英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

二兎を抱いてゆけ


1年と少し前、「一個人のあなたそのものを愛しているわけじゃなくて、擬似人格の『あなた』が好きで応援している。『あなた』の輝きが減ってしまうからあなたの恋愛を見たくない、隠し通されていたい」という話をブログに書いた。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、アイドルが恋愛することに嫌悪や怒りはない、でもアイドルには恋愛を隠していてほしい。これが私の現在のスタンスである。

 

 

国分さんの結婚、大野さんの熱愛報道、アイドルの恋愛禁止裁判……などなど。(今思い返すとどれも既に懐かしい)
この時こう書いたのは本当に素直な気持ちだったし、取り繕ってもいなければ耳触りのいいことを嘯いたわけでもなかった。でも、今の私はこの時とは少し違うことを思うようになった。


アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、でもアイドルには恋愛を隠してほしい、だけどアイドルには恋愛をしていてほしい。


恋愛していても構わないから隠していてほしかった。それが今では、隠していてほしいけれど恋愛していてほしい。相反するようにも思えるけれど、心底そう願っている。


・女って人間なんだけど知ってた?
少し意外に思われるかもしれないが、こういう風に思うようになったきっかけは誰のスキャンダルでも結婚でも引退でもない。2015年に発売された加藤シゲアキさんの短編集『傘をもたない蟻たちは』を読んだことがその端緒だった。
知らない方もいるかもしれないので軽く補足しておくと『傘をもたない蟻たちは』は加藤さんが出版した4冊目の単行本で6作の短編が収められている。もちろん6作全てがフィクションで、加藤さんの個人的な経験を窺い知ることができるような作品はない*1
しかし私はこの本を読んで漠然と不安になった。傘アリに収められた短編はどれ一つとして加藤さんの伝記に類するものではない。これは本当だ。けれどこの本を読んで「もしかして加藤さんは女を女としか思っていないのではないだろうか」「加藤さんの女性観はもしかして……」と思わずにはいられなかった。

もしかして、と思うこと自体が多分失礼で、今までずっと見てきた加藤さんはそんな人ではなくて、でもそう感じてしまった。男は男である前に人間で、女も女である前に人間で、その間にどんな違いが横たわっていようとも、どちらにとってもどちらも理解不能な異星人でも化け物でもない。私はそう感じて生きてきたけれど、けれどあの本に出てくる女の子/女の人は大体がどこか空っぽで男とは分かり合えない生き物だった。
どこからどこまでが意図的なものか、彼が何を伝えたくて彼女達を書いたのか、それは私には分からない(ほんとうに純粋に加藤さんが性癖としてそういう女の人が好きなだけという気もする)(加藤さん、振り回されたり圧倒されたりするの好きだから……笑)。120%わざとかもしれないし、なんの意味もないかもしれないし、私が読み取る雰囲気を間違えたのかもしれない。それでも、きっとそんなことはないのだろうけど、でも、もし加藤さんの中にほんのちょっぴりでもそういう女性観があるのだとしたら、そしてそれが意図せずして滲み出てしまったのだとしたらとてもかなしいなと思った。

かなしい。

そう、かなしかった。
真偽なんか分からないからどうにもならない、こんなこと考えたってなんの意味もない。だけど1つだけ確かなことがあって、それがとてもかなしかった。

私がいやだと思った女性観、かなしいと思ったものの見方、それは、もしも一般的なアイドルの皆が、ファンの大多数の望む通りにアイドルを全うしアイドルらしく『真っ当』に生きてきたらごく自然ななりゆきで身についてもおかしくない価値観だ。だからこそ私は加藤さんのそれを意図せず滲み出てしまったものかもしれないと感じたし、自分が望む『真っ当』がもたらしうる虚しさがかなしかった。

私生活でもバカ真面目にアイドルやってるアイドルばかりじゃない。大人になってから時効だよねって話されるエピソードはどれも『ふつう』の恋愛話で、こんなこと私が心配してる間にもあの子もその子も誰かが好きすぎて頭がおかしくなりそうだったり胸が痛かったり腰を振ってたりするかもしれない。そうやって「女なんてこんなもんだな」とか「人間てこんなに他人を慈しめるんだな」「恋愛したらみっともないのなんて人類共通か〜」なんて学んでたりするかもしれない。
でもそれは、あの子やその子が私たちを裏切って生きてるからだ。私たちの望む通りに生きようとして、思春期全部『正しく』生きてくれたら、そうして身につく人間観がちゃんとしてなかったとしても、女なんか怖いとか嫌いとか馬鹿とか思われてたとしても、なんの文句も言えない。だってその子がそう思うのは仕方のないことだから。それは、私たちのために彼が育ててくれたもの、『真っ当』に生きてきた結果だから。


・君よ素敵な人でいて
加藤さんの脳みそが好き、とよく言う。考え方、綴る文章、紡ぎ出す歌詞、そういうもの。加藤さんの頭の中にあるものが大好きだから加藤さんが好きだ。
いつまでもずっとこう思っていられたらいいなあと思う。多趣味だけどちょっと飽き性なところを笑いながら人見知りを愛しく思って、狭い人付き合いしかしないはずの人にめちゃめちゃ好かれてることに驚きながらたくさんの素敵な人に「彼は素敵な人だよ」って言われているところを見ていたい。
私は自担である増田さんに対して「理解したい」とか「中身を知りたい」みたいな欲望があまりない。けれど、顔が広くてどこに行っても知り合いがいる彼、たくさんの人に愛されているらしい彼の姿を見る度、ああきっと増田さんは素敵な人なんだろうなあとは思う。普段散々偏屈だの恋愛対象と思えないだの理解したくないだの言ってるアイドルが、1人の人間としてはちゃんと素敵な人っぽいなと察するとき、オタクとして釈然としないけど人間として嬉しい。変、分かんないって言ってる私は結局ただのファンで、増田貴久って人間と人付き合いをするとどんな感じなのか一生分かんないんだなあって思うとちょっと寂しくて、でも嬉しい。
素直な気持ちをいえば、好きなアイドルみんなのこと加藤さんとおなじくらい強く「好き!」って思いたい。考え方が好きだなあって思いたいし人生相談したらいい答えが返ってくると期待したいし叶うことなら友達になりたいと思いたい。(それで結局「でもアイドルとしての彼が1番好き」って言いたい)
素敵な人でいてほしい。私が今まで見てきた表に見える素敵な『あなた』の積み重ねが、今目に映る『あなた』へと続いてきたように、見えないところでも一つ一つよい経験を積み重ねて、過去も今もこれからもずっとキラキラの重なりで構成されていてほしい。どうか「ああきっとすごくいい人なんだろうなあ」「飲み友達になれたら楽しいだろうなあ」「好きだなあ」と思わせていてほしい。あなたを好きでいたい――だってあなたが好きだから。


・倫理と欲望
素敵な人でいてほしい、貧しい考えの人であってほしくないという願いは、つまり豊かな人生を歩んでいてほしいということなのかもしれないとなんとなく思う。
それは別に絶対の条件じゃないかもしれない。良い親に恵まれなくても良い人に育つことは出来る。幸せな境遇にあっても不幸な話は書ける。恋愛をしたことがなくても人を慈しむことの意味は知れる。絶対、100%、ではない。ないけれど、恵まれて育つに越したことはないし、幸せに過ごすに越したこともない。よい人間に育つ一番の早道は、よい人生を歩むことだと思う。
そういうことをつらつら考えた時に、ふと思った。じゃあ、わたしは、好きなアイドルにマトモでいてほしいがために「彼らは幸せであるべきだ」と考えているのだろうか。彼らの人格が歪んでしまうのが嫌だという理由で「フツーの人生も味わうべきだ」と考えているのだろうか。彼らの幸せは、私にとって手段だろうか。

答えは否だ。圧倒的に、本当は、考えるまでもなく全力で、否だ。

私は彼らに幸せになってほしい。あなたも『あなた』もひっくるめて、どうか幸せを感じる時間が1秒でも長くあってほしいと思う。この感情は私の倫理観によるものではない。ただの欲望で、それ自体が目的だ。私は私の私利私欲のために彼らの幸福を願っている。素敵な人であってほしいという身勝手な期待と同じか、もしくはそれ以上に強く、どうか幸せであってくれと身勝手に願っている。
どうか1秒でも多くの幸せを、1ミリでもよりよい人生を、1つでも多くの望みの実現を。素敵な人であってほしい、だってあなたが好きだから。幸せになってほしい、だってあなたが好きだから。彼らについて考えると、いつもそこに帰ってきてしまう。私の倫理が理性が、そして何より欲望が、彼らの幸せを求めている。


・二律背反な幸せたちと、私が彼からほしい全てのもの
1つでも多くの幸せを、と思うけれど、世の中には絶対に両取り出来ない幸せも存在する。私は普通のOLで、今の仕事で辛いこともあるけど(忙しい時期は1週間毎日22時退社とかね…)(今だよね……)結構楽しくて幸せだ。でもたまに、選ばなかった今に思いを馳せてしまうこともある。あのとき選ばなかったあの会社に入ってたら今頃静岡の工場で働いてたのかなあとか、六本木でカメラ作ってたかなあとか、選ばなかったその人生はどんな幸福になっただろうかと全く考えないと言ったら嘘になる。でも、それを考えたって仕方ないことも同時に分かってる。早稲田と慶應両方に入学することは出来ないし、サッカー選手と宇宙飛行士は両立できない。菅田将暉星野源の両方と結婚することも絶対出来ない。今「いやどっちとも出来ねえだろ」って思った人は後で体育館裏に来るように。
世の中には、そんな幸せがたくさんある。あっちを選んだら選べないもの。一つしか得られないもの。どうしようもなく分岐してる道。
なるべくたくさんの幸福がほしいし、私の好きな人にもなるべくたくさんの幸福を掴み取ってほしいけど、全部は無理だ。それは仕方のないことで、どれを選ぶかを決めないわけにはいかない局面が人生にはたくさんある。それはきっと幸福の数だけあるんだろう。全部は無理、それは動かしようのない事実だ。
その上で、「アイドル」という幸せと「恋愛」という幸せは、両取りできないものなんだろうか、二律背反の幸せなんだろうか。どっちかを選んだらもう片方は捨てるしかない、そんな類のものなのだろうか。

そうだと言われればそんな気もする。そういう風に出来てる気もする。
だってあなたは私の『彼氏』でしょ。だって何より大事だよって言ったのそっちじゃん。だって人気とあの女であの女選ぼうなんて思わないでしょ。だって、だって…だって、あなた、アイドルでしょ。

