中学の頃の写真を見せたら、「女の子って変わるんやなあ…」と絶句された。その頃の写真をみると今でもちょっと笑ってしまう。オタク少年、以外の感想が特に浮かばない、床屋で切ったみたいな髪にダサい眼鏡で頬杖をつくジャージの少年。制服を着るのは登下校時だけで、あとの殆どの時間をズボンを穿いて過ごした。冗談めかして「お前の恋愛対象って女?」って聞かれてもなんの疑問も持たなかった。そりゃそうだ、そうだよね、そう見えるでしょ。別にいいよ。
先生に笑って体重を訊かれたら笑って答えた。本当に別に嫌じゃなくて、ただそういうもんだから答えた。高校生になっても別に何も変わらなくて、結局高校3年生まで一人称が「俺」だった。男になりたいのかと訊かれたらよく分からなかったけど、自分が「おんなのこ」だというのもしっくり来なかった。大学に入って東京に出てもそれは変わらなくて、女の子になれない何かみたいな、そういう気がしていた。
大学1年の終わりに、ピアスホールを開けて髪を染めた。それだけで何故か髪はさらさらになって、目は大きくなって、私は男の子に見えなくなった。成人式に向けて髪を伸ばしている間、何度も「女の子らしくなったねえ」と言われた。「俺は、湯坂ちゃんは垢抜けたらちゃんとかわいいって最初から思ってたよ」とも何人かに言われた。どんどん女の子になっていったけど、なんとなくそれは伸ばした髪の魔法のような気がしていて、二十歳の冬にショートカットに戻す時の怖さを今も覚えている。髪を切ったら魔法がとけて元に戻ってしまう気がして、でも全然そんなことはなかった。

それでも、垢抜け始めたのが大学に入って交友関係を築いた後だったから、どんなに垢抜けても私はやっぱり私だった。女の子のほぼ全員が女子大の子な中で唯一サークルの母体大学の生徒だったこともあって、重いから男子が担当していたデジタイマーの順番に組み込まれたり、AVを見る場に紛れ込んだり、「ふつうのかわいいおんなのこ」にはついぞなれなかった。それを嫌だとも思わなかった――今でも思わない。物心ついた頃からずっとそうだったから、それを100%嬉しく思うわけではなかったけど、でも良いか嫌かでいったら別に良かった。私は、そういう自分が結構好きだった。


ハローワールド
分かったことが一つある。私はただの若い女の子だ。そしてそれが、とても苦しい。

私はずっと、心のどこかで自分のことを「女の子になりきれない何か」だと思っていた。でも違った。少し容姿を磨いてみればもう、私はただの女の子だった。ジャージで過ごし、口汚く男言葉で喋り、男の中に紛れていた過去の私を知らない人から見れば、私はもう360°どこから見てもただの普通の女の子だ。それは別に悪意ある眼差しではないし傷つける意図も誰にもない。私はただの女の子で、これからの人生もずっと女だ。一生女として生きていく、だって身も心も女だから。それなのに、私は未だ「おんなのこ」な自分を受け止めきれずにいる。


女未満、ニアリーイコール人間
社会人になってから、「お前はいいなあ」と言われることが急に増えた。お前はいいなあ、女の子だもんなあ。部長に気に入られてていいなあ。部署のおじさんに好かれていいなあ。羨ましいなあ。俺だって可愛がられたいよ。いいなあ、お前は若い女の子で、いいなあ。


全然よくない。全っっっ然、おいしくない。


ずっと気づかなかった。お前女じゃないもんなって言われるのも、男と同じ負担を課されるのも、下ネタに配慮をされないのも、別にまあ面白いからいいやって、それ以上何も考えてなかった。でも、私はずっと心のどこかで、「私は容姿以外の点で認められ評価され受け入れられている」と感じ続けて生きてこられたんだと思う。もはや意識する必要もなく、ただずっとそれを当たり前だと思ってきた。だって私ブスだから、女じゃないから、可愛くないから。だから、そういう意味で一切のメリットを与えられない私にちゃんと友達がいて、毎日楽しくて笑っていられるのは、「おんなのこになれない生き物」としてちゃんと価値があるからだと無意識に認識して生きてきた。
可愛さの代わりに猛々しさを、愛らしさの代わりに言葉の鋭さを、可憐さの代わりに肩を並べるに値する賢さを。勝手に認められた気で生きてきたのだ。


人間が減る
社会に出てしばらくして、とんでもないことに気がついた。どうやら私の周りの人々は、私が私自身を可愛いと思っていると考えているらしい。他人が思う「私が私に下しているであろう自己評価」と「実際に私が私に下している自己評価」がズレていることがこんなに苦痛だとは思わなかった。
それでもまだなんとかなった。新人だから、まだ未熟だから、だから育ててあげなくちゃって、そういう風に思ってもらえたし思っていられた。
去年の暮れ頃から、先輩が仕事に行き詰まりだした。上司に叱られて、部長に冷たくされて、きっと彼は私よりずっと辛いだろう。彼と私の辛さを比べたら確実に彼の方に天秤は傾く。それは分かっている。それでも。

「お前はいいよなあ」「お前が羨ましい」「俺、お前に生まれたかったなあ」
なんの悪意もなく言われる度に、20代前半の女であることを羨まれる度に、とてもつらくてとても悔しい。誰も別に、可愛さで仕事をしようなんて思っていない。気に入られるために振舞ってなんかいない。ただ仕事をしているだけで、ただ頑張っているだけだ。そう、私は頑張っている。胸を張って言える。私は仕事を頑張っている。

それなのに若い女であるというだけで、それが得だと当たり前のように言われる。その通り、きっと得をしている。頭では分かる、職場の人々は皆優しい。でも心がついてこない。だってずっと可愛くなくても生きてきた。女未満のなにかだけど、身の内にない魅力を能力で、性格で、機転で、度胸で補って生きてきたはずだった。マイナスをプラスに転じられるだけの力があると思って生きてきた。でも今は違う。可愛くてよかったね、気に入られててよかったね、女の子でよかったね。

 

ねえ、実力以上に評価される身分でよかったね。


なんだこれ。なんだこれなんだこれなんだこれ。そんなもの要らない、望んでない、ちゃんと見てくれ、私を見てくれ。いつかは失う貴重なものを今すぐかなぐり捨てたいなんてバカだと思う。それでも今がどうしても苦しい。こんなことなら要らなかった。ずっとダサくて垢抜けなくて異性から見て惹かれる要素のない自分でいたかった。
だって私、仕事でくらい能力を評価されていたい。マイナスをプラスに転じられてるんだって、そう思えてた頃の方が楽だった。今の自分の方が好きなのに、容姿や年齢の分を勝手に評価から差し引かれる。ずっと自分の特権に気づかなかった。無意識に「おんなのこ」としてのマイナス分を補正して、面白いからまあいいやなんて思ってた。それも一つの得難い幸福だなんて知らずに。女としての私が認められるだけ、人間としての私が薄くなってゆく気がする。「ふつうのおんなのこ」になったらこんなに得を見込まれるなんて、こんなに「人間」が減るなんて、そんなの知らなかった。


君にしか決められない/私に決めさせろ
若さや可愛さで得をすることは、別に忌むべきことじゃない。可愛がられることをこそ楽しくておいしいことだと思う人もきっといるのだろう。「おんなのこ」
であることと、「おんなのこ未満の何か」であることはどちらにもそれぞれの損得があって、どちらが優れてるとかどちらが良いかとかそういうのを一意に決められる問題ではないのだと思う。
だけど私は、あまりにもながく「おんなのこ未満の何か」として生きすぎた。そんな自分としての得を享受しすぎた。愛着を持ちすぎて、その得を当たり前のものだと思いすぎた。失くしてみるとそのおいしさは、信じられないほど名残惜しい。女であることは、なんてお得で、なんて厄介で、なんて楽で、なんておいしくないのだろう。
明日も普通に仕事に行って、明日も普通に可愛がられて、明日も普通にニコニコ笑う。いつかこの狭量な幻想から醒めて、素直に今を享受できるのだろうか。全然おいしく思えない、とてもお得な今を。

私の悪意のいくところ

 

