英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

メッセージを受信しました/君が思うより世界は優しい


高校生の頃、とても大事で大好きな人がいた。弱くて甘くて卑屈でそのくせプライドは高くて、望むように生きれない理不尽さに世界を恨んでいる人だった。

私がその人に出会ったのは、彼の人生がもっとも暗くもっとも上手くいっていない時期だった。友達もそういなくて学校はつまらなくて勉強も部活も大して上手くいかない、そんな人のそばに私はいた。
きっと人生なんてそんなもので、それらは大した挫折ではなくて、だけどそれでも苦しいものは苦しい。1年生の頃はベンチ入りメンバーに選ばれていて、自ら進んでキャプテンになったこと。友達もたくさんいてすごく楽しかったこと。それなのに2年生になったらぱたりと試合に出れなくなったこと。下手くそなくせにキャプテンなんてやっちゃって、という冷たい空気を浴びていたこと。仲が良かった人と軒並み離れて違う棟のクラスに振り分けられてしまったこと。学校なんて大嫌いだと思いながら通っていたこと。

「俺は頑張ってる」と彼はよく言っていた。運動のセンスがない割には、勉強する時間がない割には、筋肉がつかない体質の割には頑張っている。頑張っている、努力している、ハンデの割には。それらはすべて事実で、一方で意味のない慰めだった。ポテンシャルを持たない彼の努力が、ポテンシャルを持つ人々の結果を超えることは結局1度もなかった。
練習にほとんど来ないで絵ばかり描いている級友は最後までレギュラーの座にいたし、その人を馬鹿にしていたチームメイトは最後まで楽しそうに学校生活を送っていた。


高校3年生の初夏、私の大親友の部活は終わった。引退を飾る最後の試合に、1秒も出場することなく。
その日の晩、家の外に座って電話をした。おつかれと言ってありがとうと言われた。それから、間違っていると。間違っている、おかしい、という類の言葉を、あの2年間で何度聞いただろう。試合の展開からしてあいつより俺を出した方が良かった。状況から判断すれば俺を出すべきだった。顧問はおかしい。俺だけが悪いんじゃない。そういう類のことを2年間で幾度も聞いた。


勉強のこと部活のこと恋愛のこと家族のこと。隣でどんどんどんどん卑屈になっていく彼を見ながら、俺は悪くないのに世界がおかしいと呟く彼を見ながら、本当はずっと言いたかった。世界はそんなに不当じゃないよ。君が思うより世界は優しい。何度も何度も言いたくて、けれどその言葉を口に出すことはできなかった。甘やかしているだけだという自覚はあったけれど、甘やかす以外にできることもなかった。
彼に私の言葉が届くことはなく、その人生の暫定1番深い谷を見届けて私たちは離れ離れになった。彼はそこそこの国公立に、私は1番最初に彼が目指していた大学に。

分かっていたことだけれど、あんなにずっと一緒にいたのに、離れ離れになってしまえば私たちは全然元気にやっていけた。卒業間際に彼は「お前がいない俺が心配だし、俺がいないお前が心配」などとふざけて言っていたが、私は彼がいなくても大丈夫だったし、彼も私がいなくても大丈夫だった。
谷は所詮谷に過ぎず、いつかは山がやってくる。見目もよく性格が悪いわけでもない彼の人生は簡単に良い方に転がり、ごく普通の大学生として彼は生きていた。
あんなに一緒にいたのに、離れてしまえば連絡を取ることもほとんどなかった。彼の人生が上手くいってしまえば、私なんて別にいなくても何も問題ないのだった。彼はもう、鬱々と不満を語る必要も、お前は悪くないよと慰められる必要も、おかしいのは周囲の方だと嘆く必要もない。それは少し寂しく、けれど当たり前のことだった。

 

彼がいないことに慣れきった大学4年の夏。NEWSに10000字インタビューの番が回ってきた。4人それぞれのインタビューに本当に色んなことを思ったし、色んなことを書いたし、図らずもジャニオタとしてすごく大きな転機にもなった。
その中で、加藤さんのインタビューを読んだとき、ジャニオタじゃない私、ただの私が息を呑んだ。

 

あのころの自分に会えるなら、"がんばった分だけ認めてもらえるよ"って教えてあげたいかな。(中略) "俺を取り巻く世界、マジファック"とか思ってたから(笑) "俺が受け入れられないのは、世界がバカなんだ!"ってグチってばっかの毎日だった。ひとことでいいから伝えたいかな。"意外と世界は、おまえにやさしいよ"って。

 

「ああ、返事が来た」と勝手に思った。送ってもいない手紙に、言えもしなかった言葉に、返事が来た。あの頃、言いたくて伝えたくて分かってほしくて堪らなかった言葉に。

 

君が思うより世界は優しい。

 

意外と世界は、お前に優しいよ。

 

そうか、私が言うんじゃ駄目だったんだな。自分で気づくしかなかったんだ。部活のこと勉強のこと恋愛のこと家族のこと。もうどんなことでも彼からのメールは来ないし緑色の着信ランプは光らない。世界中が敵に見えることも何もかもが上手くいかないこともきっとないだろう。
世界は優しいよなんて、どんな他人に言われたって納得できない。いつか振り返ってそう言えるように生きる以外、そうして振り返って過去の自分に贈る以外、世界の優しさなんてきっと誰にも説けない。自分の世界を優しくできるのは自分だけだ。
いつか彼らのファンを辞めることがあっても、きっとこの小さな奇跡を忘れることはないだろうと思う。ダサくて青くさくてかっこ悪い青春の先で彼のようになれるなら、頑張って歩くことには意味があるかもしれないと思う。

 

あなたの世界が優しくありますように。あなたが世界を優しくできますように。
世界で一番叱咤激励してあげたくて、世界で一番叱咤激励してほしい人。どうか今年も変わらず変わり続けて。

どっちのお花畑ショー/ワンプレートでやって来る

言いたいことがあまりにも沢山あってなんかもうめんどくさいので何も考えず全部つらつら書いてしまおうと思う。まとまりなくてごめんね。


・におわせとプロ意識とそれから、
「誠意を見せろ」「謝れ」「一言謝れ」「弁解しろ」「もみ消すな」
という単語を、この1年間で何回見ただろう。辞めるお前がラジオでにこやかに話すのが気に食わない、彼女らしき人間が「発見」されたのにテレビに普通に出るな、コンサートでまず土下座しろ、バラエティで笑ってんじゃねえ。NEWSに関係なく色んなグループの色んな人がそういう風に言われてるのを数限りなく見た。
プロ意識が足りない、とみんな言う。その気持ちは分かる。プロ意識。彼女がいても隠し通すこと。SNSにあれこれ書いちゃうようなバカ女と付き合わないこと。品行方正に過ごすこと。アイドルとして清く正しく生きること。
「彼女がいるのは別にいい。けど……」「彼女がいるのくらい分かってるけど、でも」という言葉も何回見ただろう。よくないくせに。1ミリも許せない癖に大人ぶって、物事を分かってる人間ぶって言う人たち。そういう人に限って「でもにおわせは……」とか言う。
嗅ぎ回っておいてにおわせてるも糞もない。アイドルに品行方正でいてほしいなら、品行方正にファンやれよ。

嗅ぎ回って探って暴こうとしてボロを出したら叩く。

やってることただのゴシップ誌と同じだけど、まさかファンだからって許されるとでも思ってるのかなあ。まさか愛ゆえならそういうことしてもファンでいられると思ってるのかなあ。世の中そんなに甘くないよ、世界ってそんなに優しくないよ。探って嗅ぎ回って暴こうとしても天上人でいれるほど、アイドルって天使じゃないよ。
ステージの上の姿を真実だと信じたいなら、ステージ裏覗くなよ。アイドルにプロ意識持てって叫ぶならファン意識持てよ。品行方正なお客様でいられないくせに、都合よく綺麗な部分ばっか見れると思うなよ見れねえよ生きてんだから。出されたものにX線照射して内部の骨組みの歪みを勝手に見ておいて「こんなもの見せるなんておかしい」と騒ぐ方がよっぽどおかしい。
見てやるなよ、と心から思う。アイドルのためじゃなくて、アイドルを好きな自分のために、見てやるなよそんなもの。世界、そんなに優しくないから。暴こうとする者にも夢を見させてあげられるような力なんて、どんな人間にもきっとないから。

例えば彼女の写真をグッズに使われるとか、彼女の名前で曲を作られるとか、そういうことされたら私だってきっとムカつくし怒る。ステージにそういうものを持ってこられたら嫌だ。そうしないことが「プロ意識」の意味なんじゃないのって思う。
ステージの上に何を上げたいか何を上げていいかちゃんと吟味すること。それから、ステージ裏を見たがる人に見せてもいいものを選別して見せること。それが私にとってのプロ意識の中身だ。
私たちは貪欲で、ステージの上にいない彼のことだって少しでも知りたがる。歌っても踊ってもいないときの彼のことだって好きで知りたくて教えてほしい。でも、そこで何かを見せてもらえるのはあくまでバックステージツアーに過ぎない。バックステージパスを渡されて「ここまで見ていいよ」と許された部分では飽き足らず、許された線を踏み越えていった先で見たくないものを見せられたと文句を言うことは、あまりに愚かしく実りなくはないだろうか。
ステージもステージ裏も全部誰に見られてもいい状態にしておけたらそりゃ素敵だ。でも、そうじゃなければ「プロ意識が無」くて「クズドル」で「推す価値がない」なんて、そんなこと言う人の方がむしろお花畑に感じてならない。
だってあなたの好きな人生きてるんだよ。ステージの上にいる時以外死んでろとでも言うのかな。

 