そうだろうか。本当に。アイドルであるということは、恋愛と両立できない、してはいけないものなのだろうか。あれとこれとどちらか1つ選んでね、もちろんこっちを選んでね、私はそういう風に思ってるんだろうか。
そうじゃないかもしれない。ほんとはそんなことないのかもしれない。私はアイドルに恋愛を捨ててほしいなんて、ほんとは思っていないんじゃないかって、最近そう思うようになった。

恋愛がわかりやすいけどそれに限った話ではなくて。アイドルをすべてになんかしないでほしい。いつか私の大好きな人が自分の人生を振り返って、「アイドルでいることが僕の人生の全てでした」「アイドルでいることに全てを捧げてきました」と言ったら、私は多分泣いてしまう。アイドルでいることだけが全てだなんて、そんな人生は送ってくれなくていい。いつかあなたが人生の終わりに「僕は1人の人間として不幸だったけど、アイドルとして幸せだったなあ」と思うなんて絶対にいやだから。ちゃんと生きて、ちゃんと幸せで、人生楽しいなって思っててほしい。「アイドル人生楽しいな」じゃいやだ。「人生楽しい」って思ってほしい。アイドルでいることを、人としての不幸と引き換えになんかしてくれなくていい、しないでほしい、お願いだから。


・It's too short but too long
たとえば20代前半の女の子が10年続けたアイドルを辞めるときに「アイドルが私の青春の全てでした」と言うとして、私の心はジャニーズアイドルがそう言うときのようには痛まないだろうと思う。だってまだ彼女の人生は取り返しがつくから。得たものと同じくらい失ったものもあるかもしれないけど、彼女の人としての人生はまだまだ可能性に満ちている。

でもジャニーズは違う。いつかアイドルとしての幸せと人としての幸せが齟齬をきたす日が来たら、そうしたら人としての幸せを選んでねってずっと思ってた。だから今はまだアイドルを選んでね、いつかが来るまで、いつか、いつか然るべき時、丁度いい時、仕方なくなる時。
いつか、っていつだろう。ちょうどいいとき、っていつだろう。

去年V6の長野くんが結婚した。44歳だった。私の周りは祝福モードで、流れてくる声の中には「理想の結婚の仕方」「アイドルとして理想的」というものも一定数あった。長野くんの結婚の仕方いいね、年齢もこれくらいだとファンも落ち着いてて受け止められる人も多いね、ってニコニコしてる人が沢山いた。
44歳。
ちょうどいいねってみんなが許した長野くんは、そのとき44歳だった。その歳なら、もう子供が中学、高校に入っている人も多いだろう。そんな年齢まで「いつか」は来ないんだろうか。そこがようやく「ちょうどいい」年齢なのだろうか。そんなのいくら何でも遅すぎやしないだろうか。
もっと怖いのは、この「ちょうどいい年齢」のハードルは、これから先上がることはあっても下がることはなさそうなことだと思う。アイドルと恋愛は両立しないよね、いつかが来るまで我慢してね、ってファンが思う時間はきっとどんどん長くなっていく。

アイドルのみんな、何歳までアイドルでいてくれるかなあ。44歳になっても私の好きな人はアイドルのままかなあ。13年後って想像つかないけど、きっと彼はまだアイドルだ。もしかしたらまだ「まだ恋愛は見せないで〜><」って思ってるかもしれない。
長いなあ。アイドル人生は、「いつかが来るまで人生は置いとこう」で済ませるにはあまりにも長い。だけど短い。アイドル人生は「アイドルやめる時は死ぬ時だから人間人生は諦めよう」で済ませるにはあまりにも短い。だって、一生掛けてアイドルを好きでもアイドルが私を看取ってくれないのと同じように、一生掛けてアイドルやってくれたってファンはアイドルを看取れない。アイドルを辞めても彼の人生は終わらない。老いて死んでゆくまで、どんな風に過ごすのだろう。彼が全てを私たちにくれたら、彼の死にゆくまでの残りの人生はどんなことになるだろう。


あまりにも長くて、あまりにも短いから、「いつかが来るまでアイドル以外は諦めて」なんて、私はもう口が裂けても言えそうにない。

 


・二兎を抱いてゆけ
私は恋愛しない『あなた』を見ていたい。だけどあなたのありふれた幸福の邪魔をしたくない。隠し通したままいいようにやっててほしい。何を言ってるのか自分でもよく分からない。でもそう思う。

アイドルに対して恋愛感情は抱いていない、でもアイドルには恋愛を隠してほしい、だけどアイドルには恋愛をしていてほしい。

見たくはないけどやっててほしい。覚悟を持って裏切って、自覚を持って両取りしにいってほしい。諦めないでくれ、人生を。掴みに行ってくれ、アイドル人生と同時に。
そしてどうか、二兎を抱いて死んでいってほしい。だってあなたが好きだから。

 

*1:何をもって「窺い知ることが出来る」とするかにもよるが、少なくとも直接的な自伝要素を持つ作品はない

ピンクときいろ/2枚綴の切符で運命の船に乗った

今年のQUARTETTOツアーに一緒に入った方と「テゴマスコンに行きたいですね〜」という話をしているときに、ぽろりと「私、今年の後半にコヤシゲが舞台、テゴマスがツアーをやって、テゴマスはそこで解散か活動休止かもしれないなあってちょっと思うんですよ」と零したら、思いの外驚かれた。
そうなるだろうという予想ではなくて、単に可能性の一つとして存在すると認識しているだけだし、そうなってほしいとは微塵も思っていないけれど。

テゴマスが好きだ。
好きだし、増田さんのファンとしてすごく特別な思い入れがあって、NEWSを好きでいる限りこの2人を拗らせて生きていくんだろうなあと諦めている。


気が合わなくて、イチャイチャも大して(※NEWS基準)しなくて、怖がりなところくらいしか似ていない2人。
ビジネスライクでいたちごっこで、だけど運命の2人。

私の、大好きな2人。

 

・ビジネスいたちごっこ
NEWSには、テゴマスとコヤシゲという2組のシンメがいる。コヤシゲが公私ともに支え合い補い合い齟齬なく噛み合う2人なのだとしたら、テゴマスは「歌」というただ1つの接点で繋がっている2人だ。性格が物凄く合うわけでもないし、異性だとしても絶対に付き合ったりしないだろうと思う。だけどきっと「こいつにだけは負けたくない」って思っていそうなところがすごく好きだ。コヤシゲが「お前となら海の底まででも一緒に沈んでやるよ」と言いそうなのと真逆に、テゴマスは「こいつが行くなら雲の上まででも食らいついて行ってやる」と思ってそうな気がする。
彼らがいちゃいちゃするのはどちらかと言うとファンサービスの側面が強くて、恋人みたいな甘さは薄い。2人でしょっちゅう会ったりとか、ジャージを買ったら偶然オソロイだったりとか、落ちてる時に気づいてあげて涙を絞り出してあげたり(これらコヤシゲのエピソードである)とか多分しない。でも、甘くないけど離れもしない。抜かれたら抜き返して、隣に並んで遜色ない自分でいられるように、あわよくば出し抜いて、でも抜いたら抜き返されて、そうやって歩んでいってくれるんだろう。ひょっとすると、コヤマスの次か同等に無糖な2人かもしれない。それでも一際特別な2人だ。

テゴマスについて考える時に忘れてはいけないのは、彼らはずっとこうだったわけではないということだ。デビューしたての頃の手越さんは掘りたてぴよぴよのじゃが芋みたいで、雛鳥の刷り込みどころか蔓かリードでもついているのでは?というレベルで増田さんの後を着いて回っていた。2人でしょっちゅう遊びに行って、コンサートの時などはほとんどいつも同室、愛らしいビジュアルもあいまって、全然普通の可愛くてシンメらしいシンメだった。
それが時を経て、「アレこいつ性格合わねえな!?」とお互い気付き、「でも負けたくない」「コイツの隣は俺じゃなきゃいやだ」となり、2人でデビューも果たし、なんだかんだで今の微糖シンメに辿りついたのだ。服そのものが大好きな増田さんと、モテのことしか考えていない手越さん。夏の名物かな?ってくらい目撃情報が出回りまくる手越さんと、自宅の場所はおろか1人暮しなのか実家住まいなのかさえ公になっていない増田さん。「アイドルだから」の魅力を1番に誇る増田さんと、「アイドルなのに」と思われることが大好きな手越さん。全然似てなくて、全然合わなくて、だけどお互いじゃなきゃダメなテゴマス。「相方」っていう言葉がすごく特別なものに思えるのは、それ以上に彼らの関係性を表せる言葉を私が知らないからだ。全然合わないけど、きっと、生まれ変わったら二度と会わないけど、でも最高の相方なんだって信じている。彼らはきっと、奇跡にも近い運命だ。


・運命の分岐点――出会わなかった2人
人が人生を振り返るとき、「思い返せばあれが大きな分かれ道だった」と思うようなポイントが幾つかある。それは私にとってはたとえば小学1年生のクラス分けだったり、中学3年生の夏休みに鏡を落として割ったことだったりする。その出来事の瞬間にそれが分岐点だと気づくこともあれば、過ぎて省みたときにはたと気づくこともあるだろう。(前者のわかりやすい例として大学受験や就職活動が挙げられる)
そして、増田貴久にとって人生最大の分岐点は手越祐也であり、手越裕也にとって人生最大の分岐点もまた増田貴久なのだと私は信じている。

入所からわずか10ヶ月でデビューを果たした手越さんは、それまでの人生とまったく違う「1番下っ端」「1番人気がない」「1番出来ない」という立場にたいそう苦しめられた。NEWSを辞めたくて仕方なかったとすら思っていた。けれど、結果的にはその経験が手越さんのセンターへの渇望を煽ったし、強くて優しい今の姿になるには不可欠な経験となった。
もしもあの時増田さんと組まされることがなくて、NEWSになっていなかったら、手越祐也は今頃どんな人間だっただろうか。あのタイミングでデビューしなければ、きっと彼はJr.として存分に人気を得たと思う。手越さんのデビュー当時のビジュアルは「芋手越」と愛でられているが、よく見なくても顔の造作は今とほとんど変わりがない。デビューしようがしまいが彼はあっという間に垢抜けただろうし、あの愛らしさと歌唱力でトップクラスにのぼりつめただろう。そしてきっと、末っ子でも下っ端でもない、人気抜群の兄組として、最初からセンターとしてデビューを果たしていたのではないかと思う。もしそうなっていたら、29歳に至るまでの手越さんの歩みは、今とは相当異なっていただろう。