あなたの好きな人のファンが嫌いだから、あなたの好きな人のことも好きになれない

と面と向かって言われたことはあるだろうか。

私はある。今までに二度。どちらも言いようのない脱力感に包まれて、適当に笑ったような気がする。あなたの好きな人のファンが嫌い。だからあなたの好きな人も好きじゃない。それは私にはどうしようもないことで、究極的には私の好きな人にもどうしようもないことでもあって、けれど私の好きな人をそれで嫌いになってしまう人がいるのもたしかに仕方なくて、だから「ああまたか」と脱力することくらいしかできない。
残念ながらこの世には、関係ない他人から見たら明らかに様子のおかしいファンがたくさんいる。私の好きな人はその数が特別多いけれど、もっと多くのおかしなファンを抱えている人もいるし、数が少なくてもどんな人にでもやばいファンはいる。多分、"ファン"というものが存在するすべての人に、程度の差はあれ有害なファンがいる。


自分の好きな人だけを褒め、その人の周りの人をけなし、時に事実と異なる主張さえまき散らす人々。自分の好きな人のために、現状がどんなにひどく彼/彼女がどれだけ実力に見合わない冷遇を受けていて、本当はどういう扱いがされるべきなのか声高に主張し続ける人。「誰かのファン」の名札をつけて他者に石を投げることが自分の好きな人のためになることなど決してないことが永遠に理解できない人。
お願いだから辞めてくれとか、せめて完全に身内にしか見えないところで愚痴を吐き出すだけにしてくれとか、そういう要求にはきっと意味がない。なぜならこういうファンにとっては自分は真実を訴えているだけで、世の中の善良な人々に、この一大事に気づいていない人々に好きな人の"窮状"を訴えることも目的で、陰でこっそりやる必要も意味もないからだ。聞いてほしい、気づいてほしい、わかってほしい、この人のすばらしさを!世の中のおかしさに!私たちが気づいている真実を!

多分、ここで何を書いたって伝わらないんだけど。
他人の人格に口を出したって意味なんかないんだけど。
わかってくれよ頼むから、って最近思う。

 

■脳は事実が好き
彼氏持ちの女性を口説くときは彼氏をけなすな、過剰に褒めろ。
という言説を聞いたことがあるだろうか。彼氏をけなすと女性が「そんなにひどい人じゃない、だって彼は~~」となり、逆に過剰に褒められると「そこまでの人じゃない、だって彼は~~」となる。けなすとむしろ彼の良いところを思い出させてしまうが、逆に過剰に褒めると彼氏への不満を想起させることができる、というちょっとしたテクニックだ。現実にはこんなに単純に物事が運ぶことはないだろうが、人間の反応を単純化した説明としては一定の説得力があると思う。

人は事実に反することを見聞きすると、「事実」を思い浮かべる。

私たちは常日頃林檎を思い浮かべながら生きたりはしないし、林檎という単語をみたときに思い浮かべる概念もさまざまに異なる。だけど「林檎なんか赤くない。あんな色を赤とは呼ばない」と言われたら多くの人は「え、林檎は赤いぞ?」とその赤さを思い浮かべる。

「Aくんは絶対にバラエティで他人を弄って笑いを取ろうとしない、自虐で笑いを取るのが本当にバラエティをわかっている人。他人を弄るBくんは内心人を見下しているしバラエティが下手。テレビに出る器じゃない」というツイートを見かければ「Aくんって弄る側に回ることほんとにないっけ?」「Bくんの弄り方ってそんなに性格悪そうかあ?」と思う。
「Aくんだけが圧倒的に歌がうまくて他6人はプロのレベルではない。聴く人が聴けば一人だけレベルが違うのはすぐわかる」と喚く人を見れば「いうほど圧倒的な差なんてあるか?」と思う。(大体ない)


よく知らないけどなんとなく知っている人について事実と異なる主張をみたら「それ違くない?」と人は思う。自分が知る事実を思い浮かべる。
そこで思い浮かべる事実は本来ただの事実であって、そこにはっきりした価値判断は別にない。よく知らないものにいいも悪いもないからだ。(その人固有の性格として、特に興味の対象ではないものに対するデフォルト感情が肯定的な人と否定的な人の差はあるけれど)
しかし実際には、目にするのが「過剰に褒めている」ように感じられるものだと、それを見た人が思い浮かべるのは「そんなにすごくはないんじゃないか」「そこまで素晴らしくはないよなあ」になる。Aくんを嫌いなわけではないはずの人に、結果として「Aくんてそんなにすごくない」というネガティブイメージを想起させることに成功し、それを繰り返せばネガティブイメージを植え付けることにもなりかねない。ただAくんを褒めるだけではなく誰かの悪口も添えておくと「それ違くない?」度は上がり効果は増す。私たちは基本的に敵意や悪意に敏感な生き物だ。普通の人は悪意に満ちた発言を見た時、発言の対象よりむしろ発言者へと疑いを抱く。Aくんのファンとして他者への悪意を放つことは、たとえAくんへの愛とセットの発言であろうと、いやむしろ愛とセットであればあるほど、AくんのファンとしてAくんを盛り立てることに一役買うどころか、むしろ足を引っ張ることになるのである。

 


■私は彼が好き、という名札
よく知らないけどなんとなく知ってる人についての事実と異なるっぽい発言を見たとき、人は自然と「そんなに悪い奴じゃない気がするけどなあ」とか「そんなにすごい奴じゃない気がするけどなあ」と思う。
では、言われている対象がよく知っている人だったらどうだろう。よく知っている好きな人だったら?私にとって一番大好きな人だったら?
答えは簡単で、人は脳内でさらに強く反論する。そんなことはない。Bくんはこうだ。Aくんはあの時こう言ったことがある。Aくんが最高でBくんが最低なんて、そんなことはない。

自担の隣にいる人が私の自担ではないのは、何かが、どこかが、私にとって自担に劣るからだ。顔かもしれない、性格かもしれない、あるいは単に出会ったタイミングかもしれない。とにかく何かが私にとって私の自担以下だから担当にならなかった。好きの度合いが100と99でそこに1の差しかなくても、それでも私にとってはBくんの方が上だ。
だから私は理不尽にBくんを貶されたと感じたら「そんなことはない」と思うしその「そんなことない」には私の中ではちゃんと理由がある。
そして私はBくんが大好きだから、Bくんに対する悪意や敵意を感じたら敏感に反応するし、敏感に反論を思い浮かべる。よく知らないけどなんとなく知ってる人よりずっと素早く、ずっと些細な点にも、ずっと強く。何度も何度もそれを繰り返せば、いつか私の中にAくんへの反感が降り積もって、それは忌避感へと変質するかもしれない。
Aくんのあまり喋らないところ、BくんがAくんにじゃれつくところ、それをAくんがめんどくさそうにあしらうところ、AくんとBくんの歌声が生み出すハーモニー。そういうすべてのものに倦んでいく。大好きなBくんを貶されたくないから、大好きなBくんを愛してくれない人の目にBくんがつく機会が嫌だから。Aくんが、嫌だから。

好きな人の好きなものは知りたいと思うし、嫌いな人の好きなものはなんとなく嫌いだ。多分これって特別なことじゃなくてわりとみんなそんなもんで、人は自分のことを嫌いな人のことを簡単に嫌いになる。自分の好きなものを嫌いな人のことも簡単に嫌いになってしまう。そして人は、自分や自分の好きなものに向けられた悪意、敵意、蔑みを、興味がないものに向けられたそれよりずっと過敏に感じ取る。
なにかに向けて悪意を、敵意を発するというのはそういうことだ。嫌うということは、嫌い返される可能性を大いに孕んだ行為だ。
インターネットの中ですれ違う私たちは、互いの顔も名前も知らない。目に見える個人の属性情報は現実とは比べ物にならないくらい少ない。その中で「この人のファンです」という名札はとてもよく目立つ。その人が日頃からAくんへの愛を語り、Aくんの素晴らしさを説き、Aくんを好きでいればいるほど、その人が発する敵意はどんどんAくんにも返っていく。Aくんを好きであればあるだけ、Aくんへの愛を語れば語るだけ、その名札はどんどん鮮烈に輝いて、放つ悪意はぐんぐんAくんへと返っていく。
現実世界の私はとある県出身で、とある高校卒業で、とある大学卒業で、とある企業に勤めていて、その他にもたくさんの属性で構成されている。現実世界の私が何かや誰かと敵対すれば、相手からの敵意はこれら様々なものに向かっていくがインターネットでは違う。私が放つ不当な悪意は、現実世界よりずっと単純で少ない名札の元に、私の好きな人のところに、真っ直ぐ帰ってくるだけだ。

 