・中の人なんていないよ(いるよ)
ディズニーランドって着ぐるみいっぱいいるじゃないですか。あれ中に人入ってるじゃないですか。私あれの良さが分かんないんで「いや着ぐるみじゃん」としか思えないんだけど、ディズニー好きな友達にそれを言おうとは思わないんですよ。
だってそんなの誰だって知ってるじゃないですか。着ぐるみ、別に愛と魔法でできた不思議な命とかじゃないもん。人が入って動かしてるんだもん。中学生にもなればいやでも分かる。
でも、ディズニー好きな人に「あれ着ぐるみじゃん」って言うのってなんの意味もない。着ぐるみだと分かった上でミッキーだと思ってるしミニーだと思ってる人にそんなこと言っても、別に目を覚ましたりなんかするわけない。すでに開いてる目を開けることなんて誰にもできない。
で、だよ。その上で、ミッキーとミニーは着ぐるみだけどミッキーとミニーはミッキーとミニーだと思ってる人に「目を覚ませ」って言う人がいたとして、そこで目を覚ますべきってどう考えても目を覚ませって言った側じゃん、としか私には思えない。

「ミッキーとミニーは着ぐるみだよ」って言ってくる人がいたとして、それが何を意味するかというとその人にとっては「着ぐるみのミッキーとミニーに価値はない」ということだ。「そんなもんは着ぐるみだから目を覚ませ」って要するに「着ぐるみだから価値はない」ってことになる。

着ぐるみは本物の命じゃない。なるほどその通り、彼は事実を述べている。でも残念ながら、そう思うなら彼はそこで退園した方がいい。
なぜなら、そこは本物の命じゃない着ぐるみに価値を感じる人のための場所だから。

世界はそんなに優しくない。情報網は発達し、誰もがカメラマンになりえて、一瞬で噂は広まってゆく。そんな世界で、「着ぐるみじゃない魔法の命」以外に価値を見いだせないのなら、もうドルオタなんて辞めた方がいい。だって絶対、絶対に、「魔法の命」なんてどこにもない。
私たちには真実が見えている、と思うならそれでいい。その真実こそが価値あるものだと思うなら、どうか堂々と出ていってくれ。価値あるものを抱きしめて、価値のないものを捨てていってくれ。私は魔法じゃない命を信じている。それには価値があるのだと心から思う。だから、私は私にとってかけがえのない偽物を抱きしめて歩いていく。

手に入れる度に本物かどうか不安になって、打って叩いて突いてできたひび割れを笑う人には、多分アイドルを好きでいることは向いていないと思う。世界はそんなに優しくないから、完璧な本物の魔法の命なんて多分どのアイドルも持ってないから。
優しい世界で綻びのない本物を愛するのでなければ生きていけないなら、アイドルなんか諦めて連載終了した漫画でも読んでいた方がいい。ステージ裏が存在しない何かを愛さない限り、きっと一生裏切られ続ける。アイドルは私たちにとって他人だから、私たちの前にいないときでも生きているから。相手が生きていることで得られる快を享受したいなら、相手が生きているゆえの不都合も認めなきゃやっていけない。ぬいぐるみじゃ物足りないから犬を飼うけど、トイレトレーニングも散歩も躾もしたくありませんと叫ぶ人を見ているような気分だ。そんなことも受容出来ないならテディベアと暮らしてればいいのに、それじゃ物足りないからと犬を飼う。

アイドル、生きてるんだよ。他人なんだよ。だから同じ演目だけど少しずつ変わっていくライブツアーが観れて、時にはこっちに手を振って、笑ってくれたり泣いてくれたり手と手が触れ合ったりして、感情ぐしゃぐしゃに昂らせて好きだよなんて言ってくれる。これ全部、人間だからしてもらえるんだよ。生きてる人間好きでいるの、すごく楽しい。生きてて、自分の意志と感情があって、ステージの上以外でも毎日毎日食べて笑って考えて落ち込んで息をしている生き物を好きだからこんなに楽しい。
選んでるんだよ、私たち。反応もらえて応えてくれて自分の心と言葉を持ってる人を好きでいるこの趣味がいいって。
「普通の人よりお金稼げてキャーキャー言われる仕事に自ら就いたんだから、普通の幸せ望むなよ」「そういうの諦めるから今の場所にいれてるんだろ」って言葉も一理あるとは思う。何もかも全部普通の人と同じ幸せなんかきっと手に入れられなくて、でも普通の人じゃ絶対味わえない幸せを彼らは知ってて、確かにそれとこれとは引き換えなのかもしれない。
でも、それって私たちも同じじゃないのかな。他にも腐るほど趣味なんかある中で、好き好んで生きた人間を応援してる。だって楽しいから。楽しくて嬉しくて幸せで仕方ないから。アイドルにとってアイドルが数ある職業の一つであるのと同じように、ファンにとってもアイドルは数ある趣味の一つじゃん。何もかも全部を諦めて捨てろなんて声高に叫べるほど、アイドルって私たちの全てじゃない。この快を選ぶ代わりにその不幸もついてくる、この不都合を避けるならその幸せも得られない。そういう色々を、お互い好き好んで選んでここにいる。

 



・それをするなら覆面で
今回殴ってきた方々の中にはそれはもういろんな方がいらっしゃって、よくもまあそんなに無防備に丸出しでこっち来るわねと感心しきりだった。
SMAPファンの方とか、KAT-TUN担の方とか、名前にめちゃめちゃ堂々と「SMAP永遠不滅!」「亀梨和也応援中!」とかつけたままほかの人叩くの、SMAPとか亀梨さんとか大野さんとかがかわいそうだから本当に今すぐ辞めた方がいいと思う。愚痴垢作って自担グループぶっ叩いてるバカよりさらにバカだから。
何故、どうして、誰かのファンを名乗って他の人を貶せるのか理解不能なんだけど、自分の好きな人を嫌いな人を増やすかもしれないことにどうしてそんなに躊躇いがないんだろう。何をもたらすか本当に分からないでやってるんだとしたら、知能が低すぎて恐ろしい。
背中を押すのは1人じゃ難しいけど、足を引っ張るのは案外簡単だ。あなたが投げた石が誰かに当たったら、その恨みはあなたが担いでる人にも行くんだよ。私たちには世界の真実を暴く力はないけど、自分の好きな人を誰かに嫌わせる力はいやと言うほどあるんだよ。お願いだから分かってよ、なんでわざわざ自分の好きな人を嫌わせに来るの。


・正しさと不平等の話
今回、小山さんの彼女バレ騒動、手越さんの色々バレ騒動(雑)でNEWS担各位がそれなりにざわざわしていた。これ、何が一番しんどいって、騒いでない側のファンはそもそも彼らが「悪いこと」をしたと感じてない人もいるんですよ。悪いことって感じなかった人が多いのか少ないのかは分からないけど、少なくとも私は全くそんな風に思わなかった。出てくるもの出てくるものみんな、寄ってたかって袋叩きにする程のこととはとても思えなくて、ボコボコにする人の言動が理解不能すぎてしんどかった。ひとりひとりに「ねえ本当にそう思ってるの?」って聞いてまわりたいくらいだ。大人だからやんないけどね。

そもそも、ジャニーズは恋愛禁止ではない。ジャニーさんは結婚しても構わないと明言さえしている。で、小山さん。
彼女がいたらしい。
彼女がいるのは悪いことではない、ので、謝る必要のあることではない。それ以上でも以下でもない。

次、手越さん。先に金塊。これはもうシンプルに「処分しろ」とか言ってる人の頭がおかしい。仮に、犯人のFacebookに手越さんの写真が複数枚あって明らかに仲が良いことが窺えて、かつ手越さんに「彼は反社会的集団の構成員だ」という自覚があったとかならそれは法に反することなので処分すべきだ。でも違う。
彼が今回この件で責められるべきは、写真を撮ってはいけないという事務所の内部規範があるにも関わらず写真を撮ったこと、そしてそれをインターネットで公開されることを止められなかったこと、それだけだ。(「これはどう見ても仲がいい写真!彼と手越が親しいことは明らか!」って言ってた人は多分リアルに頭がおかしい)
犯罪者の友人であることは犯罪ではないし、犯罪者と知り合うことは犯罪ではないし、後に犯罪者となる人と写真を撮ることは犯罪ではない。


それからもみ消しね。
ほんとバッカじゃねえのと思うんだけど、もみ消しで元自分の事務所所属の人間に大麻なすりつける奴いたら頭悪すぎる。意気揚々と「INKTのボーカル田中聖さん」て報じられると思ってでっち上げた奴がいたらそいつは大バカだ。
そんなもん、ジャニーズ事務所KAT-TUNも不利益被るに決まってる。そんな権力があってなんでこきたん選ぶんだよバカかよ。っていうか犯罪者と一緒にいた芸能人と、大麻所持してた芸能人だったら大麻のが明らかやばいんだから扱い違うのはそりゃしょうがないだろ。容疑の重さが違うだろ。

で、続いてコネチケ。
これ純粋に疑問だから叩いてる人に聞きたいんだけど、じゃあ誰なら呼んでいいの?家族はいいの?親戚は?親友は?友人は?これから仕事に繋がるかもしれない人は?自分の勇姿を見てほしい人は?

