英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

しかくとさんかく/僕の奥底にしまい込んだ僕が、君の前でだけ顔を出す

 

もうとっくに過ぎてしまったけれど、本当は7月4日に増田さんについて気持ち悪く語る記事を上げるつもりだった。我ながらやり方が歪んでいる気がするが、好きな人の誕生日を何かしらの形で祝いたいと思うのは人としてごく普通の心理だ。

 

現実は無情なもので彼の誕生日はとっくに過ぎてしまったが、深く考えずやっぱり語っておくことにした。

遅刻にもほどがある遅刻である。私は夏休みが終わってから宿題に手を付けるタイプなのでまあしょうがない。

 

ちなみに私の出身高校は地方の自称進学校(笑)というやつで、そういう学校にありがちな『週末課題』とか『夏季特別講習』みたいなやつも御多分に漏れずめっちゃあった。が、極力やらないで極力手を抜いて3年間過ごし切った。先生ごめんなさい。

増田さんもたぶん、いや確実に学校の勉強には真面目に打ち込んでいなかったタイプだろう。本人の話を聞いていてもそれっぽいことを時々言っている。手越さんと加藤さんは東京でそこそこハイレベルな中学受験をしているので、その時点である程度勉強という行為に耐性がついているというか、『勉強』という概念がきちんと内面化されているように感じる。小山さんはどうだろう。高校受験に失敗したのが一つの契機となってジャニーズに入った小山さん。毎日泣いていた小山さん。

もしも彼らが普通に学校に通って、普通に大学に行って普通に社会に出ていたら、どんな大人になっていたんだろう。

 

個人的に、一番想像がつかないのが増田さんだ。

早々にこの道で食っていく覚悟を決めていた増田さんは、高校選びの時点で既にそれを念頭に置いていたし、その後運よくつかんだデビューによってアイドルモンスターとしての生き方を突き進み始める。

だからきっと、アイドルにならなかった増田貴久は、私が知っている現実の増田貴久とはもう全然違う人物なんだろうなと思う。アイドルであるということが人格の根幹を占めているような人だから、きっと考え方も性格も価値観も何もかも、アイドルであることの影響をどこかに受けながらここまで来たはずだと思うのだ。

 

でもふと目にする場面場面に、『ジャニーズじゃなかったとしてもここは変わらないんだろうな」『ジャニーズじゃなかったとしてもこういう風だったのかな』って部分もある。そういうところを見て愛しく思ったり、ちょっと胸が痛んだりするのは私だけだろうか。

 

 

そして話はタイトルへと戻る。

今日のお題はコヤマスです。

 

まだテゴマスについてもコヤシゲについてもろくに語っていないのに、あえてのコヤマスである。なんか最近この2人きてるからまあいいかなって。おそらくきてるのは私の個人的な話だが、私以外にもきっといるはずだし、何より語りたい気分だし、まあいいかなって!(2回目)

 

ちなみに、この記事読むよりはKちゃんNEWSのコヤマス回を延々聞き続けた方がよほどコヤマスの魅力が伝わると思うし沼にはまる危険性も高まると思う。意味の分からないじわじわとした中毒性と、裏ではどんな感じなのかつい妄想したくなる余白が彼らの魅力です。

 

 

 

コヤマスの一番好きなところをものすごく端的に言うと、『お互い雑』だ。

以上終了。

 

 

 

とは流石に言わないけど。

でも本当に、私がこの紫のきつねと黄色いたぬきコンビが好きななのはそこである。

 

雑なとこ。お互いちょっとどうでもいいとこ。あんまり関心がないとこ。

 

 

というとなんだか人聞きが悪いけれど、そうじゃない。

彼らは互いに自分の相方がどうでもよくなさすぎて、関心がありすぎて、相対的にみるとそういう風になってしまうというだけの話だ。

コヤシゲとテゴマスは、そのあり方や温度についてはあまり似ていないけれど、互いがいなければ今いる今日にはたどり着けなかったこと、それを2人とも自覚していること、という2点に限って言えばとても似ているコンビだ。アイドルでいる限り、ずっと隣にいる人。小山にとってのシゲ、シゲにとっての小山。手越にとってのまっすー、まっすーにとっての手越。

NEWSは別に、コヤシゲとテゴマスでできているわけではない。小山慶一郎加藤シゲアキ手越祐也と増田貴久でできている。でも、アイドル小山慶一郎を構成する要素には確実にコヤシゲが含まれていて、その配分はコヤテゴやコヤマスよりずっと大きい。小山さんだけじゃなくて、4人が4人ともそういう風にできている。