■瞳に映る真実を
私の好きな人のことを好きな人が放った不当な敵意が、私の好きな人のところに帰ってくる。見る度虚しいし本当は悔しいけれど、何を言っても無駄なんだろうなとも思ってしまう。だって私は知っている。私の好きな人の過激なファンも、他の誰かの行き過ぎたファンも、およそこの世の"有害"なファンほとんどみんな、自分の発言を不当な誹謗中傷だなんて思ってやしないのだ。
人は自分の見たいようにものを見るし、そういう風に見ていることに気づきさえしない。私の好きな人は不当な扱いを受けているし、本当に素晴らしいのは私の好きな人だけだし、本当のあるべき在り方はこうじゃない。彼ら彼女らの中ではそれこそが真実で、むしろ自分たちこそが被害者で、反論してくる人が本当の加害者だ。だから何の照れも恥じらいもなく、堂々と「この人のファンです」と名札をつけたまま他者を罵ることができるのだ。
好きという気持ちがどれだけ私たちの目を歪ませるか、どれだけ私たちを寛大にするか、そんなに分からないものなのだろうかと思うけれど、きっと分からないものなのだろう。「好き」と「優れている」は違う。私の好きなものが必ずしも優れているわけではないし、他の何かを好きな人だって優れているからというだけでそれを好きなわけじゃない。でも一方で「好き」と「すごい」は、「好き」と「こんなのこの人だけ」はとても近いところにあって、どれがどっちなのかは簡単に分からなくなる。

「好きを語ってるだけなのに攻撃される」「自分の望みを公言しているだけなのにどうして反対されるの」「私たちの方がずっと攻撃されている」
本当に?と思うけれど、決して嘘をついているわけではないのだと思う。愛とセットで語っている分、自分の中での真実であることもそこに不当な誹謗中傷が含まれていることも見失いやすいのだろう。

 

■自由に伴うもの、それは
人間の中には、もう生得的というのに近いレベルで「知らないものに否定的」「好きじゃないものへの第一印象がネガティブ」「何かへのデフォルト評価が批判」という人がいる。とても具体的には、私の母と妹がそうである。好きや嫌いを抱くほど知らなそうな芸能人にもまずは批判的だし、相手がそれを好きだと知っていても特段の躊躇なくそれを貶す。そしてこういう人はえてして自分が好きなものを貶されるのにはとても敏感だ。それなのに何故かどうしても、他のもの/人にもそれを好きな人がいて、それを貶されたらあなたがそうであるように憤ったり悲しんだりするということが分からないらしい。

そういう人がとても身近にいるから、そういうものだという緩やかな諦めはある。それでも「Aくんのファン以外の方には不快な内容です」「Aくん以外の2人も好きな方は話が合いませんのでお引き取りください」みたいなbioやツイートを見ると「いや、分かってるんじゃん」と思う。
この人についてこう書いたらこの人を好きな人が見て不快だろう、という自覚ができるなら、どうしてそこで踏みとどまれないのだろう。不快に思うだろうがこれは真実だから、と考えているのだろうか。Bくんなんか大嫌いだから、Bくんを好きな人なんかどうでもいいと思うのだろうか。「嫌なら見るな」「私たちは棲み分けしている」という言葉もよく目にする。本当に?鍵なし公開アカウントで綴るその悪意は、「嫌なら見るな」のレベルに本当に収まっているだろうか?

「インターネットは自由」という言葉はその通りだ。そして、自由や権利には責任と義務が伴う。自由に発言すれば、それが聞こえた誰かから自由に反応が返ってくる。悪意や敵意には放った以上の悪意や敵意が返ってくることもある。「嫌だ」と言ってくれるならまだいい。たとえばAくんと同じグループの人を貶すなら、ファン同士の小競り合いが起きて憎しみあって低いところで安定できるかもしれない。
でも、インターネットに書き込む以上、可能性は低くても誰に見られたっておかしくない。自分の放つ敵意が、侮蔑が、中傷が、世界のどこにいたって見られるものであること。私たちは受け取り手を選べないということ、それを分かっているのだろうか。誰かの視界にその敵意が滑り込んだら、それはきっとつけている名札の元へといつか帰るのに。どこに届くかも、誰から返ってくるかも分からない敵意について「そんなもののファンになら嫌われても構わない」と言えるだろうか?

これはもう、覚悟の話だ。法に触れない範囲なら、確かにインターネットはどんな話でもしていい場所かもしれない。でもそれは、どんな発言をしても何の報いもないということとは決して違う。報いはある、必ず、自分と自分の好きな人の両方に。
覚悟はあるだろうか?自分の言動で、自分の好きな人を嫌わせる覚悟。

 


■私の悪意のいきつくところ
悪意や敵意を剥き出しにして主張をすることにはほとんどの場合意味がない。意味がないどころか不利益につながることの方が多い。そしてその不利益を被るのはやばいファンだけではなくタレント本人もだ。むしろ、タレント本人に及ぶ害の方がずっと多いだろう。
わかってほしいと思う一方で、たぶんどんなに説いても意味がないんだろうなとも思う。それでもこれを書いたのは、そういう過激なファンと同じ人を好きな人間である私がこれを発信することに少しでも意味があるような気がしたからだ。

誰にも嫌われず全ての人に愛される人間なんてこの世に存在しない。私の好きな人のことを好きにならない人も当然いる。でも、私の好きな人が誰かに嫌われるなら、それは私の好きな人自身の咎ゆえであってほしい。私の好きな人が嫌われるのは、私の好きな人自身のせいであってほしい。
こんなやるせないことを、あと何回思えばいいのだろう。こんな虚しいことを、この人を好きでいる限り思い続けるのだろうか。

私たちは他人の人生に、他人の生き方に口出しできない。辞めさせる権利は、同じくただのファンである限りもちろんない。覚悟、と言ったけれど、これは当然全ての人に通じる話だ。好きな人に向けられる敵意に激昂して牙を剥けば、相手も多くの場合「不当な悪意を向けられた」と認識する。人は往々にして自分がかざした言葉の刃に無頓着で、他人に付けられたかすり傷に厳しい。
だからきっと、意味はない。声を張り上げたって伝わらないし、辞めてくれることも、そっと離れてくれることも、あるいはどこかに閉じ篭ってくれることもないのだろう。だからせめて、覚えていようと思う。私の悪意は必ず帰る。私と私の好きな人のところに。全ての人に愛されるなんて不可能なことだから、私を嫌いな人も絶対にいる。私のことが嫌いなせいで私の好きな人を嫌う人だっているだろう。それでもせめて、この名札をつけたまま他者に敵意を向けることのないようにしたい。好きな人が嫌われたのが好きな人自身のせいだったらよかったのになんて、そんな虚しいことを誰かに思わせることがなるべくないように。だって私には覚悟なんてない。私の好きな人を嫌わせる覚悟も、誰かにこの虚しさを背負わせる覚悟も、きっとずっとないから。

 

NEWSは私なのかもしれない


NEWSは私なのかもしれない。


と今年のFNS歌謡祭第一夜を見て思った。頭が沸いている。なんでなのか自分でも本当にわからないんだけど徳永英明さんと歌うテゴマスを見た後ひくほどボロボロ泣きながら、どう考えても思考がバグってるんだけどNEWSは私なのかもしれないと思った。


・わたし
私なのかもしれない、の「わたし」とは、たとえばNEWSの歌での視点の置き方や精神性の表現に関する何かの比喩ではなくて、正真正銘たった今この文章を書いている24歳独身女性の「私」である。普通に働いて普通に生きている、クリスマス2週間前にして彼氏がいない東京暮らしのOL。クリスマス2週間前にして~とかなんとなく言ってみたけど、そもそも人生で彼氏がいたことがほとんどないしクリスマスデートをしたことも1回しかない。彼氏がいない状態が私にとっての普通だから正直今別にそんなにさびしい気分でもない。

まあ要するにもてないし、もてないことに慣れているし、たぶんこのまま25歳になるしとりあえずもてない。なんでもてないのか分かるような気がする日もあるしわからないような気がする日もある。私ちょっと変だもんねって思ったり、男受けするような顔でも性格でもファッションでもないしなあって周りを見ていて思ったり、でも別にこれくらい普通じゃんとも思う。街を歩いて100人とすれ違っても、その100人の他人のうち次の日まで私を覚えている人はたぶん1人もいないだろう。だって私普通の人だから。そこらへんの道を歩いているごく普通カップルの彼女と大して何も変わらない女の子だから。
だから、なんでだろうって思う。確かに他の子と違うところもあるかもしれないけど、でも私別に普通じゃん。これくらいなら別にいいじゃん。ちょっと普通じゃないけど、でも所詮「ちょっと」だ。これが私だから、私普通じゃなくていいし恋愛なんて要らないから!って胸を張れるほどの特別さなんて何も持っていなくて、でも周りのみんなとの些末な差異を投げ捨てたくもなくて、どうすればいいのかはもとよりどうしたいのかさえよく分からない。