アイドルと仲がいいからお金を払うだけで確実にチケットを貰える。ファンはわざわざ手数料を払って抽選して当たるかも分からない。これはとても不平等だ。

うん分かるよ不平等だよね。で、なんで平等であるべきだと思ってるの?なんで平等にしてもらえると思ってるの?そんなわけないじゃん。
株主優待券を親に貰って使っている友人がいたとして、あなたはそれを「ずるい」と思うだろうか。親が株主だから優待券を貰えて、子供がそれを使う。羨ましいかもしれないけれど、誰も何も悪くない。ずるいことは誰もしていない。それと何が違うんだろう。

招待者が1人入ったらファンが1人入れなくなる。そりゃそうだ。で、どうしてファンの方が「正当な」「入る権利を持った」「入るべき」人だと思ってるの?見たい気持ちの強さが友人よりファンの方が強いとでもいうの?気持ちの強さが理由なら、アイドル本人が見てほしいと思う人に入ってもらう方がより「正しい」よね?入りたい人が法にも規約にも反しない範囲で自分が持つチャンスを活かして入ることの何を責められると思っているんだろう。
今回のツアーは4人になってから1番チケット倍率の高いコンサートだったと思う。アリーナどころか東京ドームでさえ譲りはなかなかなくて、水道橋の駅前にも「譲ってください」の紙を持った人が何人も何人もいた。
私は今回、4公演参加した。そのうち自分であてたのは1公演だけだ。残り3公演のうち1回はフォロワーさんとの交換同行で、残り2回はそれぞれフォロワーさんに譲っていただいた。どちらも探したわけではなく、「外れた」「かなしい〜入りたい〜」と呟いていたら目を留めてもらって声をかけていただいたものだ。羨ましいと思う方もいるかもしれない(少ないねって思う人もいるだろうけど)。でも私は何も悪いことはしていない。たまたまチケットが余っている人と声を掛けてもらえるくらい仲がよかった私と、アイドル本人と仲が良くてチケットを買わせてもらえる人、一体何が違うんだろう。
自分が入るのを辞めればほかの誰かが入れると知っていて欲を優先する傲慢さも、自分がたまたま得た環境を利用してチケットを得る不平等さも、実はどちらも大差ない。


そして、コネチケコネチケと連呼してバッコバコに叩いていた人たちの何人が自名義で当たったチケットだけで我慢したんだろう。叩いていた人たちの何人が、同じ状況になった時にみすみす機会を手放すんだろう。
多分、答えはほとんど0に近いんだろうなあと思う。同時に、だからこそ絶望するんだろうとも思う。入りたい側の欲望に際限なんてないし手を伸ばさない人も滅多にいない。だからこそアイドルの側に、そんな不平等なんて誰にも与えないでいてほしい、そういう気持ちも分かる。
でも正直、それはもうそういうものだから諦めるしかない。社会の中で生きていて、家族がいて友人がいて呼びたい人がいる、というのは極めて自然なことだから。人との繋がりだったりお世話になっている人へのお礼の形として、そういう風に回っているものだから。関係者がチケット(の購入権利)を貰えるのなんて当たり前すぎて、渡してる側に悪いことしてるつもりなんて一切なくてもおかしくない。

不正や巨悪を暴いたような顔をしている人が散見されたけれど、なんてことはない普通のことだ。そんなことさえ許せず1ミリの汚れもない平等しか受け入れられないというのなら、その人は2017年の日本でエンターテイメントを享受できる精神レベルに達していない。

おかげさまでコネチケ、という単語がこの数ヶ月で大嫌いになった。私の中では「ま〜ん(笑)」「パーナ(笑)」みたいな単語と同じようなもので、つまりは程度の低い汚いものだと思いたいが故の蔑称だ。
何を悪いものみたいな呼び方して悦に入ってるんだろう。悪いことなんかしてないのに。
ねえ、34万人動員するツアーに40人の呼びたい人を呼ぶこと、ほんとに心から疑いなく悪いことだと思えるの?それは私たちへの冒涜だと心から憤れるの?私全然そんなこと思えないよ。

随分馬鹿みたいに叩いてたけど、流出したLINEに一言でも私たちへの悪口があっただろうか。一欠片でも私たちへの悪意があっただろうか。いつも見てきた「彼」の信ぴょう性を脅かすような言葉が、ほんの少しでもあっただろうか。悪意を持って彼を貶めようとした人が彼の近くにいて、その人が手に入れた1番都合の悪い言葉があれだったのなら、私たちはなんて素敵な人を好きでいられているんだろう。


・0か100
なんでみんなこんなに極端なんだろう。世の中にはクズと善人しかいないわけじゃなくて、みんな善と悪を抱えて生きてる。それなのにどうして、アイドルに対してこんなにも激烈に0であることを求めるんだろう。どうして0じゃないなら100悪いことにしてしまうんだろう。
今回、本当に本当にこわいと思ったのは、ジャニーズJrの後藤くんの結婚の知らせがいわゆる愚痴垢、叩き垢から回ってきたことだった。場所、参列者、相手の名前、写真。永瀬くんや樹くんのプライベート、手越さんの情報と全く同じテンションで記された結婚の情報。
これを、この情報を、この人たちはこんな風に扱うのか。これでさえ。
他人をサンドバッグにすることをこんなにあっさりと覚えてしまってこの人たちは大丈夫なんだろうか。誰か1匹が警戒信号フェロモンを出したら、巣の中の全個体が恐慌状態になって自分もフェロモンを撒き散らす蟻の巣みたいだ。恐慌状態に陥って噛み付いて噛み付いて噛み付いて、一体何が残るんだろう。

自業自得、因果応報って言うけど、50の因に100の果を報いたら、それはもう報いた側の業だろう。
正義の鉄槌を気が済むまで振り回したら、そんなのもうただの悪意の刃だ。殴られたから殴り返したつもりかもしれないけど、相手が死ぬまで殴ったら被害者じゃなくて過剰防衛の加害者だ。

本当の本当に怖かった。手越さんが叩かれる様子を眺めながら、小山さんへの罵倒を聞き流しながら、本当に怖かった。私だって何も思わないと言ったら嘘になる。手越さんに対してもっと自由に何でもやってなんて思わないし、小山さんに対してもっと上手くやってよとも思う。それでも、それはここまで口汚く罵って嘲笑って貶める程のことだろうか。彼らのしたことはそこまでの絶対悪で、それを嫌だと思うファンの気持ちにはここまでの絶対的正当性があるのだろうか。

一点の曇りもなく無実であれと求めること、何もかも全部ファンに見られても大丈夫な純白の生き方以外クズだと罵ること。すごく綺麗なお花畑だね。

信じている、ということ/私と小山慶一郎さんの話


NEWSのLIVE TOUR、Neverlandの福岡公演に行ってきた。会場に着いてはしゃいで、ライブは楽しくて、増田さんの前髪と示談に至って*1、とにかくとにかく楽しかった。

福岡初日、スクリーンに小山さんが映し出された1番最初の瞬間、大歓声が上がった。それはもちろん他のメンバーの時もそうだったし、今までだってそうだった。メンバーがスクリーンに映る、客席が沸く。いつも通りの当たり前だ。
当たり前なのに、なんだかすごく嬉しくてすごくほっとして、同時に少しおかしかった。

あ、私、小山慶一郎さんのことこんなに想ってるんだ。

って思った。
今日の昼公演でも「慶ちゃん映って歓声あがってるね」「嬉しいね!」って話してる方がいて、結構みんなそんな気持ちだったのかもしれない。でも、他ならぬ自分がそういう風に感じたことが実は意外だった。今回、小山さんのソロ曲でぼろぼろ泣いて、涙が滲むとかじゃなくてもうほんとに普通に泣いてそれにもびっくりして、小山さんが愛しいんだなあと実感した。
特にコンサートの感想というわけではないけれど(すぐ忘れる鳥頭だからほんとはコンサートの感想書いた方がいいんだけどw)、私と小山さんについて少しだけ話をさせてほしい。


・俺が信じるお前が信じるあいつを信じる
天元突破グレンラガンという作品に「お前が信じる俺が信じるお前を信じろ」という名言があるのだが、私にとって小山さんはずっとそういう意味で「信じている」存在だった。
私がNEWSを好きになった頃、小山さんはやたらチャラチャラしたお兄さんだった。一生関わりそうもない人種に見えたし、絶対仲良くなれないタイプだという確信さえあった。テレビでもホストのコール芸みたいな合いの手を披露してたりして、ビジュアルも喋り方も文章も何もかもが私のストライクゾーンから大きく外れた人だった。
ずるくてチャラくて甘い匂いがしそうなお兄さん。それが私にとっての小山慶一郎だった。

でも、それでも私は、小山さんを嫌いだとか好きじゃないとか思ったことは1回もなかったのだ。
私にとって「分からない」の極地にいた小山さんを、誰より好きで誰より信じていたのが「分かる」の極地にいた加藤さんだった。性格が好きで、文章が好きで、私にとってNEWSの主人公だった加藤さんが小山さんを大好きだから。ずっと連絡を取って誰よりも一緒にいて相思相愛を公言していたから。


シゲが小山のことこんなに好きなんだから、小山もきっといい奴なんだなあ。


髪型が好みじゃないとか顔が好みじゃないとか音楽の趣味が合わないとかは気にしたってしょうがないことで、アイドルとして好きかと言われたらそれは違ったけど私は小山さんを信じていた。
むしろ、加藤さんを通して小山さんを信じることで、夢を増幅させてすらいたのかもしれない。
ずるくてチャラくて怖いお兄さん、すごく年上ですごく大人。加藤さんの中に「小山に置いてかれたくない」って気持ちが見えただけ、「小山はすんごく大人なんだ」「小山は遠いところで生きてるんだ」って思ってた。不思議なことに今でもあの頃の映像の中の小山さんは「お兄さん」に見える。今の自分とはもう同年代なのに、いつまでも「シゲに追いかけられてたお兄さん」「シゲより大人なお兄さん」て感覚が抜けていかない。
9歳違うからね、そりゃあ当然随分お兄さんなんだけどね。(そもそもほぼ同年代なだけであって、私はまだNEWSを好きになった当時の小山さんの年齢に追いついてすらいないw)


ネオンが似合う、黒いスーツでシャツのボタンを沢山開けて、馬鹿みたいに色落ちした明るい茶髪のずるい大人。加藤さんの、大切な人。

 

・翼がもげても地を這いずって
2011年4月。山下くんと錦戸くんがNEWSメンバーに脱退を告げた日。あの日、小山さんと加藤さんの翼はもげた。アイドルグループを1つの生き物にたとえるなら、NEWSの両翼は間違いなくP亮だった。追いつけない焦燥と同じ立場の仲間がいる事実に安心しあっていたコヤシゲは、あれから死にものぐるいでNEWSを守った。だってNEWSを守らなかったら、他の場所なんて2人にはなかったから。行くところなんて1つもないから、翼がもげて地を這うことしか出来なくても、どんなに泥に塗れても、それが「NEWS」に「泥を塗る」ことを意味するかもしれなくても、NEWSを選ぶしかなかった。

