英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

僕の後ろに道はできる

何を書いてもなんだか違う気がして、自分の心を自分の言葉で掬いきれなくて、これ以上なにか書くことに意味があるのかよくわからない。けれど、Twitterで見かけたたくさんの言葉の中にすとんと胸に落ちたものが2つあった。少しだけ書く。
とても短いので前記事の追記でいいくらいなんだけど、その前記事自体がそこそこ長いので分けます。


『微量の恐怖』『漠然とした不安』


どちらも私の書いた『君が幸せでありますように/君の幸せでありますように』を読んだ方の感想だ。あ、そうか私怖いんだな、と気づいた。そうだ、怖い。だから申し訳ない。


赤西さんがいなくなったときはまだ大丈夫だった。だって彼は特別だったから。錦戸くんがいなくなったときも大丈夫だった。だって彼はいつかはどちらかを選ばなければならなかった。山下くんがいなくなったことは、いつの間にか大丈夫になった。たくさんの美しい思い出と優しい今が大丈夫にしてくれた。田中さんがいなくなったのも大丈夫だった。彼がいなくなったのは100%の彼の意志じゃなかったから。


アイドルでいるということが1つの選択肢に過ぎないこと。「アイドル」を乗せられる天秤が存在すること。天秤にかけた結果、アイドル以外の「何か」に傾く人もいること。
ああそうか、私は目の前で道が作られてゆくのを目の当たりにしている。存在しないでほしかった道。

2012年の関ジャニ∞のコンサートMCを思い出した。ずっと三馬鹿のエピソードとして話されてきた旅行の話、実はあれにはそれぞれの彼女も来ていて6人旅行でした、今までメンバーのエピソードとして話してきたことの幾つかは本当は彼女のことです、というあれだ。あの時1番嫌だったのは、これから先ジャニーズの他のエピソードに素直に萌えられるかわからない気がしたことだった。私が大好きなあの話、この話は本当はほかの人がいたかもしれない、大好きな発言や行動が本当は違う人のものかもしれない。そういう疑いを植え付けられたのが嫌だった。だって、横山さんや渋谷さん、村上さんがそれがそうしてたんだから、ほかの人だってそうしてるかもしれない。これからほかのジャニーズ達も「こう言ってるけどほんとはもしかして…」って思われることになる。「前列」という道をエイトが作ってしまった、それがいやだった。だって誰かに出来たなら、誰にでも出来るかもしれない――。

 

「出来事そのもの」じゃなくて、「こういうことが有り得る」っていう前列が怖かった。

 

赤西さんが通った道は獣道だと思っていた。邪道とかそういうことが言いたいんじゃなくて、赤西さんが自分自身で自分のためだけに開いた、彼にしか通れない道だと思っていた。だから山下くんがその道を通ったときびっくりした。通りたくても通れない特別な道だと思っていたから。

それは私にとって本人の希望とは関係ない問題だった。山下くんが通りたくてもその道は通れない、だからほかのやり方で自分の希望と向き合っていくんだと思っていた。

 

田口くんが今、目の前で道を切り拓いている。広くて通りやすい綺麗に舗装された道。今度こそ獣道じゃなくて、誰にでも通れそうだ。だから怖い。何か理由があるなら教えてほしい。その道を通るにはやっぱり特別な通行証が要るんだと言ってほしい。でもどうやらそうではないらしい。

いいことも悪いことも、1番最初が1番勇気がいる。何もないところに0から道を作るのはとても大変だ。次に誰かがキャスターになったら、櫻井さんと小山さんの努力を汚さないようにしなきゃいけない辛さはあるけど「ジャニーズにキャスター務まるわけねえだろ」って声は櫻井さんよりよほど少ないだろう。次に誰かが気象予報士の資格をとっても、「ジャニーズなのにこんな難関試験に合格するなんて信じられない!!!」って声は阿部くんや岸本くんより少ないだろう。次に誰かが、辞めたいと思った時…

 

微量の恐怖と漠然とした不安。言い得て妙だ。
田口くんの歩いてゆくのが本当に広くて綺麗で誰でも通れそうな道だとしても、どうか一つの足跡もつきませんように。もう誰もそれを通りませんように。

 

 

だけどねえ本当は、君にもそんな道を歩かないでほしかったんだ、あなたが見れなくなるのがいやなんだ。なんて言う資格はきっと私にはないのでしょう。

 

 

はーーージャニオタめっちゃこええ!!でも辞めらんねえ!!やばくない!?現実の恋愛で好きになった人って絶対人間辞めないじゃん!?DIO様だけじゃんそんなことすんの!!!「君の好きなアイドルあと4ヶ月で消えまーーーす」とか言われてもどうしようもねえよ!!!つーかDIO様現実じゃねえし!!でもアイドル現実だし!!!なんだこれ!!意味わかんねえ!!!現実なのになんで消えたりすんの!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そしてまた自分の文章に殴られる。てやんでい。泣きそう。このやろー。 

君が幸せでありますように/君の幸せでありますように

4泊6日でタイに行ってきた。人生初の海外旅行だ。旅行自体はとても楽しかったのだが、ネットがほとんど使えないのがネックだった。ちょうど『四銃士』リリース日がど真ん中にあたる日程だったため、WSも各種番組もほぼほぼ見逃すことになる。ホテルのフリーWi-Fi(わりとクソ)以外は時折飲食店でちょっと使えるくらい。普段1時間にいっぺんは見ている気がするTwitterでさえ1日の終わりにちょっと見れるくらいで、日本の出来事がぼんやり遠い。

四銃士のリリース日に不在であることに加えてもう一つがっかりしたのが、ベストアーティスト2015を見られないことだった。LOVEメドレーを楽しみにしていた。愛言葉をやることを知って見れないことが尚更悔しくなった。だから、11月24日の夜にホテルに帰ってきてWi-Fiを繋いだあとは真っ先にTwitterを開こうとした。NEWSのパフォーマンスのキャプチャ画像だけでもみたい。やっと通信が繋がった瞬間、LINEが来た。ステータスバーの上部に姉からのメッセージの冒頭が表示される。


「田口が!田口が!!!!!!」


LINEを起動した画面に書いてある言葉の意味が分からなかった。

 

「田口がKAT-TUN辞めて、事務所も辞めちゃうんだって!!!!」

 

メンバーのコメントの画像が添付されていたけれど、ネットの速度が遅いせいで全然読み込めない。何を言っているのか全然わからない。本当に、意味が分からなかった。だって田口くんが、まさか、だって、だって1番あなたが。


正直言って、まだ心の中で少しだけ「間違いかもしれない」「日本に帰ったら脱退なんてなしになってるかもしれない」と、ほんの少しだけ、一欠片だけ思っている。今私は日本に向かう飛行機の中で、この飛行機が東京に着いたら本当の本当に現実を受け止めなくてはいけない気がして帰りたくない。でももうあと1時間もせずに成田に着いてしまう。

Twitterを開いてTLを2時間分くらい読んだところで、私の頭はほとんどの現実を理解した。あの日から既に3日が経ったが、いまだ足元が崩れ落ちたような心許なさだ。正直言って、私自身にこの出来事を悲しむ資格などないと思う。別に、KAT-TUNのものすごいファンというわけでもないし、実際悲しいというわけではない。悲しみもあるけれど、それを圧倒的に凌駕するむなしさのような何かがある。得体の知れない脱力感があの日から拭えない。
多分これが誰の脱退であっても、少なからず同じように感じたと思う。それが田口さんであったことでこの感情の強さは増しているだろうけど、でもNEWS以外なら誰だったとしても同じようなことを考えただろう。だから、私にこういう風に思いを綴る資格はないかもしれない。私の思いはちゃんとずっと彼らを好きな人を不愉快にさせるかもしれない。それでもどうしても不安で寂しくてたまらないから、この場を借りて吐き出させてほしい。

これは田口くんが辞めることへの悲しみではない。田口くんへの怒りでもない。ただの、1人のNEWSファンとしての、気の持ちようの話だ。悲しみも怒りも憎しみも想像もKATーTUNを愛する人たちのものであって私のものじゃない。でも、何も思わないなんてそんなことは出来ないから、思ったことを書かせてほしい。誰に謝りたいのか謝るべきなのかわかりもしないのに、ただただ何かに謝りながらこの文章を打っている。


ゆっくりゆっくり事実を理解して絶望した。亀梨さんと田口さんと上田さんと中丸さんのコメントを読んで、もう泣きたいくらいだった。田口くんの脱退は、全然全く『円満』ではないのだろうと思う。山下くんを思い出させられた。田口くんの選択は多分、一つの仕方なさも備えていない。彼が彼自身の頭で考えて、大事なもの同士を天秤に掛けて、そしてKAT-TUN以外の何かを選んだ。
私が2011年10月のあの日、山下くんの選択に絶望したのも、彼の脱退に「必要」も「仕方なさ」も見つけられなかったからだ。
山下くんはNEWSを選べなかったわけじゃない。NEWSを続けられないのっぴきならない理由なんて1つもなかった――彼の心以外には1つたりとも。


増田さんの存在を知って、ジャニーズを、アイドルを好きになって、高校生の私は信じていた。パフォーマンス自体よりMCをみる方が楽しかったあの頃、アイドルにキャラ萌えしていたあの頃、当たり前のように信じていた。アイドルグループのメンバーは他のメンバーのことが好きだし、なんだかんだ不満があってもそれはいつか乗り越えられてゆくものだし、アイドルにとって「アイドルであること」はとても特別なのだと信じていたのだ。「アイドルになる」ことは出来るけど、「アイドルを辞める」ことなんて出来ないと思っていた。
それが初めて揺らいだのは、赤西さんが脱退したときだった。でも、その時はまだ大丈夫だった。特に理由はないけれどなんとなく、赤西さんは特別な人なんだと思っていた。それは彼が留学や活動休止を過去にしていたからだったし、好きな音楽の方向性がジャニーズの中では突き抜けているように見えていたからだったし、すごく才能がある人だと知っていたからでもあった。中丸さんを弄る赤西さんが、背中合わせの仁亀がもう二度と見られないのだと思うと悲しくて仕方なかったけれど、それでも私にとってあの脱退は特殊事例だった。赤西さんだから許された、赤西さんにしか許されない行動なんだと思っていた。

「アイドルでいること」は必ずしもアイドルにとって至上の価値を持たない。それは私にとって不都合な真実だった。でもきっと、赤西さんだけが特別なんだと思っていた。私が期待する通りの愛や誇り、執着が必ずしもなくたってそれでも、「アイドルでいること」と天秤に掛けられるものなどない気がしていた。そんな天秤は存在しないと思っていた。

 