 

うるせーばーーーーーか!ってよく思う。

「そういうとこ治せば彼氏できるんじゃないの~」って言われるたび、「こうしたら彼氏できるんじゃない?」って言われる度思う。

ねえ私このままで彼氏ほしいんだけど、今のままで彼氏ほしいんだけど、それってそんなにわがまま?このままでいい、このままがいい。普通の域を飛び出せない程度にちょっと周りと違うだけの凡人なんだから、このままで愛されたいって思ったっていいじゃん、だって私、私のこと結構好き。いいじゃん変なピアスしてたって。いいじゃん1人で映画観たって。いいじゃんセミとカマキリ素手で掴めたって。

化粧を全くしてないわけでも信じられないくらい太ってるわけでも特別不細工なわけでもなく、ただほんの少し違うねって、でもこんなの個性にもなりきれない少しの差異でしかないでしょ、こんなの大層なアイデンティティになんかなんないでしょ、じゃあいいじゃん。このままで愛されたい、むしろこれを愛されたいって、別に大したわがままじゃないでしょ。

でもきっとそうじゃない。だって現実に私は誰にも選ばれずに生きている。友達がいないわけじゃなく、対人能力に極端な問題があるわけでもなく、男女問わずそれなりにいろんな人と普通に仲良くできてるつもりで、でも誰1人として私を選ばない。誰も私を愛さない。それはつまりそういうことで、きっと私は何かが決定的に駄目で、だからなんかよく分かんないけど駄目なんだと思う。

高校~大学の7年間でついぞまともに恋愛できないまま社会に出てしまうともう全然だめで、勝手にどんどん卑屈になって、駄目だったことを理由に自分を駄目だと思い始めて、自分を駄目だと思っていることが理由でさらに恋愛できなくなっていく。

 

こうして段々なにがなんだか分からなくなって、このままがいい、どうすればいいのか教えてほしい、どうにかしたい、このままでいたい、もう知らない、がぐちゃぐちゃに混ざってうるせーばーーーーーーーーか!!となるわけである。

何かをどこかを「治し」たら愛してもらえるんだとして、このままでいたら愛される確率がその100分の1だとして、それでもこのままでいてやるからなばーーか!というメンタルと、頼むからどこが駄目なのか教えてくれよというメンタルの間を高速反復横跳びする毎日。モテなくてモテたくてモテたくない。そう、つまり私はシンプルに迷走している。ありがちで単純な迷走を。

 

・手遅れ、閉塞感、そして迷走
もう少し丁寧に紐解くと、私の感情は大きく3つに分けられる。

①漠然とした不安
前項でもたらたら長ったらしく述べたが、要するに私は私という人間の仕上がりが正直嫌いではない。むしろ結構好きである。好きだし、それほど問題があるとも正直思っていない。しかし現実を見るとどうやら何か問題があるらしく、にもかかわらずその問題が何なのか考えてもわからない。
というか正直こんな悩みは勝てば官軍としか言いようがなくて、負けてる間は一生悩み続ける以外できることがない。そしてなぜ負けているのかの明確な答えなど決してどこにも落ちていない。だから苦しい。存在しない答えを探しているのだから見つかるわけがないのに、答えが出ないことで何もかもが駄目な気がしてきたり何も駄目ではないとも思ったり、とにかく実体のない何かと戦い続けているので何に悩んでいるのかもわからず精神が疲弊する。

②手遅れ感
こうして、「駄目であることを理由に自分を駄目だと思い、駄目だと思っていることが理由でますます駄目な振る舞いしかできなくなる」という駄目スパイラルに撃沈する。最初の頃にきちんと恋愛できなかった人間は、その後れを取り戻すことは一生できないのではないか。「あの頃、できなかった」という挫折がもたらしてきた悪影響を今からどうやって解消できるだろうか。

③閉塞感
この負のスパイラルからどうすれば抜け出せるのか分からない。というか抜け出すには恋愛するしかないんだけど、恋愛するためにはここから抜け出さないといけない。トリックアートの中にでも迷い込んだような気分である。にっちもさっちもいかなくなって、さてどうしようもう知らないと迷路の中で座り込んでいる。リスタートするためにはゴールしなくてはいけないのに、ここは詰んでいるのでゴールするためにはリスタートしなくてはいけない。右の壁に手を付けて歩いても左の壁に手を付けて歩いても結局同じところに帰ってくるだけなのだ。こうしていつの間にか歩く気力もなくなっている。

 

・君のそれと僕のこれ
で、だ。
昨夜のNEWSICALの意味不明な衣装を見ながら、ケミストリーとのコラボを見ながら、レイニーブルーを聴きながら、なんかもうどうすればいいんだろうなあとしんみり思った。NEWS、私が世界で一番好きなアイドルグループ。彼らには、別にこれといった欠点があるわけではない(むしろ世界一)。しいて言うなら売上が弱い。なぜ売上が弱いのか。後押しが弱いからだ。なぜ後押しが弱いのか。売上が弱いからだ。

人気のあるセンターと伸びしろのある他メンバー。前陣が戦ううちに後衛が育ってグループそのものが大きくなっていく、という理想的なルートを、彼らは歩むことができなかった。なぜなら、後衛たちが育ちきる前に前衛たちは出て行ったから。

NEWSには燃料ならある。一生懸命探して増やして蓄えてきた燃料がちゃんとある。たぶん着火剤も結構ある。でも、火がない。火打石がない。プールいっぱいにガソリンを満たしたって、火をつけなければ何も燃えない。


NEWSを見ていると、この人たちどうしたいんだろうって時々思う。

彼らは間違いなく頑張っているし、毎年毎月毎日きっと進歩しているし、努力しているし、少しずつ前に進んでもいる。そして今、NEWSはNEWSのこともNEWSのファンのことも結構好きだと思う。

でも彼らは官軍ではない。なぜなら勝っていないから。そして覇道を歩めてもいない。別に何も間違えてはいないけど、負けてないけど、でも勝ってない。今が好きで、今を謳歌していて、でもきっとここはまだ全然彼らが目指す高みではない。

どうしてここまで尖ったことをするんだろうと時折思う。冗談めかして「ちょwお洒落止めて―www」と言いながら、いくらなんでもここまで一般受けを捨てなくてもいいんじゃないかとも思ったりする。来々シーズンのファッションショーを席巻しようが、ジャケット1着50万するようなブランドが取り入れるテイストだろうが、テレビの前の私たちには正直そんなのわからない。そんなのきっと彼らだってわかっていて、それでもこれを選ぶ理由はなんだろう。
本当にハイセンスな人にしかわからない、その感性を持つ者にしかわからない「お洒落」がアイドルにとって必ずしも清海ではないことくらいNEWSは、そして増田さんは流石に分かるだろう。それでもそうする理由はなんだろう。自分を貫きたいからだろうか。それが俺達の個性だからだろうか。そうじゃない気がして、勝手な想像だけど、自分勝手な押し付けだけど、だって正解がどこにもないからなんじゃないかってちょっと思ってしまった。

きっとお洒落なマッチョスーツ、サンタに掛けたのか「参」が躍る前掛け。きっとずっと探している、ガソリンいっぱいのプールに着火するための火打石。
ああもしかしてこのツリーは、この歌は、私が耳につける豆電球や三角定規なんだろうか。その不思議なボレロは、私のかたくなさやかわいげのなさではないだろうか。

跳ねられないままついに全員が30代になった。あと一押しが足りなくて、そのあと一押しがないがために最後の一押しを貰えない。手遅れ感と閉塞感を、なんだかずっと感じている。そうやって、でも私と違ってうるせーばーーーーか!なんて彼らは言えなくて、光明をずっと探し続けているのかもしれない。可燃性の闘志をひたひたに満たして、火打石の閃光を探している。
なんだか勝手に、本当に勝手にわかる気がした。全然違うけど、でも、売れないことが理由で売れなくて、売れるために売れてなきゃいけないってことだけはまあまあ的を射ている気がして、なんとなく他人事とは思えない夜だった。


私に彼氏ができるのが先か、NEWSが売れるのが先か。漠然とした不安も手遅れ感も閉塞感も、官軍になってぶっ飛ばしたいなあ。うるせーばーーーーーーーか!