もっと変化が大きいのは増田さんだ。取り立てて人気が高いわけでもジャニーさんに気に入られているわけでもなかった増田さんがNEWSになれたのは、ひとえに「NEWSが高歌唱力グループを目指し結成され」「手越さんとの声の相性を見込まれた」おかげだ。しかも、手越さんは「歌が上手い」と評されたのに対して「声が面白い」と言われたそうだから、おそらく手越さんとの声質の相性の良さがなければNEWS入りは出来なかったのではないかと思う。
間違いなく当時の花形Jr.ではなかった、NEWS結成までユニット入りさえ出来なかった増田さん。あの時NEWSになれていなかったら、下手したら今頃ジャニーズに在籍していなかったのではないだろうか。よくて舞台班、大穴でKis-my-ft*1かもしれない。そうなっていたらきっと、彼の個性はダンスと歌に集約されて、ふわふわであまあまで妙ちくりんなまっすーワールドは世界のどこにも生まれていなかっただろう。それでさえまだいい方で、どっかで何かのバックダンサーでもやっていたのかもしれない。(一般人になるのは意向的にも能力的にも考えがたいので何かしら表現者はやっているだろうと思う)

サッカーを始めたこと、入所したこと、ボイトレをしたこと、金八に出たこと、大河に出たこと、内村さんと出会ったこと……彼らの人生の中に数多ある岐路の中で1番大きかったことは、お互いに出会ったことだと思うのだ。増田貴久の人生最大の要は手越祐也で、手越裕也の人生最大の要は増田貴久、そういう風に出来ているのだ。

 

・僕らが来た道
何度も言うが、テゴマスの2人はきっと来世では出会わないだろう。異性に生まれていても惹かれあわないだろう。それでも運命の2人だと思う。歩んできた道をふと振り返ってこれまでに名前をつけるなら、その言葉以外当てはまらない様な、そういう類の運命だ。
一つ一つは偶然の重なりかもしれない。運命だなんてそんなものを意識して選んできたものではないかもしれない。それでも、そんな積み重ねが組み上がってみたら運命としか言いようがなかった、そういう帰納的運命で結ばれた2人なのだ。
NEWSが4人になってから、特に今年になってから、テゴマス・コヤシゲ以外のコンビにフューチャーしてもらえることがとても増えた。4人になってから仲良くなったね、っていうその「仲良く」は多分、コヤテゴとかマスシゲ、コヤシゲみたいな関係を指して言っていただいてる言葉だろうと思う。
仲いい、って言うのとはちょっと違うかもしれない。そんなに単純な形ではないと思う。それでも、手越祐也の相方は増田貴久しかいなくて、増田貴久の相方は手越祐也しかいなくて、それだけはこれからも変わらないと信じている。違う。知っている。
ずっと2人で運命の船に乗り続けていてね。ずっと2人で、この海を渡っていってね。

 

さて来週はNEWSが7年ぶりにメインパーソナリティを務める24時間テレビです。みんなみてね!!

*1:NEWS結成後ですがmの欠員補充のため一時的に在籍していた

存在の必要と不在の不要/人間増田貴久論


NEWS QUARTETTOツアーのマイ初日とマイ楽(という名の前楽とオーラス)が終わりました。あーーーーーNEWSが好きだなああああああ。明日もこのコンサート入りたいなああああああああ。と思いながら日常生活へとご帰還です。余談ですがオーラス翌々日から出勤時間が30分早まりました。つら。笑

さて。

前回のNEWS whiteツアーは、彼らが物語を脱ぎ捨てて初めてのツアーでした。復活コンサートじゃないし、アニバーサリーコンサートでもない。NEWSが創るエンターテインメントを楽しませるためのコンサート。個人的な印象としては、まぁなかなか好評だったかなあと。
そして今年、NEWSをとりまく環境は去年と明らかに変わって、セトリも結構な方向転換で、なんとカップリング曲ゼロ。去年はつなぎのなめらかさが巧みだったけど、今年は曲順のびっくり箱感が楽しかった。まさかLIS’Nの次Touchだと思わないじゃん。高低差で耳キーンどころか心臓ギューーーン。
たくさん考えたんだろうな、去年より前に進んでるんだな、って思えるところがたくさんあって、来年は東京以外のドームでもやってほしくて(なんせ今年アリーナ激戦過ぎたし笑)、でもそういうこと全部置いといて、もう増田さんしかみえなかった。

増田さん。

時をかける少女の話で、「俺も出してよ」って言った増田さん。変ラボの話、サバンナの話、ちょっと痩せた顔、自信満々の衣装。
生で、この目で見て改めて、ああこの人は変わりたいんだなあと思った。変わりたいって思ってるんだ、変わりたい気持ちを隠すの辞めるんだ、現状維持じゃ嫌なんだ、って思ったら、もう泣きたいくらいこの人が好きだった。私の自担が「存在の必要が欲しいです」ってカードを首からさげる日が来るなんて信じ難いけど、信じられないことにこれは現実なのだ。

 

・ニュースキャスター、エンターテイナー、ライター、スマイル、スーパーマン
NEWSが4人になって少し経ってから、『NEWS』の4文字にメンバーをあてはめたら、という話がNEWSファンの間で盛り上がってラジオでも取り上げられた。
N ニュースキャスター
E エンターテイナー
W ライター
S
小山、手越、加藤と職業(エンターテイナーが職業かは微妙だが世間への浸透度はばっちりだ)が続くのに、Sの増田さんにファンが贈れた言葉は「スマイル」「スーパーマン」だった*1。確かメールで取り上げられたのはスタイリストだったのかな?「俺だけ裏方じゃんw」と増田さんは笑っていた。
その後NEWSには□♡▽○っていう超イカしたロゴが出来て、増田さんはSの人じゃなくてWの人になって、だけどやっぱり何の人でもなかった。スタイリストタカヒサマスダではあったけど、それがほかのアイドルと一線を画すかというとそうではなくて、まぁ大体のアイドルはある程度までいったらメンバーの誰かが衣装プロデュースを担うし、すごいけど武器にできるほどって印象は正直なかった。好きだったし誇ってたけど、NやEやSには及んでいなかったと思う。でも増田さんは笑っていた。シュールなギャグで滑り倒しながら、変わらないクオリティのパフォーマンスを披露し続けてくれていた。
歌とダンスなら全然誰にも負けてない。アイドルとして足りないところなんてなかった。彼を好きになった人をがっかりさせない実力があったと、どの瞬間をとっても断言できる。


・「なのに」の人と、「だから」の人
だけど増田さんには、やっぱり何もなかった。「アイドルなのに○○」がなくっちゃ翔んでいけないこの世界で、増田さんには何の武器もなかった。「アイドルだから」なら負けてないのに、「なのに」の世界ではリングに立つことすら出来ていなかった。
それはどんな気持ちだったんだろう。私はテゴマスの、「こいつにだけは絶対負けたくねえ」と思っていそうなところが大好きだ。6人時代からずっと2人はそうだった。永遠にいたちごっこをしてるみたいな顔をしながら、本当は増田さんは負けていた。勝負が始まってすらいなかった。
小山さんや加藤さんが足掻いてもがいて泥臭く戦っているのに、増田さんのゴングは鳴らなかった。違う、鳴らせなかった。
でも彼はそれを、悔しいとか焦ってるとか、そういう素振りを一切見せなかった。ゴングを鳴らせていないのに、鳴らないだけみたいな顔をしていた。俺の戦場じゃないからグローブはめないだけだよって、そのチャンピオンベルトなんか目指してないよって、そんな顔でそこにいた。
増田さんをみながら、心の片隅で「これでいいのかな」と思っていた。でもその思考の欠片を言葉にすることは私にはできなかった。ただ戦ってないだけだからって思っている間は負けじゃない。戦ってないから勝てはしないけど、でも負けもしない。「だから」で勝負してるでしょって、「なのに」なんて要らないよって、だから平気な気がしていた。


・あの日から
増田さんは大変見栄っ張りでとってもかっこつけで弱味をみせるのが大っ嫌いだ。ほんとは全然大丈夫じゃないのに、自分相手にさえ虚勢を張ってこの4年を過ごしてきたんだろうなと思う。
それを1番痛烈に感じたのが去年の10,000字インタビューだった。2011年のあの日からを3人が誇る中、増田さん1人だけが「これでいいのかなって思っていた」と思いも寄らない心情を吐露していた。この気持ちはたくさんの想いが重なった複雑なものなのだろう。忘れられるリスクをとってでもクオリティにこだわって始動を遅らせるか、何を武器にするのか、2人の脱退をどう扱うか、トンチキ?エモーショナル?どんな曲でいく?考えなきゃいけないことが満載で、その一つ一つが迷いの理由だっただろう。だけどそのたくさんの思考の中に、「俺はこれでいいのかな」も絶対あった。「俺はこれで戦っていけるのか」って、誰にも言えずに考え続けていたはずだ。これでいいって思ってる、思えてる、だけどほんとにこれがいいのかな。「これで」じゃなくて「これが」って思えないまま、その時その時の全力を発揮しながら走ってきたのかなあって、あのインタビューを読んでそう思った。

 

・存在の必要と不在の不要
何度でもいうけど、増田さんの存在がNEWSにとってマイナスに働いたことはないと思う。彼自身も、迷いながらも「これでいい」と思いながら進んできたんじゃないかと感じている。歌唱力の面では間違いなく主力だし、衣装だって評判悪くないし、メンバーの中で取り立てて人気が低いなんてことも多分ない。増田さんがいて迷惑なことなんて何もなかった。足を引っ張ってるなんてこともなかった。いて駄目なことなんて、一つもなかった。
だからいいんだ、これでいいんだって、ファンにも自分にも一生懸命言い聞かせていたんじゃないだろうかと、ここ半年の増田さんをみていると苦しくなる。いて駄目な理由なんて一つもない。いなくならなきゃいけない理由なんて全くない。でも、本当はきっと、いなきゃいけない理由が欲しかった。
手の中にあったのは不在の不要だった。いなくなる必要なんてどこにもない。貢献してないなんてことはない。だけど、「ここにいていいよ」で満足できる人なんて、この世界じゃやっていけるわけないのだ。その程度の欲しかない人が、ここまで来れたわけがないのだ。大器晩成型だから、運命のいたずらでデビューできたようなもんだから、山下くんと錦戸くんがいるから……そう言い聞かせて生きてきて、現状維持を銘にして、そうして気づいたらメンバーが「存在の必要」を手に入れていたとき、どんな気持ちになっただろう。
「いてもいいよ」と「いなきゃ駄目だよ」を目の前に差し出されて前者を掴む人なんていない。みんな誰だって、不在の不要より存在の必要が欲しい。喉から手が出るほど欲しいのに、欲しがっちゃったら自分が自分じゃなくなるような気がしていたんじゃないかって、それを欲しがる増田貴久なんて増田貴久じゃねえんだよって、そう思っていたんじゃないだろうか。
何もないなんてことないんだよ。ファンは本当にあなたが好きだよ。あなたじゃなくっちゃ嫌。あなたでいいんじゃなくてあなたがいい。だけど、あなたに「存在の必要」が「何もない」ことも確かに一つの事実なんだ。
増田さんはまだ、欲しがることを始めたばかりだ。欲しいものはまだ全然見えなくて、掴めるかどうかもわからない。それでも、欲しいと口に出せただけで大きな大きな一歩なのだ。喉から手が出るほど欲しいものを、なりふり構わず欲しがることは、本当はとても難しい。特に増田さんにとっては、手に入れるより欲しい気持ちを表に出すことの方が高いハードルだったかもしれないとすら思う。これから先、欲しいものが見つかるのかを私は知らない。存在の必要は誰だって欲しいけど、簡単には手に入らない。それでも。