NEWSのリーダーになった小山さん。天然な面が押し出されるようになって、ピュアで真面目で可愛い慶ちゃんになった小山さん。
その意志を、決意を、私は信じた。

小山さんは自分にとってのNEWSでいれることの重大さを痛いほど知っている人だ。NEWSを守る意味を、NEWSでいる意味を誰より知っている。NEWSでいるためならどんなことでもしよう、何としてでもNEWSでいなければ、と思っている人だ。
それは、純粋なグループ愛とは少し違う。
ファンのためとか悲しませたくないとか、それだけじゃない。もちろんそれもあるだろうけど、何よりも自分のため。絶対にNEWSを続けるんだ足掻くんだ、それが自分の活路だ、と小山さんが決意しているから、私にとってNEWSの意志は小山さんだ。打算も賢さも愛も必死さもある小山さんだからこそ信じた。
この人が、あの小山さんがこんなにも決意しているんだから大丈夫。小山さんの意志がある限り、絶対にNEWSは大丈夫だ。そういう風に信じられた。

小山さんのピュアなところや可愛いところばかりが取り上げられるのが本当は少し寂しかった。でもそんなことを言うのは無粋だし、チャラさやずるさを愛していたつもりでもなかったから別に言おうとは思わなかった。
良いけど、まあいいけど、小山さんてそれだけの人じゃないよね。それだけじゃない小山さんを、打算が出来る小山さんをこそ、信じてるよ。

 

・降り積もったものにいつか名前をつけるなら
「アンチや叩きや愚痴垢を見る時には必ず反対の立場の人も見ること」というマイルールがあって、今回それを守るのが面倒くさそうだったので小山さんのあれこれをそこまであまり見ていない。ただ、見ていないなりに二宮さんのこととかもあってわりと色々考えてはいた。小山さん個人が云々というよりはアイドルという存在に対して色々。
小山さんへのあれそれについては、正直あまり傷つかなかった。見た数が少ないので全員がそうだとは言い切れないが、私が見た限りではこいつら単に元々小山さんが好きじゃなかっただけだな、と思ったから。元々好きじゃなかっただけの癖に大義名分得たみたいに生き生きしちゃって馬鹿だなーで終わった。と、思っていた。

会場で小山さんに上がる歓声をきいた瞬間、本当に安心した。小山さんを好きな人がたくさんいる、ここはちゃんと小山さんのホームだ、と分かったことがとても嬉しかった。

ああそうか、私、なんか言ってる人のこと「自分と同じNEWSファン」ってあんまり思ってなかったんだな。なんかもうどうでもいいよそ者だと思ってた。
でも本当は違う。狭い狭いコミュニティにしか広まらなかったあの件で鬼の首を取ったように騒いでいた人たちは、この会場のどこにいたっておかしくないNEWSファンだ。それが、目に見えて分かるところにはいなかった。会場いっぱいちゃんとメンバー全員への愛に溢れていた。
私の信じる人が恥も外聞もかなぐり捨てて守った場所はちゃんと、私の信じる人の居場所だった。それが本当に心から嬉しくて、自分で自分にびっくりした。


裏切られたって言葉を見て、何が?って思った。手越さんが、増田さんが、加藤さんが変わったのと同じくらい小山さんも変わって、同じくらい変わってないだけじゃん。好きな人が出来たら仲間うちで報告しあって進捗も共有してって言うあの感じも昔のままじゃん。女の趣味だってずっとこんなんじゃん(死ぬほど趣味合わねえなとは思うけど)。
そう思う自分はやっぱり小山さんは小山さんのままだとどっかで思ってて、そういう風に考えてる私は斜に構え過ぎかなあとも思ってた。
でもなんか、そうじゃないのかもしれない。

ずるくてチャラくて、1人の大人としてNEWSを選んだ人。打算が出来る賢くて馬鹿な人。
私はあなたを信じている。 加藤成亮越しじゃなくても、顔も性格も好みじゃないあなたを。 あなたのずるさを、みっともなさを、賢さを、決意を、私が見てきた通りのあなたを。
この信頼を単純に「好き」と呼ぶことはきっと出来ないけれど、あなたの居場所がちゃんとここにあることがこんなにも嬉しい。
信じてる、心とあたまの全部であなたを。ああもしかしたら、この信頼も愛と呼んでもいいのかなあ。

*1:私は過激前髪原理主義者です

二兎を抱いてゆけ


1年と少し前、「一個人のあなたそのものを愛しているわけじゃなくて、擬似人格の『あなた』が好きで応援している。『あなた』の輝きが減ってしまうからあなたの恋愛を見たくない、隠し通されていたい」という話をブログに書いた。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、アイドルが恋愛することに嫌悪や怒りはない、でもアイドルには恋愛を隠していてほしい。これが私の現在のスタンスである。

 

 

国分さんの結婚、大野さんの熱愛報道、アイドルの恋愛禁止裁判……などなど。(今思い返すとどれも既に懐かしい)
この時こう書いたのは本当に素直な気持ちだったし、取り繕ってもいなければ耳触りのいいことを嘯いたわけでもなかった。でも、今の私はこの時とは少し違うことを思うようになった。


アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、でもアイドルには恋愛を隠してほしい、だけどアイドルには恋愛をしていてほしい。


恋愛していても構わないから隠していてほしかった。それが今では、隠していてほしいけれど恋愛していてほしい。相反するようにも思えるけれど、心底そう願っている。


・女って人間なんだけど知ってた?
少し意外に思われるかもしれないが、こういう風に思うようになったきっかけは誰のスキャンダルでも結婚でも引退でもない。2015年に発売された加藤シゲアキさんの短編集『傘をもたない蟻たちは』を読んだことがその端緒だった。
知らない方もいるかもしれないので軽く補足しておくと『傘をもたない蟻たちは』は加藤さんが出版した4冊目の単行本で6作の短編が収められている。もちろん6作全てがフィクションで、加藤さんの個人的な経験を窺い知ることができるような作品はない*1
しかし私はこの本を読んで漠然と不安になった。傘アリに収められた短編はどれ一つとして加藤さんの伝記に類するものではない。これは本当だ。けれどこの本を読んで「もしかして加藤さんは女を女としか思っていないのではないだろうか」「加藤さんの女性観はもしかして……」と思わずにはいられなかった。

もしかして、と思うこと自体が多分失礼で、今までずっと見てきた加藤さんはそんな人ではなくて、でもそう感じてしまった。男は男である前に人間で、女も女である前に人間で、その間にどんな違いが横たわっていようとも、どちらにとってもどちらも理解不能な異星人でも化け物でもない。私はそう感じて生きてきたけれど、けれどあの本に出てくる女の子/女の人は大体がどこか空っぽで男とは分かり合えない生き物だった。
どこからどこまでが意図的なものか、彼が何を伝えたくて彼女達を書いたのか、それは私には分からない(ほんとうに純粋に加藤さんが性癖としてそういう女の人が好きなだけという気もする)(加藤さん、振り回されたり圧倒されたりするの好きだから……笑)。120%わざとかもしれないし、なんの意味もないかもしれないし、私が読み取る雰囲気を間違えたのかもしれない。それでも、きっとそんなことはないのだろうけど、でも、もし加藤さんの中にほんのちょっぴりでもそういう女性観があるのだとしたら、そしてそれが意図せずして滲み出てしまったのだとしたらとてもかなしいなと思った。

かなしい。

そう、かなしかった。
真偽なんか分からないからどうにもならない、こんなこと考えたってなんの意味もない。だけど1つだけ確かなことがあって、それがとてもかなしかった。

私がいやだと思った女性観、かなしいと思ったものの見方、それは、もしも一般的なアイドルの皆が、ファンの大多数の望む通りにアイドルを全うしアイドルらしく『真っ当』に生きてきたらごく自然ななりゆきで身についてもおかしくない価値観だ。だからこそ私は加藤さんのそれを意図せず滲み出てしまったものかもしれないと感じたし、自分が望む『真っ当』がもたらしうる虚しさがかなしかった。

私生活でもバカ真面目にアイドルやってるアイドルばかりじゃない。大人になってから時効だよねって話されるエピソードはどれも『ふつう』の恋愛話で、こんなこと私が心配してる間にもあの子もその子も誰かが好きすぎて頭がおかしくなりそうだったり胸が痛かったり腰を振ってたりするかもしれない。そうやって「女なんてこんなもんだな」とか「人間てこんなに他人を慈しめるんだな」「恋愛したらみっともないのなんて人類共通か〜」なんて学んでたりするかもしれない。
でもそれは、あの子やその子が私たちを裏切って生きてるからだ。私たちの望む通りに生きようとして、思春期全部『正しく』生きてくれたら、そうして身につく人間観がちゃんとしてなかったとしても、女なんか怖いとか嫌いとか馬鹿とか思われてたとしても、なんの文句も言えない。だってその子がそう思うのは仕方のないことだから。それは、私たちのために彼が育ててくれたもの、『真っ当』に生きてきた結果だから。


・君よ素敵な人でいて
加藤さんの脳みそが好き、とよく言う。考え方、綴る文章、紡ぎ出す歌詞、そういうもの。加藤さんの頭の中にあるものが大好きだから加藤さんが好きだ。
いつまでもずっとこう思っていられたらいいなあと思う。多趣味だけどちょっと飽き性なところを笑いながら人見知りを愛しく思って、狭い人付き合いしかしないはずの人にめちゃめちゃ好かれてることに驚きながらたくさんの素敵な人に「彼は素敵な人だよ」って言われているところを見ていたい。
私は自担である増田さんに対して「理解したい」とか「中身を知りたい」みたいな欲望があまりない。けれど、顔が広くてどこに行っても知り合いがいる彼、たくさんの人に愛されているらしい彼の姿を見る度、ああきっと増田さんは素敵な人なんだろうなあとは思う。普段散々偏屈だの恋愛対象と思えないだの理解したくないだの言ってるアイドルが、1人の人間としてはちゃんと素敵な人っぽいなと察するとき、オタクとして釈然としないけど人間として嬉しい。変、分かんないって言ってる私は結局ただのファンで、増田貴久って人間と人付き合いをするとどんな感じなのか一生分かんないんだなあって思うとちょっと寂しくて、でも嬉しい。
素直な気持ちをいえば、好きなアイドルみんなのこと加藤さんとおなじくらい強く「好き!」って思いたい。考え方が好きだなあって思いたいし人生相談したらいい答えが返ってくると期待したいし叶うことなら友達になりたいと思いたい。(それで結局「でもアイドルとしての彼が1番好き」って言いたい)
素敵な人でいてほしい。私が今まで見てきた表に見える素敵な『あなた』の積み重ねが、今目に映る『あなた』へと続いてきたように、見えないところでも一つ一つよい経験を積み重ねて、過去も今もこれからもずっとキラキラの重なりで構成されていてほしい。どうか「ああきっとすごくいい人なんだろうなあ」「飲み友達になれたら楽しいだろうなあ」「好きだなあ」と思わせていてほしい。あなたを好きでいたい――だってあなたが好きだから。


