英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

『あなた』にお金を払っているのだ

アイドルと恋愛に関して、自分がお金を払っているものに関して色々と考える機会があった。色々、というのは多分ほとんどの人が容易に想起できる最近の様々な出来事のことだ。大野さんの熱愛疑惑報道やアイドルの恋愛禁止裁判、それから国分さんをはじめとする数々の有名人の結婚、そういうもの。

 

「アイドルは歌や踊りで魅せるのが仕事だよ」

「アイドルだって恋愛するのは当たり前のことでしょう」

「付き合えるわけがないのにどうしてショックを受けるの」

「恋愛するのはいい、隠して」

「恋愛を禁じるのは人権侵害では」

 

様々な出来事に対して様々な意見が飛び交っていた。私たちはどこまでアイドルに求めてよくて、何にお金を払っているのか。アイドルたちは一体、何を提供してくれているのか。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、アイドルが恋愛することに嫌悪や怒りはない、でもアイドルには恋愛を隠していてほしい。これが私の現在のスタンスである。

 

 

・アイドルは歌や踊りを売っているわけではない、と思う

アイドルと恋愛問題について論じるときに、最もアイドルの人権に配慮した立場が「アイドルは歌や踊りを売っているのであって、ファンにアイドルの人間性や生活について口を出す権利はない」というものではないかと思う。最初に言っておくと、私はこの意見に反対である。少なくとも私は、彼らの歌や踊りにお金を払っている(=歌や踊りが消費の対象)という意識はない。そして同時に、アイドルが自分のありのままの姿をファンに見せている/見せるべき(=彼らそのものが消費の対象)だとも思わない。では私は何をもって彼らを評価し彼らの何にお金を費やしているのかというと、『彼ら』という擬似人格を消費しているのではないかと思っている。

 

 

herodontsing.hatenablog.com

 

今回の記事とは全く異なる文脈だが、以前書いたアイドルの人格と擬似人格についての持論だ。

私たちが見ているアイドルは、本人そのものの生身の人間ではない。しかし、生身の人間から全く乖離した無機物でもない。私にとっては、この『擬似人格を消費される存在』という点こそがそのままアイドルの定義だ。だから「歌や踊りで魅せていればそれで仕事は済んでいる」「擬似恋愛はファンの勝手な行動であってそこにアイドル側の責任はない」という人に賛同できないのだ。

 

 

・『擬似人格を消費する』という私たちだけに許された快楽

本格的なジャニオタになる前の私はライトな二次オタだった。BLEACHにはまり友人たちと自分のオリジナル斬魄刀を考えたし(大変どうでもいいが始解卍解のそれっぽい台詞考えるのすごく難しかったので久保先生は偉大)、家庭教師ヒットマンREBORN!銀魂が大好きだった。ボーカロイドもそこそこにはまったし、西尾維新を読みふけった。それと、ヘタリアという国擬人化漫画も好きだった。それぞれの国を擬人化してお国柄ギャグにする漫画で、たとえば日本はオタクだったりドイツはムキムキだったりフランスは女たらしだったりするのである。私のお気に入りはドイツとリトアニアだった。好きなキャラがたくさんいた。

 

ジャニオタになりかけの頃、実は同時並行でお笑い芸人さんにはまりかけていた。その頃の私は、それまでほとんど見せてもらえなかったテレビという媒体から流れてくるものの数々にいたくびっくりし衝撃を受けていた。お笑い芸人という存在も私にとってはアイドル同様完全な異文化で、はねるのトびらやらめちゃイケやらにはもういっそ感動した。それで、今まで知らなかったキラキラの世界の住人であるアイドルと芸人にほぼ同時並行で足を突っ込んだのだ。しかし私は結局お笑い芸人のファンになることはなかった。

お笑いという文化に疎い私でもさすがにわかった。芸人さんは、ドイツやリトアニアのように好きになっていい存在ではない。幼稚園からの幼馴染なところとか、お金がなくて同居してるところとか、そういう今まで二次元で誰かを好きになってきたときと同じようなところを理由にこの人たちのファンになるのは多分失礼なんだろうなと思った。今でもそう思う。音楽家は性格ではなく音楽で評価されるべきだし小説家は顔ではなく文章で評価されるべきだ。それと同じように、芸人さんのファンになるのは芸に惚れたからであるべきだ。