それでも、欲しがるという一歩を踏み出せただけで、増田さんは格段にかっこよくなった。去年の今頃とは見違えるほど。
これから先も、変ラボでキャラがないキャラ扱いされる度私の心臓はキリキリ痛むかもしれない。増田さんが満足できるほどの「存在の必要」なんて獲得できないかもしれない。だけど大きな一歩なんだと、QUARTETTOツアーの増田さんは一秒も目が離せないくらいかっこよかったと、世界中に向かって叫びたい。
頑張ろう、頑張れ、頑張れるよ、頑張る。

この人が好きだ。息をして、悩んで、挑んで生きていくこの人が。目の前で生きているこの人が、大好きだ。

*1:スーパーマンは増田さんのソロ曲由来

私がJr.なら尊先はきっとKAT-TUN

こんばんは、お久しぶりです。ご縁があって、5月1日KAT-TUNの10ks!コンサートのオーラスに参戦してきました。本編ラストの挨拶で初対面のフォロワーさんに縋り付きそうになるくらい泣いて、たくさん叫んで最後は笑って、まだ熱が冷めやらぬ思いです。(嘘です流石に我にかえりました。)

というわけでコンサートの感想書くと思うじゃん?書かないんだなこれが。
なんかもっとざっくり、KAT-TUNかっけ〜〜って話をしに来たよ。


・アイドルソングと王道と覇道
今回わりと早々にKAT-TUNコンに行く決意だけは固めていたので、アルバムの方の10ks!もほぼ発売日くらいには購入した。hyphen select盤がついている赤いやつである。それを聴いてびっくりした。

好きな曲が、いっぱい、ある。

すごい曲やいい曲、かっこいい曲がたくさんあるのは流石に知っていた。しかしそうではない。『私の好みの曲』が意外なほどたくさんあったのだ。GOLD、PERFECT、Will Be All Right、ハルカナ約束……
これらの曲を知っている人ならもう言わなくても分かるだろうが、私はアイドルソングが大っ好きだ。これまで、「KAT-TUNで1番好きなのは喜びの歌」と公言していたし、それだけはシングルも持っている。嵐のOh Yeah!とかHey!Say!Jumpの明日へのエールとか、あとはJr.曲のHappy Happy Lucky Youやララリラなどの明るくてアイドルが歌ってそうな歌が大好きだ。
そういう曲がいっぱいあった。こんなにあるとは思っていなかった。Disc1、2には私が知っている通りのKAT-TUNの曲が並ぶ中、Disc3だけキラキラしていた。ファンが選んだ好きな曲がこうなるなんて、KAT-TUN=かっこいいだと思ってたのは何なんだろうなって少し思った。
そりゃあ、当たり前だ。かっこいい曲しか歌わないグループも可愛い曲しか歌わないグループもないし、ポップな曲しか歌わないグループもバラードしか歌わないグループもない。You&J時代でも、関ジャニ∞にはかっこいい曲もあったしかわいい曲もあった。NEWSにだってかっこいい曲も暗い曲もあった。それと同じことだ。それでもなんだかびっくりした。多分、キラキラした曲の存在にびっくりしたわけじゃない。それでもずうっと私の中でKAT-TUNがかっこよかった、という事実に改めて驚いたのだ。
KAT-TUNが歩んでるのは、ほかとは違うけどめちゃめちゃ強い覇道だと思ってたのに、彼らは案外王道にもいたらしい。全然こっち側にもいたらしいのに、あんなにも強く強く『打ち破っていく側』オーラを出していたKAT-TUNどうなってやがる、と感心した。

 

・だけどやっぱり覇者でした
1階スタンドほぼどセンター前から14列目、というサイコーの席から観た(回数入れるなら天井からもみたかったしアリーナにも入れるもんなら入りたいけども)KAT-TUNは、そりゃあもうかっこよかった。NEWSコンがデートだとしたらKAT-TUNコンはベッド、とかいうけどなんかもうそんなんじゃなくて、圧倒しに来た人たちと圧倒されに来た人たちの殺戮ショーみたいだった。見下ろしてるはずなのに見上げてるみたい。NEWSコンの私が1人×55,000だとしたら、KAT-TUNコンの私は1人/55,000だった。今のNEWSのコンサートは多幸感で圧殺される感じなんだけど、KAT-TUNは攻撃的な限界突破で殴り殺される感じ。結果何見てもわりと死ぬ。
あーーーかっこいいーーー!!!って何度も思った。死ぬほど思った。満足感じゃなくて、満足のもっと上を内臓に直接叩き込まれてるみたいだった。大事な10周年で、エモーショナルな要素がなかったわけじゃない。私が好きになったきらきらした曲も満載のセトリだった。それなのにやっぱり、可愛いよりもきらきらよりも王道よりも何よりも、覇者だった。強くてかっこよくてとまらない男の人たちがいた。
なんだか安心した。私が憧れていた通りのKAT-TUNが、羨んでいた通りのKAT-TUNがちゃんとそこにいる。きっとそれだけはずっと変わらない。今までもこれからも彼らはずっとずうっとKAT-TUNなんだろう。

 

・そうは言っても泣いたけど
本編最後、中丸さんが泣き出して、みんなバラバラのところから出ていくはずが全員でぎゅうっと固まったとき、耐えられず泣いた。その日が初対面だった同行者さんにすがりついて泣いた。なんで泣いてるのかももうよくわからなくて、かなしかったのか悔しかったのかさみしかったのか今でもわからない。あの瞬間、広い東京ドームが啜り泣きに満ちて、演者と観客と双方の感情がぐわんぐわん揺れた。

10年。

いろんなことを経験して、何度も道を別ってきて、そうして辿りついたあの東京ドームにエモーショナルな要素を全く持ち込まないなんてそんなこと出来るはずない。観客にも演者にも無理だ。それは流石にKAT-TUNだって例外じゃなくて、悲しい悔しい嬉しいさみしいありがとう好きだよありがとう!って、きっとみんな心で叫んでた。いいとか悪いとかじゃなくて、そうすべきだったすべきじゃなかったとかじゃなくて、ただそこに55,003人の感情が溢れていた。
あそこは私のホームでも何でもないのに明日にでもあの場所に帰りたかった。次のコンサートにも絶対に行きたかった。そう思わされた要因に、あの感情の爆発が全くなかったと言ったら嘘になる。物語を物語らないことに定評のあるKAT-TUNだけど、あの日は無弁ではなかったように思う。


・ここから本編--カッコイイオトコノコ
さて、前置きが長くなったが、今日の私は別にKAT-TUNのコンサートの話をしたいわけではない。彼らがかっこいいという話をしたいのだ。
去年初めてNEWSを生で見て、ほんとうに心の底からあの場所に立ちたいと思った。「私が10歳の少年で、あのステージを見たならば、今すぐにでもあの場所に立ちたくてたまらなくなっ」ただろうことにはほんとうに自信がある。でも。

でも、もしも本当に私が10歳の少年だったなら、私はきっとNEWSには憧れなかっただろう。もしも私が10歳の少年で、なんだかよくわからないけどお姉ちゃんとかクラスの女子とかのすすめでジャニーズ事務所に入ったなら、絶対絶対ぜーーーったい、私はKAT-TUNの誰かに憧れたと思う。
女の子にきゃーきゃー言われるためじゃなくて、自分がかっこいいと思える自分になるために生きているようにみえるKAT-TUNに、心の底から憧れただろう。
私はそれがずっと眩しくて羨ましくて妬ましくて、その気持ちを8年抱えたままNEWSのファンでいる。


・かくも彼らはかっこいい――心と脳と屁理屈と
Hey! Say! JUMPはかっこいい。と、私は思っている。ふざけているわけでも馬鹿にしているわけでもなく、可愛さを武器にする今日も彼らはかっこいい。それがどんな種類だろうと、何らかの刃を振り抜いて戦うことを決めた人は誰だってかっこよくて愛しい。
カワイイを武器にして研ぎ澄まして、世界全部を切り裂いて進んでいく。それを武器にするって決めてるところ、その武器の切れ味に本気なところ、すごくすごくかっこいい。9人で一糸乱れぬダンスが踊れることを知っている。それを武器にするために実力がバラバラなメンバーが相当な努力をしただろうこともなんとなくわかる。彼らは十分にかっこいい。この世界で戦っていけるくらいのかっこよさをちゃんと備えている。それでも、それでも『カワイイ』を選んで躍進していく姿がかっこよくないわけがない。
本気でそう思う一方で、私のこの気持ちは『脳で感じるかっこよさ』だなあとも思う。思考というフィルターを通して初めて分かる類のもの。彼らをほんの少し知っていてほんの少しみているからこそ分かる。優劣なんかどこにもないけど、どっちがいいとかじゃないけど、KAT-TUNとはちょっと違うのだ。
KAT-TUNに感じるかっこよさに脳はいらない。脊髄が震えるかっこよさ。
それってすごく、すごいんじゃないのか。
誰が見てもかっこいいってこと。わかりやすくかっこいい、薄皮1枚剥がなくてもかっこいい。それって本当にたくさんの人を救ってきたんじゃないかって結構本気で思っている。


