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親は人間だ/プロトタイプAとB

こと親子関係において、私はずっと逆らうだけが能みたいな生き方をしてきた。


2018年7月20日放送の『NEWSな2人』を見て自分の思春期を思い返した。「学校は堅苦しいから行かない」「学びたいってなったらそこから学び始めればいい」というこまっしゃくれた女の子の言葉。早口で少しカンに障る喋り方の、でも大人として100%正しく揺るぎない反論をできる人はきっと少ない言葉。人生にはきっと正しい選択肢なんてものはなくて、ただ後から振り返った時に「正しかった」と言えるかどうかによってのみ正しさを語れるのだとなんとなく思う。これはインターネットで見かけた言葉の受け売りだけど、本当に心からそう思う。あの女の子がいつか、学校に通わなかったことを正しかったと思えたらいいなあ。

私自身は学校にきちんと通ってそれなりにいい大学を出て一応まともに働いているけれど、親には逆らってばかりいた記憶が強い。そうすることしかできなかった。「しなかった」と「できなかった」の差はひどく曖昧で、それでも20代も後半に差し掛かった今でもあれは「できなかった」だと思っている。人生の小さな分岐点ではとりあえず親に逆らって生きてきた。だってそうすることしかできなかったから。


■人生2周目
とはいえ数え上げてみると大した数ではない。高校入学時、運動部に入らなかったこと。文理選択時、理系を選ばなかったこと。大学選択時、言われた通りの大学を目指さなかったこと。大学入学時、実家暮らしを続けなかったこと。それくらい。
人生の折々に訪れる小さな分岐点で私はいつも、親が指示したり勧めたりしたのと異なる道を選んできた。まあ有り体に言えば親が敷こうとしてるレールの上を歩きたくないとかそういう話で、こうやって文字にしてみると陳腐すぎてちょっと笑える。でも当事者にしてみれば大問題だった。
姉が始めたからという理由で2歳からスイミングスクールに通い、姉も入っているからという理由で小1からミニバスを始め、姉も通っているからという理由で小5で水泳を辞めて塾に通った。水泳を辞めさせられた頃から、母との仲はどんどん悪くなった。
初めは「親が思うてっぺん」「親が思ういい人生」を押し付けられるのがイヤだ、っていう気持ちだった気がする。すごく普通の正常な反抗期の訪れだ。でもいつからか、親(特に母)が私に示してくる道は、どうやら親自身が本当は選びたかった道のようだとおぼろげに察するようになった。

お母さんは運動部に入らなかったことを後悔してるし、お母さんは文系を選んだことを後悔しているし、お母さんは大学受験を本気でやらなかったことを後悔している。でもじゃあどうして私が運動部に入りなさいって言われて理系選びなさいって言われてあの大学めざしなさいって言われるんだろう。どうして私がお母さんの選べなかった人生を選ばなきゃいけないんだろう。お母さんにとって娘って人生2周目じゃん。できなかったことやらせたいだけじゃん、娘を通して失敗をやり直したいだけじゃん。

私はお母さんの2周目の人生じゃない。私だ。

そればかり思った。だから力いっぱい逆らって全部跳ね除けた。私は私、お母さんの続きじゃない。お母さんの失敗をやり直すための人生じゃない。

 

■選択と主体性
お母さんの2周目になんかなりたくなくて、私は私でありたくて、それだけだった。本当にそれだけ。

だから10歳から18歳頃まで、所謂思春期の私の人生の種々の選択は、ただ「親の言うことと反対の方」でしかなかった。でも、それって選択だったんだろうか。親の言うことを聞かずに自分で行く道を決めた、と言っても多分嘘にはならない。何部に入って何系になって何大学と何学部をめざすか、全部自分で決めた。母が言うのと違う方を自分で選んだ。
選ぶってなんなんだろう。全てに従うのと全てに逆らうのとでは、実は本質的に大した違いはないと思う。どちらも結局のところ、誰かに提示された方針が意志決定の拠り所ということだから。従うのも逆らうのもどちらも「他人の指示」あってのもので、その他人に従いたいか逆らいたいかで物事を選ぶのは主体的な選択とは言えないと今は思う。

そう、私の種々の選択は、きっと本当は選択などではなかった。私はただ逆らっただけ、逆らうしか能がなかっただけ。
めざすように言われたから、というだけの理由で志望校から消し去った大学は、私が選んだ大学より偏差値が高かった。きちんと大学について調べたわけでもなく、ただ「めざせと言われた」という理由だけで絶対受験しないと決心した。バカだと思う。人にそうしろと言われた、それに従いたくない、というだけの理由で志望校のランクを一つ下げたという事実は一生消えない。高校時代はよく分からない文化部で過ごした。クーラーの効いた部室でゲームしたりマンガ読んだりするのは楽しかったけど、スポーツもののマンガを読むと今でも死にたくなる。高校時代、勉強以上に打ち込んだものが一つもなかった自分がむなしくて堪らなくなるから。

全部選んだ。私が自分で、逆らうというその1点だけを判断基準に選択した。私は自分のこれまでの人生に概ね満足していて、自分が今の自分に育ったことを嫌だとは思わない。自分のことが結構好きだ。自分が歩んできた道を、まあ正しかったと言ってあげてもいいかなと現時点では思っている。けれど同時に断言できる。あの頃の私はただ他人に逆らっていただけで、あれを十全な意志決定と呼ぶことはできない。