山下くんと錦戸くんの脱退が発表された時、何を言っているのか理解出来なかった。錦戸くんの脱退は仕方ないと思えた。だって彼は忙殺されていて、どんどん痩せて、NEWSとエイトが躍進すれば兼任がいつか破綻するのは目に見えていて。だから諦めることが出来た。錦戸くんのNEWSへの、NEWSファンへの愛を信じたまま、「NEWSの錦戸亮」を諦めることが出来た。
でも、山下くんは違う。彼にはNEWSを辞める必然性なんてどこにもなかった。山下くんがNEWSで見せてくれたもの、NEWSにいた山下くん、山下くんが好きだったのに、彼はそれを天秤に掛けて、捨ててしまった。私が大好きだった彼を、彼自身が私から奪った。奪われたことよりも、その天秤が存在したことの方が衝撃だった。何故か私は無根拠に、そんなことは不可能だと思い込んでいたのだ。何がしたかろうと何が嫌だろうと、そんな個人の希望だけでグループの脱退が許されるなんて思ってもみなかった。


ああ、もしかして本当はアイドルっていうのは辞めたければいつでも辞められるんだろうか。みんな心の中で、何かとアイドルを天秤に掛けながらアイドルを選び続けているんだろうか。そうじゃないと言ってほしい。「アイドル」っていうのは、アイドルにとって唯一無二の何かで、他のものと比べることなんて出来ないんだと……言えない。言えないのだ。
この時アイドルに抱いた脱力感を、結局私は忘れた。NEWSのメンバーのNEWSへの愛が、NEWSでいることへの執着が、アイドルでいることの誇りが、NEWSファンでいることの楽しさが、私にこの虚無感を忘れさせた。山下くんを嫌いになりたくなくて、NEWSを好きでいたくて、都合の悪い想像を頭から追い出してNEWSファンでい続けた。


田中聖さんがジャニーズ事務所を解雇されたとき、「ああ、馬鹿だ」と思った。KATーTUNが好きなくせに、厨二くさいけど真っ直ぐな言葉でKATーTUNへの愛を語っていたくせに、再三注意されても契約違反を重ねた田中さん。なんでだろう、どうしてアイドルとしての立場を危うくしてまで外で活動したんだろう。KATーTUNでいることと天秤に乗せなきゃいけないとしてもやりたいくらい、それって大事なことだった?
「こんなんでもジャニーズやってんだよ」って言う田中さんが好きだった。田中さんにとって、「『こんなん』な自分」と「ジャニーズの自分」は、「『こんなん』な自分」の方が大事だったんだろうか。
馬鹿だと思った。でもまだ大丈夫だった。田中さんは結果的にアイドルの自分を天秤に掛けたけど、それはあくまで結果だ。続けたらやばいとわかってはいたかもしれない。その時はその時だと思っていたのかもしれないし、大丈夫だとたかをくくっていたのかもしれないし、アイドルから気持ちが離れていたのかもしれない。それは私にはわからない。でも、彼は「KAT-TUNか、それ以外か」を直接的にハッキリ選択したわけではないのだと思い込んだ。怖いから今でも調べていない。彼は解雇された、それだけが私にとっての事実だった。ファンを泣かせてまで続けるほどの価値があるのか決める前に彼の前から選択肢はなくなった。「『こんなん』な自分」を選ぶかどうか決める前に、「ジャニーズの自分」を彼は失くした。捨てた、と思うことはしなかった。脳裏にその言葉を浮かべることさえ出来なかった。
山下くんのことが頭をよぎらなかったと言ったら嘘になる。けれど、同じだとは思わなかった。山下くんみたいな辞め方をする人なんてもういないはずだ。

好きな人たちを信じていたい。違う、信じる信じないの話なんてしたくない。アイドルでいるのが自明の理であってほしい。ステージでペンライトと歓声の波を浴びる以上の幸福なんてないと言ってほしい。私が不都合な真実を見て見ぬふりするの同じように、アイドルにも「アイドルでいること」が選択可能な道の1つに過ぎないことを見て見ぬふりしてほしかった。


田口くんが脱退した事実と目に見える範囲の経緯を知って絶望した。心の中で糸が1本切れた音がした。かなしいくらいにはっきりと、大事な大事な糸が1本切れた。
彼は選んだ。大事に大事にしていた「KATーTUNの田口淳之介」と、そうじゃない別の「田口淳之介」とを天秤に掛けて、KATーTUNじゃない方の田口淳之介を自分の意志で選んだ。山下くんを思い出した。今度は脳裏をよぎるとかじゃない。はっきり思い出した、あの日の感情が再び胸に押し寄せた。
赤西さんがいなくなったときはまだ大丈夫だった。だって彼は特別だったから。錦戸くんがいなくなったときも大丈夫だった。だって彼はいつかはどちらかを選ばなければならなかった。山下くんがいなくなったことは、いつの間にか大丈夫になった。たくさんの美しい思い出と優しい今が大丈夫にしてくれた。田中さんがいなくなったのも大丈夫だった。彼がいなくなったのは100%の彼の意志じゃなかったから。

田口くん。

長い手足で優美に踊る、いつもにこにこ笑っている王子様。水と油のように田中さんと反発しあっていつしか混ざりあって素晴らしいものを見せてくれた。1人だけ、最初からずっと「俺はKATーTUNが好き」と言い続けた。滑ってばかりでも心折れない田口くん。どんどん中丸と仲良くなっていく田口くん。笑顔が似合う田口くん。どこかの国から紛れ込んでしまった王子様みたいな田口くん。

天真爛漫でグループを愛し、アイドルになるべくしてなったような田口くんでさえ「アイドルの自分」を天秤に掛けることが出来るなら、それが出来ないアイドルなんて多分1人もいない。一縷の望みを掛けていた。山下くんがNEWSを天秤に掛けたのは、彼の心の中にずっと別の仲間への思慕があったからなのだと。それはそれで私にとっては嫌なことで、山下くんを嫌いになりうる理由で、だから正面から受け止めることは出来なかったけど、1つの可能性としてちゃんと認識していた。山下くんもまた『特殊事例』の1人だったのだと、ぼんやり頭の隅で考えて、あとは目の前の楽しいものに夢中になって、それで忘れた。
4年前のあの日知って、そして忘れていたことを田口くんに思い出させられた。

 

アイドルはアイドルである前に人間だ。アイドルとして得られる喜びや楽しみは他では得がたいかもしれない。けれど、逆にアイドルでいる限り得られない喜び楽しみだってある。アイドルがアイドルでいる限り得られない「何か」を切望することだって当然ある。彼らはアイドルという生き物ではない。人間だ。
自分自身の幸せのために、欲しいもののために何かを取捨選択することを止めることなんて誰にも出来ない。たとえ私がその人にどれほどありったけの夢と愛を乗せてたってそれでも、他人の選択をどうこう言うことなんて出来ない。他人の選択に、他人の幸せに、私は一切関与できない。当たり前だ。そしてアイドルは他人だ。
どんなに好きでも、どれほど好きでも、何をしても何を言われても、私が大好きな人たちは遠いところにいる他人だ。私が願う「彼らの幸せ」はある日突然彼らにとって「要らないもの」になるかもしれない。ある日突然、愛する人を愛する人自身に奪われる日が再び訪れるかもしれない。その時出来ることなんて何もない。その時、愛する人にしてあげられることは、もう1つもないのだ。そして、そんな日がいつかやってくるとして、「その日」まで私はまた不都合な事実から目を逸らす以外何も出来ない。

今見て見ぬふりをしていること、都合よく解釈していることは本当は目に映る通りの事実でしかない。NEWSと関ジャニ∞の活動が相互に支障をきたしはじめていた、と私は何度か書いている。あれは嘘だ。あの頃、NEWSは活動していなかった。それをエイトとの兼ね合いだと思い込んだ。無活動はただの無活動だ。そこに良い意味合いがあることなんてほとんどない。売上が足りないとか脱退が決まってるとか、何かが駄目だからそうなっているだけなのだ。私はこれからしばらくはそう思ってしまうだろう。NEWSの小休止が去年で良かったと心から思う。あれが今年だったら、きっと私は田口くんの脱退に耐えられなかった。これから先、不満足な現状を楽天的に捉えられる自信が全くなくなってしまったから。


私が好きな人たちの全員が、1人残らず、今この瞬間にも「アイドルの自分」を何かと天秤に掛けてしまう可能性を持っている。そして天秤は「何か」の方に傾いてしまうかもしれない。目の前にある何らかの嬉しくない現実は全てその兆候でありうる。田口くんでそれがありえたのだ。誰でだって同じことがありうる。
アイドルを好きになった時、私の足元には踏みしめられるしっかりした土台があった。少しずつそれは崩落していって、山下くんたちの脱退で完全に崩れ落ちた。でも、足元が何もなくなっても私はまだ同じところにいた。命綱があった。材料さえもわからないその綱は、何かある度繊維が少しずつ切れて、今回ついに完全に切れてしまった。私が踏みしめられるものは何もない。私を繋いでくれるものも何もない。それでも何故か浮いている。土台や命綱がなんだったのか、今浮かんでいる場所がなんなのかも分からないまま、多分「好き」だけで私は浮遊している。
好きでいていいのか分からない、それでも好きだ。好きだけど、今、どんな些細な不安にも抗えない気がする。

多分何を聴いてもそうなるんだろうけど、飛行機の中で『Faighting man』を聴きながら田口くんのことばかりぐるぐる考えていた。
「挑戦したらいいじゃん?ありのまま思うがまま 何もしなきゃ始まんないぜ 自分に負けんな」「誰かのために生きているわけじゃない 比べずに迷わずに歩んで」
彼らが進みたいと思う道・彼らの望む幸福と、私たちが願う彼らの幸福が重なることは一体どれほどの奇跡なんだろう。私の望む幸せは、いつまで彼らの幸せなんだろう。その不確かさを嫌というほど思い知らされたはずなのに忘れていた。田口くんに思い出させられた。


それでもいつか忘れるだろう。浮遊感も絶望も脱力感も奇跡だということも、そのうち再び忘れるだろう。可愛くてかっこよくて楽しい現実に紛らせて、必ず忘れる日が来る。そうしたらもう2度と思い出したくない。もう2度と思い出させられたくない。今度こそ最後であってくれ。お願いだから。

87年と87年/僕たちは違う生きものだから見つめあって手を繋ごう

 

2015年11月12日、テゴシゲ界に激震が走った。

11月11日、手越さんの誕生日当日がNEWS RING更新日に当たっていた加藤さんが「ごめん忘れてたわ明日更新すんね!!!(要約)」との投稿をしたところまではよかった。「短文でも謝罪入れるあたり、しれっと木曜更新(NEWS RINGの更新日は毎週水曜)する手越さんとの違いがNEWSの末っ子2人って感じで好きだわ〜」などとのたまう余裕があった。しかし翌12日、ようやく更新された加藤RINGには釣りのことしか書いていない。鰤釣れたのか。良かったな。鰤ってでかいもんな、そりゃテンション上がるし更新も忘れるよな。釣りする余裕があるみたいで何よりだよ。

が、しかし、手越さんへの言及がない。一言もない。まさかそんなことある?誕生日よ?空気の味さえも特別風味なんじゃなかったの!?鰤より引きの強い話題が!!あるでしょ!!?

