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英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

私の頭の中にあるものはなんなのか

 

今日のブログは書くことについてしか書いてないです。ジャニーズ要素はゼロに近い。

 

 

 

私は増田貴久さんのことが好きで好きで好きで好きだが、加藤シゲアキさんのこともとても好きだ。増田さんは私にとって外的対象の中で最も高いところにいる人で、加藤さんが内的対象としてトップに君臨している。

 

というとめちゃくちゃ伝わりづらいが、まあ簡単に言うと増田さんが感心したいもので加藤さんが感情移入したいものとでもいえばいいのだろうか。同じ漫画というものの登場人物だとしても、増田さんはルフィで加藤さんはヤマシタトモコ作品みたいな。(ワンピースの主人公ルフィは基本的に心理的なモノローグがほとんどないし、ルフィの性格があまり一般人に寄っていないので感情移入しづらい印象がある)(最近読んだヤマシタトモコ作品の中では『ひばりの朝』の富子さんとかめっちゃ加藤さん力高かった)(加藤さん力ってなんやねんて感じだが)

なんかきちんと伝えられている気が全くしないが、まあ要するに私にとって楽しみ方が全然違うということだけわかってほしい。

 

増田さんがプロデュースして届けてくる結果としてのアイドル増田貴久が死ぬほど好きだし、剥き出しの自分をぶつけてくる加藤さんの過程と生き様としてのアイドル加藤シゲアキも死ぬほど好きだ。

 

 

そんな私にとって脳で愛するタイプの人である加藤さんが、先日28歳の誕生日を迎えた。

加藤さんは元が老けg…大人びた容姿なのもあって、ここ数年外見に年齢が追いついてゆき中身も深みを増して、どんどん魅力的になっていくなあと思う。

彼が7月13日に冠ラジオSORASIGE BOOKで語っていた抱負(?)がとても素敵だった。

 

 

以下ざっくり概要を。

 

28歳は苦しむ1年にしたい。去年は楽しもうと思って楽しすぎたから、今年は苦しむべき時にはきちんと苦しもうと。

何事もメモる習慣をつけていこうと思っている。アイディアもそうだし、日常生活の中で楽しかったこととか悲しかったこととか、色々とメモしていきたい。いろんな番組に出る際のアンケートなどで結構『最近悲しかったこと』『最近うれしかったこと』とか訊かれるんだけど、意外と忘れてる。決して毎日を平穏無事に過ごしているわけではないからいろいろあるはずなのに、ついつい忘れていってしまうのはよくない。

という感じで日々を大事に過ごしたい。

 

 

(いつも通り主旨しか合ってない)

(正確な発言が気になる方はきちんと文字起こししてくださってる方のところへどうぞ。シゲさん今日もめっちゃいいこと言ってる…ぜひ聴いてほしい…)

 

 

ああもう!こういうとこ!あなたのこういうとこが好きなんだよ!!

 

と思った一瞬後に気付いた。

これ、同じこと私やってるぞ。

 

書いた時期が明確に特定できる一番古いもので2005年、小学6年生の頃から、楽しいこととか悲しいこととかをノートに書き留めている。この習慣もう10年続けてるのか~と思うと不思議な感じだ。

今見返すととりあえず内容の前に字が汚すぎて泣きたくなるのだが、不安とか不満とか親にも友達にも言えなかったことがあれこれ書いてある。あと謎のヒヨコのキャラクターとか謎のカッパのキャラクターとか教科書の挿絵の気に入ったやつ切って貼ってたりとかレタリングの練習とか、なかなかのカオス。カッパは今私のTwitterのアイコンになっている。あ、はてなのアイコンもだ。

10年書いてて気づいたことが2つある。

 

 

 

まず1つ目。感情は風化する。

 

書いたのが中学生の頃でかつ公開しても憤死しないで済む内容のやつを少し探してみたが、ダメージが少ないものに『膝が痛い話』があった。憤死はしないが鳥取砂丘を目指してチャリを漕ぎ出したくなる程度には恥ずかしいぞ☆★

さらっと背景を説明しておくと、私は小学校1年生から中学3年生までずっと同じスポーツをやっていて、中学2年生くらいから膝の痛みを感じるようになった。といっても別に大した痛みでもなくて、普通に練習をやっていたし普通に試合にも出場していた。なんならレギュラーだった。すごく人数が少なくて、実力云々の前に頭数としても必要とされていた。1人2人けがをするだけで大惨事で、こちらから申し込んだ練習試合なのに人数不足でキャンセルしたことさえあった。

人数が少ないから1試合フル出場どころか2試合フル出場も当たり前で、特に私は身長と体力的にほぼ必ずフルで出ていた。同じチームで私と同じく小学生からの経験者はみんなそうだったし、未熟な成長期だったので身体のどこかが痛いのもわりと当たり前だった。でも怖かった。