■プロトタイプAとB、それから
大学入学と同時に家を出て、同時に妹が高校生になった。下宿を始めてしばらくした頃、「お母さんが〇〇部に入れってうるさくてウザい」という内容の相談を妹から受けた。正直呆れた。10年近く続いた私の反抗期を受けて、それでも娘に「自分の思ういい人生」を単純に押し付けようとする、娘の人生に介入しようとする母は応用力がなさすぎると思った。
介入しようとするから、押し付けようとするから選択肢の内容そのものだけじゃなくて母が何を言うかが意志決定の大きな要因になってしまったのに、何故妹に同じことをしてしまうんだろう。
母は姉にも同じことをして、姉は全部言うことを聞いて、そして潰れた。私が大学受験をしていた頃の姉はちょうどぶっ潰れていた頃で、芋虫みたいに部屋に横たわることしかできない姉を見て絶対こうはなりたくないと歯を食いしばって勉強した。全部従って潰れた姉。全部逆らってそれだけで人生の選択を決めてしまった私。妹にはそうなってほしくなかった。従うだけでも逆らうだけでもない、親が何を言うかじゃなくて、自分がどうしたいかで歩む道を決めてほしかった。

「人生どんな道を選んでもどうせ後悔はあるから。でもそんなの3年も経てばきらきらの思い出に変わるよ。だから自分で考えて、お母さんが入れって言うか言わないかじゃなくて、自分がどうしたいかで決めなね」
確かこんな感じのことを言ったと思う。自分がこれと真逆のことをした癖に、自分が本当はどうしたいかなんて15やそこらできちんと考えられる人なんてそういないと知っているのに。
そうなってみて初めて気づいた。人間は、自分の後を来る人に自分と同じ失敗をしてほしいとは思わない生き物だ。当たり前のことだけれど実感した。従うだけでも逆らうだけでもちゃんとした自己決定にはならないと思って、だからちゃんとしてほしかった。ちゃんと出来る助けになってあげたかった。私と同じ失敗を、妹にはさせたくなかった。
自分と同じ失敗を後続にさせたくないというのは、極めて自然で、人間的で、当たり前の気持ちなのだろう。


■親という生き物はいない
自分と同じ失敗を後を来る人間にはさせたくない、という気持ちが自然なものであると分かってから、親への嫌悪感は和らいだ。たくさん辛くて、しんどくて、結局今も親になりたい気持ちはまったくないけれど、でも私の親が私にしようとしたこと、してくれようとしたことは、極めて人間的な行いだったと今では思う。
正しくはなかった。多分やり直せたら、母はまったく違う言動をするだろう。「すべてをやり直したいと今になって思う」と現に言われたこともある。それでも、親は親という生き物ではないのだと思えるようになって、随分楽になった。
親は親という生き物ではない。ただ子どもより長く生きているだけの人間だ。子どもは子どもという生き物ではない。ただ親より後に生まれて親より後に生きる人間だ。後を来るものに自分と同じ失敗をさせたくないと思うこと、選んでしまった失敗だと思う道を選ばせたくないと思うこと、それはとても自然で当たり前で仕方なくて普通のことだ。それが人生の後輩の選択に影響してしまっても、こちらの意志が意志決定において選択の主要因になってしまうとしても、それでも失敗を避けてほしいと思ってしまう。人間だから。親だからでも子だからでもない。人間だからだ。


■甘え
子どもという圧倒的に経験が少なく自分の影響を弾き難い存在に対して「自分で決めてほしい」と思うことはむしろ甘えではないかと私は思う。
だって子どもなんだから、周りの大人がどう思うか知らずにはいられないし、大人がどう思うかを全く無視して「自分の意志」だけに従うことはひどく難しい。従うにせよ逆らうにせよそうだ。従いたい、従いたくない、どちらを思わせてしまっても結局意志決定への少なからぬ介入で、でもそれは仕方ない。そう、仕方ないのだ。どうやったって子どもは大人の好嫌を一定程度察するし、察してしまったらそれは選択に反映される。「自分の意志で決めろ」「自分で考えろ」なんて言うのは大人の甘えだ。だって大人は紛れもなく、子どもの思考材料の大きな大きな1ピースだ。
あの子は学校に行くかもしれないし行かないかもしれない。後悔するかもしれないししないかもしれない。どっちになるかは今はまだ全く分からないだろう。でも、どっちに転んでも、「あなたの自己責任だよ」とはあの大人たちに言わないでほしいなあと思った。
大人だって迷うし、大人だって間違えるし、大人だって不安だ。でも、自分の接し方が、考えが、生き方が多大に影響せざるを得ない子どもに対して「自分で決めろ」「自分で決めたんだろ」と言うのは無責任が過ぎると思う。私は逆らうことしかできなかった。しなかったのかもしれない。今はまだ断言できない。だから人生の後輩に、逆らうだけでも従うだけでもなく自分の選択を志してほしいと真剣に思う。でもそれは無理だとも同時に思う。だって大人なんだから、守り育てる立場なんだから仕方ない。
押し付けたくない、絶対従わせたいわけじゃない、でも自分と同じ失敗はしてほしくない。それはとても自然な気持ちで、人間的で、そして他者の人生への大幅な介入だ。それを忘れたくない。


全部に従ったプロトタイプAの姉。全部に逆らったプロトタイプBの私。誰に助言を求められても、いや求められなくても、プロトタイプにはならないでほしいなと思ってしまう。製品版になってほしい。従うだけでも逆らうだけでもない人間になってほしい。でもそう思えば思うだけ、あの頃ぎゃんぎゃんに押し付けてきた親の気持ちが分かってしまうんだから皮肉なものだ。
あの子のことを今日も思う。こまっしゃくれたカンに障る、学校に行っていない女の子。自分で決めたと胸を張って言えるのか分からない、親の影響がないはずないと思ってしまう。それでもどうか、いつか「正しかった」と思えますようにと、全然知らないしムカつく子だけど思う。プロトタイプBだった私だから、製品版になれるといいねって心から思う。何故なら彼女は、私より後を来る人生の後輩なので。