 

と思いつつ読み進めると、RINGの最後に踊る「続きはシゲクラで☆」の文字。

 

そして見るシゲクラ。そしてそして躍動する『鰤』の文字。

TEGOSHI、BURIに負けたってよ。

 

続きってこれか。そんなに鰤のこと私らに伝えたいか。オーケー分かった今日は鰤食べるよ食べればいいんでしょ!!?

 

 

 

手越さんがソラジローのぬいぐるみを抱きしめている頃、テゴシゲ厨たちは鰤を噛み締めていたのである。まぁ私その夜魚介がウリの居酒屋行ったのに鰤なかったんだけどな。結局鰤食べてないけどな。

公式からの供給がないので好き勝手テゴシゲについて語り散らかします。

って気分で書き始めたらTVガイドで公式供給来た。

ふええテゴシゲかわいい。

 

 

テゴシゲコンビは『似てるのに似てなくて、似てないのに似てる』『開放系2人ぼっち』だ。この2人だけの輝きが、きらきらぴかぴか未来に走ってゆく。

 

 

 

・似てる?似てない?

手越さんと加藤さんは、一見全然似ていない。同じ87年生まれの同級生で共にNEWSの末っ子なのに、キャラも得意分野もアイドルとしての軌跡もぜーんぜん違う。可愛い手越さんとかっこいい加藤さん、ポジティブな手越さんとネガティブな加藤さん。エースを背負う手越さんと参謀を自称する加藤さん。正反対な2人だけれど、一方でとてもたくさんの共通点を持っていたりもする。

共に1人っ子で、中学受験を経験していて、人見知りで。人生における価値観にも似たものがあるのではないかな、と時々思う。たとえば子供の育て方とか遺言の内容とか、そういうものが似ていそうだなあとなんとなく思うのだ。人間という社会的生物が生きていく上でやった方がいいこと、大事にした方がいいものに関して極めてよく似た感覚を持っていそうな気がする。

2人の目に見える部分は似ていない。彼らが似ているのは、目につきにくい根っこの部分だ。テゴシゲ2人について考える時、私はいつも色とりどりに咲き乱れる花壇が思い浮かぶ。ダリア、コスモス、薔薇、カミツレ、パンジー、牡丹…2つの花壇に様々な種を蒔いて大事に水を遣って育てて開花の時期が来てみたら、植えられているのは同じ花なのに見た目が全く異なる花壇に仕上がりました、みたいな。根元の部分に似通った部分が結構あるのに完成品が全然違うのがテゴシゲコンビの面白いところで、それはもちろん私たちにとって面白いってことなんだけど、同時に彼ら自身にとってもそんな自分たちはなんだか面白いんだろうなあ、と思う。加藤さん本人も自分と手越さんを「同じ海で生まれた魚」とたとえていたことがあった。あったはずである。ちょっと出典が見つからないけど(笑)

 

 

パラレルワールドAとA´

同じ海で生まれた魚、と本人が称す彼ら。似てるけど似てて似てないけど似てるこの2人、なんだか少年漫画の主人公みたいだと思う。主人公と、「主人公の世界Aとよく似た世界A´の主人公´」という本来交わるはずのない2人が何故か同じ世界線で邂逅してしまったみたいなワクワク感。何かがほんの少し違うだけで、同じ魂を持った限りなく1つに近い2つがこんなにも違うものになる面白さ。そして、違うからこそ、1つだったら絶対生み出せなかったものを生み出すことが可能なのだろう。

私はテゴシゲコンビの、手越さんが加藤さんを「熟年夫婦!」と言うのに対して*1加藤さんは手越さんを「地球外生命体だと思ってます」と評しちゃう*2ようなところが大好きだ。なんかもうこのズレなんなの?愛おしすぎじゃない?手越さんなんだかんだで結構大分かなり加藤さんのこと好きだよねだって面食いだもんねあなた!と鼻息荒く興奮しているのだが、単純な萌えと同時にここでもパラレルワールド感を覚えている。

多分手越さんは、加藤さんと自分は深いところで強く通じあっていると思っている。2人にしかわからない何かがあると信じている。一方加藤さんは手越さんのことを、予測不能で自分と対極にいるわけのわからない生き物だとでも思っているようにみえる。たとえば2人がコンピューターだとしたら、同じ値を入力して同じ言語で演算してるのに全く違う答えを返すみたいな、そういう意味不明さ。与えられた値が同じなのに、同じプログラミング言語で思考しているのにあまりにも自分と違うから、余計にブラックボックスみたいに見えるのだろう。対する手越さんは、自分と加藤さんは実は同じプログラミング言語で内部演算を行っていることを知っているから自分たちの間の繋がりを信じているのではないか。パラレルワールドの『自分』に会ったらどんな感じがするんだろう。きっと深く通じ合えるだろう。だってもう一人の自分なんだから。きっと宇宙人みたいに感じるだろう。だって限りなく自分に近いのに、自分と違うものを見て違うものを感じて育ってきた違う人間なんだから。

熟年夫婦であり、地球外生命体。二人の互いへの見解はまったく違うけれど、多分どちらも同じくらい的を得ている。

 

 

・adore:尊敬する、敬愛する、大好きである

手越さんが持ってるものを加藤さんは持っていなくて、逆に加藤さんが持っているものを手越さんは持っていない。加藤さんに3年遅れて入所した手越さん*3の目には、エリート街道をひた走る加藤さんはものすごく輝いて見えていたはずだ。「俺だけが何も出来なくて悔しかった」「NEWS辞めたいってよく言ってた」などの当時抱いていた自分への不甲斐なさ、「シゲのことはテレビで見てたから知ってた」「シゲくんのことはキラキラのアイドルだと思ってた」などのシゲ評を見ても、入所〜デビュー前後は明らかに手越さんが加藤さんを眩しく見上げていた様子が伺える。

しかし、手越少年が先輩加藤を見上げることが出来た期間はそう長くは続かない。「シゲくん」は「思っていたよりドンくさく」て「おやじくさいところもあっ」て、あっという間に「シゲ」になった。グループ結成当時は歌以外になんの武器もなかった手越さんだが、実は加藤さんは「歌以外になにも」どころか全然全く一つの武器もなかった。少なくとも加藤さんの自覚の上では、彼にはこれといった魅力が一つとしてなかった。私は2003年当時まだNEWSファンではなかったのでこれは後の時代からの推測に過ぎないのだが、おそらく当初の加藤さんはどこかで手越さんのことを自分より下に見ていたのではないだろうか。下に見ていた、というと聞こえが悪いのだが、客観的な目を持つ加藤さんだから自分と手越さんとでは人気的にもビジュアル的にも自分が勝っていることは自覚していただろう。(同時に、自分が山下くんや錦戸くんに人気も実力も圧倒的に劣ること、草野くんや森内くんやマステゴ*4と比して歌唱力で完敗していることも自覚していただろうから大して愉快な気分ではなかっただろうが)

けれど手越さんは、入所からたった10ヶ月でデビューさせられるだけのものをちゃんと持っていた。もぎとった。できなかったダンスも垢抜けなかったビジュアルも、彼はきちんと努力でもって乗り越えた。今度は加藤さんの番だった。ガチャガチャの歯並びで笑っていた小さな少年は、あっという間に加藤さんの頭上で光る星にのぼりつめたように見えただろう。今もって『NEWSの目』と称されるほどの客観視を誇る加藤さんには、自分が手越さんに抜かされる様がハッキリ見えたはずだ。

手越さんの歌唱力、加藤さんの男前な顔立ち、手越さんの強靭な精神、加藤さんの人の懐に入り込む人柄、手越さんの屈託なく甘える可愛さ、加藤さんのお洒落でスマートなところ。そういう、自分が持っていないものを、テゴシゲはお互い心底尊敬しているようにみえる。自分にないものだからこそ、余計にきらめいて見えるのだろう。コヤシゲが文句なくラブラブ(?)なことと増田さんが加藤さんに対してだけアホほど甘いのとでそこまで目立たないが、手越さんも加藤さんに対しては意外なほどデレデレだ。顔についても性格についてもあっけらかんと褒めちぎっている。『ピンクとグレー』の出版と映画化がそれぞれ決まった時、一番喜んだのは手越さんだったと加藤さんは語る。手越さんにとって加藤さんは、男らしくて文句なしにかっこよくてすごく魅力的な人で、さらに言えばこれからも互いを尊敬しあっていきていける人なのだ。

一方の加藤さんも、原石だった時代からきらきらの宝石になる今までの手越さんの過程を全部見てきているわけで、自分には決して辿りつけないメンタリティを持つ彼を畏怖と尊敬の目で見ている。メンバーの膝に乗って甘える手越さんを見ながら「手越が乗っていいなら俺だって乗っていいはずなのに…」と言いながらそんなことはできなかった加藤さん。同い年なのに自分より遥かに可愛い手越さんと自分をまるで違うと感じていた。けれどそんな可愛くて、そして成長に従って華やかでチャラついててふざけてて意味不明なキャラを確立した手越さんが元は石ころと見紛う未熟な原石だったことを、NEWSのメンバーはみんな覚えている。手越さんがただの恵まれた天才なんかじゃないことも、トンチキな王子様だけど根は真面目なところもちゃーんと知っている。地球外生命体だなんて言うくせに、「手越は優しい」

「手越は真面目、昔から真面目だし不真面目」とあっさり言ってのけるあたり、手越さんの変わった部分も変わらない部分も見た上でエース手越祐也を誇らしく思っているように見える。

自分にないものを眩しく思い、尊敬し、大事に大好きでいる2人が大口開けて笑う様はとんでもなく可愛い。

 

 

・2人は末っ子

テゴシゲで1番好きなエピソードはなんですか?と訊かれたら、多分私は「選べるわけねーだろバーカバーカ!」と答える。が、しかしとりあえず5つくらいまでは絞り込もうと思う。5つまで絞った時に必ず食い込んでくる確信があるエピソードが『カルボナーラ記念日』である。

