英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

山下智久を許したい

 

 

就活したり勉強したりなんだかんだやってたら増田さんの誕生日が過ぎてしまった。

来年こそはケーキかってお祝いしたい。

 

とか言ってたら加藤さんの誕生日も過ぎてしまった。卒論やってる場合じゃなかった。

 

 

増田さんと加藤さんの10000字インタビューについての感想を書いた記事の中で、

「小山さんのインタビューはまだ読めていない。今もう気が狂ったように欲しくて欲しくてたまらない」

と書いた。

 

そう、ほしくてほしくてほしくて我慢できなくなったので、買いました。

 

 

買うしかない、買わないなんてないから。

 

(笑)

 

 

MYOJOにはバックナンバー制度がなく、過去のものが欲しかったら古本屋で探すしかない、という事実をジャニオタ8年目にして初めて知り驚愕した。

 

古本屋なんか近くに…あった。

古本屋とか超えて、ジャニーズグッズ専門の店が、徒歩圏内にあった。

東京ってすごいなあ。と思えた瞬間だった。3月まで住んでいたのも住所の上では立派な東京都内だったのだが、古本屋どころかCDを買える店もなかった。ので、地元にいた頃ため込んだタワーレコードのポイント約4000円分を失効させるという悲劇に見舞われたりした。

 

そんな悲劇はさておき、徒歩圏内にあるジャニーズグッズ専門ショップに行ってみたところ、あっさりとMYOJO2015年6月号は見つかった。ちょっと拍子抜けするレベルで普通に見つかった。

そして拍子抜けついでに、現在連載中の「Stand by me~いつもそばにいてくれたね~」シリーズの前に連載されていた「裸の時代~僕がジュニアだった頃~」シリーズの10000字インタビューも現NEWSメンバー4人分(2011年8月号~11月号の4冊)購入してしまった。

しめて4500円。タワレコのポイントのことを久々に思い出したのはこのせいもあった。

 

 

遅ればせながら小山さんの10000字インタビューも無事に読み、3人のインタビューを読んだわけだが、一番「僕の心のやらかい場所」を締め付けられた場所を率直に言うと、山下さんへの言及がされていた部分だ。

 

 

まず小山さん

「おととい、山Pからメールが急に来たんだよね。『なにしてる?』って。(中略)『今度、飲み行こうよ』って誘ってくれた。俺、『うん、いいよ』ってためらわず返せたんだよ。そのとき、心の整理はついたんだなって実感した。ふたりで会えるなって。どっかで、心の余裕ができたんだって。(後略)」

 

 

続いて、加藤さん

「(インタビュアー『10月7日、ふたりの脱退が発表されたときは、どんなことを思った?』に対して)山下くんから『がんばってね』ってメールが来たんです。『そういうことを言うなよ』って返した気がします。あのとき振り返らなかったんだから、今さら振り返んないでよって。みんなは『それぞれがんばっていこうな』って感じになってると思う。なんか僕が一番未練がましいんです。やっぱ、いちばんひきずってます」

(※あのとき:2011年4月、山下さん錦戸さんの二人が脱退の意思を4人に表明した日の別れ際のこと。このくだりの前に、二人が会議室から出ていくときに振り返らなかったことへのショックに加藤さんは言及している)

 

「(錦戸くんと飲みに行った話に続けて)僕、あえて引きずってるんすよ。忘れようと思ったら忘れられる。ふつうに仲良く接することもできると思う。でも、あの日のこと、あの日思ったこと、俺がもっとしっかりしてたらって思ったこと忘れちゃダメだって」

(多分山下くんのことも含めてこう言っているんだろうと思ったのでここも抜き出しました)

 

 

そして増田さん

「山下くんも今なら普通に話せるよ。1年前くらいかな、『飲みに行こう』って誘ってくれて、僕の予定を聞かれたんで『いついつはどうですか?』って答えたら『その日はダメだわ』って1度流れて。何か月後かに改めて連絡があって、『じゃあ、いついつはどうですか?』って言ったら、また、『その日、ダメだわ』って。今んとこ2回連続で流れてるんですね(笑)。『ホントに行く気あります?』って言ったら、ふたりとも笑っちゃって。そんな会話ができるようになったんだなって」

 

 

なんかもう、普通に話せるんだなあと思った。加藤さんだけは少し異質なことを言っているが、彼の場合は「あえて」交流を断つようにしているというか、山下くんを失った傷にできているかさぶたを何度も何度も剥がしては傷が治らないように抉りなおして、今日まで自分を奮い立たせてきたのかなあと感じた。