 

 

私は増田さんのファンなので増田さん側からの話になるが、彼にとって手越さんはゆるぎないパートナーだ。きっとずっと一緒に歌っていくのだと思う。そして同時に、一番の理解者は加藤さんだ。一番長い時間を共有してきて、少年からアイドルに変わる過程も少なからず見てきて見られてきた。じゃあ、小山さんは何だろう。増田さんにとって、小山さんて何なんだろう。

 

2人を見ていると、まるで友達みたいに見える。歳相応の友達に。

それが、私にとってのこの2人の最たる魅力だ。気を許せるとか、すべてをさらけ出せるとか、そういうのとは違う。もっと単純で、もっとどこにでもいる、ただの友達。

手越さんといるときの増田さんは、基本的に仕事人の顔をしているかボケ倒しているか手越さんの暴走をいなしているかの3パターンだ。(サンリオピューロランドばりのパステルワールドの住人と化している時間は仕事人に含む)

加藤さんといるときは、大体重めの愛が暴走している。

この2つの顔はどちらも彼がアイドルになって得たものだと思う。アイドルにならなかったらきっと表に出てこなかった、アイドルだからする顔だ。

 

増田さんは、小山さんといるときだけ、29歳みたいな顔をする。

雑で、どうでもよくて、あんまり関心がない。

彼らは運命共同体みたいな顔をしない。こいつがいなきゃ今日まで歩いてこれなかったって顔もしない。君がいなきゃ死ぬなんて、そんな顔は絶対しない。

でもそれってすごく普通のことだ。普通に生きている人間は、恋人でもない限りそんな相手になかなか出会わないし、よしんばそんな風に思える貴重な友がいたとしてもそれを表に出すことはそうない。普通の29歳が、普通に友達に見せる顔が、小山さんといるときにだけちらりちらりと顔を出す。

 

 

小山さんも、加藤さんといるときはとても楽そうではあるけれど、その楽さの根底には彼らの異常な親密さがどっしりと横たわっている。言い換えればそれは絆とでも言うべきもので、その存在をなかったことにして接している時間なんてコヤシゲには一瞬もない。手越さんといるときはいろいろ論外すぎて何も言えないっていうか私の常識だとコヤテゴは図り知れなさ過ぎて思考回路が1ミリも想像できない。楽しそうで何よりです以外になんか言うことある?私はない。好きですけど。ラジオ聴きながら深夜に一人で笑ってますけど。

増田さんといるときの小山さんは、加藤さんといるときに比べたら楽そうでも自然体でもないのかもしれない。ないかもしれないけど、増田さんがそうであるのと同じように、小山さんもやっぱり一番年相応な顔を見せるのは増田さんに対してだとだと思う。

雑で、どうでもよくて、あんまり関心がない。

 

 

アイドルのファンとして、瞬間的に燃え上がるような熱を提供してくれるようなコンビではない。

たとえば親友だよって言い合ったり、同じベッドで眠ったり、カバンのポッケいっぱいに何か詰め込んだり、顔に丸出しのケツを押し付けたり、楽屋で寝ていたらガバっと足を開いて狩りにいったり、ていうかやっぱり手越さん頭おかしいな。とりあえず手越さんのネジがちょいちょい外れるのはいったん置いておいて、コヤマス2人にこういうガソリンは基本的にない。

でも、2人でいるときの空気には妙な心地よさがあって、とろとろ燃える炭火のようにずっと眺めていたくなる。ずっと手をかざしてその心地よい暖かさを感じていたい2人だ。

 

 

アイドルとして今日まで走ってくる中に、たくさんの挫折があったと思う。山ほどの心折れることがあったと思う。自信を失いかけることも存在意義に悩むこともクソほどあって、きっとそれを一つずつ一歩ずつ乗り越えながら今日に辿りついて、今日の自分を手に入れた。たくさん悩んで、山ほど努力して、クソほどいろんなものを身につけた彼らが、今私たちの目の前に立っている。

その、たくさんの悩みと山ほどの努力とクソほどたくさんの身につけた成果をぎゅぎゅっと着込んでいる彼らは、その着込んだものまで含めて彼らだ。着込んでいるって言ったけど、本当はとっくに彼らの血肉になっている。血肉なんだから、そこまで含めて彼らなのは当たり前だ。