・ここに来たこと。ここから行くこと。
最近はそうでもないけど、YOU&Jくらいまでの世代って「○○くんに憧れて入りました!」って人あんまり多くなかったなあ……と思う。入ってから「△△くんが目標です!」「××くんみたいになりたいです!」って人はいっぱいいたけど、入る前からジャニオタな人ってあまり知らない。私が知らないだけでたくさんいたら申し訳ないんですけど。
あんまりいなかった理由として、そもそも『アイドル』っていう存在が、男が憧れるようなものじゃなかったってのも大きいんじゃないだろうか。アイドルそのものをとりまく文化的価値観がどんどん変わってきたなあと感じることがここ数年でぐんと増えた。
理由の一つにはおそらくインターネットやSNSの影響が挙げられる。特別な人がどんどん生まれにくくなって雲の上のアイドルが誕生しづらくなった分、逆にアイドルと一般人の境目が曖昧になってきている。いわゆる地下アイドルを含めれば、アイドル(的な人)の存在は増えているのではないだろうか。(これはアイドルに限った話ではなくて、芸能人的な人(あるいは芸能人的な人になりたい人)の数は全般的に増えていると思うが)
その結果なのか並行する現象なのかは判断しがたいが、『アイドル的なもの』の受容度も上がったように思う。社会現象レベルにまでなるのは困難になる一方で、アイドルっぽいことをしたり、アイドル的表現を好むことへのハードルは下がっているような気がする。
この感覚があんまり上手く言い表せなくてもどかしいのだが、自らの欲望でもってアイドル的存在を志す人が男女問わず増えた、とでもいえばいいのだろうか。アイドルという存在が、ただ人から欲望を向けられるだけじゃない主体を持つものへと進化を遂げつつある気がする。
これは多分ジャニーズで言ったらSMAPの功績がよく取り上げられるいつものあれなのかな。操り人形じゃなくなったからこそ一生アイドルとして生きていく道を選ぶ人が現れて、ただ欲望を向けられるだけじゃない主体的な存在価値を生み出して今に至っている――っていうやつ。
わけもわからず辿りついたスタート地点で顔を上げたら、「こうなりたい」と思える先達がいること。それってきっと、30年前なら想像もつかないくらいの幸運だ。


・確かにあいつらかっこいい
で、KAT-TUN。そうだよKAT-TUN
顔を上げた時に、よく見なくてもかっこいい先輩がいるってめちゃくちゃでかいよなあと単細胞の私は思う。よくわかんなくても、価値を知らなくても努力を知らなくても軌跡を知らなくてもかっこいい存在。女の子からかわいいって言われるんじゃなくて、何かを支配する側、ガラスケースぶち破る側の人がいてくれること。この場所から、自分の感性がかっこいいと思うものをめざしていけるんだって思えること。それってどれほどワクワクするだろう。どれほど血湧き肉躍るだろう。
「まーた仁のコピーかよwww」って言われるくらいに、まぁ結構な人数のJr.が罹患(?)する「赤西仁になりたい症候群」ってほんとすごいよなあって思う。みんながやりたがるかっこいい曲がたくさんたくさんあるKAT-TUNって、本当にカッケーーーーよな!って思う。
今のJr.をみていると手越さんもまぁ結構な人気で嬉しいけど、でもやっぱりいつまでもKAT-TUNに憧れる子いっぱいいるんだろうなって思うし、自分の感性がかっこいいと思うものを追求したら「KAT-TUNコピーを抜けられてない!」って言われちゃう子もたくさんいるんだろう。だってKAT-TUNかっこいいもん。脊髄震えるもん。

そもそも、アイドルが「なりたい存在」になった一因にはKAT-TUNの影響もあるんじゃない?って言いたかったんだけど論理破綻しそうなのでやめました。

 


・一生妬んでやるからなバーカ!
昨日一昨日とNEWSコンに行ってきて、やっぱり多幸感にもみくちゃにされてこの人たちが大好きで、私の一番はずうっとこの人たち!って思った。ほんとに心の底から。
だけどそれでも、もしも私がお姉ちゃんに騙されてジャニーズ事務所に入った少年なら、顔を上げた瞬間に心を奪われるのはきっとKAT-TUNだ。
永遠にかっこよくて、血の通い続けた覇者たちに私はこの先も嫉妬して、NEWSとは全然違う彼らを妬み続けるんだと思う。永遠に羨み続けていたいから、この先も絶対とまらないでほしい。

一生嫉妬しつづけさせてくれよバーーーーカ!!!

 


っていうブログを3月22日に上げたかったんですけど全然無理でした。10周年おめでとうございます。

 

拝啓 世界のどこにも二度といないあなた

あなたが好きです。


伸びやかな声で歌っていたあなたが好き。
カメラを前にするといつもふざけてみせたあなたが好き。おどける時に決まって持ち上がった眉を見る度、なんだか無性に愛しいです。
本当はもっと柔らかな声が好きなはずなのに、「俺上手いんだよ!」って声から既にバレちゃってたようなあなたの歌声はなぜだか好き。

あーー可愛いー好きだーーー!
ってそればっかり思ってしまって、客観的に見てカッコよかったのかどうかもよく分かりません。どうだったのかな、イケメンだったのかなあなたって。

だぼっとしたズボンが本当に似合っていました。ちょっと悪いお兄さんみたいな、悪いこと教えてほしくなっちゃうなあ年下なのに。でも今見ると肩や腕が明らかにまだまだ少年ですね。未熟で発達途中の、これからもっと魅力的になるんだろうなってすぐ分かる身体。私は痩せ型が好きだから、大人の身体になったらそれはそれで文句を言ったんだろうけど(笑)


メインボーカルで歌ったときももちろん素敵だけど、コーラスしていたときの声も好きです。思いっきり気持ちよさそうにぐんぐん伸びる歌声でした。どんな歌が好きでしたか。歌手なら誰が好きでしたか。誰を目指していましたか。
今私が応援しているグループには別れる歌ばかり歌う人が約2名いますが、あなたは抱く歌ばっかり歌いそうですね。って思ってしまうのは、あなたのオリジナル曲を1曲しか知らないからかもしれません。

なんであの時の衣装がジャージだったのかとても気になります。不慣れだったのかセットがおかしかったのか、何度も何度もヘッドセットを直した仕草にさえきゅんとするから不思議です。いかにもな感じで腰を突き上げていたパフォーマンスにちょっと笑ったりさみしくなったり。どのCDショップにもこのパフォーマンスが入ったCDもDVDも置いてないなんて信じられません。私が持っているあなたの声が入ったCDはたった2枚。まぁあるだけマシなのかなーそうなんだろうなー。

今でもたまに思います。もしも今ここにあなたがいたら、どんな光景が見れただろう。どんな歌声で、どんな笑顔で、どんな5人を見れただろう。考えても意味はないのに、それでも時々考えます。
本当はよくよく分かってるのにね。もしもあなたが今ここにいたらきっと2016年までの歩みは全然違うものになっていて、そもそも5人かどうかも分かりません。あれから今まで余りにも時間が経ちすぎて、余りにも色んなことがありすぎて、あなたがいたらどんな未来が有力だったのかもう見当もつかない。今私が知っている曲も大好きな言葉も愛してる光景も、全部全部全然違うものになっていた気がします。
2015年まであなたを直視することも出来なかったくせに今更こんなことを考えるのは馬鹿みたい。本当にばっかみたいです。今がこんなに愛しいのに。今をこんなに心から肯定してるくせに。

それでも時々考えてしまうのです。5人で笑う写真を見る度、心の隅っこが少しだけ痛い。


あなたのことが好きです。その目も眉も髪も声も。事務所に入りたての頃あどけなく先輩への憧れを語っていたあなたも、後輩に優しくしていたあなたも、くすぐられて絶叫していたあなたも、CDのジャケットでポーズを決めていたあなたも、マイクを持って気持ちよさそうに歌っていたあなたも、目に見えるあなた全部が好きです。

 

あなたは、世界のどこにも二度といません。


いるのにいない。どこかで元気に息をしているし、仲間と笑いあってるし、実をいうとあなたの歌う歌を聞くことさえできるのだけれど、でも、いません。ポーズをきめて写真におさまるあなたも、キラキラの笑顔で笑うあなたもここにはいない。もう二度と、もうどこにも、アイドルのあなたはいません。
5枚のCDと1枚のアルバム、2枚のDVD。それから、ネット上にある過去の映像。
それであなたは全部です。それを見終わったら、あなたはおしまい。見終わりたいような、見終わりたくないような、不思議な気分です。まだ知らないあなたをもっと見たいけれど、見たら知らないあなたが減ってしまうのが悲しい。多分、今になって過去を追いかける身だからこそこんな風に脳天気にただ惜しむことが出来るのでしょう。

 

もしも生まれ変わるなら、次はあなたがずっと今でもアイドルでいる世界だといいなあ。歌っていたあなたでもふざけていたあなたでも踊っていたあなたでもなく、

歌うあなたを

踊るあなたを

笑うあなたを

力いっぱい愛せる世界だといいなあ。

 

あなたを愛したかった。過去そこにいたあなたじゃなくて、今ここにいるあなたを。
世界のどこにも二度といないあなたが好きです。あなたの28歳の1年間、そしてこの先の人生が、素敵で幸福なものでありますように。

 

 


草野博紀さん、誕生日おめでとうございます。

顔認証〜オクとメイギと、しばしばソウバ〜


嵐のコンサートについに顔認証が導入されるらしい。Twitterでの反応は様々で、私のもとに流れてくるのはどちらかというと賛多めだったが全体的には賛否半々か、賛6~7割くらいなのかな?という印象だった。
私個人の意見としては、嵐に関しては今回のやり方におおむね賛成である。おおむね、と言うと気に食わないところもあるようだが、実のところ具体的にあげられる不満点は特にない。

今回のアリーナツアーは
・1名義1公演
・1名義1席
・最高2連番まで
・同行者もFC会員である必要あり
・申込者、同行者共に申込時に顔写真申請
・郵送の紙チケットではなくデジタルQRコード
・席が分かるのは当日
という大変厳しーーい制限(私自身は嵐のFC会員ではないので何か間違ってたらすいません)がかかったものだが、これはまあ事務所サイドの2つの意図達成のためには仕方ないだろうと思う。

不正な手段での入手および不正な譲渡をするのをやめろ
1人1回しか来るな

ってことなんだろうなーと。これ別におかしなこと何も言ってないじゃないですか。仕方ない。嵐の場合コンサートに行きたい人の数に対して動員数が少なすぎる(確かドームツアーでも80万人かそこらなのに対してFC会員数は180万超)上、今回のアリーナツアーに関しては動員数が20万もいかないくらいなのでもう完全にFC会員じゃない人を入れる余裕はあるわけない。チケットが高額で売買されているのをそうそう見過ごすわけにもいかないし、転売・譲渡はそもそも禁止が明文化されているわけで「急にいけなくなった時のことを考えて」というのも堂々とできる話ではない。今回の形式だと多ステできるかどうかは『同じ顔での複数名義からの申し込みが弾かれるのか否か』にかかってくるようだが(複数名義も禁止が明文化されてますが)、これに関してはどうなのかまだ分からないのでいったん置いておきます。