さっくり概要を説明すると、手越さんが二十歳の誕生日を迎える日をテゴシゲは加藤家で過ごし加藤さんが手作りのカルボナーラを振る舞ったという話だ。手越さんはようやく成人を迎えたのが嬉しくて酒を飲み見事に酔いつぶれたらしい。そして2日酔いになりそのまま加藤家に2泊したという。このエピソードの好きなところは単純な可愛さだけじゃなくて、手越さんの成人が2人(そしてNEWS)にとっていかに重要な通過地点だったかをつい想像してしまうからだ。現在のNEWSファンの間では「脱退」と言ったら即座に思い浮かぶのは2011年の山下くん錦戸くんの脱退の方かもしれない。けれど元々9人だったNEWSからの5人もの脱退者、その過半数の3人は不祥事による脱退だ*5

不祥事による相次ぐ脱退から活動自粛にまで追い込まれたNEWSメンバーとファンにとっては、未成年飲酒、未成年喫煙などのスキャンダルが本当にこわくてこわくてたまらなかったと思う。最年少の手越さんと加藤さんは中でも特にその怖さを感じていたはずだ。あの頃の2人はどちらもまだまだ子供で、NEWSが、自分のグループがないということの意味を嫌というほど噛み締めた。手越さんと増田さんはグループの活動自粛中にテゴマスとしての活動をスタートしたので、加藤さんほどの強烈な焦燥感はなかったかもしれないが、じゃあ苦悩がなかったかというと勿論そんなわけはない。ただのグループ最年少じゃなくて、NEWSというグループの最年少*6であることには大きな意味があったのだと思う。同じ焦燥の中、残ったメンバーの最後の1人がつつがなく成人を迎えることが出来たその日、彼らはどんな気持ちで祝杯をあげたのだろう。共に年上のシンメを持つテゴシゲがあえて2人で手越さんの誕生日を祝ったという事実に、彼らの間にある特別な連帯感を見出したくなるのは半ば自然の摂理ではないだろうか。だから私はいつまででも推します。11月11日はカルボナーラ記念日だよ!!

 

 

 

・開放系2人ぼっち

コヤシゲとテゴシゲの私にとっての1番の違いは、閉鎖系か開放系かだ。どちらの2人にも特別な2人だけの世界があるんだけど、コヤシゲは「2人でいつまでも」なのに対しテゴシゲは「2人でどこまでも」なのだ。お互いがお互いを敬愛し、尊敬し、大好きであるテゴシゲは、2人揃うと未来を切り拓く力が何倍にも高まる気がする。

特に今年になってから、その傾向はますます強まっているように見える。手越にばっかり任せてらんない、と加藤さんが明確に口に出した。全然得意分野の違う2人だから、一緒に戦うタイプではない気もする。けれど、手越がNEWSにもたらしただけの光を俺も必ず掴んでみせようと、きっと加藤さんは思っている。まるで違う光で、飛んだり跳ねたり抜いたり抜かされたりしながら、お互いがいる分だけ強く早くどこまでもいけるような、そんなきらめきがどんどん強くなっている気がしてならない。開かれた2人ぼっちなんて変な言葉だけれど真剣にそう思う。わかりやすく言うと、依存をあまり感じない2人だろうか。

私は以前、「NEWSの4人を精神に喩えるなら、小山さん:意志、加藤さん:理性、手越さん:本能、増田さん:感性 だと思う」とツイートしたことがあるのだが、今でもこの見解は変わらない。理性の力でもがき歩む加藤さんと、本能をむき出しにして戦う手越さんという磁石みたいな2人がタッグを組んだらそれはもうリニアモーターカーである。

 

 

・追いかけるから待たないで

手越だけに頼らない、キーパーだってシュートを打つんだ、と加藤さんが言った。これは、今のNEWSに絶対必要な覚悟だ。

テゴシゲは、コヤマスにはない大きな大きな強みを持っている。それがビジュアルだ。万人受けする最大公約数的なかっこよさを2人は備えている。NEWSが売れる第一陣になれるのはテゴシゲだと思う。NEWSの進撃がこれから始まるとして、あとから振り返ったらきっとその始まりは加藤さんの台頭だと思うのだ。コヤマスの容姿に文句をつけたいわけではない。全然ない。でもこの2人はどちらかというと「狭く深く刺さるタイプ」であり「かえしが大きくて飲み込んだら抜けない釣り針」だ。(増田貴久っていう釣り針が抜けずに8年目に突入したのが私です) テゴシゲが文句なしのビジュアル担当として前に立った時、2人が同等のエースになった時、きっとNEWSは本当の意味で「4人で、4人だから出来ること」を見つけられる、そんな気がする。

大好きなサッカーに繋がる仕事をしたいと言い続けて、手越さんは実際に個人仕事もグループ仕事も掴んでみせた。自分にできることを探して藻掻いて来た加藤さんも、小説という個人仕事、そしてそこからタイプライターズMCやビビットレギュラーなどを順調に重ねている。そして『傘を持たない蟻たちは』連ドラ化ではついに原作兼出演者という2重の仕事をこなす。「手越はすごいよ」「シゲはすごいよ」って言いながら、ぐんぐん前に進んでほしい。

 

 

 

・大好きがとまらねえ

最後に声を大にして言いたい。ここまで6500字費やして語ってきたわけだがこれが1番言いたい。テゴシゲって可愛いんだ。

2人ふざけ合うとこも、それを愛しそうに見守るコヤマスも、手越を理解できないシゲも、シゲが好きで熟年夫婦とまで言っちゃうのに小山さんに完敗してる手越も、なんもかんもひたすら可愛い。

手越さんに曲作って!って言われてほんとに作ってあげちゃう加藤さんも可愛い、加藤さんの家のシャレオツな照明に「テゴ」ってダサい署名しちゃう手越さんが可愛い。2人ふざけ合う時の笑顔がほんとにほんとに可愛い。揃って金髪だった時代はほんとに天使だった。テゴシゲ2人がもう一度曲を作るのを、コンサートでテゴシゲ/コヤマスユニット曲が披露されるのをいつまでも待っていようと思う。テゴシゲより先にマスシゲの共作の方が来そうとか聞こえません。

 

 

♯結局テゴシゲが好き♯可愛いは正義♯熟年夫婦♯地球外生命体♯ぞうさんのギターはよ♯誕生日祝ってねちゃんと♯鰤とテゴシゲと私♯美術館も行けよ♯コヤテゴに負けるな♯全コンビ供給待ってる♯NEWS

 

 

 

 

*1:2014年6月放送のLIVE MONSTER内の発言。手越さんがえらい唐突に小山さんに喧嘩を売ったので全私が騒然とした

*2:2014年5月の未来シアターにて

*3:加藤1999年、手越2002年

*4:2006年のデビュー以前はテゴマスではなくマステゴだった。

*5:森内さんの表向きの脱退理由は学業専念ですが、まぁ不祥事による脱退として扱ってもいいかなと思います。週刊誌に写真載っちゃったし。

*6:草野さんが1988年2月15日生まれ、森内さんが同年4月17日生まれなので、元々は森内さんが最年少。彼の脱退後は草野さんが最年少だった。

加藤シゲアキの声がある/君はビターセクシースパイシー

 

四銃士のフルがあれこれびっくりで未だびっくりしていますこんばんは。攻めたね?超攻めたね?超超テレビでやりづらそry

 

私はそれほど多くのジャニーズ楽曲に触れてきたわけではないし、曲のつくりに強く着目するタイプではない。ないので、なんの分析もしておらず単に印象の問題なのだが「ジャニーズの曲でこれはなかなか珍しいのでは?」とぼやーんと思う。イントロで長めにオーケストラ演奏が流れること、サビがソロ歌唱+追従コーラスであること、ソロパートの配分がテゴマス/コヤシゲで極端に1番2番に別れていること、などが私が感じた「珍しい」の中身だ。

この「珍しい」は多分そのまま「テレビでやりづらそry」の中身でもあって、まあ要するにだからこそ目新しく感じるんだろう。私はあまり気にかけたことがなかったけれど、アイドルグループの曲というものは通常TVサイズにカットすることも考慮にいれ、メンバーの魅せ場をどう散らすかを熟慮して作られているんだな!と感動した。そして今回そういう「アイドルソングのイロハ」をうっちゃったことにはちゃんと意味があるんだなあとも思ってますます感動した。すごい、ジャニオタ楽しい。

 

ただ、今のところ好きな場所は増田さんの大サビと加藤さんソロの「天高く」(特に「く」を伸ばすとこ)の2ヶ所でどちらも2番なのでTV披露する時カットされたらかなしい。笑

 

 

4人になってから、新しい曲が出来る度に「シゲ、歌上手くなったなあ〜」と思う。「上手い」じゃなくて「上手くなった」だ。それから、「シゲがいてよかったなあ」と。

残念ながら私は、加藤さんの歌が上手いと思ったことは1度もない。何分自分が音楽に関する素養が皆無であるため、音程の正確さや音域の広さなどがわからないのも関係していると思う。私にとって歌の上手い/下手はかなり感覚的な判断に基づいていて、早い話が私の耳には加藤さんの声が馴染まない。今後加藤さんがどれほどの訓練を積んでめちゃくちゃ正確な音程やどちゃくそ広い音域を手に入れたとしても、声質が変わらない限り「歌上手い!」と思うことは多分ない。

(一応言っとくと上手い/下手と好き/嫌いはまた別の話)

 

加藤さんが加藤さんの声である限り彼の歌唱力を高評価することは出来ないくせに、「シゲがいてよかったなあ」と思う理由もまた彼の声だ。自分でもなんだか矛盾している気がするけど、本当に心から思う。加藤さんの声がNEWSにはまだある、加藤さんがいてくれてよかった。NEWSの曲を聴く度にいつも思っている。

 

 

 

6人時代のNEWSを好きになった私が彼らの声を満足に聴き分け出来るようになるまでにはそこそこの時間が掛かった。

・「P亮シゲの誰かなのか、コヤテゴマスの誰かなのか」は結構簡単に分かるようになった。

・それから「Pシゲのどちらかなのか亮シゲのどちらかなのか」と、「手越なのかコヤマスどちらかなのか」がほぼ同時並行で分かるようになったと思う。強いて言うならテゴorコヤマスの方が先かな。

・次が「山下くんなのかシゲなのか」

・で、最後まで分かったり分からなかったりしたのが「亮ちゃんなのかシゲなのか」

・そして現在進行形でよく間違えるのが「小山なのかまっすーなのか」である。(増田担なのにね!!!)