メッセージを受信しました/君が思うより世界は優しい


高校生の頃、とても大事で大好きな人がいた。弱くて甘くて卑屈でそのくせプライドは高くて、望むように生きれない理不尽さに世界を恨んでいる人だった。

私がその人に出会ったのは、彼の人生がもっとも暗くもっとも上手くいっていない時期だった。友達もそういなくて学校はつまらなくて勉強も部活も大して上手くいかない、そんな人のそばに私はいた。
きっと人生なんてそんなもので、それらは大した挫折ではなくて、だけどそれでも苦しいものは苦しい。1年生の頃はベンチ入りメンバーに選ばれていて、自ら進んでキャプテンになったこと。友達もたくさんいてすごく楽しかったこと。それなのに2年生になったらぱたりと試合に出れなくなったこと。下手くそなくせにキャプテンなんてやっちゃって、という冷たい空気を浴びていたこと。仲が良かった人と軒並み離れて違う棟のクラスに振り分けられてしまったこと。学校なんて大嫌いだと思いながら通っていたこと。

「俺は頑張ってる」と彼はよく言っていた。運動のセンスがない割には、勉強する時間がない割には、筋肉がつかない体質の割には頑張っている。頑張っている、努力している、ハンデの割には。それらはすべて事実で、一方で意味のない慰めだった。ポテンシャルを持たない彼の努力が、ポテンシャルを持つ人々の結果を超えることは結局1度もなかった。
練習にほとんど来ないで絵ばかり描いている級友は最後までレギュラーの座にいたし、その人を馬鹿にしていたチームメイトは最後まで楽しそうに学校生活を送っていた。


高校3年生の初夏、私の大親友の部活は終わった。引退を飾る最後の試合に、1秒も出場することなく。
その日の晩、家の外に座って電話をした。おつかれと言ってありがとうと言われた。それから、間違っていると。間違っている、おかしい、という類の言葉を、あの2年間で何度聞いただろう。試合の展開からしてあいつより俺を出した方が良かった。状況から判断すれば俺を出すべきだった。顧問はおかしい。俺だけが悪いんじゃない。そういう類のことを2年間で幾度も聞いた。


勉強のこと部活のこと恋愛のこと家族のこと。隣でどんどんどんどん卑屈になっていく彼を見ながら、俺は悪くないのに世界がおかしいと呟く彼を見ながら、本当はずっと言いたかった。世界はそんなに不当じゃないよ。君が思うより世界は優しい。何度も何度も言いたくて、けれどその言葉を口に出すことはできなかった。甘やかしているだけだという自覚はあったけれど、甘やかす以外にできることもなかった。
彼に私の言葉が届くことはなく、その人生の暫定1番深い谷を見届けて私たちは離れ離れになった。彼はそこそこの国公立に、私は1番最初に彼が目指していた大学に。

分かっていたことだけれど、あんなにずっと一緒にいたのに、離れ離れになってしまえば私たちは全然元気にやっていけた。卒業間際に彼は「お前がいない俺が心配だし、俺がいないお前が心配」などとふざけて言っていたが、私は彼がいなくても大丈夫だったし、彼も私がいなくても大丈夫だった。
谷は所詮谷に過ぎず、いつかは山がやってくる。見目もよく性格が悪いわけでもない彼の人生は簡単に良い方に転がり、ごく普通の大学生として彼は生きていた。
あんなに一緒にいたのに、離れてしまえば連絡を取ることもほとんどなかった。彼の人生が上手くいってしまえば、私なんて別にいなくても何も問題ないのだった。彼はもう、鬱々と不満を語る必要も、お前は悪くないよと慰められる必要も、おかしいのは周囲の方だと嘆く必要もない。それは少し寂しく、けれど当たり前のことだった。

 

彼がいないことに慣れきった大学4年の夏。NEWSに10000字インタビューの番が回ってきた。4人それぞれのインタビューに本当に色んなことを思ったし、色んなことを書いたし、図らずもジャニオタとしてすごく大きな転機にもなった。
その中で、加藤さんのインタビューを読んだとき、ジャニオタじゃない私、ただの私が息を呑んだ。

 

あのころの自分に会えるなら、"がんばった分だけ認めてもらえるよ"って教えてあげたいかな。(中略) "俺を取り巻く世界、マジファック"とか思ってたから(笑) "俺が受け入れられないのは、世界がバカなんだ!"ってグチってばっかの毎日だった。ひとことでいいから伝えたいかな。"意外と世界は、おまえにやさしいよ"って。

 

「ああ、返事が来た」と勝手に思った。送ってもいない手紙に、言えもしなかった言葉に、返事が来た。あの頃、言いたくて伝えたくて分かってほしくて堪らなかった言葉に。

 

君が思うより世界は優しい。

 

意外と世界は、お前に優しいよ。

 

そうか、私が言うんじゃ駄目だったんだな。自分で気づくしかなかったんだ。部活のこと勉強のこと恋愛のこと家族のこと。もうどんなことでも彼からのメールは来ないし緑色の着信ランプは光らない。世界中が敵に見えることも何もかもが上手くいかないこともきっとないだろう。
世界は優しいよなんて、どんな他人に言われたって納得できない。いつか振り返ってそう言えるように生きる以外、そうして振り返って過去の自分に贈る以外、世界の優しさなんてきっと誰にも説けない。自分の世界を優しくできるのは自分だけだ。
いつか彼らのファンを辞めることがあっても、きっとこの小さな奇跡を忘れることはないだろうと思う。ダサくて青くさくてかっこ悪い青春の先で彼のようになれるなら、頑張って歩くことには意味があるかもしれないと思う。

 

あなたの世界が優しくありますように。あなたが世界を優しくできますように。
世界で一番叱咤激励してあげたくて、世界で一番叱咤激励してほしい人。どうか今年も変わらず変わり続けて。

どっちのお花畑ショー/ワンプレートでやって来る

言いたいことがあまりにも沢山あってなんかもうめんどくさいので何も考えず全部つらつら書いてしまおうと思う。まとまりなくてごめんね。


・におわせとプロ意識とそれから、
「誠意を見せろ」「謝れ」「一言謝れ」「弁解しろ」「もみ消すな」
という単語を、この1年間で何回見ただろう。辞めるお前がラジオでにこやかに話すのが気に食わない、彼女らしき人間が「発見」されたのにテレビに普通に出るな、コンサートでまず土下座しろ、バラエティで笑ってんじゃねえ。NEWSに関係なく色んなグループの色んな人がそういう風に言われてるのを数限りなく見た。
プロ意識が足りない、とみんな言う。その気持ちは分かる。プロ意識。彼女がいても隠し通すこと。SNSにあれこれ書いちゃうようなバカ女と付き合わないこと。品行方正に過ごすこと。アイドルとして清く正しく生きること。
「彼女がいるのは別にいい。けど……」「彼女がいるのくらい分かってるけど、でも」という言葉も何回見ただろう。よくないくせに。1ミリも許せない癖に大人ぶって、物事を分かってる人間ぶって言う人たち。そういう人に限って「でもにおわせは……」とか言う。
嗅ぎ回っておいてにおわせてるも糞もない。アイドルに品行方正でいてほしいなら、品行方正にファンやれよ。

嗅ぎ回って探って暴こうとしてボロを出したら叩く。

やってることただのゴシップ誌と同じだけど、まさかファンだからって許されるとでも思ってるのかなあ。まさか愛ゆえならそういうことしてもファンでいられると思ってるのかなあ。世の中そんなに甘くないよ、世界ってそんなに優しくないよ。探って嗅ぎ回って暴こうとしても天上人でいれるほど、アイドルって天使じゃないよ。
ステージの上の姿を真実だと信じたいなら、ステージ裏覗くなよ。アイドルにプロ意識持てって叫ぶならファン意識持てよ。品行方正なお客様でいられないくせに、都合よく綺麗な部分ばっか見れると思うなよ見れねえよ生きてんだから。出されたものにX線照射して内部の骨組みの歪みを勝手に見ておいて「こんなもの見せるなんておかしい」と騒ぐ方がよっぽどおかしい。
見てやるなよ、と心から思う。アイドルのためじゃなくて、アイドルを好きな自分のために、見てやるなよそんなもの。世界、そんなに優しくないから。暴こうとする者にも夢を見させてあげられるような力なんて、どんな人間にもきっとないから。