・倫理と欲望
素敵な人でいてほしい、貧しい考えの人であってほしくないという願いは、つまり豊かな人生を歩んでいてほしいということなのかもしれないとなんとなく思う。
それは別に絶対の条件じゃないかもしれない。良い親に恵まれなくても良い人に育つことは出来る。幸せな境遇にあっても不幸な話は書ける。恋愛をしたことがなくても人を慈しむことの意味は知れる。絶対、100%、ではない。ないけれど、恵まれて育つに越したことはないし、幸せに過ごすに越したこともない。よい人間に育つ一番の早道は、よい人生を歩むことだと思う。
そういうことをつらつら考えた時に、ふと思った。じゃあ、わたしは、好きなアイドルにマトモでいてほしいがために「彼らは幸せであるべきだ」と考えているのだろうか。彼らの人格が歪んでしまうのが嫌だという理由で「フツーの人生も味わうべきだ」と考えているのだろうか。彼らの幸せは、私にとって手段だろうか。

答えは否だ。圧倒的に、本当は、考えるまでもなく全力で、否だ。

私は彼らに幸せになってほしい。あなたも『あなた』もひっくるめて、どうか幸せを感じる時間が1秒でも長くあってほしいと思う。この感情は私の倫理観によるものではない。ただの欲望で、それ自体が目的だ。私は私の私利私欲のために彼らの幸福を願っている。素敵な人であってほしいという身勝手な期待と同じか、もしくはそれ以上に強く、どうか幸せであってくれと身勝手に願っている。
どうか1秒でも多くの幸せを、1ミリでもよりよい人生を、1つでも多くの望みの実現を。素敵な人であってほしい、だってあなたが好きだから。幸せになってほしい、だってあなたが好きだから。彼らについて考えると、いつもそこに帰ってきてしまう。私の倫理が理性が、そして何より欲望が、彼らの幸せを求めている。


・二律背反な幸せたちと、私が彼からほしい全てのもの
1つでも多くの幸せを、と思うけれど、世の中には絶対に両取り出来ない幸せも存在する。私は普通のOLで、今の仕事で辛いこともあるけど(忙しい時期は1週間毎日22時退社とかね…)(今だよね……)結構楽しくて幸せだ。でもたまに、選ばなかった今に思いを馳せてしまうこともある。あのとき選ばなかったあの会社に入ってたら今頃静岡の工場で働いてたのかなあとか、六本木でカメラ作ってたかなあとか、選ばなかったその人生はどんな幸福になっただろうかと全く考えないと言ったら嘘になる。でも、それを考えたって仕方ないことも同時に分かってる。早稲田と慶應両方に入学することは出来ないし、サッカー選手と宇宙飛行士は両立できない。菅田将暉星野源の両方と結婚することも絶対出来ない。今「いやどっちとも出来ねえだろ」って思った人は後で体育館裏に来るように。
世の中には、そんな幸せがたくさんある。あっちを選んだら選べないもの。一つしか得られないもの。どうしようもなく分岐してる道。
なるべくたくさんの幸福がほしいし、私の好きな人にもなるべくたくさんの幸福を掴み取ってほしいけど、全部は無理だ。それは仕方のないことで、どれを選ぶかを決めないわけにはいかない局面が人生にはたくさんある。それはきっと幸福の数だけあるんだろう。全部は無理、それは動かしようのない事実だ。
その上で、「アイドル」という幸せと「恋愛」という幸せは、両取りできないものなんだろうか、二律背反の幸せなんだろうか。どっちかを選んだらもう片方は捨てるしかない、そんな類のものなのだろうか。

そうだと言われればそんな気もする。そういう風に出来てる気もする。
だってあなたは私の『彼氏』でしょ。だって何より大事だよって言ったのそっちじゃん。だって人気とあの女であの女選ぼうなんて思わないでしょ。だって、だって…だって、あなた、アイドルでしょ。

そうだろうか。本当に。アイドルであるということは、恋愛と両立できない、してはいけないものなのだろうか。あれとこれとどちらか1つ選んでね、もちろんこっちを選んでね、私はそういう風に思ってるんだろうか。
そうじゃないかもしれない。ほんとはそんなことないのかもしれない。私はアイドルに恋愛を捨ててほしいなんて、ほんとは思っていないんじゃないかって、最近そう思うようになった。

恋愛がわかりやすいけどそれに限った話ではなくて。アイドルをすべてになんかしないでほしい。いつか私の大好きな人が自分の人生を振り返って、「アイドルでいることが僕の人生の全てでした」「アイドルでいることに全てを捧げてきました」と言ったら、私は多分泣いてしまう。アイドルでいることだけが全てだなんて、そんな人生は送ってくれなくていい。いつかあなたが人生の終わりに「僕は1人の人間として不幸だったけど、アイドルとして幸せだったなあ」と思うなんて絶対にいやだから。ちゃんと生きて、ちゃんと幸せで、人生楽しいなって思っててほしい。「アイドル人生楽しいな」じゃいやだ。「人生楽しい」って思ってほしい。アイドルでいることを、人としての不幸と引き換えになんかしてくれなくていい、しないでほしい、お願いだから。


・It's too short but too long
たとえば20代前半の女の子が10年続けたアイドルを辞めるときに「アイドルが私の青春の全てでした」と言うとして、私の心はジャニーズアイドルがそう言うときのようには痛まないだろうと思う。だってまだ彼女の人生は取り返しがつくから。得たものと同じくらい失ったものもあるかもしれないけど、彼女の人としての人生はまだまだ可能性に満ちている。

でもジャニーズは違う。いつかアイドルとしての幸せと人としての幸せが齟齬をきたす日が来たら、そうしたら人としての幸せを選んでねってずっと思ってた。だから今はまだアイドルを選んでね、いつかが来るまで、いつか、いつか然るべき時、丁度いい時、仕方なくなる時。
いつか、っていつだろう。ちょうどいいとき、っていつだろう。

去年V6の長野くんが結婚した。44歳だった。私の周りは祝福モードで、流れてくる声の中には「理想の結婚の仕方」「アイドルとして理想的」というものも一定数あった。長野くんの結婚の仕方いいね、年齢もこれくらいだとファンも落ち着いてて受け止められる人も多いね、ってニコニコしてる人が沢山いた。
44歳。
ちょうどいいねってみんなが許した長野くんは、そのとき44歳だった。その歳なら、もう子供が中学、高校に入っている人も多いだろう。そんな年齢まで「いつか」は来ないんだろうか。そこがようやく「ちょうどいい」年齢なのだろうか。そんなのいくら何でも遅すぎやしないだろうか。
もっと怖いのは、この「ちょうどいい年齢」のハードルは、これから先上がることはあっても下がることはなさそうなことだと思う。アイドルと恋愛は両立しないよね、いつかが来るまで我慢してね、ってファンが思う時間はきっとどんどん長くなっていく。

アイドルのみんな、何歳までアイドルでいてくれるかなあ。44歳になっても私の好きな人はアイドルのままかなあ。13年後って想像つかないけど、きっと彼はまだアイドルだ。もしかしたらまだ「まだ恋愛は見せないで〜><」って思ってるかもしれない。
長いなあ。アイドル人生は、「いつかが来るまで人生は置いとこう」で済ませるにはあまりにも長い。だけど短い。アイドル人生は「アイドルやめる時は死ぬ時だから人間人生は諦めよう」で済ませるにはあまりにも短い。だって、一生掛けてアイドルを好きでもアイドルが私を看取ってくれないのと同じように、一生掛けてアイドルやってくれたってファンはアイドルを看取れない。アイドルを辞めても彼の人生は終わらない。老いて死んでゆくまで、どんな風に過ごすのだろう。彼が全てを私たちにくれたら、彼の死にゆくまでの残りの人生はどんなことになるだろう。


あまりにも長くて、あまりにも短いから、「いつかが来るまでアイドル以外は諦めて」なんて、私はもう口が裂けても言えそうにない。

 


・二兎を抱いてゆけ
私は恋愛しない『あなた』を見ていたい。だけどあなたのありふれた幸福の邪魔をしたくない。隠し通したままいいようにやっててほしい。何を言ってるのか自分でもよく分からない。でもそう思う。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、でもアイドルには恋愛を隠してほしい、だけどアイドルには恋愛をしていてほしい。

見たくはないけどやっててほしい。覚悟を持って裏切って、自覚を持って両取りしにいってほしい。諦めないでくれ、人生を。掴みに行ってくれ、アイドル人生と同時に。
そしてどうか、二兎を抱いて死んでいってほしい。だってあなたが好きだから。

 

*1:何をもって「窺い知ることが出来る」とするかにもよるが、少なくとも直接的な自伝要素を持つ作品はない

ピンクときいろ/2枚綴の切符で運命の船に乗った

今年のQUARTETTOツアーに一緒に入った方と「テゴマスコンに行きたいですね〜」という話をしているときに、ぽろりと「私、今年の後半にコヤシゲが舞台、テゴマスがツアーをやって、テゴマスはそこで解散か活動休止かもしれないなあってちょっと思うんですよ」と零したら、思いの外驚かれた。
そうなるだろうという予想ではなくて、単に可能性の一つとして存在すると認識しているだけだし、そうなってほしいとは微塵も思っていないけれど。

テゴマスが好きだ。
好きだし、増田さんのファンとしてすごく特別な思い入れがあって、NEWSを好きでいる限りこの2人を拗らせて生きていくんだろうなあと諦めている。


気が合わなくて、イチャイチャも大して(※NEWS基準)しなくて、怖がりなところくらいしか似ていない2人。
ビジネスライクでいたちごっこで、だけど運命の2人。

私の、大好きな2人。

 