 

実際には音程とか音域を考えたら「P亮シゲ」「コヤテゴマス」で二分出来たわけではないのかもしれないが(コヤマスの方が加藤さんより低音域だという話をちょいちょい本人達もしてるし)(P亮とコヤマスの音域比較トークが聞けることはこの先なさそうなのが残念無念)、なんとなくの声の印象として「男っぽい声のP亮シゲ」と「柔らかめ高め(?)の声のコヤテゴマス」というグループ分けをしていたのは私だけではなかったように思う。コヤマスの聴き分けや亮シゲの聴き分けに苦心している人を他にも見たし、ここはどっちが歌ってるのかな?という話もそこそこ見かけた。

錦戸くんは明らかに歌が上手くて、シゲは明らかに歌が下手で、それなのに2人の聴き分けが難しかった理由は今も分からない。でも、似ていたなと思う。これは私だけなのかもしれないけど、Porシゲなのか、亮orシゲなのかはしばしば迷うのに何故かP様なのか亮ちゃんなのかはあまり迷わなかった。うるうるした声のコヤテゴマスと、水分少なめニコチン多めのP亮シゲとが同じ人数なのが好きだった。合わさると不思議と溶け合って、NEWSだけの歌声になった。

私にとって「NEWSの歌声」とはそんな「『3人と3人が合わさった6人』の歌声が混ざったもの」だった。個々のメンバーの聴き分けこそ難しくとも、嵐は嵐、エイトはエイト、そしてNEWSはNEWS、と同じような男性ユニゾンでもグループによって声が違うこと、聴くだけでどのグループなのかハッキリ分かるのが不思議で面白かった。ちなみに今はこの3組にHey! Say! JUMPTOKIOSMAPを含めた6組のグループとしての声が分かる。あれ、TOKIOってこれに含めていいのかなまあいいや。NEWSの歌声が好きだった。

 

 

NEWSから山下くんと錦戸くんが抜けた時、ショックを受けてなんにも言えない自分とこれからのことを考えている自分がいて、後者の自分が気になっていたのが歌割変更のことだった。

声質のことを考えて歌い継ぎしたら全部シゲパートになっちゃうんじゃないの?wwwと想像してちょっと笑った。

もちろん蓋を開けてみればP亮パートをまとめて加藤さんが引き受けるなんてことになっているはずはなかった。歌割変更に関してはちゃんとまとめている方が既にいらっしゃるので詳しい言及はしないが、なんだかんだで割と均等に4人で埋め合わせをしている。(該当記事見つけたら後で貼ります)

加藤さんは元々のソロパートが少ないので均等に割り振った結果自パート率は大分高まったが、4人の中で飛び抜けて受け持ち箇所が多いということは全くない。ないけど、でも、今一番存在感があるのはある意味加藤さんなのではないかと思う。

 

私にとってNEWSのユニゾン=「3人と3人の歌声が混じったもの」だった。そして今、私の耳にはNEWSの歌声は「1人と3人が混じったもの」に聴こえている。すなわち「シゲ+コヤテゴマス」である。これは声域や音程とは(多分)全く関係なくおそらく声質(?)によって生じている感覚だと思われる。

NEWSを知った頃に比べると高くなったと思う。柔らかな声の勢いが増したと思う。特に、小山さんの歌唱力の上昇によってコヤマスの歌声がどんどん似てきているのも大きいのだろう。4人NEWSは6人NEWSに比べて爽やかで柔らかだ。でも、全くの別物かというとそんなことはないのだ。この「全く違うというわけではない」と言える最大の要因が加藤さんの声なのではないだろうか。低く独特だった山下くんの声、バンドマンみたいで魅力的だった錦戸くんの声はもうない。けれどまだ加藤さんがいる。

3人+3人は1人+3人になった。もし、もしも錦戸くんと山下くんと共に加藤さんもいなくなっていたら、今のNEWSは3人。あの頃あった二要素のうち片方を完全に失っていた。山下くんにも錦戸くんにも少しずつ似ていた加藤さんの声がまだあるから、今のNEWSの歌声はあの頃とまだ似ている。これからも似ている。今とあの頃は違うけれど、どちらの歌声を聴いても「あ、NEWSだ」と思える。これはきっと不幸中の幸いなんだろう。

スモークしたみたいな加藤さんの声がちゃんと聴こえる。少しがさついた声と化粧水みたいな果物みたいな声が合わさっている、というあの頃の印象がまだちゃんとある。歌声というの観点のみから見れば、あの頃と今とを接続しているのは絶対に加藤さんだ。スモーキーでスパイシーな声をユニゾンの中で拾う度、NEWSはちゃんとNEWSだなあと思える。錦戸くんの声、山下くんの声がないのはそりゃあ寂しいけど、まぁいいかな、これも好きだな、って思わせてくれてるのは、私にとっては加藤さんなのです。

 

 

そしてもう一つ、私にとっては決定的に重要な存在意義が加藤さんの声にはある。それはテゴマスとの差別化要素としての役割だ。

何度も前述しているが、小山さんと増田さんは歌声が大変似ている。増田さんの方が無性的な歌が似合うとか小山さんの方が失恋ソングが似合うとか思ったりはするので、全く同じというわけではない。(聴き分け出来てないやつが何言ってんだって感じですけども。笑) 同じというわけではないんだけど、似ているという事実は否定しようがない。加えて、歌唱力という物差しでコヤマスを測るとまず間違いなく増田さんに軍配が上がる*1。だから多分、コヤテゴマスの3人の歌声とテゴマスの2人の歌声との間に決定的な差異を生み出すのはとても難しい。

ところが加藤さんは違う。まあ歌唱力という点ではコヤシゲはテゴマスに叶わないんだろうけど、でも加藤さんの声は今のNEWSで唯一無二のものだ。手越さんにも増田さんにも小山さんにも真似出来ない、NEWSでたった1人のビターボイス。もしも加藤さんの声が小山さんと似ていたら、P亮だけが旧NEWSのスモーキー担当だったら、「NEWSだから出来ること」「テゴマスじゃなくてNEWSだから出来る表現」の幅は今よりずっとずっと狭かっただろう。

6人の中の2人と4人の中の2人では意味合いが全然違う。差別化の難易度も段違いだ。しかもNEWSではどうしたって歌を引っ張っていくのはテゴマスになってしまう。今、NEWSとテゴマスは両方が生きていくために結構な苦戦を強いられているような気がする。NEWSに加藤シゲアキがいる、NEWSに加藤シゲアキの声があることは、立派な武器の一つなのではないだろうか。

 

 

昔のNEWSの歌声も今のNEWSの歌声も好きだ。NEWSも好きだしテゴマスも好きだ。どっちもちゃんと尊んでどっちもちゃんと愛していられるのは加藤さんのビターでセクシーでスパイシーな声のおかげだったりするの、私だけじゃないんじゃないの?って勝手に思ってます。加藤さんのラフロイグみたいな声があるNEWSがとってもとっても大好きです。

 

 

 

ちなみにちなむと、なんか声質的な意味で若干加藤さんをディスってるぽいですが貶したいわけではないのです一応。実際、こんなにも歌が不得手に聴こえてしまう声があるの!?とはじめは驚いたものだけど(ついでに相葉さんも同じ枠だったりする)、そんな自分の声を最大限活かす術を模索し続ける加藤さんてすごいと思う、ほんとに。ラジオの声とかすーーーごい耳馴染みがよくていつまででも聴いてられるし、少し加工を掛けた時の魅力はピカイチな声だと思います。『Fighting man』をミュージックステーションで披露した時の拡声器使ったパフォーマンスとか最高に素敵だからディスク配って回りたいくらい。

多種多様な音楽に興味を示すしソロ曲は一貫して作詞作曲両方手掛けている加藤さんが色々な声の使い方をしてくるところも含めて『安心と信頼のシゲソロ』だなって。

 

そんでもって好みとか聴こえ方って多分十人十色千人千色です。私は二宮さんとか内さんの声がとってもとっても好きで、大野さんの方が上手いとは思うけど二宮さんの声に何度でも撃ち抜かれるし渋谷さんより内さんのソロパートの方がグッと来ます。でもきっとそうじゃない人もたーーくさんいる。大野さんの声が1番好きって人も松本さんの声が1番好きって人も丸山さんの声が安田さんの声が錦戸くんの声がっていろーーーんな人がいる。その中には加藤さんの歌声がもう本能とか感性とかでどうしようもなく好きな人も当然いるでしょう。そしてそんな人にとって加藤さんの声はきっと、かえしが強烈にでかくて1度刺さったら絶対抜けない魅力を持ってるんだろうなあと思うのです。

というわけでそんな風に加藤さんの歌声に胸貫かれてるタイプで不愉快に思った方がいらっしゃいましたらほんとにすいません。そしてそういうタイプの方で「加藤さんの歌声はラフロイグっぽい」っていう私の感想に共感してくれる方は是非握手してくださいお待ちしてます。

 

 

ベストアーティストの出演決定おめでとうー!やったー!

あと増田さん入所おめでとうございます大好きです。

四銃士に伴うあれやこれや全部楽しみだ〜!♡

*1:歌唱力がなんなのかは曖昧だけど音程の広さとか音程の正確さとか声量とかハモる時のつられなさとか的な感じ

0.担当

http://ichigonokimi.hatenablog.jp/entry/2015/10/17/204842

 

エッセイ書きたかったけどなんにも思いつかなかったので都々逸をいくつか。

 

 

星の海なら 溺れないでしょ 潜っていてよね 永遠に

 

愛してるよと 叫んでみるけど ほんとは知ってる 愛じゃない

 

心に形が もしあるならば 縛りあげるわ 君のこと

 

砂みたいだね あなたはまるで 一握でさえ 掴めない

 

 

 

 

↓ 最初は小説を書こうとしたんだけど夢小説っぽくなってしまい挫折した。

 

 

NEWS4人の"っぽさ"について

 

コンサートで三角形のペンライトを振りたい欲が湧き出てやまない。なぜ三角形限定なのかというと、2013年幸福魂のペンライトが四角で2015年純白魂のペンライトはハート型だったからである。□、♡と来たらそれはもう▽が来るしかない、来てほしい。来てくださいお願いします。

と、祈り始める程度には□♡▽○のロゴが好きだ。好きすぎて4人の□っぽさや♡っぽさについてあれこれ考えてたらなんだか楽しくなってきた。ほんと低燃費。

 

 

 

小山慶一郎

小山さんはNEWSの輪郭だ、とよく思う。

アイドル小山慶一郎を守るためにNEWSを続けることを決めたあの日、それが自分の我が儘だとしてもそれでNEWSが形骸になったとしてもNEWSを捨てないと決めたあの日、彼は多分NEWSの進退に関する全ての責任を負う覚悟を決めたのだと思う。NEWSという□の枠を小山さんが作ってどうかこの中を選んでよとテゴマスに祈って、それが叶って今のNEWSがある、という感じだ。