 

消費の仕方として、アイドルの方が圧倒的に性に合っていた。アイドルを好きになる理由はなんでもいい。顔でもいいし、仲の良さでもいいし、好きな人に似てるからでもいい。その、なんでもいいところが二次元に似ているように思えて楽だった。この人の顔が好きだからファンだと胸を張って言えるし、この2人の絆が深いから好きになったとも堂々と言える。

そして、この人が生きていくところを楽しむこともアイドル相手なら許される。歌がうまくなっていくとか、誰かと仲良くなっていくとか、いろんな苦難を乗り越えていくとか、そういうまるで物語のような人生。現実に生きている人間の人生を消費しているなんて、ひどく不思議な感覚だ。でもそれをやっていい。だってアイドルだから。

擬似恋愛も擬似人格の消費の一つの形だ。テレビに映るキラキラの彼らを見て、『彼』に恋をする。アイドルの側も恋をしてねと囁いてくる。そういう風にアイドルを好きになるのはすごく普通のことだ。アイドルと大人たちが想定している好きになられ方で、希望している好きになられ方。

 

私はNEWSのファンとして、彼らの有様と彼らが歩んできた道を愛している。本当は頑固で神経質な増田貴久がカメラの前ではふわふわでキラキラのアイドルになるところを愛している。肥大した自意識を持て余しながら生きている加藤シゲアキがそれでも思い切りアイドルをやろうとするところを愛している。私にとって一番大事なのは、増田さんが増田さんであることで、加藤さんが加藤さんであることで、NEWSがNEWSであることだ。

ただふわふわなんじゃなくて本当はドライで男らしいというところに意味がある。私にとって加藤さんは、ありったけ尊敬する人でありありったけ萌える人でもあり、叱咤激励してあげたくて叱咤激励してほしい人だ。すべての自己嫌悪と全ての自己愛を投影したい人でもある。私のこんなむちゃくちゃな思いを加藤さんは否定しないだろう。なんの接点もなく一生会えない、本当の性格など知る由もない私がこういう風に彼を好きであることはきっと誰にも責められる謂れなどない。だって、彼らは『彼ら』を売っているのだから、買った『彼ら』をどういう風に食べようがそれは私の自由で、だからこそアイドルはとんでもなく美味しい魔性の食べ物なのだ。

 

 

・皆同じ穴の狢

私は『彼らの人生を楽しむ』『彼らを愛し尊敬し萌える』という形で彼らの擬似人格を消費している。そしてこういう楽しみ方は一見ある種冷静というか、いわゆる本気愛やリア恋とは異なる種類の愛に見える。実際、愛の種類ということでいえば決して同じではないし、永遠にかみ合わない部分も多いと思う。でも、やっていることは実は同じだ。

子どもを見るような気持ちも、不倫相手のような感覚も恋人にするような恋も私が捧げる尊敬も、動物に感じるような愛くるしさも、全部、すべて等しく『擬似人格との間に結ぶ擬似関係』である。どんなファンも同じ穴の狢だ。

私たちは本気愛の人を笑えない。そして、アイドルもまた自分に恋をするファンを笑うことなどできない。ほかならぬアイドル自身が自分への擬似恋愛を煽っている張本人なのだから。『擬似人格を消費される』ということについて無自覚なアイドルなどいないのではないかと時折思う。『自分』を好きになってもらうことこそが目的だ、と思いながらやっているんだろうと、Jr.を見ていても思う。そして、消費のされ方において最も手っ取り早く最も収益性の高く最も健全なやり方が擬似恋愛なのではないだろうか。だから彼らは基本的に、擬似恋愛をしてくれる人に向かって『自分』を売り込んでいる。雑誌の撮影でも様々な設定をつけるし、カメラに向かって甘い言葉をささやいたりもする。

