英雄は歌わない

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加藤シゲアキと増田貴久の10000字インタビュー感想――二つの覚悟

 

 

明星の2015年7月号、8月号を買った。

加藤シゲアキと増田貴久の10000字インタビューが目当てだった。

 

買ってから気づいたが、雑誌(いわゆるドル誌)を購入するのはめちゃめちゃ久しぶりだった。最後に買ったのはMYOJO2012年1月号なので、ざっと3年半ぶりである。

ちなみにこのほかに持っているのは、POTATO、duet、Wink upの各2011年11月号の3冊のみだ。もちろんこれ以外にも雑誌を購入したことはあるが、上京に伴う引っ越しと今年春にした2度目の引っ越しの2回の荷物整理を経ても持ち続けているのはこの4冊だけだった。

 

 

NEWSが好きな方なら言わなくてもわかる人もいそうだけれど、一応説明させてほしい。

各誌の2011年11月号とはすなわち、山下智久錦戸亮のNEWSからの脱退が発表された時点で本屋に並んでいた雑誌、NEWSが6人で載った最後の雑誌だ。

大混乱に陥りながら、もう二度と6人の姿は見れないことを知って、喪失感に襲われながら購入した。あんなに悲しい気持ちで何かを買った経験はあの一度きりだし、これからも二度としたくない。

もうジャニーズいいかな、卒業しようかな、と思う時期もたくさんあったけれど、二度と手に入らないもの、好きだった6人の最後の残骸だと思うと、捨てられなかった。

 

 

もう1つ、MYOJO2012年1月号の方は、新生NEWS復活特集が組まれていて、それで買ったのだと思う。

これは正直あんまり覚えていなくて、でもこのくらいの時期ってまだシゲは加藤シゲアキじゃなくて加藤成亮で、4人でやりますとは言ってたものの具体的な活動はなくて、このままNEWSなくなっちゃうんじゃないかなって、思っていた。

だからたぶんこれも、なくなっちゃうかもしれないと思いながら買ったのかな、と思う。このなくなっちゃうかもしれないっていう不安は、チャンカパーナのリリースが決まるまでずっと心の底にあって消せなかった。

 

 

ちょっと正確な時系列を覚えていないのでなにかしら齟齬があるかもしれないけど、この頃のことを思い出すと、YOU&Jがなくなって、3グループそれぞれ個別のファンクラブを作ります、っていうアナウンスを真っ先に思い出す。

山下くんの個人ファンクラブとかも諸々作ります、みたいな感じで、その中に「それぞれのファンクラブの設立時期は異なります」っていう文言があって、あーって思った。あー、これ、エイトとKAT-TUNのファンクラブ、すぐできるんだろうなーって。

逆に、NEWSのファンクラブはしばらくできないんだろうなとこの時は思ったし、しばらくどころか設立されることなんてないのかもしれないとさえ思った。

 

1年間もろくに活動なかったと思ったら、急に脱退を発表されて、残ったメンバーでやっていきますとは言ってくれたもののグループとして何をしてくれるわけでもなくて、山下くんの脱退がありえたならなんだってあり得る気がした。

 

 

先月、10000字インタビューが加藤さんだということを知って本当に久しぶりに雑誌を買ったら、そういうことをいろいろ思い出した。

昨日増田さんのインタビューも読んで、いろいろ思うところがあったので、書きとめておこうと思う。

今あれ?って思ったそこのあなたは鋭い。そうです小山さんのは読んでいません。今もう狂ったように6月号が欲しくて欲しくてたまらないです。どうにか手に入れようと算段中。

 

 

 

 

まあそんな感じで感想を。

 

 

 

二つのインタビューを読んで、まず一番最初に、この二人は覚悟の種類が全然違うんだなって思った。

端的にいうと、シゲのは「泥をかぶってでも生きる」っていう覚悟、マッスーのは、「泥を塗らずに背負い続ける」っていう覚悟なのかなあと。

 