NEWSのリーダーとしての小山さんの在り方にもそれが現れているように思う。「僕は先頭に立ってみんなを引っ張るタイプじゃない」と彼は言う。真ん中に立ってみんなを率いて意見をガンガン言って…というのがリーダーのあるべき姿なのだとしたら確かに彼はリーダーらしからぬリーダーなのだろう。小山さんは、イエスマンだしみんなの意見をなんでも肯定しちゃうしやられキャラだし、カリスマ性には乏しい。でも、NEWSの内部に張り巡らされる神経として、NEWSの外部に意志を伝える伝達器官として、彼が一番にNEWSを背負ってくれている。NEWSがNEWSの道をゆくためのキーマンが手越さんなのだとしたら、NEWSがNEWSであるためのキーマンはきっと小山さんだ。小山さんが守ってくれた枠があるから、何もかもを繋ぐ覚悟を持ってくれているから愛しい今があるのだと思う。

もう一つ、□は4つの角で出来ている。誰よりメンバーを好きだという小山さんこそが一番一番『4』を担うに相応しい。

10ve anniversary を謳ったコンサートのDVDのパッケージは真っ白な四角形で、その真ん中に紫の□とピンクの♡と黄色い▽と緑の○が描かれている。紫の□が小山さんなのはもちろん、このDVDのパッケージそのもの、真っ白い四角形もなんだか小山さんみたいだなと見る度思う。小山さんはそんな風に"□っぽい"。

 

 

手越祐也

この4つの図形の中からどれか一つを手越祐也に与えていい、と言われたら、きっと誰もがこの形を選ぶだろう。

愛されること、愛すること、その両方を無邪気に「嬉しい」と抱きしめてくれる手越さん。私はもてないしひねくれてるし、自分とアイドルが通じあってると思ったことはない。私たちファンと彼らアイドルは徹頭徹尾隔てられて生きていると心の底から思っている。けれどそれでもきっと私たちは手越さんに本当に真実愛されていて、彼のことを愛せている。そう思わせる手越さんの力が魅力なのか魔力なのかはわからない。けれど胸を張って言える。愛してるんだよって、愛されてるんだよって、恥ずかしいくらい大声で叫びたい。

疑似恋愛の対象のくせに、テレビ画面の向こう側とか遠く隔てたステージの上とかにしかいないくせに、「そんなもんぶち破ってそっちに行くよ」「俺はこの世界で君と同時に生きてるんだよ」ってそんなおとぎ話を大真面目に語るところが好きだ。愛こそが手越さんにとってはアイドルという存在の本質なのかもしれない。

「俺は本物だよ」と嘯く手越さんは愛だし、そして同時にNEWSの心臓だ。生きてる限り絶対とまらない、一生動き続ける原動力。エースとして全部受け止めて走り続ける覚悟が眩しい。真っ赤な血にアイドル色の白を混ぜて、ピンク色の血を永遠に巡らせ続ける。この強い強い心臓がど真ん中にあるから戦いの土俵に立てている。誰より強くて誰より可愛くて世界一カッコいい手越さんは、この上なく"♡っぽい"なぁと思う。

 

 

増田貴久

まっすーと言ったらまず真っ先に赤い髪と左耳に揺れる金色の三角形が思い浮かぶ人は少なくない気がする。

三角形は、一番安定していて一番強度が高い形だ。そして多角形の一番初めの形。この世に存在するありとあらゆる多角形は全て三角形の組み合わせのみで作られている。歌と踊りというアイドルとして一番シンプルな武器だけを研ぎ澄まして戦ってきた増田さんは、余計なものを全て削ぎ落とした三角形の魂を『まっすー』の中に閉じ込めているのかもしれない。正三角形はとても安定した形だけれど、その反面頑なだ。「俺は大器晩成型なの」と冗談交じりに言うけれど誰より高い誇りとプロ意識を持っていたり、それが故にとても頑固で意地っ張りなところがあったり、増田さんはちぐはぐで不思議だとよく思う。あどけない顔とたくましい身体、男らしい声とやわらかな歌声、人当たりの良さと頑固さ、そんなバラバラでトゲトゲの小さな三角形が全部組み合わさったら大きな三角形になる。そんな無数の部分で出来ているところが彼の"▽っぽさ"の1つだ。一体感のないもの、一見正反対のはずのものがかっちりぴったり組み上がっている不思議さこそが増田さんの魅力なんじゃないだろうか。

自立するために必要な最小の数の点だけで揺るぎなく立っている、というのも大きなポイントだと思う。増田さんは揺るぎない。揺るぎなく自立している。誰の助けも借りずに自我が確立していて、本当は1人っきりで生きていけそうなところも"▽っぽい"。

 

 

加藤シゲアキ

加藤シゲアキは苔むさない転石だ。

増田さんが自分という▽をどんどん大きくしていくのだとしたら、加藤さんは自分という○を果てしなくどこまでも転がしてゆく人だと思う。自分に出来ることを探し続けて、藻掻くこと足掻くことを決してやめない加藤さん。転石が苔むさないのは転がっているからだ。動かなければ苔むすという摂理を誰より知っている、自分が転がり続けなければならないのだということをちゃんと自分に言い聞かせ続けて彼は生きている。どうにもならない今をどうにかしようとする気力を捨てないところに加藤さんの性根の真っ直ぐさが表れているように思う。人と人とは理解し合えると信じていそうな純朴さが加藤さんにはある。きっと分かってもらえると信じているからこそ言葉を尽くして語ろうとするのではないだろうか。ひずみなく真ん丸な加藤さんはきっと、止まることなく転がり続ける。

○という形は、とても調和がとれている完璧な形のようでいて、その実そうでもないところがある。一見美しく矛盾ないように見えて実は割り切れないような、そんな円周率のような割り切れなさもまた加藤さんの魅力だ。ピンクとグレーを初めて読んだとき、りばちゃんが加藤さんに見えて仕方なくて、これを山下くんと加藤さんで実写化出来たらどんなにいいだろうかと切実に思った。でもそれは私が加藤さんの苦悩や駄目なところを意識して見ていたからこそ芽生えた感覚なのだろう。加藤成亮というアイドルは、順風満帆なJr.人生を歩んできていてよく知らない人から見れば恵まれているように見えるのかもしれない、と最近不意に気付かされた。りばちゃんばかりがシゲに見えたけれど、本当はごっちも正しくシゲの分身なのだと、りばちゃんとごっちが同一人物の中に危うく共存するその不確かさはとても"○っぽい"し、その相反の克服が加藤さんの主人公力の源泉であるようにも思う。

 

 

 

紫ピンク黄色緑の並びがとても好きで、テゴマスをコヤシゲで挟む並びもすごく好きで、でも一つ、NEWSの4文字にメンバーを当て嵌めるアレに噛み合わないのが残念だ。

NNews caster 小山

EEntertainer 手越

WWriter 加藤

SStylist(またはSinger) 増田

という例のアレである。

 

WとSを入れ替えて

WVocal & Visualizer 増田

SStoryteller 加藤

にしたらいいかなあ、とかわくわく考えるのがとても楽しいのでNEWSがNEWSという名前で良かったなあこの名前が好きだなあとしみじみ思う今日この頃なのでした。

 

 

 

 

 

 

余談。

実は個人的には、加藤さんの方が▽っぽいし増田さんの方が○っぽいなあと思っている。

 

加藤シゲアキ

 真っ直ぐな分不器用な印象が強くて、直線だけで構成された形を司られたくなるのかもしれない。

△じゃなくて▽なのも大きい。増田さんはド安定な人なので、その揺るぎなさはどちらかというと△っぽい。それに対して、不安定な感じを受ける▽には加藤さんの方が似合う気がする。そして、▽は♡に似ている。加藤さんと手越さんの、すごくよく似ているのにほんの細部が違うために全く違う印象を与えるところはとても▽と♡っぽい。加藤さんの、愛になりたいけれどなりきれないところ、グラグラしながら自分で立ってるところ、なんかすっごく"▽っぽく"ないですか?

 

○ 増田貴久

増田さんは丸い。何もかもが丸い。顔も身体も声も何もかもがまぁるくて優しくて、私なら迷いなく○を与えるなあとどうしても思ってしまう。声に形があるのなら、増田さんの声は絶対まんまるだ。顔も丸いし(悪口ではない)、頭(特に後頭部!!)も丸いし、笑った顔もなんだかまぁるい。

体積が同じなら、表面積が最も小さくなる形は球体だ。優しくて柔らかで、それなのに閉じている球、○は増田さんに似つかわしい気がする。

ていうか公式でおまんじゅうとか弄られる人が丸じゃないわけなくない?

 

 

 

最近TwitterでNEWSの形について(主に増田さんと加藤さん逆の方がしっくりくる話について)うだうだ呟いていたら、フォロワーさんから結構反応というか考察?を頂いた。

加藤さんと円周率の話、りばちゃん≒加藤さん≒ごっちの話はフォロワーさんから聞いて納得させられた案件です。あと、増田さん=△のイヤーカフも私にとっては盲点でした。そう考えるとやっぱり色々考え尽くして図形も決めてるのかな〜〜。

 

私は増田さんといえばなんだか何もかも丸い、という自分の認識に疑問を持ったことがなくて、「増田さんの声丸いよね!」 と言ったら「声に形を見出す人初めて見ました」と言われてちょっと恥ずかしくなった。まぁそうだよね声に形ないもんね。

 

どうかどうか末永くこのロゴが使われますように!!次のコンサートのペンライトが▽でありますように!!!

まぁつまりは早くコンサートやろうよおおおおお。っていう。

 

(笑)

 

 

 

あと2日で四銃士フルが聴けると思うとちょー楽しいですね。いい子で待ちますこーゆー下らないこと考えながら。

己のこじつけ力の高さにおののきながらせっかく書いたので一応ブログに上げてみるのでした。

ジャニオタが自分が恋愛できない理由について本気出して考えてみた

前記事でアイドルと恋愛、結婚について考えながら、15分に1度くらいの頻度でとある虚しさに襲われていた。なんで私、見ず知らずの好きでもない(※恋愛対象として好きではない、という意味で)他人の恋愛に口出してるんだろう…どっちかっていうと自分の恋愛について考えた方がいいんじゃないの……

 

 

ということで考えた。ジャニオタなりに自分が恋愛できない理由について本気出して考えてみた。私はどうして恋愛できないのか?ていうか私が恋愛できないのってジャニオタだからなの?