そういうアイドルのふるまいをこれまで散々見てきているから、「アイドルに恋をするのはファンの一方的な行動だ」とか「アイドルの責任は歌って踊るところまでで、彼らの私生活でまでアイドルでいることを求めるのは間違いだ」という言説がピンと来ないのだろう。お金を稼ぐためにファンを増やすために、つまりは利益のために擬似関係を結んでもらおうと躍起になっておいて、「生身の人間としての彼らはそもそもファンとは無関係」というのは少し無理がありはしないかと思ってしまう。生身の彼らは私たちの恋人でも不倫相手でも尊敬する人でもないかもしれない。でも、生身の彼らじゃなくて擬似人格の『彼ら』はずっとこっちを向いている。それはインタラクティブな関係ではないと思う。しかし完全な一方通行でもないのではないか。アイドル→ファン、ファン→アイドルの二つの一方通行がちゃんとある。アイドルとファンとは共犯者で、アイドルもまた私たちと同じ穴の狢だ。

 

 

・『彼ら』にはどこまでの責任があるのだろう

生身の彼らと擬似人格の『彼ら』は別物だ。完全な別物ではないが同一ではない。そして『彼ら』とファンとの関係はあくまでも擬似関係に過ぎない。アイドル対ファンの(つまりアイドル⇔ファンの)関係ではなく、アイドル→ファンとファン→アイドルの、永遠に繋がらない関係だ。

果たしてこの両者に何らかの義務や責任は生じうるのだろうか。答えはわからないが、現時点での私の見解はNOだ。今風にいうと「あり寄りのなし」だ。彼らはアイドルをやっている人間だ。人間だから悲しんだり怒ったりするし、人間だから恋もする。それをするなといわれる筋合いはない。私たちには何も言えない。でも、彼らの恋愛は一般人の恋愛とはやっぱり違う。『彼ら』は、出会えもしない無数の女の子たちと擬似恋愛をしている。それは絶対に、無自覚な行動/一方的な思い込みなどではない。擬似関係の中で最も手っ取り早くて最も利益になる『恋愛』を、『彼ら』が選んだ。選んでみんなの『恋人』になって今の場所に辿りついた。

たいていの場合彼らの恋は、『彼ら』の『恋』の鮮やかさを減じさせる。恋をしていることを明らかにしながらほころびのない『恋』を提供できるほどのアイドルはなかなかいないし、恋をしていることを知っていながら擬似恋愛に身も心も投じることができるほどのファンもそう多くはない。

誰にも何の責任もない。アイドルには私生活でまでアイドルでい続ける責任などないし、ファンには彩度の低い夢しかくれないアイドルについていく責任などない。だから、私がアイドルに対して恋愛を隠していてほしいと思うのは、ほかのたわいない願いと同じ水準の願い事でしかない。例えば、ボイトレを頑張っていてほしいという願い。ボイトレをしなければならない義務はべつにないし、しなくたって上手に歌えるならますます何の必要もない。でも、自分が好きなアイドルの歌唱力に不満があるなら、ボイトレしててほしいと思う。もっと成長してほしいと思う。そっちの方がもっと素敵になるから、もっと上に行きたいって思い続けてほしいしそのためにやった方がいいことには全力で取り組んでほしい。

恋愛を隠してねって、要するにそのレベルの願いなのだ。あなたを好きでいたい、ずっと好きでいたいしもっと好きになりたい。でもあなたは、恋愛していることを公にした状態で『ずっと好きでいさせ』たり、『もっと好きにならせ』たりできるほどのアイドルじゃない。だから隠してほしい。

 

 

・いやなのではなく、いやだと思われるのがいや

先にも述べたが、私にとってアイドルは恋愛対象ではない。たとえ事実婚10年目だったとしても増田さんは私が好きな増田さんだし、たとえ明日結婚したとしても小山さんは私が好きな小山さんだ。にもかかわらず私がアイドルの恋愛をいやだと思うのは、多くの場合恋愛と人気の低下が直結しているからである。

国分さん結婚の折、「ジャニーズでは結婚したいというと、結婚によってどの程度売り上げが下がりどの程度人気が下がるかというデータを見せられ、それでも結婚したいのか確認される」という話がテレビでやっていた。この話の真偽はともかくとして、恋愛がプラスに働くことがほとんどないということは紛れもない真実だと思う。