 

これは今までも何度も、それこそファンもメンバー自身も語っていることだけれど、テゴマスの存在って本当に大きかった。手越とマッスーには、テゴマスというアイドル・表現者のかたちが一つ確立されていた。NEWSがなくなってもアイドルでいられたし、だからテゴマスとして生きることをすすめる人もいたんだろう。

この時マッスーが迫られてたのは、たとえばNEWSが10だったとして、テゴマスとして4や5で生まれ変わるか、新生NEWSとして3なり5なりから再スタートするかって、そういう選択肢だったんじゃないかな。でもその中で、10だったものを5にすること、その上で同じ看板を掲げることって、すごく怖いし、何の意味があるのかわからない。

5を目指しても周囲からは3の評価しか得られない可能性だってある。よくて5、悪ければ3のパワーでNEWSの歌を歌ったとして、果たしてそれは本当にNEWSなのか。それはNEWSを守ったといえるのか。看板だけNEWSを掲げてたって、駄目だったんだと思う。マッスーはそれじゃいやで、愛したものを汚すくらいならきれいなままで幕を引いてしまうのが正しい愛し方だと思っていたんじゃないかな。

大事だから、しがみつくようなものにしたくなくて、NEWSをみて笑ったり喜んだり感動したりしてきた人たちが、同じように笑ったり喜んだり感動したりできるものを見せてくれようとしていたんだろう。

それをファンとしてすごく誇らしく思うし、そういうところがとても好きだ。

 

もちろん、NEWSの楽曲が消失することのないようにあちこちに頭を下げたこと、決してエリートではなかったらしい増田さんが手に入れた最初の肩書、居場所がNEWSだった事実をみても、NEWSをなくしたくないと思ってくれていたのも一つの真実なんだろう。

けど、なくしたくなかったNEWSには、増田さんの中ではずっとNEWSを名乗ることを許される合格ラインが存在していて、残すならそのラインを越えて初めて本当にNEWSを守ったといえる、そういう存在が増田さんにとっての「NEWS」なんだろうなと私はおもった。

逆説的にいえば、合格ラインを越えられなかったらそれはNEWSではないし、越えられなかったらその自分はNEWSを守れなかったのみならず壊すことになると感じていたのかなあ。

アイドル増田貴久の生死とNEWSの生死は別のものだった。

そういういろいろを踏まえて、「泥を塗らずに背負い続ける覚悟」を私は感じた。

 

何を見せて何を与えるか、私たちの気持ちに何をかえせるか。増田さんはきっと、アイドルである限りこれからもそれを考え続ける。

頑固なところも、三十路近くなっても自分が思うアイドル美学を貫き続けるところも、プライベートを明かさないところも、ほんとは普通に字が書けるのに丸文字を書くのも、全部全部根っこに「アイドルとは??」っていう問いがあるからなのではないだろうか。

一度プロデュースを挟んだものでなければ、自分がアイドルで在れているのか吟味を挟んだものでなければ、ファンの前に差し出したくないんだろう。そこが誰よりも徹底的だなと思う。アイドルモンスターの称号(?)がふさわしい。

増田さんにとっては、与えられないアイドルはアイドルではないのだ。

 

そういうアイドル増田貴久考をした上で、現在増田さんがNEWSを続けてきたことを「正解だ」と思ってくれているらしいことが本当にうれしい。

whiteツアーのオーラス、東京ドームで、ドームという場所への思い入れを吐露してくれた増田さんの目にはきっと、自分たちに向かって手を伸ばす5万5000人が、自分が差し出したものを抱きしめる5万5000人が映っていたと思う。映っていたことを願う。

 

 

 

 

二つ目の覚悟、加藤シゲアキの覚悟は、「泥をかぶってでも生きる覚悟」だ。

 