ちなみに、おそらく私は世にいうこじらせ女子というやつなのだが、その辺についての著作やらネット上の議論やらは特に読んだことがないので既存の何かしらの議論と被ってたらすいません。

 

 

私の駄目っぷりについて考える前に過去の恋愛遍歴を軽くさらっておく。

 

 

1人目。小学校の同級生のゆういちくん(仮名)。

現在はUVERworldのボーカルみたいな風貌だが昔はコアラに似ていた。

好きになったのが小学校5年生な上に最初から最後まで何もなく終わった。じゃあ書くなよと言う話だが、なんだかんだで高校2年生まで実に6年以上好きだったので一応ね、一応。とにかく面白い変人。小学生の頃、授業中にはさみとでんぷん糊を取り出しておもむろにはさみで前髪を切り出すような奴だった。その糊では前髪はくっつかない。余談だがゆういちくんは高校入学後彼女が出来て、今年で5年その子と付き合っている。

教訓:何もしなければ何も始まらない

 

 

2人目。高校の同級生のゆうじくん(仮名)。

長身痩躯のあっさり顔ひょろひょろスポーツマン。

出会いは高校1年生の終わりごろ、3クラス合同の体育でたまたま同じスポーツを選択していて同じ班になったことだった。そして高校2年生で同じクラスになる。私とゆうじくんは1年生の時は共に理系クラスだったのだが2年生から文系クラスになった。結果、クラスを発表されて教室に行ってみたら知り合いが2人しかいないという絶望に見舞われた。その1人がゆうじくん。そりゃあ仲良くもなるよね!!

ついでにゆうじくんはこの時期に私と同じ予備校にも通いだした。そして1つ目の事件が起こる。ある日、同じ予備校に通っていたゆうこちゃん(仮名)が、おずおずと頬を染めてかわいらしく言った。

「私、ゆうじくんのこと好きになっちゃったかも」

ザ・青春。こうして私はゆうこちゃん主導の元『ゆうこちゃんの恋の成就のためゆうじくんともっと仲良くなろう計画』を余儀なくされた。そりゃあ仲良くもなるよね!!!!(2回目)

なおゆうこちゃんは実にあっさり振られた。ゆうじくんからは「ゆうこちゃんが俺のこと好きなんて予想外すぎてびっくりした」というコメントをもらった。いやお前以外全員気づいてたよこの鈍感野郎!!

実はこの時ゆうじくんには好きな人がいた。また別の私の友達だった。そして誰がどう見ても明らかに両想いだった。スタート時点でお互いクラスに友達がいなかったこともあって、私とゆうじくんはどんどん仲良くなっていった。これはやばい、と思いながら仲良くし続けていたら案の定好きになった。バカ。竹輪の穴に指突っ込んで食べてたら指噛んじゃったレベルのバカ。

私は超ド級のバカなので、なんとここから卒業まで1年半ゆうじくんの1番仲のいい友達でい続けた。恋の悩みも勉強の悩みも家族の悩みも部活の悩みも全部聞いてあげて(私が愚痴や悩みを聞いてもらうことはほとんどなかった)優しく慰めては「俺、こんなに仲良いいんだからお前とは一生友達でいれる気がする…」「おー、一生親友でいようぜ」みたいなバカっぽい会話を交わした。ぶっちゃけ高校時代の思い出はほとんど全部ゆうじくん*1。一応言い訳しておくと、高校2年生はゆうじくんにとっては人生の暗黒期で割と何もかもが上手くいってなかった。「お前がいなかったら高校行くの辞めちゃってたかも」とまで言うレベルで目に見えて弱っている好きな人を突き放せるほどの強さは私にはなかった。「私がこいつに告白したらこいつの友達1人減っちゃうなあ」と思うと告白さえできなかった。バカ。

来年の2月にゆうじくんと彼女は5年記念日を迎える。結婚式には呼んでくれと言ってあるので、もし彼らが結婚したらスピーチでもなんでもして家に帰って引き出物のバウムクーヘンを食べながら1人でしんみりする予定である。

教訓:与える方と与えられる方が決まっている関係は不健全

 

 

3人目。1つ上のゆうぞうさん(仮名)。

顔と声がめっちゃ好みだったが中身はすがすがしいほどのクズ。私の初めての彼氏(交際期間2週間)。通っていた予備校でバイトしていた。高校の卒業式の日、急にマイミク申請かmixiメッセのどちらかが来たところから関係が始まった。ちなみに目的は私ではなく私の友達。

しかしゆうぞうさんはあっさり振られた。あっさりきっぱり振られた。落ち込むゆうぞうさんを一生懸命慰めていたら告白された。この時点で知り合って1か月。直接会ったことはほぼない。(もともと同じ予備校内にいたので面識は一応あった)

その後なんやかんやで一応付き合った*2ものの先述した通り2週間で別れた。出会いから別れまで2か月。

ゆうじくんを諦めようと心に決めた矢先に振られたてほやほやのイケメンが現れたので、あと告白されたのも人生初だったので、まあ好きになれそうだし好きになってもらえそうだし頑張ろう!と思ったのに速攻で振られた。

別れてからも結構仲良くしていたのだが、彼は割と強烈なクズだった。3か月くらい前にラインでしつこくセフレになろうと言われた挙句「じゃあその気になったらこっちから連絡するんで!」と強引に話を切り上げたら「オッケー、いつ誰に見られるかわからないからいきなりそういう話送ってきたりしないでね」と言われて衝動的にブロックした。これでそろそろ1年は続いている彼女がいるのだから世の中は不公平だ。

教訓:クズとクズが傷の舐めあいをするのは遠距離だと困難

教訓:ノリがあうことと価値観が合うことは別問題

 

 

4人目。大学の同級生のゆうしくん(仮名)。

今年の1月に別れた。交際期間1か月というスピード感あふれる恋だった。半年くらい友達以上恋人未満期間を過ごし、なんか違うかなと思いつつ、でも付き合ったら変わるかなと思いつつ付き合ったけど何も変わらなかった。あと、正直なところ「なんで3年も彼氏いないの?」と訊かれるのがダルすぎてとりあえず一瞬でもいいから『彼氏がいた』という実績が欲しかったのも少なからずあった。よい子は絶対真似しないように。

ゆうしくんの何が駄目だったのかというと何も言えない。背が高くて運動出来て優しくて顔も普通で、でも駄目だった。周りの友人にもったいないって言われまくったし怒られまくった。

教訓:駄目なものは駄目だから駄目

 

 

 

以上である。こう書くと4人と恋愛してきたっぽいがお気づきの通り付き合ったのは2人だけ、しかも総交際期間わずか1か月半。22年生きてて恋人いた期間1か月半。

 

ちなみに、「なんで恋人できないんだろう」と言った時に帰ってくる言葉は、1番多いのが「自立しすぎ」で、女子から言われるのは「その気が足りない」、男子から言われるのは「隙が足りない」である。じゃあ誰かその気の出し方講座開いて!!自立できなくなる方法教えて!!!

 

 

 

・自信がない――愛されたい編

そんなこんなで自分がもてないというか恋愛が下手くそな自覚はある。じゃあ何が駄目なのかと言うと、それはもう「自信がない」の一言に尽きる。私はもてない。容姿にも性格にも自信がない。そして厄介なことに、私の自己評価と他者からの評価にはおそらくほどほどの落差がある。ゆうしくんと付き合った理由には、「なんでそんなに長いこと彼氏できないの?」とあちこちで訊かれるのがだるい、というのもだいぶあった。それは裏を返せば「こいつに3年も彼氏がいないなんて少し不思議だなあ」と思われているということだ。それも1人ではなくそこそこの人数に。

 

高校生までの私はどう見ても不細工寄りだった。だから自分がもてないことについてあまり深く考えることはなかった。だってかわいくないんだからもてなくてもしょうがないし、ゆうじくんの好きな人は私よりずっとかわいかったから彼女に負けることに異存はなかった。

容姿の問題を抜きにしても私はずっと男みたいで、クラスまたは学年に1人はいるような『男女』だった。髪もずっと短くて顔もどこか男らしくて恋なんて全然似合わなかった。「お前は女じゃないもんな」となんの悪意もなく言われることに慣れ切っていたし傷付きもしなかった。中学生の頃、社会の授業中先生に「お前体重何キロだ?」とことあるごとにきかれたのを今でも覚えている。私が素直に「55キロです」と答えると先生もみんなもどっと笑って、「でもこんなこと聞いていいのこいつだけだからな、ほかの女子にはやっちゃ駄目だぞ」と先生はいつも言った。そういう、『ちゃんとした女子じゃない扱い』はべつにいやでもなんでもなかった。「お前に好きな人なんかいるの?」「お前でも恋なんかするの?」と笑われたことも一度や二度ではない。男言葉で口汚くしゃべり学校生活のほとんどをジャージで過ごすうるさい自分と、家で悶々とゆういちくんのことを考える自分はまるで別人みたいだった*3。中学生の頃は人にはたくさんの顔があるのが当たり前だということもよくわかっていなかったから、ますます恋をすることへの恥ずかしさが増した。

自分が恋をするなんて人に笑われるんじゃないか、自分に好きになられたら人に嫌がられるんじゃないか、と思い続けたまま高校生になってしまった。そこで出会って好きになったゆうじくんにも結局は女の子としては好きになってもらえなかった。好き=「ただ好きでいること(=なんの行動も起こさないこと)」という精神が抜けないまま、言ってしまえば小学5年生の時と同レベルのまま私の高校時代は終わった。それでも問題はなかったのだ。どうせゆうじくんとは付き合えなかったし、それでなくても私を好きになる人などいなかった。(それに、ゆうじくんにべったり過ぎて他の人が私を好きになることなどまずなかっただろう)

しかし大学生になって、髪を染めたりメイクをしたりすることを覚えて、徐々に私は気づいた。残念ながら私は容姿だけを理由に恋愛を諦められるほどの不細工ではない。決して美人ではないが笑いをとれるほどの不細工でもない。そして、私が誰かに恋をしていつもの私を失って取り乱したって、本当は誰に笑われる筋合いもない。

頭ではこれがわかっているつもりだ。でも駄目なのだ。自分が誰かに好きになられるということが全然信じられないから、ちょっとそういう空気になった時にもとにかく傷付かないように傷付かないようにとなんの進展も起こらないようにふるまってしまう。ラインのやり取りでも、「お前あいつとお似合いなんじゃないの」って誰かにからかわれたときも、とにかく全く意識していないかのような態度をとる。いやだからではない。嫌われたくないからだ。何かを考えるより先に、「私がこの人に気があるとか好きだとか思われたら気持ちわるがられるんじゃないか?嫌われるんじゃないか?」と思ってしまっててんで駄目なのである。そしてあとから思い返して、あれはフラグだったのかもしれないとかあそこでこうしていれば何かが変わっていたかもしれないと後悔するというパターンをすでに何度か経験している。

 

私は今でも決して女らしくはない。一人称こそ「俺」から「私」になったけれど言葉遣いは今でも男みたいだし、何より私はそんな自分のままアイデンティティをそれなりに確立してしまった。私は自分が決して女らしくないことも、それほどの美人ではないことも、少し変わった人間であることも自覚していて、それでもそれが自分だと思っている。少し変わった、というのはたとえば1人で温泉旅行に行けたり、男5人女1人で旅行に行ったり、自転車を75キロ漕いで実家に帰ってみたり、回転寿司を20皿食べられたり、そういう常識の範囲内でちょっと人と違うところだ。そして普段からの男みたいなしゃべり方とか、虫が怖くなくてセミやカマキリが手づかみできるところ、お化け屋敷で叫ばないところ、言ってしまえば可愛くないところだ。そう、私は可愛くない。でもそれが私だ。

