英雄は歌わない

世界で一番顔が好き

他Gの印象後輩編

来春もしくは下半期の自分のための覚え書き
Twitterに書いたやつの改訂増補版
誹謗中傷の意図は全くない



Hey! Say! JUMPの印象
薮:帝王とゴボウ兼任の美声マン。JUMPの要。
光:オードリー春日の想い人。万能なポンコツ。
髙:田舎のギャル。声かっこいい。
有:コロコロの主人公だが裏の顔は爆モテ成人男性
伊:間違えて高田純次型AIを搭載してしまったラブドール
山:外見の美しさに内面を追いつかせた努力の人。アイメイク濃い。
知:ポケモンに例えるとクチート。小顔で小悪魔だけど小賢しくはない。賢しい。
圭:英国紳士と見せかけて英国天使。
裕:美術室から逃げてきた石膏像。ものすごく恵まれて見えるけど本当に欲しいものを掴むのにはものすごい努力を要するタイプ。


Sexy Zoneの印象

健:女子高生を宿主にした寄生獣が乗っ取りかえされてアイドルをやらされてる、って言われたらギリギリ信じられるレベルの奇才の持ち主。人類の特殊サンプルとしてキャトルミューティられる日も近い。
風:歌がめっちゃ上手くてめっちゃ仲間思いの餅。あざらし。エンダッシャ
勝:ツッコミを一手に担う奇人
聡:1秒ごとに綺麗になっていくバカ。Jweb上で『松島聡の先生、あのね』を書き綴っている。ギャーァアア。
マ:美巨幼女。鳴き声:聡ちゃん


A.B.C-Zの印象

五:五関様。グループ内に信者を擁するスキルフルリトルモンスター
戸:社会的生物としてのヤバさを顔でカバーしている奇行子。
塚:狂気にみちた金髪筋肉天使。手越、ダメ絶対
河:世界一美しい馬。元祖ジャニオタジャニーズ。
橋:A.B.C-Zは子育て本を出すべきだという事実の生きた証。大型犬の見本。優しくって、少しバカ。


Kis-My-Ft2の印象
北:カッコつけの天才。自分に色をつけるのがめちゃくちゃ上手くてポスト中居を狙えるリス。
千:ダンスの神に愛されたゴリラ。舞祭組トップのスキルメン。
宮:カレは玉森を愛しすぎてる。結婚おめでとうございますオタジャニーズ界をリードしてください。
横:包丁持ってる時と動物触ってる時はモテオーラを発するお母さん。八重歯が好きでした。あと加藤さんにナナくれた。
藤:カッコつけの天才その2。藤北シンメとしてカルト的人気を誇るが横尾さんを愛しすぎている。Jwebで3回に5回の割合で「わた」という単語を発する呪いに掛けられている。
玉:絵に書いたようなツンデレ。自覚ないまま巨大ロボに乗らざるを得なくなるタイプの主人公。
二:ニッカちゃんだよー↑↑キスマイの中で1番印象薄いけど1番底が深い沼。社会常識的な意味でバカ。



ジャニーズWESTの印象

淳:セレブリティたらこ唇。今年中に彼女を作るらしい。なんかドMっぽい。
濱:小瀧さんの飼い主。一見縁の下の力持ちタイプに見えるがガンガン表立ってWESTを支えている。
桐:そこら辺にいたら誰もが恋するはずなのに何故かテレビの中にいる、親しみやすさ天元突破の憎い人。でも「BABY BABY MY V.I.P シャンパンゴールドに染まれ」とか平気で歌う。
重:ゲス岡クソガ毅。特色はないのに説得力はあるセンター。
神:タカヒサマスダみが半端ないオシャレ番長。スキルはピカイチ。よく韓流みたいな髪色に挑戦する。
流:顔が美しいバカ。バカで天然。右手と左手が連動する。
望:ビックベイビー。加藤シゲアキっぽい顔だが甘いセリフを言う能力に関しては完全に彼を凌駕した才能を発揮する。濱田さんを見るとじゃれつかずにはいられない病に罹っている。