あんまりうまく言えないのだけれど、一本の樹みたいなイメージかもしれない。悩みも努力も成果も彼らの年輪になっていて、立派に彼らの一部だ。だから、その年輪が『ほんとうの彼ら』ではないなんて言いたいわけじゃない。年輪を全部剥ぎ取ったところで、『ほんとうの彼ら』なんて出て来やしない、年輪も含めて全部で彼らだ。でも、そうやって歩んでくる過程での成長の結果今は見えなくなってしまったものが、コヤマス2人でいるときだけ、ほんのちょっぴり顔を覗かせる気がするのだ。

ほんのちょっぴりアイドルみが薄い、ほんのちょっぴり歳相応な、そういう2人がじわじわかわいい。

(追加効果で増田さんのハイパー鉄壁自己プロデュースシールドが若干弱めになるので、いつか彼がなにかしら口を滑らせる日が来るなら小山さんといるときだろうな…という謎の懸念もあるけどそれも含めてかわいい)

 

まあこれ全部私の妄想なんですけど。

 

 

 

そう、妄想なのだ。全部妄想。

コヤマスの魅力としてもう1つ、彼らの余白の大きさ、底知れなさを外すことはできない。

 

まず大前提として、コヤマスが仲良くなったのは結構最近である。最近というか、4人になってから。そして恐ろしいことに、近年彼らの距離は縮まり続けている。

念のため言っておくけど、NEWSは今年で結成12年だ。コヤマステゴシゲはJr.時代からある程度一緒にやってきているので、ともに歩んできた時間はもう少し長いけれど、とりあえず同じ運命を手にしてからは12年。

 

12年一緒にやっててこの期に及んで仲良くなるってお前らどうなってんの。

 

 

4人になって一番関係性が変わったのってコヤマスだよねえ~というのは、結構みなさん言っていることのように思う。

今さら。ここにきて。

 

 

この2人の、本当に仲よくなったんだな、と思うところは、プライベートにまつわるエピソードが多いところにもある。

スマホケースをなぜかお揃いにしていたエピソード(今はもうお揃いではないけど)とか、私は結構唖然とした。あれっ?この2人そういうことするっけ?と。あとは靴をお揃い(厳密には素材違いの同じ型)にしていたり、お互いの服を真似したり(主に小山さんが増田さんを真似するが、まれに増田さんが小山さんを真似することもあるらしい)(そして増田さんは小山さんの真似をするのが少しいやらしい)(じゃあ真似すんなよ)(そんな自意識との葛藤を乗り越えてまで欲しいほどセンス一致してたのね)、なんかそんなJr.みたいなことする2人だったっけってなったのはきっと私だけじゃないだろう。

で、これって全部、私たちの目に触れることはないものなんですよね。スマホケースとかその最たるもので、基本的にファンの目には触れないし、小山さんも増田さんもそれなりにお洒落な人だから、話の種としてしか使えない形の『お揃い』をファンサービスだけでやったりはしないと思うのだ。特に増田さんとか、趣味に合わないスマホケースなんて絶対使わなそう。

服に関しても、30前後のそこそこ収入あるお洒落な人が買う服って、どう考えてもまあそこそこのお値段だろう。それを真似するって、本当に真似したいからだろうし、本当にセンスに似たところがあるからだろう。

 

なんなの?どうなってんの?

まず2人とも数年前まで全然ファッション似てなかったし、何なら今もそこまで似てないじゃん。増田さんてわりと前衛的過ぎて一家に一匹で十分なタイプのたぬきじゃん。小山さんどちらかというと加藤さんにファッション似てるじゃん。って思ってたんだけど私の勘違いでした?とたいそう困惑した。困惑している。

 

 

この、ちょいちょい話に出て来はするけど我々の目にはとまらない、見ようがないところで仲を深めているのが恐ろしい。

コヤマスの仲の良さは、彼らが発信してくれない限り我々の元まで届かない。そしてきっと、そのすべてを彼らが発信してくれることはない。どうしても発信がコヤシゲとテゴマスに偏りがちなのも大きいが、とにかく見えない部分が多い。

 

お互いの扱いが雑だ。そこが好きだ。

でも本当に?私たちの目に見えない裏側の彼らは、どんな風でもおかしくないような気がしてしまう。本当に雑なの?実は裏ではお互いデレデレなんじゃないの?

どうなってるの?私たちの目の届かないところでどんなことでもしてるんじゃないの?

 

 

まあこれも全部私の妄想なんですけど。

 

 

 

雑さ、中毒性、底知れなさ、余白。

 

 

 

これ、一回気づくとほんとに抜け出せなくなる。

小山さんといるときにだけ増田さんが見せる顔が、増田さんといるときにだけ小山さんが見せる顔が、好きで好きで仕方ない。

彼らがこれからどうなっていくのか、とても恐ろしくてとても楽しみだ。