さて。
私がFCに入会しているのはNEWSのみでこちらも春からのツアーに向けて当落待ち真っ最中なのだが、参考までに今回のQuartetteツアーの申し込み形式を。
・1名義何公演でもOK(同じ公演を複数回申し込むことはできない※1)
・1名義で取れる席数に制限はなし
・最高4連番まで
・同行者はFC会員でなくともよい(同行者情報は特に何も求められない)
・申込者、同行者共に顔写真等は不要
・郵送の紙チケット
・チケットが届き次第席が分かる※2
※1:「『第1希望東京公演 第2希望仙台公演』と『第1希望大阪公演 第2希望仙台公演』の2枚振り込む」みたいな申し込み方はNG
※2:たまに当日まで分からない席もあったようななかったような

はいゆるゆる!嵐の制限みたあとだと天国ですね。ちなみに私は自分の1名義だけで2枚×3公演の6枚チケットを申し込んでいます。当たるかどうかは神のみぞ知る。

今後、チケットに関する制限が厳しくなることはあってもゆるくなることはないだろうなあというのが個人的な予想なので、NEWSでも顔認証が導入される可能性はゼロではないのかなと思っている。「嵐は仕方ないけど○○では顔認証はやめてー」「△△で顔認証導入したら空席祭りだろ」というような声も見かけたのだが、顔認証と多ステは別に直接的な関係にはない。なんかもっとこう、うまいやり方をしたらこう、なんかもっといい感じにできるのではないかと思ったので顔認証のやり方について数パターン考えてみた。



1-1.顔認証最ゆるパターン:現行のNEWSのやり方にとりあえず顔認証を入れるだけ
・1名義何公演でもOK(同じ公演を複数回申し込むことはできない)
・1名義で取れる席数に制限はなし
・最高連番数はグループの人気などに応じて
・同行者はFC会員でなくともよい(同行者情報は特に何も求められない)
・申込者のみ申込時に顔写真添付
意味があるのかないのかよく分からない。しいて言うなら事務所がその気になったら複数名義の人を殺せるくらいか。また、最初から転売目的の人にとってはチケットが1枚死ぬのが確定になるので、利益が出せるかどうかがやや危うくなる可能性も。入場時に顔認証をする人としない人に別れることになるので、入場列が複数になり混雑が緩和するかもしれないし激化するかもしれない。譲渡も同行も可能。


1-2.FC会員じゃなくてもこれるけどバラ譲渡を禁止するパターン
・1名義何公演でもOK(同じ公演を複数回申し込むことはできない)
・1名義で取れる席数に制限はなし
・最高連番数はグループの人気などに応じて ・同行者はFC会員でなくともよい(同行者情報は特に何も求められない)
・申込者のみ申込時に顔写真添付
・同行者チケは申込者と一緒でないと入場できない
つまり2連番なら2人、4連番なら4人で一緒に入場しないといけないことになる。同行はできるけど譲渡はできない。「チケット余ってるんだけど××に興味あるなら一緒に行かない?」はできる。ダフ屋は死ぬ。このやり方だと、組織的に利益のためにやっている転売屋などは抑制できるが、Twitterなどで売買する個人の規制は多分できない。つまり自分も行く気があるダフ屋は勝てる。また、同行は可能である以上友達多い人の勝ちみたいなところが出てくるので同行目的の友達増やしとかあれとかこれとか人間関係にひびが入りやすくなるような気もする。複数名義の場合は、同じ公演に複数申し込んで複数あたってしまった場合空席を確実につくることになる。事務所的にはお金はとれるわけなので損ではないが、あまりに目立つとメンバーが落ち込みそう。


1-3.FC会員じゃなくても来れるけど顔認証は全員必須パターン
・1名義何公演でもOK(同じ公演を複数回申し込むことはできない)
・1名義で取れる席数に制限はなし
・最高連番数はグループの人気などに応じて ・同行者はFC会員でなくともよい(同行者情報は特に何も求められない)
・申込者、同行者共に申込時に顔写真添付
FC会員じゃなくても来れるけど、顔認証は全員にするよ、というもの。この場合、顔認証の運行の厳しさによってさらに2パターンに別れる。
1つ目が、申込者としても同行者としても登録しても複数名義でも通るパターン。チケットをとれる確率は高くなるが、1-2と同じように空席をつくる覚悟が必要。この場合、「不正な売買により第3者が利益を得ること」は防げることになる。
2つ目は、同じ顔を複数登録したら全弾きされるパターン。「不正な売買により第3者が利益を得ること」に加えて、「不正な複数名義登録により一名義当たりの当選確率を下げる行為」「不正な複数名義登録により自分の当選確率を上げる行為」を抑制できる。



さてここまで3パターン読んだらわかると思うのですが、顔認証でできることって大きく2つに分けられるわけです。

①「不正な売買により第3者が利益を得る行為」をできなくする
②「不正な複数名義登録によりチケットの当選確率を上げようとする行為」をできなくする。

このどちらを抑え込むために顔認証を導入するのか?によって、作り上げるべきシステムも変わってくることになる。個人的には、①の方はこれから事務所に限らず法律やらコンサートや公演を行う各種団体で何らかのガイドラインをつくっていかないといけないのかなと思っている。なぜなら今ビジネスチャンスとして中古(?)チケット取引が注目されているらしいから。チケットキャンプみたいなサイトが堂々とテレビCMを打てるのとかジャニオタ的には少し不思議なんですけど、「とったチケットはどうすべきものか」ってのかこれから考えていかなきゃいけないのかなあと。売買できて当たり前にするのか、できないものにするためにエンタメ業界として取り組んでいくのか、っていうのは少し考えなきゃいけないんじゃなかなあ。

それを踏まえて


2.複数名義解禁パターン
・1人で複数名義持つことを認める
・1名義何公演でもOK(同じ公演を複数回申し込むことはできない)
・1名義で取れる席数に制限はなし
・最高連番数はグループの人気などに応じて ・顔認証は少なくとも申込者必須
上で挙げた①の何が問題かって、『第3者が』利益を得ているっていうのもあると思うんですよ。で、これからコンサートとかそういうショービジネスがもしも盛り上がっていって、多額のお金を払ってでも…って人が今後も増えるんだとしたら、その『多額のお金』が公式に入るようにした方がいいんじゃないの、って話。顔認証は同行者もするのかとかなんとかは色々置いておいて、行きたいその気持ちの分だけ公式にぶっこめるようになるのも一つの解決策としてナシではない。
これを取り入れる場合は、「同一公演を複数枚当選したらどうするのか」っていうのを、公式側が仕組みとして整えることができるのも一つのメリット。半額返金して再抽選とか、手数料をとって譲渡を仲介するとか、何かしら今よりクリーンな仕組みを構築できる可能性が生まれるかもしれない。また、たとえば半額返金にしたら2枚当選したら1枚あたりの値段は1.5倍になるわけで、複数名義に多少の損を被らせることも可能になる。
このジャニオタパラダイムシフトを起こした場合、同時に全グループ先振り込み化もありえる。欲しい気持ちの分だけお金を公式に払うにあたって、『欲しい気持ちの額』と『実際支払い可能な額』は大体前者が大きくなるので手元に実際に持ってるお金分以上の申し込みができないようにするのは健全な運営のために必要かなと思う。
現状複数名義を取得している人は少なくないし、何故それが不正なのかというと「会員規約に反しているから」以上の理由ってないような気がするのでいっそ認めてしまうことで事務所に利益が出る形を構築していくのもありかと。
ただ、この場合は「1名義しかないことが極端な不利にならない」ように慎重に色々考えていかなくてはいけない。

 

 

3.もっと会員証活用しようぜパターン
Suicaとか大学の図書館みたいに会員証でゲート開閉みたいな仕組みになったらちょっと楽しい。具体的なことを何も考えていないのでふわふわだが、手間を掛けず最低限の個人情報の保持だけで個人を特定できるやり方を模索していく方向。
友人同士なら簡単に貸し借りが可能なので信用できる人とのみ今までのような気軽さで譲り譲られが出来るのでは?と思う。
逆に顔認証と組み合わせれば年に一度更新の時に顔を登録することで大変ガチガチの個人認証が可能になる。
ただ、これをやるとスキミングされた時とんでもない事になるのでちょっと非現実的かな……

 

今回は『転売』『複数名義』に焦点を絞って考えてみたのだが、もちろんこの他にも考えなくてはいけないことは多々ある。半券ほしいよ問題だとか座席は事前に分かるべきなのかどうか問題とか、会費をクレカか口座引き落としにしてくれ問題などなど。
今回「顔認証いぇーーーいv(☆ڡ☆)v」って思った人も「顔認証ハァアアアア┗(⌒)(╬´ ω `╬)(⌒)┛!?!?」って思った人も、自分にとって何が「イェーイ」なのか?何が「ハァア?」なのか考えてみる良い機会なのではないだろうか。


もちろん、1ファンがあれこれ考えたところでそれがダイレクトに反映されることなどないのだが、「なんかこう、もっとこう、なんかいい感じ」にしてこうぜ、という機運を高めてく一助にはなれるかもしれないし、考えるだけ考えとこうと思っている。考えようぜジャニオタ。半券ほしいぜやっぱり。さぁ俺らの明日はどっちだ!!