言い換えれば、自然な自分の感情に任せていればたぶん加藤さんの傷は、痕こそ残れど治っているのではないかなあと思わされた。

そしてその加藤さんに関しても、山下くんからなんらかお誘いがあっただとか、飲みに言っただとかいう話が出てきてももうおかしくないんだろう。

 

私よりNEWSのメンバーの方が、よっぽど前向きに生きている。

 

 

 

私はいまだに、錦戸くんの脱退は不可避だったけれど山下くんの脱退は本人の意思次第で違う形になりえた出来事だったと思っている。

2010~2011年当時は本当に、関ジャニ∞とNEWSは交互にしか活動できていなくて、もしも両者に今後今以上の人気が出たらどちらかの活動が立ち行かなくなるであろうことは目に見えていた。

いつかは破綻することが目に見えている危ういバランスの中で、「その日」が来たとき錦戸くんがどちらを選ぶのかは火を見るよりも明らかだった。彼はずっと、全身全霊で、自分の帰属する場所は関ジャニ∞だと訴えていた。

 

 

あの頃私は、錦戸くんをNEWSに入れた人が憎かった。だってどう見たって兼任は破綻しかけていて、彼がいつかいなくなってしまう可能性がゼロではないのも明らかだった。錦戸くんが「その日」が来たときNEWSを選んでくれることはないのに、それがわかっていても私はNEWSにいるときの錦戸くんが好きだった。

 

シゲの口にいっぱいにたこ焼きを詰め込んでいた錦戸くん。山下くんがシゲと二人でご飯に行ったと知って、「山下OKが出たなら…」と自分もシゲとサシ飯に行った錦戸くん。でも誘うのに緊張して、ほんとはすっごくドキドキしながら誘ったらしい。錦戸くんになついているまっすーが好きだった。マイペースで、一緒に買い物に行った時ですらトロ過ぎて錦戸くんをキレさせるまっすーがすきだった。いつの間にか「亮くん」と呼んでいた手越に唖然としたけど、関係性の変化が愛しかった。俺たちは最年長やから、って小山と二人で兄貴ぶる錦戸くんが好きだった。

同じグループなのに敬語なんて変だよって言われても、ビビってるシゲと段々シゲを好きになっていくのがよくわかるP亮が好きだった。3人でANNに出た時の文字起こしをみて目玉が飛び出るかと思った。シャララタンバリンをリハで歌っていた錦戸くん。秦基博をシゲにすすめられて聴き始めた錦戸くん。フラワーカンパニーズをシゲにすすめた錦戸くん。

 

全部好きだった。全部本当に好きだった。

NEWSを選んでくれないくせに、NEWSでもたくさんの魅力的な顔を見せてくれた錦戸くんが憎かった。最初から錦戸くんがいなければ、誰かが兼任なんて思いつかなければ、錦戸くんがNEWSにもたらす魅力なんて知らなくて済んだのに、いなくならないでほしいなんて、こんな悲しい想いはしなくて済んだのに、憎くて悲しくて、好きで、好きだった。

 

でもわかっていた。

 

もしもいつかが来たら、「その日」が来たら、錦戸くんは絶対にエイトを選ぶ。

そして「その日」が来るのならば、それは錦戸くんのNEWSへの思いとは関係なく、彼がNEWSへの思いを徐々に深めていようともそれとは関係なく、やってくるのだろうとわかっていた。

 

だから私は、錦戸くんの脱退をあきらめることができたのだと思う。

2011年10月7日、あの日。ついにやってきた「その日」に私は茫然とした。とてつもないショックを受けた。けれど、錦戸くんを嫌いになることはできなかった。

それから約1週間後のミュージックステーションに出て脱退について話した錦戸くんの声は震えていた。話の内容はもう覚えていないのに、「ああ、声が震えている」と思ったことだけ今も覚えている。

その声をきいて、私は錦戸くんを信じることにした。私がにこにこしながら眺めていた、兄貴ぶる錦戸くんもシゲに無茶ぶりをする錦戸くんもマッスーを甘やかす錦戸くんも全部、きっと嘘ではなかったと信じることにした。彼はNEWSを選んではくれなかったけれど、あの時間は決して彼にとって単なる苦痛なものではなかったと、私がみてきて愛してきた彼も確かに彼の一部ではあったと。彼はそれを、捨てたわけではないのだと。

 

あの日、諦めて、許した。

 

 

 

 

 

でも、山下くんは違った。

 