・ビジネスいたちごっこ
NEWSには、テゴマスとコヤシゲという2組のシンメがいる。コヤシゲが公私ともに支え合い補い合い齟齬なく噛み合う2人なのだとしたら、テゴマスは「歌」というただ1つの接点で繋がっている2人だ。性格が物凄く合うわけでもないし、異性だとしても絶対に付き合ったりしないだろうと思う。だけどきっと「こいつにだけは負けたくない」って思っていそうなところがすごく好きだ。コヤシゲが「お前となら海の底まででも一緒に沈んでやるよ」と言いそうなのと真逆に、テゴマスは「こいつが行くなら雲の上まででも食らいついて行ってやる」と思ってそうな気がする。
彼らがいちゃいちゃするのはどちらかと言うとファンサービスの側面が強くて、恋人みたいな甘さは薄い。2人でしょっちゅう会ったりとか、ジャージを買ったら偶然オソロイだったりとか、落ちてる時に気づいてあげて涙を絞り出してあげたり(これらコヤシゲのエピソードである)とか多分しない。でも、甘くないけど離れもしない。抜かれたら抜き返して、隣に並んで遜色ない自分でいられるように、あわよくば出し抜いて、でも抜いたら抜き返されて、そうやって歩んでいってくれるんだろう。ひょっとすると、コヤマスの次か同等に無糖な2人かもしれない。それでも一際特別な2人だ。

テゴマスについて考える時に忘れてはいけないのは、彼らはずっとこうだったわけではないということだ。デビューしたての頃の手越さんは掘りたてぴよぴよのじゃが芋みたいで、雛鳥の刷り込みどころか蔓かリードでもついているのでは?というレベルで増田さんの後を着いて回っていた。2人でしょっちゅう遊びに行って、コンサートの時などはほとんどいつも同室、愛らしいビジュアルもあいまって、全然普通の可愛くてシンメらしいシンメだった。
それが時を経て、「アレこいつ性格合わねえな!?」とお互い気付き、「でも負けたくない」「コイツの隣は俺じゃなきゃいやだ」となり、2人でデビューも果たし、なんだかんだで今の微糖シンメに辿りついたのだ。服そのものが大好きな増田さんと、モテのことしか考えていない手越さん。夏の名物かな?ってくらい目撃情報が出回りまくる手越さんと、自宅の場所はおろか1人暮しなのか実家住まいなのかさえ公になっていない増田さん。「アイドルだから」の魅力を1番に誇る増田さんと、「アイドルなのに」と思われることが大好きな手越さん。全然似てなくて、全然合わなくて、だけどお互いじゃなきゃダメなテゴマス。「相方」っていう言葉がすごく特別なものに思えるのは、それ以上に彼らの関係性を表せる言葉を私が知らないからだ。全然合わないけど、きっと、生まれ変わったら二度と会わないけど、でも最高の相方なんだって信じている。彼らはきっと、奇跡にも近い運命だ。


・運命の分岐点――出会わなかった2人
人が人生を振り返るとき、「思い返せばあれが大きな分かれ道だった」と思うようなポイントが幾つかある。それは私にとってはたとえば小学1年生のクラス分けだったり、中学3年生の夏休みに鏡を落として割ったことだったりする。その出来事の瞬間にそれが分岐点だと気づくこともあれば、過ぎて省みたときにはたと気づくこともあるだろう。(前者のわかりやすい例として大学受験や就職活動が挙げられる)
そして、増田貴久にとって人生最大の分岐点は手越祐也であり、手越裕也にとって人生最大の分岐点もまた増田貴久なのだと私は信じている。

入所からわずか10ヶ月でデビューを果たした手越さんは、それまでの人生とまったく違う「1番下っ端」「1番人気がない」「1番出来ない」という立場にたいそう苦しめられた。NEWSを辞めたくて仕方なかったとすら思っていた。けれど、結果的にはその経験が手越さんのセンターへの渇望を煽ったし、強くて優しい今の姿になるには不可欠な経験となった。
もしもあの時増田さんと組まされることがなくて、NEWSになっていなかったら、手越祐也は今頃どんな人間だっただろうか。あのタイミングでデビューしなければ、きっと彼はJr.として存分に人気を得たと思う。手越さんのデビュー当時のビジュアルは「芋手越」と愛でられているが、よく見なくても顔の造作は今とほとんど変わりがない。デビューしようがしまいが彼はあっという間に垢抜けただろうし、あの愛らしさと歌唱力でトップクラスにのぼりつめただろう。そしてきっと、末っ子でも下っ端でもない、人気抜群の兄組として、最初からセンターとしてデビューを果たしていたのではないかと思う。もしそうなっていたら、29歳に至るまでの手越さんの歩みは、今とは相当異なっていただろう。

もっと変化が大きいのは増田さんだ。取り立てて人気が高いわけでもジャニーさんに気に入られているわけでもなかった増田さんがNEWSになれたのは、ひとえに「NEWSが高歌唱力グループを目指し結成され」「手越さんとの声の相性を見込まれた」おかげだ。しかも、手越さんは「歌が上手い」と評されたのに対して「声が面白い」と言われたそうだから、おそらく手越さんとの声質の相性の良さがなければNEWS入りは出来なかったのではないかと思う。
間違いなく当時の花形Jr.ではなかった、NEWS結成までユニット入りさえ出来なかった増田さん。あの時NEWSになれていなかったら、下手したら今頃ジャニーズに在籍していなかったのではないだろうか。よくて舞台班、大穴でKis-my-ft*1かもしれない。そうなっていたらきっと、彼の個性はダンスと歌に集約されて、ふわふわであまあまで妙ちくりんなまっすーワールドは世界のどこにも生まれていなかっただろう。それでさえまだいい方で、どっかで何かのバックダンサーでもやっていたのかもしれない。(一般人になるのは意向的にも能力的にも考えがたいので何かしら表現者はやっているだろうと思う)

サッカーを始めたこと、入所したこと、ボイトレをしたこと、金八に出たこと、大河に出たこと、内村さんと出会ったこと……彼らの人生の中に数多ある岐路の中で1番大きかったことは、お互いに出会ったことだと思うのだ。増田貴久の人生最大の要は手越祐也で、手越裕也の人生最大の要は増田貴久、そういう風に出来ているのだ。

 

・僕らが来た道
何度も言うが、テゴマスの2人はきっと来世では出会わないだろう。異性に生まれていても惹かれあわないだろう。それでも運命の2人だと思う。歩んできた道をふと振り返ってこれまでに名前をつけるなら、その言葉以外当てはまらない様な、そういう類の運命だ。
一つ一つは偶然の重なりかもしれない。運命だなんてそんなものを意識して選んできたものではないかもしれない。それでも、そんな積み重ねが組み上がってみたら運命としか言いようがなかった、そういう帰納的運命で結ばれた2人なのだ。
NEWSが4人になってから、特に今年になってから、テゴマス・コヤシゲ以外のコンビにフューチャーしてもらえることがとても増えた。4人になってから仲良くなったね、っていうその「仲良く」は多分、コヤテゴとかマスシゲ、コヤシゲみたいな関係を指して言っていただいてる言葉だろうと思う。
仲いい、って言うのとはちょっと違うかもしれない。そんなに単純な形ではないと思う。それでも、手越祐也の相方は増田貴久しかいなくて、増田貴久の相方は手越祐也しかいなくて、それだけはこれからも変わらないと信じている。違う。知っている。
ずっと2人で運命の船に乗り続けていてね。ずっと2人で、この海を渡っていってね。

 

さて来週はNEWSが7年ぶりにメインパーソナリティを務める24時間テレビです。みんなみてね!!

*1:NEWS結成後ですがmの欠員補充のため一時的に在籍していた

存在の必要と不在の不要/人間増田貴久論


NEWS QUARTETTOツアーのマイ初日とマイ楽(という名の前楽とオーラス)が終わりました。あーーーーーNEWSが好きだなああああああ。明日もこのコンサート入りたいなああああああああ。と思いながら日常生活へとご帰還です。余談ですがオーラス翌々日から出勤時間が30分早まりました。つら。笑

さて。

前回のNEWS whiteツアーは、彼らが物語を脱ぎ捨てて初めてのツアーでした。復活コンサートじゃないし、アニバーサリーコンサートでもない。NEWSが創るエンターテインメントを楽しませるためのコンサート。個人的な印象としては、まぁなかなか好評だったかなあと。
そして今年、NEWSをとりまく環境は去年と明らかに変わって、セトリも結構な方向転換で、なんとカップリング曲ゼロ。去年はつなぎのなめらかさが巧みだったけど、今年は曲順のびっくり箱感が楽しかった。まさかLIS’Nの次Touchだと思わないじゃん。高低差で耳キーンどころか心臓ギューーーン。
たくさん考えたんだろうな、去年より前に進んでるんだな、って思えるところがたくさんあって、来年は東京以外のドームでもやってほしくて(なんせ今年アリーナ激戦過ぎたし笑)、でもそういうこと全部置いといて、もう増田さんしかみえなかった。

増田さん。

時をかける少女の話で、「俺も出してよ」って言った増田さん。変ラボの話、サバンナの話、ちょっと痩せた顔、自信満々の衣装。
生で、この目で見て改めて、ああこの人は変わりたいんだなあと思った。変わりたいって思ってるんだ、変わりたい気持ちを隠すの辞めるんだ、現状維持じゃ嫌なんだ、って思ったら、もう泣きたいくらいこの人が好きだった。私の自担が「存在の必要が欲しいです」ってカードを首からさげる日が来るなんて信じ難いけど、信じられないことにこれは現実なのだ。

 