アイドルが恋愛してそれが明らかになったら人気が落ちる、それをわかっていてボロを出すのは、なんだか人気よりも恋をとられたような気がしていやなのだ。恋愛がいやというよりは、恋愛によって好きなアイドルの人気が落ちるのが嫌だから恋愛がいやなのだ。

こういう風に考えると、『恋をしてそれが明らかになったとしてもなお夢を与え無数の擬似関係を結べる人間』だけがアイドルの資格があるのだと言え、そうでない人間はアイドルをやる器がそもそもないのだと言われるかもしれない。ここに関しては正直よくわからない。

私はアイドルが好きだ。擬似人格を消費される存在なところが好きだ。だから、それを駄目だとか、システムとして破綻しているとはどうしても思えない。

そして、瞬時に情報が広まり、誰もがカメラを携えていて、どんどん技術が進化していく現代において、特別な個人はどんどん生まれにくくなっていると思う。SNSのアカウントがあれば遠いはずのアイドルに直接言葉を伝えられる。(ジャニーズは無理だけど)

特別な人間だけがアイドルになれるんだ、といってしまったら、そのうちアイドルいなくなっちゃいそうだなあと思う。

 

 

・アイドルの平均寿命の長寿化

アイドル、特に男性アイドルの平均寿命はどんどん延びている。いわゆるアフターSMAPというやつである。SMAP以下のジャニーズデビュー組は1組も解散していない。アイドルの平均寿命が延びるということは、それだけ高齢になるまで擬似関係を結び続けなければならないということでもある。

嵐、関ジャニ∞などの現在の人気グループは、すでに30代半ばだ。しかしどうしても「まだ早い」と思ってしまう。おそらくはあと5年経っても誰も結婚していないのではないだろうか。

いつかのラジオか何かで加藤さんが、「アイドルも恋愛するのが普通になっていった方が、そりゃあ当事者としては嬉しい」というようなことを言っていた。このままアイドル人生が50歳、60歳まで続くのが当たり前になっていったら、たとえば親に孫の顔を見せたいとか、たとえば結婚したいとか、そういう人としてありふれた幸福にたどり着けないまま死期を迎えてしまう人、身寄りをなくして孤独に死んでいく人もそのうち現れるかもしれないと思うとさすがにぞっとする。

好きな人の不幸など誰も願わない。いつかどこかでアイドルとしての幸せが人間としての幸せを完全に破綻させる日が来るのなら、そのときにはどうか人間としての自分を選んでほしいと思う。そしてできることなら、そうではなくてアイドルとしても人間としても幸せになれる道を見つけてほしい。現状それが「アイドルではなくタレントとして老若男女に愛されてタレントとして食っていけるようになること」なら、結婚適齢期のうちにそこに辿りついてほしいとも思う。

 

 

 

でも、やっぱり、アイドルを選んだのは自分だから、アイドルの自分を大事にしてほしいし、私が愛する『あなた』をあなた自身に奪われるのはいやだ。できることならいつまでも『あなた』が欲しいと思ってしまうオタクたちを上手に手なずけて、一方通行の愛同士で上手に愛し合っていたいなあと思う。

 

 

 

 

 

最後に。

パパラッチはまあいいから、それは『あなた』の努力不足ともあなたの努力不足とも思わないから、インスタとTwitterとブログには気を付けてください。もういっそジャニーズ専用SNS作ってそこでだけ公開して身内だけで楽しんで。

あと「もう時効だよね」って言って「実はあの頃話してたあのエピソード、女の子同伴だったんだよね」っていうのは許されるエピソードと許されないエピソードがあるからそこはちゃんと見極めてください。メンバー間の絆とかいい話系は「実は女がいました」って言うことが許される時効はないと思ってくれお願いします。

それはあれだから、信じてた絆だけじゃなくて今その『あの頃』と同じくらいの年齢の後輩へのキラーパスになりかねないしオタの心に不死の疑心暗鬼が爆誕するから。