以上!
下半期に私の印象がどれくらい変わってるか楽しみ〜

NEWS担年齢分布アンケート〜4700人にきいてみた〜


・はじめに
NEWSにCMのお仕事が来た。やばい。超かわいい。犬と戯れる加藤さん、水の滴る手越さん、もぐもぐ顔を披露する小山さん、天使の寝顔で微笑む増田さん……。やばい。どストライク。

元気になローソン♪以来のこの姿*1*2、しかもツボをつきまくりのこの映像、高まらないわけがない。


そう、わけはなかった。のだが。


勇んでニッセンのサイトを開いて、一瞬のち固まった。
欲しいものが、あんまり、ない。しかもなんか、思ったより、高い。
モデルさんもなんとなく自分より大分年上なような……?あれ?これ割とお姉SUMMER向け……?
誤解を恐れずに率直な第一印象を述べると、「ニッセンのメインターゲット=30代〜40代っぽいな」「なんなら主婦層が1番の顧客っぽい?」と感じた。普段Twitterをやっている限りでは、NEWSファンの年齢層は25〜32,3歳くらい(NEWSよりちょっと年下〜同年代くらい)が最大手だとぼんやり思っていたので少し意外だった。

本当はNEWSファンはこのくらいの30〜40代が1番多いのだろうか?それとも、それくらいの年齢のファンを新規獲得する狙いがあるのだろうか?

という疑問が今回のアンケートを実施してみたきっかけである。(ちなみに、後述するがニッセンのメインターゲット層は私の第一印象よりは低いか、あるいは広いと思う)


・アンケートの方法と結果
Twitterのアンケート機能を利用して実施
▽期間は2016年1月7日12時35分〜の24時間。
▽①〜22歳 ②23〜27歳 ③28〜34歳 ④35歳〜 の4択。
▽最終投票数は4760票。
あわよくば1600票くらい集めたいなあという軽い気持ちで行ったアンケートでしたが、欲張って1600のはずがその3倍近い人数の方に投票していただきました。ご協力してくださった皆さまありがとうございました。

まぁそんな感じでとりあえず結果です。はいどーん。

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NEWS担わっっか!!!

PCからだと見辛いかもしれないので一応文字でも書いておきます。

①〜22歳 :57%(約2713人)
②23〜27歳:20%(約952人)
③28〜34歳:12%(約571人)
④35歳〜 :10%(約476人)

わ、わかーーーい……!!!!
②③がNEWS担のメインだと思っていたのですが、なんと合わせても①に届かないという驚きの結果に。私が今まで感じていた印象はなんだったの。。


・補足説明
今回のアンケート、選択肢の年齢の分け方がやたらでたらめに見えるかもしれないが一応多少は考えた結果この4択にしている。
①〜22歳=学生
②23〜27歳=NEWSより年下の社会人
③28〜34歳=NEWSと同年代の社会人
④35歳〜=NEWSより年上の社会人
という想定で分けたため切れ目が一見意味不明になってしまった。最初は単純に10代/20代前半/20代後半/30代〜にしようかと思ったのだが、どうにか4択で経済力や趣味嗜好などに沿った分け方が出来ないかと頭をひねった結果こうなった。あと30代前半と後半をどうにか分けたかった。〜22歳だと社会人も一定数含まれてしまうので厳密には学生世代とは言えないがそこら辺は目をつぶってほしい。
投稿時間は、昼ごはんの時間なら世代に関係なくTwitterを見てる人が多いのではないかと思い12時半頃にしてみた。まぁ何時にしようが大した変化はなかったような気もする。30分足らずで200超の投票数に届いたのだが、そこから最後まで割合はほとんど変化せず最終結果もほぼそのままの分布になった。
RTで感想を述べている方が時々見受けられましたが、ほぼ一様に「こんなに若いのは予想外……!!」と仰っていました。同感です。