・ニュースキャスター、エンターテイナー、ライター、スマイル、スーパーマン
NEWSが4人になって少し経ってから、『NEWS』の4文字にメンバーをあてはめたら、という話がNEWSファンの間で盛り上がってラジオでも取り上げられた。
N ニュースキャスター
E エンターテイナー
W ライター
S
小山、手越、加藤と職業(エンターテイナーが職業かは微妙だが世間への浸透度はばっちりだ)が続くのに、Sの増田さんにファンが贈れた言葉は「スマイル」「スーパーマン」だった*1。確かメールで取り上げられたのはスタイリストだったのかな?「俺だけ裏方じゃんw」と増田さんは笑っていた。
その後NEWSには□♡▽○っていう超イカしたロゴが出来て、増田さんはSの人じゃなくてWの人になって、だけどやっぱり何の人でもなかった。スタイリストタカヒサマスダではあったけど、それがほかのアイドルと一線を画すかというとそうではなくて、まぁ大体のアイドルはある程度までいったらメンバーの誰かが衣装プロデュースを担うし、すごいけど武器にできるほどって印象は正直なかった。好きだったし誇ってたけど、NやEやSには及んでいなかったと思う。でも増田さんは笑っていた。シュールなギャグで滑り倒しながら、変わらないクオリティのパフォーマンスを披露し続けてくれていた。
歌とダンスなら全然誰にも負けてない。アイドルとして足りないところなんてなかった。彼を好きになった人をがっかりさせない実力があったと、どの瞬間をとっても断言できる。


・「なのに」の人と、「だから」の人
だけど増田さんには、やっぱり何もなかった。「アイドルなのに○○」がなくっちゃ翔んでいけないこの世界で、増田さんには何の武器もなかった。「アイドルだから」なら負けてないのに、「なのに」の世界ではリングに立つことすら出来ていなかった。
それはどんな気持ちだったんだろう。私はテゴマスの、「こいつにだけは絶対負けたくねえ」と思っていそうなところが大好きだ。6人時代からずっと2人はそうだった。永遠にいたちごっこをしてるみたいな顔をしながら、本当は増田さんは負けていた。勝負が始まってすらいなかった。
小山さんや加藤さんが足掻いてもがいて泥臭く戦っているのに、増田さんのゴングは鳴らなかった。違う、鳴らせなかった。
でも彼はそれを、悔しいとか焦ってるとか、そういう素振りを一切見せなかった。ゴングを鳴らせていないのに、鳴らないだけみたいな顔をしていた。俺の戦場じゃないからグローブはめないだけだよって、そのチャンピオンベルトなんか目指してないよって、そんな顔でそこにいた。
増田さんをみながら、心の片隅で「これでいいのかな」と思っていた。でもその思考の欠片を言葉にすることは私にはできなかった。ただ戦ってないだけだからって思っている間は負けじゃない。戦ってないから勝てはしないけど、でも負けもしない。「だから」で勝負してるでしょって、「なのに」なんて要らないよって、だから平気な気がしていた。


・あの日から
増田さんは大変見栄っ張りでとってもかっこつけで弱味をみせるのが大っ嫌いだ。ほんとは全然大丈夫じゃないのに、自分相手にさえ虚勢を張ってこの4年を過ごしてきたんだろうなと思う。
それを1番痛烈に感じたのが去年の10,000字インタビューだった。2011年のあの日からを3人が誇る中、増田さん1人だけが「これでいいのかなって思っていた」と思いも寄らない心情を吐露していた。この気持ちはたくさんの想いが重なった複雑なものなのだろう。忘れられるリスクをとってでもクオリティにこだわって始動を遅らせるか、何を武器にするのか、2人の脱退をどう扱うか、トンチキ?エモーショナル?どんな曲でいく?考えなきゃいけないことが満載で、その一つ一つが迷いの理由だっただろう。だけどそのたくさんの思考の中に、「俺はこれでいいのかな」も絶対あった。「俺はこれで戦っていけるのか」って、誰にも言えずに考え続けていたはずだ。これでいいって思ってる、思えてる、だけどほんとにこれがいいのかな。「これで」じゃなくて「これが」って思えないまま、その時その時の全力を発揮しながら走ってきたのかなあって、あのインタビューを読んでそう思った。

 

・存在の必要と不在の不要
何度でもいうけど、増田さんの存在がNEWSにとってマイナスに働いたことはないと思う。彼自身も、迷いながらも「これでいい」と思いながら進んできたんじゃないかと感じている。歌唱力の面では間違いなく主力だし、衣装だって評判悪くないし、メンバーの中で取り立てて人気が低いなんてことも多分ない。増田さんがいて迷惑なことなんて何もなかった。足を引っ張ってるなんてこともなかった。いて駄目なことなんて、一つもなかった。
だからいいんだ、これでいいんだって、ファンにも自分にも一生懸命言い聞かせていたんじゃないだろうかと、ここ半年の増田さんをみていると苦しくなる。いて駄目な理由なんて一つもない。いなくならなきゃいけない理由なんて全くない。でも、本当はきっと、いなきゃいけない理由が欲しかった。
手の中にあったのは不在の不要だった。いなくなる必要なんてどこにもない。貢献してないなんてことはない。だけど、「ここにいていいよ」で満足できる人なんて、この世界じゃやっていけるわけないのだ。その程度の欲しかない人が、ここまで来れたわけがないのだ。大器晩成型だから、運命のいたずらでデビューできたようなもんだから、山下くんと錦戸くんがいるから……そう言い聞かせて生きてきて、現状維持を銘にして、そうして気づいたらメンバーが「存在の必要」を手に入れていたとき、どんな気持ちになっただろう。
「いてもいいよ」と「いなきゃ駄目だよ」を目の前に差し出されて前者を掴む人なんていない。みんな誰だって、不在の不要より存在の必要が欲しい。喉から手が出るほど欲しいのに、欲しがっちゃったら自分が自分じゃなくなるような気がしていたんじゃないかって、それを欲しがる増田貴久なんて増田貴久じゃねえんだよって、そう思っていたんじゃないだろうか。
何もないなんてことないんだよ。ファンは本当にあなたが好きだよ。あなたじゃなくっちゃ嫌。あなたでいいんじゃなくてあなたがいい。だけど、あなたに「存在の必要」が「何もない」ことも確かに一つの事実なんだ。
増田さんはまだ、欲しがることを始めたばかりだ。欲しいものはまだ全然見えなくて、掴めるかどうかもわからない。それでも、欲しいと口に出せただけで大きな大きな一歩なのだ。喉から手が出るほど欲しいものを、なりふり構わず欲しがることは、本当はとても難しい。特に増田さんにとっては、手に入れるより欲しい気持ちを表に出すことの方が高いハードルだったかもしれないとすら思う。これから先、欲しいものが見つかるのかを私は知らない。存在の必要は誰だって欲しいけど、簡単には手に入らない。それでも。

それでも、欲しがるという一歩を踏み出せただけで、増田さんは格段にかっこよくなった。去年の今頃とは見違えるほど。
これから先も、変ラボでキャラがないキャラ扱いされる度私の心臓はキリキリ痛むかもしれない。増田さんが満足できるほどの「存在の必要」なんて獲得できないかもしれない。だけど大きな一歩なんだと、QUARTETTOツアーの増田さんは一秒も目が離せないくらいかっこよかったと、世界中に向かって叫びたい。
頑張ろう、頑張れ、頑張れるよ、頑張る。

この人が好きだ。息をして、悩んで、挑んで生きていくこの人が。目の前で生きているこの人が、大好きだ。

*1:スーパーマンは増田さんのソロ曲由来

私がJr.なら尊先はきっとKAT-TUN

こんばんは、お久しぶりです。ご縁があって、5月1日KAT-TUNの10ks!コンサートのオーラスに参戦してきました。本編ラストの挨拶で初対面のフォロワーさんに縋り付きそうになるくらい泣いて、たくさん叫んで最後は笑って、まだ熱が冷めやらぬ思いです。(嘘です流石に我にかえりました。)

というわけでコンサートの感想書くと思うじゃん?書かないんだなこれが。
なんかもっとざっくり、KAT-TUNかっけ〜〜って話をしに来たよ。


・アイドルソングと王道と覇道
今回わりと早々にKAT-TUNコンに行く決意だけは固めていたので、アルバムの方の10ks!もほぼ発売日くらいには購入した。hyphen select盤がついている赤いやつである。それを聴いてびっくりした。

好きな曲が、いっぱい、ある。

すごい曲やいい曲、かっこいい曲がたくさんあるのは流石に知っていた。しかしそうではない。『私の好みの曲』が意外なほどたくさんあったのだ。GOLD、PERFECT、Will Be All Right、ハルカナ約束……
これらの曲を知っている人ならもう言わなくても分かるだろうが、私はアイドルソングが大っ好きだ。これまで、「KAT-TUNで1番好きなのは喜びの歌」と公言していたし、それだけはシングルも持っている。嵐のOh Yeah!とかHey!Say!Jumpの明日へのエールとか、あとはJr.曲のHappy Happy Lucky Youやララリラなどの明るくてアイドルが歌ってそうな歌が大好きだ。
そういう曲がいっぱいあった。こんなにあるとは思っていなかった。Disc1、2には私が知っている通りのKAT-TUNの曲が並ぶ中、Disc3だけキラキラしていた。ファンが選んだ好きな曲がこうなるなんて、KAT-TUN=かっこいいだと思ってたのは何なんだろうなって少し思った。
そりゃあ、当たり前だ。かっこいい曲しか歌わないグループも可愛い曲しか歌わないグループもないし、ポップな曲しか歌わないグループもバラードしか歌わないグループもない。You&J時代でも、関ジャニ∞にはかっこいい曲もあったしかわいい曲もあった。NEWSにだってかっこいい曲も暗い曲もあった。それと同じことだ。それでもなんだかびっくりした。多分、キラキラした曲の存在にびっくりしたわけじゃない。それでもずうっと私の中でKAT-TUNがかっこよかった、という事実に改めて驚いたのだ。
KAT-TUNが歩んでるのは、ほかとは違うけどめちゃめちゃ強い覇道だと思ってたのに、彼らは案外王道にもいたらしい。全然こっち側にもいたらしいのに、あんなにも強く強く『打ち破っていく側』オーラを出していたKAT-TUNどうなってやがる、と感心した。

 

