英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

垢抜けたら人生おいしくなくなった話

こんにちは、凡庸な不美人です。
東京に出てきてから6年、随分垢抜けたもんだと思う。自分で言うことでもないけれど、私は年々綺麗になってゆく。髪を綺麗にして、眉を整えて、頬を淡く染めて…そうやって、鏡の中の私の憎むべき要素を一つ一つ消していくのは結構たのしい。何もかも根本的に駄目だと思っていたのは実は勘違いで、それなりに磨いてみれば私は路傍のビー玉程度には輝いていた。

綺麗になったと自分で思う。痩せて、垢抜けて、お金の自由が増えて。小学生の頃より、中学生の頃より、高校生の頃より、大学生の頃より、今の私が1番かわいい。1番かわいくて、1番つまらない。

そう、つまらない。つまらなくておいしくなくて時々発狂しそうになる。綺麗になって可愛くなって女の子になって、そして私は人間ではなくなってゆくような、そんな気がしている。


ブスの人生
以前飲み会の席で会社の同期に中学の頃の写真を見せたら、「女の子って変わるんやなあ…」と絶句された。その頃の写真をみると今でもちょっと笑ってしまう。オタク少年、以外の感想が特に浮かばない、床屋で切ったみたいな髪にダサい眼鏡で頬杖をつくジャージの少年。制服を着るのは登下校時だけで、あとの殆どの時間をズボンを穿いて過ごした。冗談めかして「お前の恋愛対象って女?」って聞かれてもなんの疑問も持たなかった。そりゃそうだ、そうだよね、そう見えるでしょ。別にいいよ。
先生に笑って体重を訊かれたら笑って答えた。本当に別に嫌じゃなくて、ただそういうもんだから答えた。高校生になっても別に何も変わらなくて、結局高校3年生まで一人称が「俺」だった。男になりたいのかと訊かれたらよく分からなかったけど、自分が「おんなのこ」だというのもしっくり来なかった。大学に入って東京に出てもそれは変わらなくて、女の子になれない何かみたいな、そういう気がしていた。
大学1年の終わりに、ピアスホールを開けて髪を染めた。それだけで何故か髪はさらさらになって、目は大きくなって、私は男の子に見えなくなった。成人式に向けて髪を伸ばしている間、何度も「女の子らしくなったねえ」と言われた。「俺は、湯坂ちゃんは垢抜けたらちゃんとかわいいって最初から思ってたよ」とも何人かに言われた。どんどん女の子になっていったけど、なんとなくそれは伸ばした髪の魔法のような気がしていて、二十歳の冬にショートカットに戻す時の怖さを今も覚えている。髪を切ったら魔法がとけて元に戻ってしまう気がして、でも全然そんなことはなかった。

それでも、垢抜け始めたのが大学に入って交友関係を築いた後だったから、どんなに垢抜けても私はやっぱり私だった。女の子のほぼ全員が女子大の子な中で唯一サークルの母体大学の生徒だったこともあって、重いから男子が担当していたデジタイマーの順番に組み込まれたり、AVを見る場に紛れ込んだり、「ふつうのかわいいおんなのこ」にはついぞなれなかった。それを嫌だとも思わなかった――今でも思わない。物心ついた頃からずっとそうだったから、それを100%嬉しく思うわけではなかったけど、でも良いか嫌かでいったら別に良かった。私は、そういう自分が結構好きだった。


ハローワールド
分かったことが一つある。私はただの若い女の子だ。そしてそれが、とても苦しい。

私はずっと、心のどこかで自分のことを「女の子になりきれない何か」だと思っていた。でも違った。少し容姿を磨いてみればもう、私はただの女の子だった。ジャージで過ごし、口汚く男言葉で喋り、男の中に紛れていた過去の私を知らない人から見れば、私はもう360°どこから見てもただの普通の女の子だ。それは別に悪意ある眼差しではないし傷つける意図も誰にもない。私はただの女の子で、これからの人生もずっと女だ。一生女として生きていく、だって身も心も女だから。それなのに、私は未だ「おんなのこ」な自分を受け止めきれずにいる。


女未満、ニアリーイコール人間
社会人になってから、「お前はいいなあ」と言われることが急に増えた。お前はいいなあ、女の子だもんなあ。部長に気に入られてていいなあ。部署のおじさんに好かれていいなあ。羨ましいなあ。俺だって可愛がられたいよ。いいなあ、お前は若い女の子で、いいなあ。