それと、「新規かどうかを知りたいのに年齢を聞いてどうするのか、〜22歳だからといって新規というわけではないしアンケートの趣旨がよく分からない」と仰っている方がいたのですが、私の意図は「現在のNEWS担の年齢分布を知ること」そして「NEWSが狙い撃ちしているように見えるやや年上世代が『現にNEWS担の中で大手』なのか『現在NEWS担の中で少ない層』なのか知ること」でした。年上層が多いなら今回のタイアップは現状抱えているファンへのニッセン製品購買意欲促進、少ないならば年上層を取り込むことを狙ってNEWSとニッセン双方が顧客を共有しようとしている、と言えるのではないか?との仮説に基づいています。
ただ、私自身の統計やマーケティングに関する知識は皆無に近いため、たとえ今回のアンケートが満足に現実を反映出来ていたとしてもこれらの仮説が全くの的外れである可能性が大いにあることにご留意いただければと思います。

 

・この結果が信じるに値する理由及び信じるに値しない理由
+4760票という数。今回年齢分布を調べようとしたNEWS担という集団全体の人数は、おそらく多くても10万〜15万程度だと見積もっている。推測の根拠はファンクラブの会員数や直近のCDの売上など。10万程度の規模の集団の場合、1000ちょいのサンプルを集めることが出来れば誤差±3%の結果を出すことができるので*3、4700超のサンプル数は十分信ずるに値すると言える。

-おそらくサンプルの無作為抽出が出来ていない。これが最大のネック。理由はいくつかあるのでとりあえず箇条書き。
①世代によりTwitter利用率に差があるはず。全然ちゃんと調べてなくて申し訳ないのだが、これはほぼ間違いないと思う。高校生、大学生の場合はTwitterをやっていない人の方が珍しいくらいだが、今回のアンケートでいう③や④に該当する方はおそらくそれよりは低い利用率なのではないか。『Twitter上にいるNEWS担』から無作為にサンプルを抽出出来ても、そもそもの利用率に差があるならば誤差が生じるのは必須である。
②回答率にも世代により差があることが予想される。そもそもこれは単なる一NEWSファン、単なる一Twitterユーザーの『私』がとりおこなったアンケートである。こういうファン発信の限りなく私的なイベントにノってくれる人の割合は、おそらく若い世代ほど高まる。友達集めタグによる日常的な軽い気持ちでのRTや、誕生日ぴったりでとめてね企画などの様子を見ても、若い人の方が圧倒的に『アンケートを見た人のうちの投票してくれた人の割合』は高いと思われる。
③リツイートという仕組みの特性。リツイートとは、『人のツイートを自分のTL上で共有し、フォロワーに見せる』という機能だ。その仕組みの特性上、RTは広まる集団にはかなりの勢いで広まるがその導火線となるユーザーがいない集団にはほとんど広がらない。今回500を超えるRTをしていただいたのだが、おそらく若年層ほどアンケートが届いている率が高く、大人になればなるほど届いている率は低かったであろうことが予想される。

Twitterアンケートの手軽さ。特に何かにログインする必要もなく、自分の個人情報やどれに投票したかが誰かにバレる可能性もなく、しかも選択式。アンケートに回答しようと思ってもらえさえすれば投票のハードルは高くなかったはずである。

-各選択肢ごとに対象年齢の幅に差がある。①はおそらく7〜8歳、②は5歳、③は7歳、④も7〜8歳くらいの幅の方々が投票したと思われる。特にそれなりの人数がいると考えられる②が20%という意外と低い数字になったのはこのせいもあると考えられる。


以上を踏まえて考えるに、おそらくこの結果をそのまま信じることは到底出来ない。しかし、では無視できるレベルのお遊びだったかというとそこまで無力でもなかったのではないかと思う。個人的には、様々なバイアスを考慮しあれこれ差っ引いても、NEWSファンのうち30〜45%程度は22歳以下と考えていいのではないか?という結論を下した。この結果をどう解釈するかは自由ですが、とりあえず私はそういう体で話を進めます。