 

ひざが軋むたび 肩が軋むたび こわくてたまらない

リタイアしていい痛みとはなんだろう どのくらい痛かったら休んでいいんだろう

ぼくはみんなと同じ痛みを感じているのかな

一つ一歩一本一度

軋むこの身体は実はなんでもないんではないだろうか

ぼくが不良品なだけなんじゃないだろうか

 

14歳か15歳の私の文章である。なんだこれセルフSMか。マシな文章の中からマシなところを1/3くらい抜いてきた。全文載せたらマジで死ぬのでやめておく。

今にして思えば病院行けよで済む話だが、別にそこまで痛くはなかった。普通にやれた。だからこそ怖かった。事実として痛みはあるわけで病院に行けばなんらか診断が下ってしばらく部活はできなくなるだろうし、放っておいても大丈夫なら放っておきたかった。(疲労骨折とか膝の痛みとかで長期離脱している子の存在が人数不足に拍車をかけていたのもあって、病院=離脱だと思っていたしできる限り抜けたくなかった)

大丈夫なら放っておきたかったけど、大丈夫ならなんで痛いんだろうと思ったし、休んでいる子たちはどれくらい痛いんだろうとも思った。もしも私が彼女たちと同じくらい痛いなら自分も抜けてしまいたい、けどわからない。どれくらい痛いのまでが普通でどれくらいからが駄目なのか、誰かに教えてほしかった。

 

 

結局私は平穏無事に引退までレギュラーとしてやりきった。そして高校では全く違う文化系の部活に入りゲームと漫画にまみれた3年間を過ごした。

中学の女子の部活なんて、そんな大したものじゃない。別に人生に決定的な影響を与えるほどのものじゃない。中学でも高校でも恋愛もしたしそっちの方がよっぽど心乱されて価値観変わったし、とにかく結果的には、あの頃膝が痛かったことは私にとってそれほど大した問題ではなかった。

 

だからたぶん、書かなければ忘れていたと思う。

これはもう本当に加藤さんの言う通りで、日常生活の中の些細な出来事なんて人間はどんどん忘れていく。これってすごく普通のことだし、生きていくなら必要なことでもある。だけどもしもそれが嫌なら、どこかに書いておく以外に残す方法はないと思う。

私は単に吐き出したいがために書いていただけだが、書いたことによってそれに気づけた。

あったことも思ったことも、人間はどんどん忘れていく。忘れたことにすら気づかないで、どんどん前に進んでいく。

 

いや、もしかしたら私が書いてみるまで気づかなかっただけで、そんなことみんな自覚しながら生きているのかもしれない。けれど、少なくとも私は書かなければ気づけなかった側の人間で、それだけでも書いててよかったなと思う。

それをやってみるまでもなくきちんと自分の忘却の自覚にいたった加藤さんすごいなーと改めて思うんだけど、実際どうなのかな。みんなそんなのわかって生きてるのかな(笑)

 

 

あと、『忘れる』に関してもう一つ。これは多分私特有の話なんだけど。

私が書いたノートを見返すと、びっくりするくらい内容が重複している。

もうね、「○○だと思ってたけど実は▽▽かもしれないしそんな私ってほんとは××なのかな…」って書いた3日後くらいに「ほんとは○○じゃないのかな…私って▽▽で××なのかな…」とか平気で書いてる。それつい最近も書いてるよ!なに「この内容書くの初めてです」みたいな深刻なテンションで3日前と同じこと書いてんだよ!!と思わず自分に突っ込みたくなる。しかもこれをやっている回数が一度や二度じゃない。

人間って、本当に、なんでも忘れる。

いや、人間じゃなくて私固有の問題のような気がすんごいするけど。

自分で言うことでもないけど、私は決して記憶力が悪いわけではないと思う。勉強面で暗記に困ったことも特にないし、人の誕生日や無駄な豆知識などは覚えすぎていて気持ち悪がられることさえある。そんな風だから、自分がこんなになんでもすぐに忘れる鳥頭だということに気づけたのはひとえに書く習慣のおかげである。せっかく気づけたのだから、今後も自覚をもって生きていきたい所存。

 

 

 

 

 

2つ目。思考は言葉にするまで不可視だ。

 

人間の頭の中にはいろんな考えが渦巻いているけれど、頭の中にあるだけの状態だとその思考はあくまで『思考の前身』であって、まとまった考えや思い、考察などにはなりえない。