例えば彼女の写真をグッズに使われるとか、彼女の名前で曲を作られるとか、そういうことされたら私だってきっとムカつくし怒る。ステージにそういうものを持ってこられたら嫌だ。そうしないことが「プロ意識」の意味なんじゃないのって思う。
ステージの上に何を上げたいか何を上げていいかちゃんと吟味すること。それから、ステージ裏を見たがる人に見せてもいいものを選別して見せること。それが私にとってのプロ意識の中身だ。
私たちは貪欲で、ステージの上にいない彼のことだって少しでも知りたがる。歌っても踊ってもいないときの彼のことだって好きで知りたくて教えてほしい。でも、そこで何かを見せてもらえるのはあくまでバックステージツアーに過ぎない。バックステージパスを渡されて「ここまで見ていいよ」と許された部分では飽き足らず、許された線を踏み越えていった先で見たくないものを見せられたと文句を言うことは、あまりに愚かしく実りなくはないだろうか。
ステージもステージ裏も全部誰に見られてもいい状態にしておけたらそりゃ素敵だ。でも、そうじゃなければ「プロ意識が無」くて「クズドル」で「推す価値がない」なんて、そんなこと言う人の方がむしろお花畑に感じてならない。
だってあなたの好きな人生きてるんだよ。ステージの上にいる時以外死んでろとでも言うのかな。

 

・中の人なんていないよ(いるよ)
ディズニーランドって着ぐるみいっぱいいるじゃないですか。あれ中に人入ってるじゃないですか。私あれの良さが分かんないんで「いや着ぐるみじゃん」としか思えないんだけど、ディズニー好きな友達にそれを言おうとは思わないんですよ。
だってそんなの誰だって知ってるじゃないですか。着ぐるみ、別に愛と魔法でできた不思議な命とかじゃないもん。人が入って動かしてるんだもん。中学生にもなればいやでも分かる。
でも、ディズニー好きな人に「あれ着ぐるみじゃん」って言うのってなんの意味もない。着ぐるみだと分かった上でミッキーだと思ってるしミニーだと思ってる人にそんなこと言っても、別に目を覚ましたりなんかするわけない。すでに開いてる目を開けることなんて誰にもできない。
で、だよ。その上で、ミッキーとミニーは着ぐるみだけどミッキーとミニーはミッキーとミニーだと思ってる人に「目を覚ませ」って言う人がいたとして、そこで目を覚ますべきってどう考えても目を覚ませって言った側じゃん、としか私には思えない。

「ミッキーとミニーは着ぐるみだよ」って言ってくる人がいたとして、それが何を意味するかというとその人にとっては「着ぐるみのミッキーとミニーに価値はない」ということだ。「そんなもんは着ぐるみだから目を覚ませ」って要するに「着ぐるみだから価値はない」ってことになる。

着ぐるみは本物の命じゃない。なるほどその通り、彼は事実を述べている。でも残念ながら、そう思うなら彼はそこで退園した方がいい。
なぜなら、そこは本物の命じゃない着ぐるみに価値を感じる人のための場所だから。

世界はそんなに優しくない。情報網は発達し、誰もがカメラマンになりえて、一瞬で噂は広まってゆく。そんな世界で、「着ぐるみじゃない魔法の命」以外に価値を見いだせないのなら、もうドルオタなんて辞めた方がいい。だって絶対、絶対に、「魔法の命」なんてどこにもない。
私たちには真実が見えている、と思うならそれでいい。その真実こそが価値あるものだと思うなら、どうか堂々と出ていってくれ。価値あるものを抱きしめて、価値のないものを捨てていってくれ。私は魔法じゃない命を信じている。それには価値があるのだと心から思う。だから、私は私にとってかけがえのない偽物を抱きしめて歩いていく。

手に入れる度に本物かどうか不安になって、打って叩いて突いてできたひび割れを笑う人には、多分アイドルを好きでいることは向いていないと思う。世界はそんなに優しくないから、完璧な本物の魔法の命なんて多分どのアイドルも持ってないから。
優しい世界で綻びのない本物を愛するのでなければ生きていけないなら、アイドルなんか諦めて連載終了した漫画でも読んでいた方がいい。ステージ裏が存在しない何かを愛さない限り、きっと一生裏切られ続ける。アイドルは私たちにとって他人だから、私たちの前にいないときでも生きているから。相手が生きていることで得られる快を享受したいなら、相手が生きているゆえの不都合も認めなきゃやっていけない。ぬいぐるみじゃ物足りないから犬を飼うけど、トイレトレーニングも散歩も躾もしたくありませんと叫ぶ人を見ているような気分だ。そんなことも受容出来ないならテディベアと暮らしてればいいのに、それじゃ物足りないからと犬を飼う。

アイドル、生きてるんだよ。他人なんだよ。だから同じ演目だけど少しずつ変わっていくライブツアーが観れて、時にはこっちに手を振って、笑ってくれたり泣いてくれたり手と手が触れ合ったりして、感情ぐしゃぐしゃに昂らせて好きだよなんて言ってくれる。これ全部、人間だからしてもらえるんだよ。生きてる人間好きでいるの、すごく楽しい。生きてて、自分の意志と感情があって、ステージの上以外でも毎日毎日食べて笑って考えて落ち込んで息をしている生き物を好きだからこんなに楽しい。
選んでるんだよ、私たち。反応もらえて応えてくれて自分の心と言葉を持ってる人を好きでいるこの趣味がいいって。
「普通の人よりお金稼げてキャーキャー言われる仕事に自ら就いたんだから、普通の幸せ望むなよ」「そういうの諦めるから今の場所にいれてるんだろ」って言葉も一理あるとは思う。何もかも全部普通の人と同じ幸せなんかきっと手に入れられなくて、でも普通の人じゃ絶対味わえない幸せを彼らは知ってて、確かにそれとこれとは引き換えなのかもしれない。
でも、それって私たちも同じじゃないのかな。他にも腐るほど趣味なんかある中で、好き好んで生きた人間を応援してる。だって楽しいから。楽しくて嬉しくて幸せで仕方ないから。アイドルにとってアイドルが数ある職業の一つであるのと同じように、ファンにとってもアイドルは数ある趣味の一つじゃん。何もかも全部を諦めて捨てろなんて声高に叫べるほど、アイドルって私たちの全てじゃない。この快を選ぶ代わりにその不幸もついてくる、この不都合を避けるならその幸せも得られない。そういう色々を、お互い好き好んで選んでここにいる。

 



・それをするなら覆面で
今回殴ってきた方々の中にはそれはもういろんな方がいらっしゃって、よくもまあそんなに無防備に丸出しでこっち来るわねと感心しきりだった。
SMAPファンの方とか、KAT-TUN担の方とか、名前にめちゃめちゃ堂々と「SMAP永遠不滅!」「亀梨和也応援中!」とかつけたままほかの人叩くの、SMAPとか亀梨さんとか大野さんとかがかわいそうだから本当に今すぐ辞めた方がいいと思う。愚痴垢作って自担グループぶっ叩いてるバカよりさらにバカだから。
何故、どうして、誰かのファンを名乗って他の人を貶せるのか理解不能なんだけど、自分の好きな人を嫌いな人を増やすかもしれないことにどうしてそんなに躊躇いがないんだろう。何をもたらすか本当に分からないでやってるんだとしたら、知能が低すぎて恐ろしい。
背中を押すのは1人じゃ難しいけど、足を引っ張るのは案外簡単だ。あなたが投げた石が誰かに当たったら、その恨みはあなたが担いでる人にも行くんだよ。私たちには世界の真実を暴く力はないけど、自分の好きな人を誰かに嫌わせる力はいやと言うほどあるんだよ。お願いだから分かってよ、なんでわざわざ自分の好きな人を嫌わせに来るの。


・正しさと不平等の話
今回、小山さんの彼女バレ騒動、手越さんの色々バレ騒動(雑)でNEWS担各位がそれなりにざわざわしていた。これ、何が一番しんどいって、騒いでない側のファンはそもそも彼らが「悪いこと」をしたと感じてない人もいるんですよ。悪いことって感じなかった人が多いのか少ないのかは分からないけど、少なくとも私は全くそんな風に思わなかった。出てくるもの出てくるものみんな、寄ってたかって袋叩きにする程のこととはとても思えなくて、ボコボコにする人の言動が理解不能すぎてしんどかった。ひとりひとりに「ねえ本当にそう思ってるの?」って聞いてまわりたいくらいだ。大人だからやんないけどね。

そもそも、ジャニーズは恋愛禁止ではない。ジャニーさんは結婚しても構わないと明言さえしている。で、小山さん。
彼女がいたらしい。
彼女がいるのは悪いことではない、ので、謝る必要のあることではない。それ以上でも以下でもない。