優等生と自転車少年/君が集めた銀河の砂を世界一綺麗なキセキにするよ

 

世の中には2種類の人間がいる。やるべきことをすぐにできる人間と、期限ぎりぎりまでやらない人間だ。残念ながら私は完全に後者に分類される人間である。

 

というわけで本当はピングレプレゼン会のパワポを作らなければならないのをいったん置いておいてNEWSのコンビ語り第4弾をします。マスシゲです。シゲマスです。8年かかっていまだどちらで呼べばいいのか定まらない金八コンビです。愛しくて優しくて少し切ない、いつまでもこのままでいてほしい2人。

2015年はコヤテゴの供給がとんでもないことになっていたので、その道連れなのなんなのかシゲマスもちょいちょい絡んでいて楽しかったですね。4人になってから増田さんがデレを爆発させる相手が加藤さんだけになってしまったので、気持ち悪い感じに(笑)デレデレしている増田さんをみられるのは基本的にマスシゲ絡みだけになってしまいました。昔からずーっと変わらずに加藤さんにデレデレな増田さん。どんな時代も変わらず「シゲかっこいい」といい続けてきてくれた増田さんには頭が上がりません。まあ私増田担なんですけど。めんどくせえ増田さんを適当に適切に処理してくれて増田さんの意志を汲もうとしてくれる加藤さんにも頭が上がりません。シゲマスの方向にお辞儀しながら生きていきたい。

 

 

 

・軌跡⑴――エリートと雑草

「NEWSで一番付き合いが長いのはしげ/まっすー」と割とことあるごとに本人たちも発言しているが通り、金八コンビの付き合いは長い。増田さんが1998年11月入所、加藤さんが1999年4月入所なので、かれこれ16、7年の付き合いということになる。言うまでもなく、NEWS内ではコヤテゴよりもテゴマスよりもコヤシゲよりも、どのコンビよりこの2人の付き合いの方が長い。長けりゃいいってもんじゃないけど、長い分だけ思い出も増えるのもまた一つの真実だ。2人の歴は半年ほどの違いだが、加藤さんが入ってすぐの頃に「新しいやつが入ってきたぞ」みたいな感じでJr.仲間と取り囲んで質問したことを増田さんが回想している。多分これが2人のファーストコンタクトのはず。ちなみに、増田さんが合格したのは大型のオーディションで同期もなかなかの数いたそう*1だが、加藤さんはテレビ番組『8時だJ』内でのオーディションでジャニーズしており、入所段階から若干エリートだ。厳密に同期といえる人(入所日まで同じ人)は多分いない*2*3

入所段階から若干エリートだった上に小学1年生からお受験のための塾に通っていた加藤さんは「受験を放棄したくなかった」という理由で小学6年生の後半は休業に入った。なかなかの勇気。入所してすぐに沖縄に連れていってもらい、マイクを持つまでもかなり早かった加藤さんは受験後ジャニーさんに「受かりました!仕事またしたいです!」と臆面もなく電話し、すんなり仕事に復帰した。金八のオーディションの時も、周りに「いけるんじゃない」といわれていたそうで、少なくとも待遇と実績だけで言えば間違いなくエリートだった。それに実力が伴っていたかというと、残念ながら本人の認識の上ではまったくそんなことはなく、1回目の10000字インタビューでは「できてないのが分かるのに立ち位置がドンドン前になって…」とその苦悩を思い出している。実際、入所から今に至るまで加藤さんは歌を得意だと思っていたこともダンスに自信を持っていたことも一度もなさそうだ。加藤さんは声変りが早く入所時から既に低い声だったそうなのでボーイソプラノが出なくなる恐怖は味わっていないだろうけれど、歌に自信があった時期は一瞬もなかったということにもなる。しかし実績はある。多分プライドもあった。加藤さんはそんなエリートJr.だったのである。

一方の増田さんの歩みは、加藤さんとはずいぶん違う。増田さんはオーディション時も合格こそしているけれど『そのまま雑誌取材組』には入れず、歌番組などでも度々『リハには呼ばれるけど本番には出れない組』を経験したと語っている。それでも踊るのは楽しくて、1.2曲しか出れなくてもコンサートが楽しくて…とJr.を続けていた増田さんの大きな転機になったのは2001年7月に出演した舞台『PLAYZONE2001新世紀~EMOTION~』だった。東山さんと踊る役に抜擢され、その姿勢や技術などに大いに感化された…らしいのだが、この時も決して「増田がいい」と選ばれたわけではなかった。踊れて背が低くてなおかつ夜公演にも出られる15歳以上のJr.がたまたま増田さんしかいなくて「増田でいい」と選ばれたらしい。また、金八オーディションに参加できることになったのもこのPLAYZONE公演中に他のJr.が大勢参加すると聞いて意を決して直談判したからで最初は呼ばれていなかったそうだし、何かのテレビ収録でジャニーさんが合格発表をした時も加藤さんと東新さんはいたのに増田さんはいなかったそうだ。ただ、本人談では金八効果でそんなものすごい人気、推されJr.に上り詰めるなんてことはまったくなかったらしい。Jr.時代からのファンの方が「まっすーはNEWS結成直前くらいにはトップクラスに忙しい部類に入っていた」と書いているのを見かけたこともあるし、テレビでの発言などは多少脚色されているかもしれないのでどこまで本当かはちょっと分からないが、どちらかというと雑草タイプだったことは間違いないはずだ。このような経緯もあってか、その頃の増田さんの話を聞いていると『1現場に出れることへのありがたみ』『こいつにこの仕事をやらせようと思ってもらえることのありがたみ』みたいなものが身に沁みついていたらしいことが窺える。ビバ雑草

そんなこんなで東新良和さんも含めた3人での『3年B組金八先生』第6シリーズへの出演を果たした。各々思い入れの深い作品であることは間違いなく、この時共演した人についてはジャニーズ外の人であっても『幼馴染』と形容するのを幾度も聞いている。平愛梨さんや上戸彩さんなど、今でもたまに交流を垣間見ることができる。また、仕事で中学の卒業式に出席できなかった増田さんにとって金八での卒業式は一際感慨深かったようで、リハーサルから号泣していたことをたまにいじられている。私自身は1シーズンたりとも観たことがないのだが卒業式のシーンは恒例のものらしく、またほとんどアドリブで進行するらしいのである種本物の『卒業式』なのかなあと思う。つかみ取った経緯は違えど、加藤さんと増田さんの両方にとって経験出来てよかったと心から言える仕事であることは間違いないないのだろう。そして、2人の心に特別な絆が結ばれていることも。

 

 

・軌跡⑵――エリート根性と雑草

NEWS結成段階では、やっぱり加藤さんはエリートだったし増田さんは雑草だった、と思う。なんせリアルタイムで観ていないのであんまりそんなによく分からないのだが、「NEWSができたときは、金八で一緒だったシゲ以外はそんなに知っている人もいなくて、エリートばっかりで…」とか「他の人は『あれっまっすーがいる』って思ったんだって」などの話もあるし、多分加藤さんの方が人気はあった、ということにしておく。

ちなみに、現NEWSメンバーのJr.時代からの彼らのレギュラー番組に『Ya-Ya-yah』があるのだが、ここでも加藤さんは2003年1月からのレギュラーだが、増田さんはそうではなかった。手越さんと共にレギュラー入りを果たしたのがNEWS結成直前の2003年9月7日だそう。初の本格的な出演?は同年6月らしいがここら辺はあやふやな上に当時を知らないやつが語っても…と思うのであまり気にしないでください。

 

で、だ。

 

ジャニーズ事務所に入ってからデビューまでの加藤さんは間違いなくエリートだったし、増田さんは雑草だった。これは間違いないと思う。しかし今、加藤さんをみてエリート根性というか、そういう何かを感じる人はおそらくほとんどいない。8年前には既にそういう見方は少数派だった。

 

 

herodontsing.hatenablog.com

 

これは昨年加藤さんと増田さんの10000字インタビューを読んだときの私の感想なのだが、2人の覚悟に対する印象は変わっていない。増田さんがNEWSに関して抱えているのは『泥を塗らずに背負い続ける』という覚悟で、加藤さんが抱えているのは『泥にまみれてでも進み続ける』という覚悟だ。泥を塗らない、という生き方。泥にまみれてでも、という生き方。不思議なことに、増田さんの方がよほどエリート根性をもって生きているし、加藤さんの方が明らかに雑草魂に支えられている。

9人時代の最初の頃から自分が歌も踊りも周りに劣ることを否応なく自覚していて立ち位置もそれほどよくはなかった加藤さんは、6人時代には完全に『いじられキャラ』の立ち位置を確立してしまっていた。小山さんと2人でMCを担っていたが、加藤さんが小山さんをいじることより小山さんが加藤さんをいじることの方が圧倒的に多く、加藤さんをいじることでNEWSの面白さが担保されていた部分も多少あったように思う。「小山は2人の時優しいのにMCだとあたり強い…」という加藤さんの発言もこの頃なされたものだ。(当時の私はただ萌えているだけだったが今にして思うと、ね)(余談だが、今の小山さんが加藤さんにデレデレなのは、加藤さんをいじったり下げたりすることなく『楽しい』『面白い』を生み出す方法を見つけたからなのかなと思っている)

増田さんは、この頃から今までずっと変わらず「しげかっこいいよ」と言い続けている。6人時代のことを思い返してみると「マッスーといえば手越or錦戸くん」というコンビでの人気が高かったような気がするし、「しげといえば小山or錦戸くんor山下くん」というコンビの人気が高かったように思う*4。それほど表立って絡んだり営業(?)していた印象は特にないけれど、NEWSの他のメンバーがそうだったのと同じように増田さんも加藤さんのことが大好きなのはよくわかったし、それを隠してもいなかった。

NEWSが結成されてからの増田さんの歩みについてなのだが、正直どんな気持ちで何を考えどう悩んでいたのか、あまり考えたことがない。私個人の話で言えば、悩んでいるのかなとぼんやり考えるようになったのもここ2年くらいのことで、それまで増田さんの苦悩とかそういうものをみたことってあまりなかったなあと思う。なんとなく言えることは3つくらい。

以下3つ全部私の主観の思い出なので「ハ?」って思っても気にしないでほしいのだが、1つ目、「このグループの歌を支えている」という自負はずっとあっただろうということ。テゴマスでも一応順調に活動していて、歌唱力ではNEWSに不可欠な存在だと思えていたことは間違いないと思う。歌と踊りは増田さんにとって絶対的な武器で、自信で、支えだったのだろう。次、「まあまっすーだもんね」って思ってるファンが多分少なからずいて、本人もそう思っている節がなくはなかっただろうこと。ドラマに出て爆発的な人気を博すようなタイプではないことはファンも本人も了解していて、でもそこはまっすーの戦場じゃない、という雰囲気がなんとなくあったような気がする。増田さんはいつだってにこにこで、代名詞は『笑顔』で、下ネタとか男らしさで勝負する人ではなくてananで脱ぐとかそういうことを求められてもいなかった。かといってバラエティでめちゃめちゃ活躍できるような人かというとそんなことはなくて、でもまっすーの戦場はそこでもないしなーと私は思っていた。増田さんには歌があったし、踊りもうまくて、それで十分だった。そこでなら増田さんは十分に戦えていたし、不満があるようにも見えなかった。最後、3つ目。増田さんのガチガチのアイドル美学には「楽しいところ(だけ)を見せるのがアイドル」という意識があったんだろうな、ということ。増田さんが本当の本当に「俺の戦場じゃない」とか「俺はこれでいい」と思っていたのか、不満がなかったのか、といったら、多分全然そんなことはなかったんだろうなあと近年ようやく思うようになった。思うようになったというよりは、そういう思考の言語化を私が私に許してあげられた、という方が正確かもしれない。

すべってばかりの増田さんの発言を拾い上げて笑いに変えてあげる役割を担っていたのが加藤さんだった。みんなと仲良くして、潤滑剤みたいな役割を果たしていたのが加藤さんだった。P亮の懐にいつの間にか入り込んでいたのももちろんだけど、それは増田さんに対しても発揮されていた、と思う。