NEWSというグループを結成するにあたって、山下智久はただ一人帰属的に集められたメンバーだったと思う。

結成時のことを回想して、「ジュニア内各ユニットのエリートが集められていると思った」とメンバーは語っている。たとえばその中で、手越さんと増田さんがNEWSになれたのは、歌がうまかったからだろう。逆に言えば、同じくらい歌がうまければ、彼らでなくてもよかっただろう。加藤さんは「なぜ自分をNEWSに選んだのか」と訊いたとき「顔」とジャニーさんに答えられてショックを受けたといっている。グループのバランスとして身長や顔を考慮した結果加藤さんは選ばれたわけで、同じような条件を満たせる人がいればその人でよかった。加藤さんは結成後にダンスの指導者に「今からでも外せるんだ」とさえ言われている。

 

 

でも、山下さんだけはたぶん違ったと思う。2003年当時私はジャニーズについて何の知識もなかったし、リアルタイムで何も見聞きしてないので本来こんなことを語る資格はない。ないのだが、「NEWSは山下智久のために結成された」と聞いて、ジャニーズについて知り始めたばかりの私は何の違和感も抱かなかった。

求める条件を満たしていたから選択的に選ばれたほかの人と違って、山下くんだけは山下くんだから選ばれたのだと、2015年の今も私は思っている。

 

 

たとえばK.K.Kityのファンが落胆したように、Ya-Ya-yahのファンが落胆したように、関ジャニ∞のファンが落胆したように、山下くんも落胆したのかもしれない。

求めていたのとは違うメンバーで、期間限定のはずだったのにいつの間にか正式なデビューになっていて、切磋琢磨してきた仲間ではなくて自分におんぶにだっこなやつらと運命の船に乗せられて、いやだったのかもしれない。そういう風に思ったことがあったかもしれない。

でも、『星を目指して』をリリースした時、山下くんは覚悟を決めたのだと思っていた。歩み寄って、距離を縮めて、みんなで歩いて行ってくれるんだと思っていた。

 

バレーボールユニの進む海は、キラキラ輝いている。そのキラキラは、夢の死骸だ。

この船に乗れなかった少年たちの夢の死骸が、かなわなかった可能性のかけらが、ずっとこの海を彩っている。

その残酷な航海を、NEWSという船に乗って続けてくれるのだと信じていた。

 

 

山下くんがNEWSからの脱退を発表したあの日、「捨てられた」と思った。

錦戸くんは、捨てたんじゃなくて、NEWSに乗り続けるのは身体が足りなくなったのだと思えた。山下くんについてはそうは思えなかった。船を降りる必要がどこにあったのかわからなかった。

 

「必要」も「仕方なさ」もどこにも見つけられなかったから、私の中で彼の選択は「希望」と「意志」に基づくものだとしか解釈できなかった。

 

 

私は今はもう、関ジャニ∞をみても不快な感情は何も覚えない。Twitterをみていて、今関ジャニ∞がテレビに出ていると知ったら、じゃあテレビをつけようかなと思う。錦戸くんと加藤さんの交流を垣間見れると、とてもうれしい気持ちになる。

山下くんをみると不快になるかと言われたら全然そんなことはないのだけれど、能動的にテレビをつけようとはまだ思えない。捨てたのに、とまだ思う。彼がNEWSを抜けたことを、心のどこかで後悔する日があってほしい。今輝く加藤さんが、小山さんが、彼にとって喜びであると同時に心のどこかに微かな痛みをもたらすものであってほしい。一方で、NEWSでは決してできなかったことをやってほしい。屈託なくかつての戦友として語り合う姿が見たいような気もする。だけどやっぱりNEWS結成から脱退までの道のりの中の自分の選択を悔いてほしい。でも嫌いなわけじゃなくて、今のNEWSに山下くんがいてほしいわけではなくて、なんだか自分でもよくわからない。

 

ただ一つ確かなのは、私は今でも彼ら二人が脱退したことを悲しい帰結だと思っているということだ。

 

「その日」に至るまでの軌跡、「その日」下した決断は、きっとどの時点でも最善などではなかった。山下くんも、錦戸くんも、小山も、シゲも、まっすーも、手越も、誰もかれも、最善の行動ではなかった。

恨んだり非難したりしたいわけじゃなくて、でも、例えばもう一度『星を目指して』リリースからの道をやり直せたら、きっとみんな違うことをする。

だけどたぶん、2011年4月の「その日」からの道をもう一度やり直せても、少なくともNEWSの4人は同じことをする、種々の岐路で同じ選択をする、と信じている。

 

それが私にとっての“「その日」まで”と“「その日」から”の大きな違いだ。

きっと、NEWSをどんなに好きでもいつまで好きでもずうっと、私は脱退を肯定できない。

 

 