・アンケート結果のへなちょこ分析
2017年には全員が三十路に到達するNEWSだが、どうやらファンの3〜4割は学生世代であるらしい。この結果について考えてみると、ニッセンCMというタイアップは極めて理にかなった戦略なのではないかと思う。年齢の若さは、ほぼイコールで購買力の弱さを意味する。特に中高生と25〜35歳世代とでは、おそらく絶望的に経済力に差がある。加えて、NEWSは既にジャニーズ事務所の中では中堅層だ。近年デビューした若手グループとファンを食い合わないためにも少し上へとファン層をスライドさせたいのではないかと思った。
もちろんニッセン側もリターンを求めてNEWSを起用しているわけだから、NEWSを知っている・いないに関わらずニッセンのターゲット層への訴求力があると判断してもらえたからこそ今回グループでのCMを獲得出来たのだろう。ということはつまりニッセンを説得できるだけの『NEWS、おたくのターゲット層に刺さります!』っていう証拠があったのではないかと思うので、NEWSと同年代のファンがそんなめちゃくちゃ少ないということはない……と、思う。多分。
ちなみにLOVEコーデを拝見した結果、「あれ?ニッセンそこそこ若い世代向けかも?」とも思ったのだが、高級路線に切り替えようとしているらしいことが窺えたのでGRLやGU、shoplistがライバルということは多分ない。少なくとも中高生向けではないと思われるし若い世代(20代)に対しても、プチプラ路線よりは高級路線で売り込んでいきたがっているようにみえる。
もしも万が一、億が一アンケート通りに学生世代が半分以上なのだとしたらまじで死ぬ気で新規開拓しないと多分今後も干され期がちょいちょい訪れる。多分ないと思うけど断言は出来ない。

 

・NEWS担の若さについて2つ
①NEWS担若い!とか、新規多い!?という声が散見されたが、〜22歳という年齢設定は別に新規ファンをくくり出せるような区分けではない。実体験を踏まえ、大体13〜14歳だったら十分にジャニオタデビューの可能性があるのではないかと思うのだが、2010年(6人NEWSが活動していた事実上最後の年)に14歳だった人は今まだ20歳だ。22歳以下であることと新規か否かとはあまり関係ないのではないだろうか。何せ自分が22歳以下の新規ではないファンなので尚更そう思う。とここまで書いて思ったが、2011年の脱退以後にファンになった人もそろそろ『新規』ファンではなくなっている気がしてきた。

②「NEWSとKAT-TUNはほぼ同期なのにファンの年齢層が意外と違うんだな〜」という感想も幾つか見掛けた。これに関しては、今私の中で「KAT-TUNも同じようにアンケート取ったら案外同じような結果になるのでは……??」という疑念が渦巻いている。真相を確かめられる日が来るか不明なのが大変残念だ。下手したらJUMP担アンケートとっても同じ結果になる可能性もあるような気がする。こちらも確かめようがないのが非常に残念だが、もしそうなったら逆にTwitterに生息するジャニオタの統計になるのでは……!?とちょっとわくわくする。重ねていうが実現の機会はない。


・最後に
今回珍しくポエム成分が少ない記事を書いてみたがめちゃめちゃ疲れた。いつもなんか分析してる人すごい。向いてねえわーと思ったので次からはまた語りたがりに戻ろうと思う。
今回のアンケートで残念だったのは、中高生と大学生を分けられなかったことだ。ここをわけていたらどれくらいの比率になっていたのか気になる。あと、2011年以後のファンもそろそろ『新規』ではなくなってきているのでは、と書いたが、私の中に「4人になってからの新規ファン=何よりも雄弁な4人の努力の証」という意識があるためついつい新規と呼んでしまう面も多分にある。申し訳ない。
1月はもうブログを書けないかもしれないのでとりあえず新年のご挨拶。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