・だけどやっぱり覇者でした
1階スタンドほぼどセンター前から14列目、というサイコーの席から観た(回数入れるなら天井からもみたかったしアリーナにも入れるもんなら入りたいけども)KAT-TUNは、そりゃあもうかっこよかった。NEWSコンがデートだとしたらKAT-TUNコンはベッド、とかいうけどなんかもうそんなんじゃなくて、圧倒しに来た人たちと圧倒されに来た人たちの殺戮ショーみたいだった。見下ろしてるはずなのに見上げてるみたい。NEWSコンの私が1人×55,000だとしたら、KAT-TUNコンの私は1人/55,000だった。今のNEWSのコンサートは多幸感で圧殺される感じなんだけど、KAT-TUNは攻撃的な限界突破で殴り殺される感じ。結果何見てもわりと死ぬ。
あーーーかっこいいーーー!!!って何度も思った。死ぬほど思った。満足感じゃなくて、満足のもっと上を内臓に直接叩き込まれてるみたいだった。大事な10周年で、エモーショナルな要素がなかったわけじゃない。私が好きになったきらきらした曲も満載のセトリだった。それなのにやっぱり、可愛いよりもきらきらよりも王道よりも何よりも、覇者だった。強くてかっこよくてとまらない男の人たちがいた。
なんだか安心した。私が憧れていた通りのKAT-TUNが、羨んでいた通りのKAT-TUNがちゃんとそこにいる。きっとそれだけはずっと変わらない。今までもこれからも彼らはずっとずうっとKAT-TUNなんだろう。

 

・そうは言っても泣いたけど
本編最後、中丸さんが泣き出して、みんなバラバラのところから出ていくはずが全員でぎゅうっと固まったとき、耐えられず泣いた。その日が初対面だった同行者さんにすがりついて泣いた。なんで泣いてるのかももうよくわからなくて、かなしかったのか悔しかったのかさみしかったのか今でもわからない。あの瞬間、広い東京ドームが啜り泣きに満ちて、演者と観客と双方の感情がぐわんぐわん揺れた。

10年。

いろんなことを経験して、何度も道を別ってきて、そうして辿りついたあの東京ドームにエモーショナルな要素を全く持ち込まないなんてそんなこと出来るはずない。観客にも演者にも無理だ。それは流石にKAT-TUNだって例外じゃなくて、悲しい悔しい嬉しいさみしいありがとう好きだよありがとう!って、きっとみんな心で叫んでた。いいとか悪いとかじゃなくて、そうすべきだったすべきじゃなかったとかじゃなくて、ただそこに55,003人の感情が溢れていた。
あそこは私のホームでも何でもないのに明日にでもあの場所に帰りたかった。次のコンサートにも絶対に行きたかった。そう思わされた要因に、あの感情の爆発が全くなかったと言ったら嘘になる。物語を物語らないことに定評のあるKAT-TUNだけど、あの日は無弁ではなかったように思う。


・ここから本編--カッコイイオトコノコ
さて、前置きが長くなったが、今日の私は別にKAT-TUNのコンサートの話をしたいわけではない。彼らがかっこいいという話をしたいのだ。
去年初めてNEWSを生で見て、ほんとうに心の底からあの場所に立ちたいと思った。「私が10歳の少年で、あのステージを見たならば、今すぐにでもあの場所に立ちたくてたまらなくなっ」ただろうことにはほんとうに自信がある。でも。

でも、もしも本当に私が10歳の少年だったなら、私はきっとNEWSには憧れなかっただろう。もしも私が10歳の少年で、なんだかよくわからないけどお姉ちゃんとかクラスの女子とかのすすめでジャニーズ事務所に入ったなら、絶対絶対ぜーーーったい、私はKAT-TUNの誰かに憧れたと思う。
女の子にきゃーきゃー言われるためじゃなくて、自分がかっこいいと思える自分になるために生きているようにみえるKAT-TUNに、心の底から憧れただろう。
私はそれがずっと眩しくて羨ましくて妬ましくて、その気持ちを8年抱えたままNEWSのファンでいる。


・かくも彼らはかっこいい――心と脳と屁理屈と
Hey! Say! JUMPはかっこいい。と、私は思っている。ふざけているわけでも馬鹿にしているわけでもなく、可愛さを武器にする今日も彼らはかっこいい。それがどんな種類だろうと、何らかの刃を振り抜いて戦うことを決めた人は誰だってかっこよくて愛しい。
カワイイを武器にして研ぎ澄まして、世界全部を切り裂いて進んでいく。それを武器にするって決めてるところ、その武器の切れ味に本気なところ、すごくすごくかっこいい。9人で一糸乱れぬダンスが踊れることを知っている。それを武器にするために実力がバラバラなメンバーが相当な努力をしただろうこともなんとなくわかる。彼らは十分にかっこいい。この世界で戦っていけるくらいのかっこよさをちゃんと備えている。それでも、それでも『カワイイ』を選んで躍進していく姿がかっこよくないわけがない。
本気でそう思う一方で、私のこの気持ちは『脳で感じるかっこよさ』だなあとも思う。思考というフィルターを通して初めて分かる類のもの。彼らをほんの少し知っていてほんの少しみているからこそ分かる。優劣なんかどこにもないけど、どっちがいいとかじゃないけど、KAT-TUNとはちょっと違うのだ。
KAT-TUNに感じるかっこよさに脳はいらない。脊髄が震えるかっこよさ。
それってすごく、すごいんじゃないのか。
誰が見てもかっこいいってこと。わかりやすくかっこいい、薄皮1枚剥がなくてもかっこいい。それって本当にたくさんの人を救ってきたんじゃないかって結構本気で思っている。


・ここに来たこと。ここから行くこと。
最近はそうでもないけど、YOU&Jくらいまでの世代って「○○くんに憧れて入りました!」って人あんまり多くなかったなあ……と思う。入ってから「△△くんが目標です!」「××くんみたいになりたいです!」って人はいっぱいいたけど、入る前からジャニオタな人ってあまり知らない。私が知らないだけでたくさんいたら申し訳ないんですけど。
あんまりいなかった理由として、そもそも『アイドル』っていう存在が、男が憧れるようなものじゃなかったってのも大きいんじゃないだろうか。アイドルそのものをとりまく文化的価値観がどんどん変わってきたなあと感じることがここ数年でぐんと増えた。
理由の一つにはおそらくインターネットやSNSの影響が挙げられる。特別な人がどんどん生まれにくくなって雲の上のアイドルが誕生しづらくなった分、逆にアイドルと一般人の境目が曖昧になってきている。いわゆる地下アイドルを含めれば、アイドル(的な人)の存在は増えているのではないだろうか。(これはアイドルに限った話ではなくて、芸能人的な人(あるいは芸能人的な人になりたい人)の数は全般的に増えていると思うが)
その結果なのか並行する現象なのかは判断しがたいが、『アイドル的なもの』の受容度も上がったように思う。社会現象レベルにまでなるのは困難になる一方で、アイドルっぽいことをしたり、アイドル的表現を好むことへのハードルは下がっているような気がする。
この感覚があんまり上手く言い表せなくてもどかしいのだが、自らの欲望でもってアイドル的存在を志す人が男女問わず増えた、とでもいえばいいのだろうか。アイドルという存在が、ただ人から欲望を向けられるだけじゃない主体を持つものへと進化を遂げつつある気がする。
これは多分ジャニーズで言ったらSMAPの功績がよく取り上げられるいつものあれなのかな。操り人形じゃなくなったからこそ一生アイドルとして生きていく道を選ぶ人が現れて、ただ欲望を向けられるだけじゃない主体的な存在価値を生み出して今に至っている――っていうやつ。
わけもわからず辿りついたスタート地点で顔を上げたら、「こうなりたい」と思える先達がいること。それってきっと、30年前なら想像もつかないくらいの幸運だ。


・確かにあいつらかっこいい
で、KAT-TUN。そうだよKAT-TUN
顔を上げた時に、よく見なくてもかっこいい先輩がいるってめちゃくちゃでかいよなあと単細胞の私は思う。よくわかんなくても、価値を知らなくても努力を知らなくても軌跡を知らなくてもかっこいい存在。女の子からかわいいって言われるんじゃなくて、何かを支配する側、ガラスケースぶち破る側の人がいてくれること。この場所から、自分の感性がかっこいいと思うものをめざしていけるんだって思えること。それってどれほどワクワクするだろう。どれほど血湧き肉躍るだろう。
「まーた仁のコピーかよwww」って言われるくらいに、まぁ結構な人数のJr.が罹患(?)する「赤西仁になりたい症候群」ってほんとすごいよなあって思う。みんながやりたがるかっこいい曲がたくさんたくさんあるKAT-TUNって、本当にカッケーーーーよな!って思う。
今のJr.をみていると手越さんもまぁ結構な人気で嬉しいけど、でもやっぱりいつまでもKAT-TUNに憧れる子いっぱいいるんだろうなって思うし、自分の感性がかっこいいと思うものを追求したら「KAT-TUNコピーを抜けられてない!」って言われちゃう子もたくさんいるんだろう。だってKAT-TUNかっこいいもん。脊髄震えるもん。

そもそも、アイドルが「なりたい存在」になった一因にはKAT-TUNの影響もあるんじゃない?って言いたかったんだけど論理破綻しそうなのでやめました。

 


・一生妬んでやるからなバーカ!
昨日一昨日とNEWSコンに行ってきて、やっぱり多幸感にもみくちゃにされてこの人たちが大好きで、私の一番はずうっとこの人たち!って思った。ほんとに心の底から。
だけどそれでも、もしも私がお姉ちゃんに騙されてジャニーズ事務所に入った少年なら、顔を上げた瞬間に心を奪われるのはきっとKAT-TUNだ。
永遠にかっこよくて、血の通い続けた覇者たちに私はこの先も嫉妬して、NEWSとは全然違う彼らを妬み続けるんだと思う。永遠に羨み続けていたいから、この先も絶対とまらないでほしい。

一生嫉妬しつづけさせてくれよバーーーーカ!!!

 


っていうブログを3月22日に上げたかったんですけど全然無理でした。10周年おめでとうございます。