次、手越さん。先に金塊。これはもうシンプルに「処分しろ」とか言ってる人の頭がおかしい。仮に、犯人のFacebookに手越さんの写真が複数枚あって明らかに仲が良いことが窺えて、かつ手越さんに「彼は反社会的集団の構成員だ」という自覚があったとかならそれは法に反することなので処分すべきだ。でも違う。
彼が今回この件で責められるべきは、写真を撮ってはいけないという事務所の内部規範があるにも関わらず写真を撮ったこと、そしてそれをインターネットで公開されることを止められなかったこと、それだけだ。(「これはどう見ても仲がいい写真!彼と手越が親しいことは明らか!」って言ってた人は多分リアルに頭がおかしい)
犯罪者の友人であることは犯罪ではないし、犯罪者と知り合うことは犯罪ではないし、後に犯罪者となる人と写真を撮ることは犯罪ではない。


それからもみ消しね。
ほんとバッカじゃねえのと思うんだけど、もみ消しで元自分の事務所所属の人間に大麻なすりつける奴いたら頭悪すぎる。意気揚々と「INKTのボーカル田中聖さん」て報じられると思ってでっち上げた奴がいたらそいつは大バカだ。
そんなもん、ジャニーズ事務所KAT-TUNも不利益被るに決まってる。そんな権力があってなんでこきたん選ぶんだよバカかよ。っていうか犯罪者と一緒にいた芸能人と、大麻所持してた芸能人だったら大麻のが明らかやばいんだから扱い違うのはそりゃしょうがないだろ。容疑の重さが違うだろ。

で、続いてコネチケ。
これ純粋に疑問だから叩いてる人に聞きたいんだけど、じゃあ誰なら呼んでいいの?家族はいいの?親戚は?親友は?友人は?これから仕事に繋がるかもしれない人は?自分の勇姿を見てほしい人は?

アイドルと仲がいいからお金を払うだけで確実にチケットを貰える。ファンはわざわざ手数料を払って抽選して当たるかも分からない。これはとても不平等だ。

うん分かるよ不平等だよね。で、なんで平等であるべきだと思ってるの?なんで平等にしてもらえると思ってるの?そんなわけないじゃん。
株主優待券を親に貰って使っている友人がいたとして、あなたはそれを「ずるい」と思うだろうか。親が株主だから優待券を貰えて、子供がそれを使う。羨ましいかもしれないけれど、誰も何も悪くない。ずるいことは誰もしていない。それと何が違うんだろう。

招待者が1人入ったらファンが1人入れなくなる。そりゃそうだ。で、どうしてファンの方が「正当な」「入る権利を持った」「入るべき」人だと思ってるの?見たい気持ちの強さが友人よりファンの方が強いとでもいうの?気持ちの強さが理由なら、アイドル本人が見てほしいと思う人に入ってもらう方がより「正しい」よね?入りたい人が法にも規約にも反しない範囲で自分が持つチャンスを活かして入ることの何を責められると思っているんだろう。
今回のツアーは4人になってから1番チケット倍率の高いコンサートだったと思う。アリーナどころか東京ドームでさえ譲りはなかなかなくて、水道橋の駅前にも「譲ってください」の紙を持った人が何人も何人もいた。
私は今回、4公演参加した。そのうち自分であてたのは1公演だけだ。残り3公演のうち1回はフォロワーさんとの交換同行で、残り2回はそれぞれフォロワーさんに譲っていただいた。どちらも探したわけではなく、「外れた」「かなしい〜入りたい〜」と呟いていたら目を留めてもらって声をかけていただいたものだ。羨ましいと思う方もいるかもしれない(少ないねって思う人もいるだろうけど)。でも私は何も悪いことはしていない。たまたまチケットが余っている人と声を掛けてもらえるくらい仲がよかった私と、アイドル本人と仲が良くてチケットを買わせてもらえる人、一体何が違うんだろう。
自分が入るのを辞めればほかの誰かが入れると知っていて欲を優先する傲慢さも、自分がたまたま得た環境を利用してチケットを得る不平等さも、実はどちらも大差ない。


そして、コネチケコネチケと連呼してバッコバコに叩いていた人たちの何人が自名義で当たったチケットだけで我慢したんだろう。叩いていた人たちの何人が、同じ状況になった時にみすみす機会を手放すんだろう。
多分、答えはほとんど0に近いんだろうなあと思う。同時に、だからこそ絶望するんだろうとも思う。入りたい側の欲望に際限なんてないし手を伸ばさない人も滅多にいない。だからこそアイドルの側に、そんな不平等なんて誰にも与えないでいてほしい、そういう気持ちも分かる。
でも正直、それはもうそういうものだから諦めるしかない。社会の中で生きていて、家族がいて友人がいて呼びたい人がいる、というのは極めて自然なことだから。人との繋がりだったりお世話になっている人へのお礼の形として、そういう風に回っているものだから。関係者がチケット(の購入権利)を貰えるのなんて当たり前すぎて、渡してる側に悪いことしてるつもりなんて一切なくてもおかしくない。

不正や巨悪を暴いたような顔をしている人が散見されたけれど、なんてことはない普通のことだ。そんなことさえ許せず1ミリの汚れもない平等しか受け入れられないというのなら、その人は2017年の日本でエンターテイメントを享受できる精神レベルに達していない。

おかげさまでコネチケ、という単語がこの数ヶ月で大嫌いになった。私の中では「ま〜ん(笑)」「パーナ(笑)」みたいな単語と同じようなもので、つまりは程度の低い汚いものだと思いたいが故の蔑称だ。
何を悪いものみたいな呼び方して悦に入ってるんだろう。悪いことなんかしてないのに。
ねえ、34万人動員するツアーに40人の呼びたい人を呼ぶこと、ほんとに心から疑いなく悪いことだと思えるの?それは私たちへの冒涜だと心から憤れるの?私全然そんなこと思えないよ。

随分馬鹿みたいに叩いてたけど、流出したLINEに一言でも私たちへの悪口があっただろうか。一欠片でも私たちへの悪意があっただろうか。いつも見てきた「彼」の信ぴょう性を脅かすような言葉が、ほんの少しでもあっただろうか。悪意を持って彼を貶めようとした人が彼の近くにいて、その人が手に入れた1番都合の悪い言葉があれだったのなら、私たちはなんて素敵な人を好きでいられているんだろう。


・0か100
なんでみんなこんなに極端なんだろう。世の中にはクズと善人しかいないわけじゃなくて、みんな善と悪を抱えて生きてる。それなのにどうして、アイドルに対してこんなにも激烈に0であることを求めるんだろう。どうして0じゃないなら100悪いことにしてしまうんだろう。
今回、本当に本当にこわいと思ったのは、ジャニーズJrの後藤くんの結婚の知らせがいわゆる愚痴垢、叩き垢から回ってきたことだった。場所、参列者、相手の名前、写真。永瀬くんや樹くんのプライベート、手越さんの情報と全く同じテンションで記された結婚の情報。
これを、この情報を、この人たちはこんな風に扱うのか。これでさえ。
他人をサンドバッグにすることをこんなにあっさりと覚えてしまってこの人たちは大丈夫なんだろうか。誰か1匹が警戒信号フェロモンを出したら、巣の中の全個体が恐慌状態になって自分もフェロモンを撒き散らす蟻の巣みたいだ。恐慌状態に陥って噛み付いて噛み付いて噛み付いて、一体何が残るんだろう。

自業自得、因果応報って言うけど、50の因に100の果を報いたら、それはもう報いた側の業だろう。
正義の鉄槌を気が済むまで振り回したら、そんなのもうただの悪意の刃だ。殴られたから殴り返したつもりかもしれないけど、相手が死ぬまで殴ったら被害者じゃなくて過剰防衛の加害者だ。

本当の本当に怖かった。手越さんが叩かれる様子を眺めながら、小山さんへの罵倒を聞き流しながら、本当に怖かった。私だって何も思わないと言ったら嘘になる。手越さんに対してもっと自由に何でもやってなんて思わないし、小山さんに対してもっと上手くやってよとも思う。それでも、それはここまで口汚く罵って嘲笑って貶める程のことだろうか。彼らのしたことはそこまでの絶対悪で、それを嫌だと思うファンの気持ちにはここまでの絶対的正当性があるのだろうか。

一点の曇りもなく無実であれと求めること、何もかも全部ファンに見られても大丈夫な純白の生き方以外クズだと罵ること。すごく綺麗なお花畑だね。

信じている、ということ/私と小山慶一郎さんの話


NEWSのLIVE TOUR、Neverlandの福岡公演に行ってきた。会場に着いてはしゃいで、ライブは楽しくて、増田さんの前髪と示談に至って*1、とにかくとにかく楽しかった。