でも、山下くんを嫌いになりたくなかった。

「捨てられた」と思ったあの日、なにが正しい反応なのか誰にも全然わからなくて、山下くんへのバッシングも非難もたくさん見かけた。6人の中で一番叩かれていたのは間違いなく山下くんだった。正直なところ、彼を謗る言葉の中には共感できる言葉も少なからずあった。

とりあえずこれからもNEWSを好きでいようと決めて、応援しようと思って、だけどNEWSが本当に今後も残るのかはわからなくて、小山とシゲはどうなるんだろうと思って、「やっと亮ちゃんが帰ってきた」「早く返してほしかった」という言葉に傷ついて、そういう中で山下くんを嫌いにならないのは、私にとってすごく難しいことだった。

 

すごく恥ずかしかったし、今でも恥ずかしいけれど、それが素直な気持ちだった。

山下くんを嫌いにならない自信が全然なかった。

だから、ただ「いつか『あの時はこうするしかなかった』と思える日が来るといい」とだけ思って、もうそれ以上山下くんのことを考えるのをやめた。

 

 

それから今に至るまで、山下くんのことをちゃんと考えたりはしないできた。

山下くんが美恋魂DVDをみたと聞いても「複雑な気持ちだなあ」とだけ思って、その複雑さをきちんと検分しようとはしなかった。ソロコンサートでNEWS全員での番組レギュラーオファーを断った話をしたと聞いても、彼がNEWSの歌を歌ったと聞いても、「何とも言えない気持ちだなあ」としか言わないようにしていた。

何とも言えない気持ちって、結局なんにも言ってない。なんにも言わないようにした。言葉にしたら望ましくない気持ちが実体を持ってしまいそうで、言わないで考えないでNEWSだけをみてきた。

 

 

 

脱退から4年が経って、NEWSをもっと好きになって、みんながそれぞれに今いる場所で努力している今、ついに私は思うようになった。

『あの時はこうするのが一番よかった』なんて思う日は、どうやら私には来ないらしい。

 

山下くんは山下くんで頑張っているらしいことはなんとなくわかっている。

増田さんのファンだった私の眼にはとても強くて恵まれていて輝いて見えたけど、実際には増田さんと山下くんはたったの一歳しか変わらない。NEWSという不安定な船の上で、未来が靄につつまれた航海の中で悩んだり苦しんだりしたのは9人とも変わらない。不安もコンプレックスもきっと人並みにあって、むしろシンメのいなかった山下くんが一番辛かったかもしれない。(P亮は好きだったけど、個人的にあの2人はシンメではなかったかなとおもっている)

脱退してから、才能ある人々の器のようになって強烈な歌を発表したり、コラボレーションしたりしていたのもなんとなく耳にしたり目に入ったりしている。

 

わかってるけど、そんなもんは脱退を知った時もとっくに知っていた。知っていてなお、それでもマッスーを愛するように、錦戸くんを愛するように、あるいはKAT-TUNや嵐を愛するような距離感でさえ、とにかく、ほかの人を愛するように単純には、山下くんを愛せなかった。

「僕の心のやらかい場所」を締め付ける、という表現も、「複雑な気持ち」や「なんとも言えない気持ち」と同じくらい何も述べていない。

なんだろうなあ、どう思ってるんだろうなあ。

「こういう風には思いたくない」って気持ちだけが肥大して、山下くんへの気持ちがわからなくなってしまった。たぶん、どんな答えが出るとしても怖がらずに、2011年に考えるべきだった。山下くんをどう思うのか、どうしてほしかったのか、これからどうしてほしいのか、ちゃんと考えればよかった。そうしたら今頃は昔のように単純に彼を愛でることができたんじゃないかって、最近なんとなく思う。

 

 

どうか山下くんがジャニーズという肩書を捨て去ることがありませんように。どうかもっともっと人気のあるアイドルになりますように。山下くんにしかできない何かを成し遂げてくれますように。NEWSでは絶対に絶対に絶対にできなかった何かを成し遂げてくれますように。

 

今はもう積極的にあなたを追ったりはしない私が、それでも目にしてしまうほどそれでも見入ってしまうほど、強烈で鮮烈なあの日からの軌跡を見せてほしい。

 

 

 

 

 

あの日までのあなたを許せない私が、あの日からのあなたを許せますように。

あなたをもう一度、ただ単純に愛したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあこれ山下くんが正しいとか悪いとかじゃなくて、徹頭徹尾私が楽になりたいって話なので、そのうち実際に旧NEWS6人での食事が開催されたり、Pシゲや亮シゲやP亮シゲの関係があの頃に戻ったらあっさり私は救われてしまったりするのかもしれない。

そしたら爆笑しながらこの記事読み返そう、うん。