全然よくない。全っっっ然、おいしくない。


ずっと気づかなかった。お前女じゃないもんなって言われるのも、男と同じ負担を課されるのも、下ネタに配慮をされないのも、別にまあ面白いからいいやって、それ以上何も考えてなかった。でも、私はずっと心のどこかで、「私は容姿以外の点で認められ評価され受け入れられている」と感じ続けて生きてこられたんだと思う。もはや意識する必要もなく、ただずっとそれを当たり前だと思ってきた。だって私ブスだから、女じゃないから、可愛くないから。だから、そういう意味で一切のメリットを与えられない私にちゃんと友達がいて、毎日楽しくて笑っていられるのは、「おんなのこになれない生き物」としてちゃんと価値があるからだと無意識に認識して生きてきた。
可愛さの代わりに猛々しさを、愛らしさの代わりに言葉の鋭さを、可憐さの代わりに肩を並べるに値する賢さを。勝手に認められた気で生きてきたのだ。


人間が減る
社会に出てしばらくして、とんでもないことに気がついた。どうやら私の周りの人々は、私が私自身を可愛いと思っていると考えているらしい。他人が思う「私が私に下しているであろう自己評価」と「実際に私が私に下している自己評価」がズレていることがこんなに苦痛だとは思わなかった。
それでもまだなんとかなった。新人だから、まだ未熟だから、だから育ててあげなくちゃって、そういう風に思ってもらえたし思っていられた。
去年の暮れ頃から、先輩が仕事に行き詰まりだした。上司に叱られて、部長に冷たくされて、きっと彼は私よりずっと辛いだろう。彼と私の辛さを比べたら確実に彼の方に天秤は傾く。それは分かっている。それでも。

「お前はいいよなあ」「お前が羨ましい」「俺、お前に生まれたかったなあ」
なんの悪意もなく言われる度に、20代前半の女であることを羨まれる度に、とてもつらくてとても悔しい。誰も別に、可愛さで仕事をしようなんて思っていない。気に入られるために振舞ってなんかいない。ただ仕事をしているだけで、ただ頑張っているだけだ。そう、私は頑張っている。胸を張って言える。私は仕事を頑張っている。

それなのに若い女であるというだけで、それが得だと当たり前のように言われる。その通り、きっと得をしている。頭では分かる、職場の人々は皆優しい。でも心がついてこない。だってずっと可愛くなくても生きてきた。女未満のなにかだけど、身の内にない魅力を能力で、性格で、機転で、度胸で補って生きてきたはずだった。マイナスをプラスに転じられるだけの力があると思って生きてきた。でも今は違う。可愛くてよかったね、気に入られててよかったね、女の子でよかったね。

 

ねえ、実力以上に評価される身分でよかったね。


なんだこれ。なんだこれなんだこれなんだこれ。そんなもの要らない、望んでない、ちゃんと見てくれ、私を見てくれ。いつかは失う貴重なものを今すぐかなぐり捨てたいなんてバカだと思う。それでも今がどうしても苦しい。こんなことなら要らなかった。ずっとダサくて垢抜けなくて異性から見て惹かれる要素のない自分でいたかった。
だって私、仕事でくらい能力を評価されていたい。マイナスをプラスに転じられてるんだって、そう思えてた頃の方が楽だった。今の自分の方が好きなのに、容姿や年齢の分を勝手に評価から差し引かれる。ずっと自分の特権に気づかなかった。無意識に「おんなのこ」としてのマイナス分を補正して、面白いからまあいいやなんて思ってた。それも一つの得難い幸福だなんて知らずに。女としての私が認められるだけ、人間としての私が薄くなってゆく気がする。「ふつうのおんなのこ」になったらこんなに得を見込まれるなんて、こんなに「人間」が減るなんて、そんなの知らなかった。


君にしか決められない/私に決めさせろ
若さや可愛さで得をすることは、別に忌むべきことじゃない。可愛がられることをこそ楽しくておいしいことだと思う人もきっといるのだろう。「おんなのこ」
であることと、「おんなのこ未満の何か」であることはどちらにもそれぞれの損得があって、どちらが優れてるとかどちらが良いかとかそういうのを一意に決められる問題ではないのだと思う。
だけど私は、あまりにもながく「おんなのこ未満の何か」として生きすぎた。そんな自分としての得を享受しすぎた。愛着を持ちすぎて、その得を当たり前のものだと思いすぎた。失くしてみるとそのおいしさは、信じられないほど名残惜しい。女であることは、なんてお得で、なんて厄介で、なんて楽で、なんておいしくないのだろう。
明日も普通に仕事に行って、明日も普通に可愛がられて、明日も普通にニコニコ笑う。いつかこの狭量な幻想から醒めて、素直に今を享受できるのだろうか。全然おいしく思えない、とてもお得な今を。