これはたぶん1つ目の風化とは違ってほぼ確実に私以外の人もそうだと思う。

頭の中にあるものは、頭の中にある段階でははっきりとした形はとれない。人間の脳は我々が扱う言語よりずっと柔軟だから、もやもやのままでも自分の感情ときちんと結びつくしそこまでの気持ち悪さもない。不定形の『思考の前身』は、言葉によって切り分けられて枠を与えられて初めて確かに認識可能な『思考』へと進化する。別に書かなくてもよくて誰かに話すのでも全く問題ないけれど、言葉にするのとしないのとでは自分の思いの認識精度と保存性が段違いだ。

 

例えば、「男に裏切られた…つらい…なにこれなんも言えない……」みたいなときはとりあえず誰かに話すなりTwitterの裏垢にでも吐き出してみた方がいい。それで「裏切られたけどまだ好きだけどアイツが悪いけど憎みけれないけど辛い、いや憎悪がもあるんだけどでもやっぱり愛もあってでもでもでも!!」とか叫んどいた方がいい。そうすることで、自分が今何を考えていてどうしたくてどういう気持ちがぶつかり合っているのか認識できるので機会があったら是非。

まあ早い話が私にとっての山下くんである。どんなにもやもやした『なんとも言えない気持ち』『複雑な気持ち』を抱え続けていようが、そのもやもやを直視してそれぞれの感情に目を向けてみるまではそれは所詮もやもやに過ぎない。別に嫌いでもないし好きでもないし愛してもないしそこまで苦しくもない。とてつもなく大きい苦しみの予感があるだけだ。(予感があるだけでも苦しくはあるけど)

 

 

気持ちは、言葉にするまで実体を持てないのだ。

 

 

 

気持ちに限らず思考もそうで、これが私がブログを始めた理由といってもいい。

自分の気持ちと考えをきちんと切り出して可視化したい。以前言及したV6とKinKi Kidsの比較記事を書かれた方は自分のブログの説明文に「自分の頭の中を可視化するためのブログ」と書いていらっしゃって、もうそのままこのブログのトップに貼り付けたいくらいだ。

 

ちなみに個人的に、増田さんはこの『自分の気持ち/思考を言葉で切り分ける能力』が極端に低い印象がある。頭の中には確かに何かがあるのに、それを伝達可能な形にできたら素晴らしさをわかってもらえるのに、そうできない。きっとものすごくもどかしいだろうなと思う。

ただ同時に、その能力が欠けていることが結果的に、視覚に特化したビジュアライゼーションや新奇なアイディアなどの増田さんの強みに寄与しているとも思うので、彼を見ているのはとても楽しい。

私はどちらかというと思考切り出しの方にステータスが振ってある加藤さん型なので、それも自分が増田さんに惹かれる理由の一つなのかなと思う。

最初の方にぐだぐだっと説明した『感心の対象・増田貴久』と『感情移入の対象・加藤シゲアキ』の話が多少は伝わっただろうか。

 

 

 

 

とりあえず今のところは書いててよかったなーと思うので今後も続けていきたいなーと思う。何より、加藤さんと同じことしてるってなんかテンション上がるよね。

この習慣の欠点として、ノートが家族や恋人、友達の目に触れるようなことがあると、よくも見たなお前を殺して俺も死ぬって感じになるので保管にだけは気を付けたい。

 

 

 

 

 

 

最後に一つ。

自分のブログの感想を見ていて、「文章上手いなこの人!」系のことを言ってくださる方がちらほらいらっしゃってうれしい限りだったのだが、この習慣と文章力はあんまり関係ないと思っている。自分の心を落ち着けるために書いているようなところがあるので事実の説明には力を入れないし、100%主観で書いている。

文章力が欲しかったらとりあえず文を読むのが一番だ。小説でも評論でも何でもいいと思うし、なんならなんとなく文体が好きなブログとかでも構わない。インプットなくしてアウトプットはなしえない。書きたいなら読んだ方がいい。

 

 

ちなみに私は直前に読んだものにめちゃめちゃ引きずられるタイプなので、舞城王太郎作品を読んだ後は文体が完全に舞城王太郎になったりする。が、しかし、文章力的に真似できるようなものでもないのでそういうときの文章を後からと見返すともれなく憤死する。

憤死するけどインプットの重要性を実感しながら憤死しているのできっと無駄な死ではないと思う。高校生の頃初めて『好き好き大好き超愛してる。』を読んだ後は自分の文から彼を追い出すのに本当に時間がかかった思い出。

 

まあ読め読めといいつつ私ここ数年はあんまり読書してないんですが。

「話題になった『山下智久を許したい』を読んでブログ書きましたー」とか「ブログ始めましたー」って方が何人かいらっしゃってとてもうれしかったです。はてなブログは面白いこと書いてる方たくさんいらっしゃって本当に楽しい。

 

読むのも書くのも楽しいんだよと増田さんにわかってほしいけどわからないでほしいジレンマを抱えながら今後も書いていこうと思います。