いつも一緒にいる必要はなかった。それでも大事な人だというのは変わらないから。一番付き合いが長いのもわかりきっていたし、役割分担もはっきりしていて、大事な『幼馴染』を助けてあげたり助けてもらったりしながら、わりと平和な関係を築けていたと思う。当時から加藤さんは結構雑草魂ちょい見えではあったし、そこは増田さんとはイマイチかみ合わなかったかもしれないが、あの頃そこまでコンセプトを突き詰める必要もなかったし物語を売りにするかどうかを考える必要もなかった。増田さんの職人気質というかそういうところはテゴマスにぶつけることができたし、むしろそれでこそNEWSとテゴマスの差別化が図れていたのかもしれない。あの頃のシゲマスを一言で表すなら『平和』だったなあ。幼馴染感はそこまで出てなかったような気がするけどそれは私が観ていなかったからそう思うだけなのかもしれない。仲悪いんじゃねーのって疑う要素もなく仲良しで、かわいくて、雑草魂を秘めた元エリートと、エリート根性を発揮する元雑草は、仲良く4人で愉快な仲間たちをやっていた。

 

 

・奇跡⑴――平和の終わった日

シゲマスの平和は終了しました。といったら変な顔をされるかもしれない。でも本当だ。2011年4月、彼らの平和は幕を下ろした。去年4人分の10000字インタビューを読んでいろんなことを考えた。それはもう色々。私は結局山下くんのことをどう思ってるのかとか、アイドルって結局なんなんだろうとか、そういうこと。その中でものすごく考えさせられたのが、マスシゲの方向性の乖離の甚だしさだった。

チャンカパーナのリリースまで、本当に待った。脱退発表から1週間ぐらいで一応ポジティブモードに切り替えたはした私が思ったことは「とにかく早く動いてほしい」だった。それから、たくさん活動してくれること。年に3公演しかライブがないなんてもう嫌だった。山下くんと錦戸くんがいなくなって人気が落ちるのは分かりきってて、それでもいいから活動してほしかった。全部ホールでも構わない。近くにきて、年に数度の音楽特番以外でも活動して、地に足つけてほしかった。私の思考は随分加藤さんと似ていたのだなあと、4年経ってから知れて面白かった。面白かったけれど泣きたくなった。

大丈夫だよ、安心して、もう裏切らないよって一生懸命伝えてくれていたあの頃、2人の胸にある未来図はこんなにも違ったなんて。それでも一緒にやっていこうと決めて、これからのことを考えてくれていたなんて、嬉しくて悲しくて切なかった。あれほど待ったのは増田さんのゴーサインが出なかったからだったこと。中途半端なものを出すくらいならNEWSを続ける意味がないと思っていたらしいこと。増田さんらしかった。私が好きになった増田さんだった。でも、この2人が共に歩んでいこうと決めてくれたことは奇跡なんだなあと思った。

 

 

・奇跡⑵――雑草魂とエリート根性

シゲマスの方向性の甚だしい乖離が問題点にまでなったのは、彼らがフロントマンになったからだ。今、NEWSの楽曲や衣装、コンサートなどは、昔に比べ明らかにセルフプロデュースの割合が激増している。4人になったことで1人1人の存在の大きさが重くなり、1人1人の意見の反映率も大きくなったことで、みているだけのファンにもこの2人のタイプが違うこと、2人の理想のアイドル像が違うことがたやすくわかるようになった。それを一番分かっているのは当然本人たちで、それでもなんでもないみたいな顔でいろんなものを届けてくれている。

この2人のすごいところは、それでもなお互いが互いについて「あいつの一番の理解者は俺だ」と思っているところだと思う。理想が違う。輝き方が違う。手に入れてきた武器も、目指しているものも違う。それでも、それだけ違っても、一番『わかってる』のはお互いなところがとても優しい。

特にわかりやすいのが増田さんで、ラジオでも「しげの話をしないと死ぬ病気なのでは…?」とファンに揶揄されるくらい加藤さんの話ばかりしている。小山さんと手越さんに対してはそれほどかわいい顔をしないのに*5、加藤さんに対してだけ飛び切りかわいい顔でうざがらみをしにいく。加藤さんがグループ内でいじられ役に徹していたときには加藤さんをしきりに褒めていたのに、そのバランスが変わってからは超積極的にいじりに行くようになったのもやさしさの発露なのかなとちょっぴり思う。このいじるか、上げるかに関しては私の主観でものを言っているので、データ的な証拠は見せられないのですが多目に見てください(笑) だいすき!って顔にも声にも態度にもフルで現れているところがずっと変わらなくて、2人の違いに不安になるたびホッとできる。

アイドルとしての在り方はぜーーーんぜん違うくせに、加藤さんもやっぱり「俺がまっすーのこと一番分かってるよヅラ』が大好きだ。ここからは完全に妄想になるのだが、増田さんの辛さを一番分かってくれているのは実際加藤さんなんだろうなと思う。私はよく加藤さんを形容して『加藤さんは舞台裏まで公開して裏側の様子でさえも魅せるための武器にする人』といっている。脳みそ露出狂なんて言われたりする加藤さんの思考のさらけ出し方は、確かに彼の主人公力を高めてくれていて、戦い方として一つの正解なのだと思う。これと対照的なのが増田さんで、増田さんはたとえるなら『舞台裏の存在を認めない、見せない、隠しているということすら隠す人』だ。もちろんそんなわけはなくて、増田さんにだって裏側も悩みも苦しみも当然あって、でも増田さんは自分のそういう面をファンに魅せるのを極度に嫌う。

4人になってから一番もがいて一番苦しんで一番今の自分に苛立っていたのは、多分増田さんだ。歌と踊りで戦えていたし、自分の戦場では誰にも何にも負けていないつもりだっただろうけれど、客観的にみてこの4年余り一番負けていたのは増田さんだった。出演番組で長く続いたものはなかったし、小山さんと加藤さんのようなテレビに呼ばれやすい売りもなくて、かといってバラエティがめちゃめちゃ得意なわけではないけれど、恋愛ドラマにバンバン出るような需要もないし、これだ!!って思う自分、胸を張って振りかざせる武器が無くて苦しんでいたんだろうなと思う。確かに歌はうまいけど、確かにダンスは上手いけど、そんなのみんな一定レベルではできていて、それだけじゃ渡っていけない。増田さんは『アイドルだから』という種類の魅力はとっても輝いている人だけど、『アイドルなのに』ではとても弱い。この苛立ちを一番分かってくれていたのは多分加藤さんなのではないだろうか。もちろん唯一無二の相方は手越さんに決まっているけれど、増田さんは手越さんに対して「悩み、苦しみをわかってほしい」とはあんまり思っていなさそうにみえる。どちらかというと「こいつにだけは負けたくない」という気持ちが一番強くて、次に「俺の作りたいものをわかってほしい」かなあ。でも、加藤さんに対してはそういうバチバチはなくて、グループの一員である前に幼馴染で、だから傷付いていることを悟られていてもぎりぎり許せるんじゃないかなと思う。

そう、増田さんは、傷付いている事実を知られることが多分大嫌いだ。大嫌いだけど、加藤さんにならそれを悟られていても我慢できるんだろうなと思う。加藤さんだから、加藤さんにだけ許すんだろうなって時々ぼんやり感じる。

本当は、一緒にやっていくのは向いていないのかもしれない。お互いがお互いの武器を殺しあってしまうようなそんな危うさがマスシゲにはあって、そのくせお互いがいないと駄目なんだからおかしくて切ない。それでもきっと心から「いてくれないと嫌だ」って思っていそうで、陳腐な言葉だけれど「尊いなあ」って何度も何度も思う。

 

 

・輝石――NEWSのクリエイター班

この2人は本来的には相性があまりよろしくない、と私は正直思っている。思っているのだが、仕事面でも実はお互い必要不可欠だよね、とも思っている。ダブルスタンダード万歳。

志向する方向があまりにも違うのは、得意なことがあまりにも違うからだ。それは裏を返せば、長所と短所がぴったり重なっているということでもある。

増田さんは優秀なクリエイターだけれど、思考の言語化が極端にへたくそだ。しかも、新しいものを生み出す能力が高い。その結果、『やりたいこと』『作りたいもの』を他人に伝えること、そしてその『素晴らしさ』を他人に伝えることがモノづくりの才能と反比例してしまっているところが多々ある。6人時代は、そんなときにはただ提案を却下されてしまうことも多かったんじゃないかと推察しているのだが、今加藤さんはそんな増田さんのパイプになるべく尽力しているらしいことが伺える。「まっすーのこと一番分かってるのは俺」という自負の通り、増田さんの頭の中にあるきらきらを現実世界に持ち込む役割を果たしているのが加藤さんなのではないだろうか。

増田さんの中にも、加藤さんをいかに魅力的に見せるのか、加藤さんのきらきらをいかに引き出せるのか、という意識が常にあるように思う。増田さんの場合はNEWSのメンバー全員に対してそう思っているのだろうけれど、「俺が一番こいつを輝かせられる」って思っているようにみえる。

「俺が一番こいつをわかってる」から、「こいつの良さも一番分かってるのは俺」で、だから「こいつを一番輝かせられるのも俺」って思っていそうなこのコンビ、ここまで一緒に歩いてこれて本当によかったと思う。お互いを一番きらきらさせられるのはお互いで、理解者の座を譲る気がさらさらない。金八コンビは、たとえるならば手をつないで歩く2人の子供だ。手をつないでいるだけだし別々の人間だから、行きたい方向が全然違うことも多い。その度「どちらにいこう」「どうしよう」と話し合っては手を繋ぎなおして、絶対離さず歩いていく。二人三脚のように脚を縛られているわけではない。おつかいのように目的も行先も決まっているわけじゃない。それでも2人で手を繋いで歩く。離さないのは2人の意志だ。離さないから強くなれる。転んだ傷が痛いことは、お互いだけが知っていればいい。いつかかさぶたになる頃にはきっと笑えるから。転んだことも、頑張ったことも、泣いたことも笑ったことも全部みている。全部いつか輝きに変えてみせる。めんどくさくて頼もしくって愛おしい2人なのです。

 

 

 

 

 

 

去年の7月から始めたこのシリーズ、いつになったら終わるんだろう……

*1:赤西仁さん、亀梨和也さん、藤ヶ谷太輔さん、中丸雄一さんなどが同期

*2:正確には、「いたはずだが既に辞めている」が正しい

*3:いたといっても1人か2人くらい

*4:これに関しては私がこれらのコンビが好きでこのコンビばかり見ていたせいもあるので何とも言えないが

*5:最近コヤマスの距離が本当にものすごく縮まって仲良くなってきて、結構デレデレしているのをみられるようになったけど