私は自分がキラキラした可愛い女の子ではないことを知っている。でも同時に、自分が別に特殊な存在ではないことも同じくらいちゃんとわかっている。この程度の差異ならば社会の中で単なる個性として扱ってもらえるはずだ。私が少し変わっているのは、少なくとも人間として失格なレベルのおかしさではないはずだ。人間としてちゃんと生きている、友達だって普通にいるし人間関係で困った事態になったことも別にない。だから、自分を変えたいとかどうにかしなきゃいけないとあまり思えない。私は私のままで生きていたいし今がとても楽しい。心の中では、いつか誰かがこのままの私を好きになってくれて面白がってくれるんじゃないかと期待している。好きになってもらえる気はしないくせに、愛されたい欲だけは人一倍あるのだ。どこにでもいる凡人なんだから、ほかの誰かと同じように私だって誰かに好きになってもらえたっておかしくないはずだ。おかしくないはずなのにそんなことありえない気がするし、実際ない。なんでありえない気がするのかも、なんで本当にないのかもよくわからない。

 

何が駄目なのかわからないが、とにかく何かが駄目なんじゃないか、自分には何か致命的な欠陥があるのではないかという恐怖がますます私を駄目にする。22歳にもなって長らく恋愛をできていないこと、まともに恋愛した経験がないことを知られると、十中八九それを聞いた人からは「きっと何かが駄目なんだな」「きっと人間性に何かしらの問題があるんだな」という反応が返ってくる。それに何の反論もできないからますます自分が駄目に思えて、震えるほど怖い。怖いからどんどん誰かに好きになってもらえるなんて信じられなくなって、傷付かないように傷付かないようにと予防線を張って生きてしまう。おかげさまで男友達超いっぱいいる。予防線張るプロです。

昨年就活の一環でインターンシップに参加した際、グループの中で議論をバリバリ取り仕切っていたら「女子なんだからもっとムードメイカーになりなよ。それが女子がいる意義でしょ」と違うグループの男の子に言われた。そこまではまあよかった。さほど気にせずそのままでいられた。(その企業から届いた年賀状には「女王として君臨していましたね!」と書かれていて笑った) でも「その性格のままじゃ絶対一生彼氏できないぞ(笑)」と言われてから、ずっと考えている。この性格が駄目なんだろうか。じゃあ恋愛のためには自分を変えなきゃいけないんだろうか。可愛くなりたいとかこんな服が着たいとか思うのは全然いやじゃない。可愛い性格になるのもそれと同じことなんだろうか。どこからが私でどこまでが私だろう。私は私のままで何かを変えたいけど、変えた方がいいものは何だろう。変えなくていいものは何で、変えちゃいけないものは何だろう。私が私のままでいたら、私はずっと駄目なのかもしれないと、ずーっとずっと思い続けている。

 

 

 

・自信がない――愛したい編

嫌われるんじゃないかと思うと怖くてつい友情しかないかのようなふるまいをしてしまう、というのも紛れもない事実だが、私の中にはもう1人厄介な自意識が住み着いている。それが、愛せない気がするという「自信のなさ」である。

 

前項でも軽く述べたが、私は大学に入学してからの3年半で何度かフラグをへし折っている。その中にはもう、嫌われるんじゃないかの域を越えて明らかに私に気持ちのベクトルが向いているものもなくはなかった。でもその中の誰一人に対しても私は手を伸ばすことができなかった。ゆうぞうさんと一応は付き合っていたときに口説いてきた人や、交わしたメールのやり取りがあからさまに気持ち悪かった人のときは特に気にも留めていなかったが、4人目くらいで雲行きが怪しくなってくる。「俺の後輩が『俺、先輩といつも一緒にいる金髪の人めっちゃタイプなんです』って言ってるけど紹介してもいい?」と言って引き合わされた後輩くんは、特に何の欠点もなくいい人だった。気に食わないところは特に何もなかったのに、ある日急に面倒になって連絡を取るのを辞めてしまった。だって全然好きじゃなかったのだ。好きになりそうな気もしなかった。何が駄目でこの人が駄目なのかわからないのに駄目だった。

ゆうしくんと付き合うまでに半年も友達以上恋人未満の期間があったのもこのせいだった。押せばいけるんだろうなとはなんとなく分かっていた。アタックをかけていたのはどちらかと言うと私の方だった。でも、好きかと考えてみたらよくわからなくて、好きかどうかもわからない相手に告白する気は起きなくて、結局ゆうしくんに告白されるまで私からは何も言わなかった。そしてたった1か月で別れた。

 

大学生になるまで、私は自分をそれなりの恋愛体質だと思っていた。好きでも告白はできない行動力のなさはあったものの、幼稚園で初恋をしてから高校卒業まで『好きな人がいない』『だれも好きじゃない』という期間は全くなかった。私にとって誰かを好きなのは当たり前のことだったし、好きな人のことを好きかどうか迷うこともなかった。だって好きだった。

それなのに今は本当に誰のことも好きではない。好きな人の前でだけ可愛かった高校生までの私はどこかに消え失せ、今の私は24時間365日可愛くない。今なら恋をしているときだけうじうじしたりくよくよしたりする自分のことも仕方ないと思えるのに、私はいつだって元気でいつだって『女じゃない』ままだ。私だって人並みの欲はある。好きな人には会いたいし喋りたいし仲良くしたい。それは嫌われる怖さに勝る欲だ。この人が好きだと思うなら手を伸ばすのも怖くない。高校生までずっとそうやってきた。でもそれは裏を返せば、好きかどうかわからない人に手を伸ばすのは怖いということだ。怖い、怖いから手を伸ばせない。欲しいかどうかわからないものを欲しがるなんてそんなの変だ。欲しくなるまで欲しがれない。欲しかったら欲しいってわかるはずなのに、欲しい人が誰もいない。だから誰にも手を伸ばせない。

空から好きな人が降って来ればいいのに。落ちてきた瞬間もうその人のことが好きだったら迷いなく頑張れるのに。

 

 

「隙がない」「その気がない」とは要するにこういうことなのではないかと思う。

友人たちの言う通り私は傍から見たら恋愛する気がない人みたいに見えるのだろう。あるのに。めっちゃ愛されたいしめっちゃ愛したいのに。愛されるより愛したい、なんて謙虚なことは言わない。どっちも喉から手が出るほど欲しい。

 

 

 

・で、ジャニオタなのと恋愛できないのって関係あるのかな?

ここまで読めばわかると思うけど、多分あんまり関係ない。少なくとも直接的な因果関係はおそらくない。私がもてないのはジャニオタだからではない。しいて言うなら私はもてないからジャニオタなのであり、もっと正確に言えばもてないのとジャニオタなのとは同じ要因に端を発しているのではないかと思う。

それはたとえば愛されるのが下手だということ。アイドルたちはとても上手に愛してくれるから、嫌われたらどうしようなんてなんにも考えなくていい。私がアイドルを好きだというだけで、彼らは私を嫌わない。そして何より、愛するのが下手だということ。アイドルは愛されるのがとても上手だ。私がどんなにふんわり曖昧に彼らを愛しても、それが愛なら別にいい。これが好きじゃなかったらどうしようとか、これがちゃんとした感情じゃなかったらどうしようなんてなんにも考えなくていい。しかも私は、彼らに恋愛感情を抱いていない。愛でも恋でもないけど好きでいていいのはとても楽で、一方通行なのも楽で、でも私にとっては全然、恋愛の代替にはなっていない。

 

有名なはてなユーザーのジャニオタさんが自分の恋愛について書いたとき、「私の愛は分散してるくらいでちょうどいい」「彼氏一人に私の愛を向けたら重すぎてヤバいんじゃないか」というようなことを言っていた。そういうタイプの人もいるのだろう。それも「下手くそな愛し方」の一種なのかもしれない。ただひとつ確かなのは、私がジャニオタであることと私が恋愛が下手くそなことに直接的因果関係は特になく、従ってジャニオタを辞めたところで別に恋愛が上手になったりはしないだろうなあということである。

ジャニオタを辞めたら自分に自信が持てるなら足を洗う価値はあると思う。少なくとも私にとっては意味のある行動になるだろう。恋愛が少し上手になるだろう。でも違う。確かにたまに思う。「付き合っていつまでもジャニオタを隠し続けるのって無理だよな」「ジャニオタって割と地雷だよな」って思う。でもそれと私が抱く『自信のなさ』って別物だ。もっと根本的に自分を駄目な人間だと思っているのが駄目なのだ。その根本はジャニオタとはあんまり関係なくて、だからジャニオタであることは何の言い訳にもならない。

 

ジャニオタだからもてないんじゃない。不細工だからもてないんじゃない。なんかもっとでっかい何かが多分駄目なのだ。それを克服できる日が来たとしても、私はきっと増田さんのことやNEWSのことが好きなままだろう。

恋愛の代替ではないし、特に生きる上での足かせにもなっていない。いないがゆえに逆に、オタ卒できるビジョンはあんまり見えないけどそれはまたいつか暇なときにでも考えよう。

 

 

 

・最後に

以下、仲のいい友達とのラインのやり取り

湯坂「可愛げってどこに売ってるんですか」

友人1「まず彼氏を作ろう」

湯「ちょっと何言ってるかわからない。彼氏が欲しいから可愛げが必要なのであって、彼氏作れるなら可愛げなどいらない」

1「可愛げを試される前に速攻で落とすのだ。ポイントはボディタッチと上目遣い」

湯「それもはや可愛げじゃね?それこそが私に足りないものじゃね?」

1「違う。これはテクニック的なもの」

湯「みんなどこでテクニック身につけてるの、、、」

友人2「本能じゃね」

湯「あれ?私本能ないの?野生失っちゃった??」

 

 

 

【ゆるぼ】本能

*1:お弁当を2人で食べる、放課後の教室でお互いの好きな音楽を聴かせあいながら勉強する、予備校帰りに改札前で20~30分以上立ち話するなど。ちなみにゆうじくんが好きだという理由でアルバムを買った9mm Parabellum Bulletには残念ながら特にハマらなかった。

*2:この『なんやかんや』の間に、ゆうこちゃんがゆうぞうさんを好きになるという事態が発生したりした。私たちは男の好みが似ているのだが要するに2人とも趣味が悪い。

*3:いっそ性同一性障害だったら楽なのになんてくそみたいなことを考えたりもした。しかし私はどう考えてもただの女の子だった。