福岡初日、スクリーンに小山さんが映し出された1番最初の瞬間、大歓声が上がった。それはもちろん他のメンバーの時もそうだったし、今までだってそうだった。メンバーがスクリーンに映る、客席が沸く。いつも通りの当たり前だ。
当たり前なのに、なんだかすごく嬉しくてすごくほっとして、同時に少しおかしかった。

あ、私、小山慶一郎さんのことこんなに想ってるんだ。

って思った。
今日の昼公演でも「慶ちゃん映って歓声あがってるね」「嬉しいね!」って話してる方がいて、結構みんなそんな気持ちだったのかもしれない。でも、他ならぬ自分がそういう風に感じたことが実は意外だった。今回、小山さんのソロ曲でぼろぼろ泣いて、涙が滲むとかじゃなくてもうほんとに普通に泣いてそれにもびっくりして、小山さんが愛しいんだなあと実感した。
特にコンサートの感想というわけではないけれど(すぐ忘れる鳥頭だからほんとはコンサートの感想書いた方がいいんだけどw)、私と小山さんについて少しだけ話をさせてほしい。


・俺が信じるお前が信じるあいつを信じる
天元突破グレンラガンという作品に「お前が信じる俺が信じるお前を信じろ」という名言があるのだが、私にとって小山さんはずっとそういう意味で「信じている」存在だった。
私がNEWSを好きになった頃、小山さんはやたらチャラチャラしたお兄さんだった。一生関わりそうもない人種に見えたし、絶対仲良くなれないタイプだという確信さえあった。テレビでもホストのコール芸みたいな合いの手を披露してたりして、ビジュアルも喋り方も文章も何もかもが私のストライクゾーンから大きく外れた人だった。
ずるくてチャラくて甘い匂いがしそうなお兄さん。それが私にとっての小山慶一郎だった。

でも、それでも私は、小山さんを嫌いだとか好きじゃないとか思ったことは1回もなかったのだ。
私にとって「分からない」の極地にいた小山さんを、誰より好きで誰より信じていたのが「分かる」の極地にいた加藤さんだった。性格が好きで、文章が好きで、私にとってNEWSの主人公だった加藤さんが小山さんを大好きだから。ずっと連絡を取って誰よりも一緒にいて相思相愛を公言していたから。


シゲが小山のことこんなに好きなんだから、小山もきっといい奴なんだなあ。


髪型が好みじゃないとか顔が好みじゃないとか音楽の趣味が合わないとかは気にしたってしょうがないことで、アイドルとして好きかと言われたらそれは違ったけど私は小山さんを信じていた。
むしろ、加藤さんを通して小山さんを信じることで、夢を増幅させてすらいたのかもしれない。
ずるくてチャラくて怖いお兄さん、すごく年上ですごく大人。加藤さんの中に「小山に置いてかれたくない」って気持ちが見えただけ、「小山はすんごく大人なんだ」「小山は遠いところで生きてるんだ」って思ってた。不思議なことに今でもあの頃の映像の中の小山さんは「お兄さん」に見える。今の自分とはもう同年代なのに、いつまでも「シゲに追いかけられてたお兄さん」「シゲより大人なお兄さん」て感覚が抜けていかない。
9歳違うからね、そりゃあ当然随分お兄さんなんだけどね。(そもそもほぼ同年代なだけであって、私はまだNEWSを好きになった当時の小山さんの年齢に追いついてすらいないw)


ネオンが似合う、黒いスーツでシャツのボタンを沢山開けて、馬鹿みたいに色落ちした明るい茶髪のずるい大人。加藤さんの、大切な人。

 

・翼がもげても地を這いずって
2011年4月。山下くんと錦戸くんがNEWSメンバーに脱退を告げた日。あの日、小山さんと加藤さんの翼はもげた。アイドルグループを1つの生き物にたとえるなら、NEWSの両翼は間違いなくP亮だった。追いつけない焦燥と同じ立場の仲間がいる事実に安心しあっていたコヤシゲは、あれから死にものぐるいでNEWSを守った。だってNEWSを守らなかったら、他の場所なんて2人にはなかったから。行くところなんて1つもないから、翼がもげて地を這うことしか出来なくても、どんなに泥に塗れても、それが「NEWS」に「泥を塗る」ことを意味するかもしれなくても、NEWSを選ぶしかなかった。

NEWSのリーダーになった小山さん。天然な面が押し出されるようになって、ピュアで真面目で可愛い慶ちゃんになった小山さん。
その意志を、決意を、私は信じた。

小山さんは自分にとってのNEWSでいれることの重大さを痛いほど知っている人だ。NEWSを守る意味を、NEWSでいる意味を誰より知っている。NEWSでいるためならどんなことでもしよう、何としてでもNEWSでいなければ、と思っている人だ。
それは、純粋なグループ愛とは少し違う。
ファンのためとか悲しませたくないとか、それだけじゃない。もちろんそれもあるだろうけど、何よりも自分のため。絶対にNEWSを続けるんだ足掻くんだ、それが自分の活路だ、と小山さんが決意しているから、私にとってNEWSの意志は小山さんだ。打算も賢さも愛も必死さもある小山さんだからこそ信じた。
この人が、あの小山さんがこんなにも決意しているんだから大丈夫。小山さんの意志がある限り、絶対にNEWSは大丈夫だ。そういう風に信じられた。

小山さんのピュアなところや可愛いところばかりが取り上げられるのが本当は少し寂しかった。でもそんなことを言うのは無粋だし、チャラさやずるさを愛していたつもりでもなかったから別に言おうとは思わなかった。
良いけど、まあいいけど、小山さんてそれだけの人じゃないよね。それだけじゃない小山さんを、打算が出来る小山さんをこそ、信じてるよ。

 

・降り積もったものにいつか名前をつけるなら
「アンチや叩きや愚痴垢を見る時には必ず反対の立場の人も見ること」というマイルールがあって、今回それを守るのが面倒くさそうだったので小山さんのあれこれをそこまであまり見ていない。ただ、見ていないなりに二宮さんのこととかもあってわりと色々考えてはいた。小山さん個人が云々というよりはアイドルという存在に対して色々。
小山さんへのあれそれについては、正直あまり傷つかなかった。見た数が少ないので全員がそうだとは言い切れないが、私が見た限りではこいつら単に元々小山さんが好きじゃなかっただけだな、と思ったから。元々好きじゃなかっただけの癖に大義名分得たみたいに生き生きしちゃって馬鹿だなーで終わった。と、思っていた。

会場で小山さんに上がる歓声をきいた瞬間、本当に安心した。小山さんを好きな人がたくさんいる、ここはちゃんと小山さんのホームだ、と分かったことがとても嬉しかった。

ああそうか、私、なんか言ってる人のこと「自分と同じNEWSファン」ってあんまり思ってなかったんだな。なんかもうどうでもいいよそ者だと思ってた。
でも本当は違う。狭い狭いコミュニティにしか広まらなかったあの件で鬼の首を取ったように騒いでいた人たちは、この会場のどこにいたっておかしくないNEWSファンだ。それが、目に見えて分かるところにはいなかった。会場いっぱいちゃんとメンバー全員への愛に溢れていた。
私の信じる人が恥も外聞もかなぐり捨てて守った場所はちゃんと、私の信じる人の居場所だった。それが本当に心から嬉しくて、自分で自分にびっくりした。


裏切られたって言葉を見て、何が?って思った。手越さんが、増田さんが、加藤さんが変わったのと同じくらい小山さんも変わって、同じくらい変わってないだけじゃん。好きな人が出来たら仲間うちで報告しあって進捗も共有してって言うあの感じも昔のままじゃん。女の趣味だってずっとこんなんじゃん(死ぬほど趣味合わねえなとは思うけど)。
そう思う自分はやっぱり小山さんは小山さんのままだとどっかで思ってて、そういう風に考えてる私は斜に構え過ぎかなあとも思ってた。
でもなんか、そうじゃないのかもしれない。

ずるくてチャラくて、1人の大人としてNEWSを選んだ人。打算が出来る賢くて馬鹿な人。
私はあなたを信じている。 加藤成亮越しじゃなくても、顔も性格も好みじゃないあなたを。 あなたのずるさを、みっともなさを、賢さを、決意を、私が見てきた通りのあなたを。
この信頼を単純に「好き」と呼ぶことはきっと出来ないけれど、あなたの居場所がちゃんとここにあることがこんなにも嬉しい。
信じてる、心とあたまの全部であなたを。ああもしかしたら、この信頼も愛と呼んでもいいのかなあ。

*1:私は過激前髪原理主義者です