加藤さんには何もなかった。NEWSでしかなかった。

NEWSでなくなった加藤成亮は、何者でもない。これは、ほんとうに大きな大きなテゴマスとの違いだった。

増田さんにとっては10を4にするか5にするか、そこにどんな意味があるのか、なにが正解なのかっていう問題だった出来事は、加藤成亮の前では10が無になるかならないかというもっと残酷な問いを突き付けてくる悪夢だった。

 

だから本当は、NEWSでなくてもよかったと思う。目の前に「NEWS」以外の命綱なんて一本もなかったから、死に物狂いでしがみつくしかなかったというだけの話だ。

全員がそうだったらよかったのに、小山さんと加藤さん以外はそうではなかった。みんな何者かの肩書を持っていて、これからの人生をアイドルとして生きていける人たちだった。

加藤さんにとってはNEWSの生死とアイドル加藤成亮の生死はほとんど完全に一致していて、アイドル人生を続ける覚悟を固めたならNEWSを続ける覚悟も決めないわけにはいかなかったのではないだろうか。

歌もダンスも、グループ内では劣る方で、これといった武器も何もなくて、ゆかいな仲間たちとしての自覚が痛いほどあった加藤さんは、それでもアイドルを続けると決めた時、同時にそれがすごく苦しい道となることも覚悟したのではないだろうか。

 

どんなに泥臭くてもいいから、まだアイドルでいさせてほしい。

 

それは、増田さんとは全然方向性の違う覚悟だ。たぶん増田さんにとっては、泥臭かったらもう半分アイドル失格だ。

泥臭いのが駄目なわけじゃなくて、泥臭い現状を受け入れてしまうこと、それでいいと思ってしまうことが我慢ならない人のように見えるのだ。

 

とにかく、アイドルを続けると決めて、何者かで在りたいという欲をまだ捨てないことにきめて、自分が泥臭いまま生きることを決めたら、それはもうほとんどイコールでNEWSが泥臭いアイドルとして存続する覚悟だった。

 

ハコの大きさとかどうでもいいから、とにかくすぐ動きたい、小さなところから、這い上がっていこう。

という加藤さんの言葉にも、それが現れているように思う。

小さいハコでもよかったのは、それならそれが自分の今のポテンシャルだと思っていたからではないだろうか。過去のNEWSはいったんおいておいて、今の自分(と小山)が今のNEWSだから、今の自分たちに見合ったところから始めるしかなかった。

増田さんにとっては、不合格ならNEWSじゃなかったのかもしれない。でも、小山さんと加藤さんには、NEWSじゃないものなんてもうちょっとも残ってなかった。

どんなにみじめでも、スケールダウンしても、自分がアイドルとして生きるならNEWSでいるしかなかった。

 

NEWSをやろう。続けよう。どんなにみじめでも、羽がもげて泥の中に落ちても、前に進もう。

 

それが加藤成亮の覚悟だ。

 

 

 

 

 

 

この二人、ほんとうに全然アイドルやNEWSに対しての向き合い方が違いすぎてびっくりした。

 

増田さんが一番素直に「好き」を表現する相手は加藤さんだし、増田さんの頭の中にしかないこの世にまだ存在しないアイディアを言語化しようとするのも加藤さんだ。

コヤシゲ、テゴマスが有名だけれど、実はNEWSの中で一番付き合いが長い二人はマスシゲだ。潔癖の気がある増田さんが髪のセットをやらせるのは加藤さんくらいだ。

 

マスシゲ二人は、仲がいい。

 

ファンなら周知の事実だ。それなのに、こんなに違う思いを、未来図をすり合わせて笑っていたんだなと思うと、なんだかうれしいような悲しいような泣きたいような気持になる。

私は今のNEWSが好きだ。今がいい。4人が決めてきてくれた、2011年4月からの道が今あるもので本当によかった。どんな可能性だってあり得たんだなって、ほんとうに思うから、なおさら今が愛しい。

 

 

いつの間にか、「新生NEWS」って言わなくなったな、とふと思った。

NEWSだ。今のNEWSがNEWS。ほかでもないNEWS。