*1:ローソンの時はコヤシゲテゴマスでのCMだったため、グループ全体でのCMとしてはこれより更に久しぶりである。

*2:走魂内で流れてたCMの印象が強すぎて忘れてたけどローソン6人だった。そういえば無人島行ってたね…

*3:計算する能力はないのでこの数字はネットで拾ってきたものです

『星』に手が届くまで――舞台『TRUMP』および『リリウム』感想

フォロワーさんがあまりにも熱烈にダイレクトマーケティングを展開していてつい興味をそそられたので、舞台『TRUMP』を観に行ってきた。舞台をまともに見るのは初めてだったのだがとてつもなく面白かった。「満足できなかったらお金返すから観て!!!」とまで言わせるだけのことはあるな……!?と感激しきりである。そして勢いのままにシリーズ作である舞台『少女純潔歌劇リリウム』のDVDを購入しそちらも観た。冷めやらぬ興奮のままに感想を書いておく。って言ってももうTRUMPからは1週間経っちゃったけど!多分すでにそれなりに忘れてるけど!!って言ってるうちに1か月近く経った。すでに記憶がおぼろげです。

 

 

というわけで『TRUMP』および『リリウム』の感想です。考察というほどのレベルではありません。そしてがっつりネタバレします。ご注意を。

 

 

TRUMPについてはAsk.fmでも軽くお話したのでそれと結構かぶってますがとりあえず全部書きます~。

 

 

・『TRUMP』感想

冒頭でも述べた通り、舞台を見るのは初めてだった*1。しかも若手俳優の舞台。予習ゼロ、ストーリーの知識皆無、キャストの顔と名前は誰一人わからないという結構アレなコンディション。その上4泊6日の海外旅行から帰ってきたその足で成田から六本木直行で、さらに海外で田口くんの脱退報道を聞きHP削られまくり――というフルコンボにもほどがあるやろ状態。なんなら開演直前までブログ書いてた。(2個前の記事『君が幸せでありますように/君の幸せでありますように』) 該当記事をさらっとななめ読みすればわかるが結構なお葬式気分。ていうかもう正直言って入場時点ではチケットとったの後悔してた。だってこんな気分で楽しめる気しない……。

 

何はともあれ幕が上がってみると、ダイマ(※ダイレクトマーケティング)通りの厨二チックな世界観。と思いきや、ティーチャーグスタフとやらが「今日も髪立ってるぜぇ~~!!!」とかいいながら出てきて突然のロックなショーマストゴーオン。誰だお前は。そしてなんだこのテンションは。なんだろう、たとえて言うなら週刊少年ジャンプギャグマンガとして始まった作品の1~5巻くらいの感じ。あるじゃないですか、ギャグで始まってシリアスになだれ込むジャンプあるある。まんまあれ。ギャグシーンはリボーンの3巻でシリアスシーンは30巻台、みたいな。ヴァンプたちのイニシアチブの説明シーンのBLっぽいくだりとか、ギャグを披露するとこ、あとは歌の授業のソロ歌唱のところなんかは周りから黄色い悲鳴とか断末魔の声とかそれなりに聞こえて(あっ畑違うわ、、、)って思いました。あの辺はやっぱりキャスト本人のことを知ってるかどうかで面白さがけっこう変わる気がする。

まあそんな感じで、TRUMPという作品が本来持つ力のうちの「非・お笑い」な部分しか受容できなかったな~と思います。体感で多分6~7割くらいかなあ受け止められたの。っていう、120%を咀嚼できなかったであろうことを踏まえてもなおとても面白かった。観に行ってよかったです。観てる間だけ田口くんのことも忘れられたし。観劇してる間にTwitterの通知欄爆発して劇場出た瞬間全部思い出したけどそれはまあ置いといて。

 

 

 

『TRUMP』単体の感想を端的に述べると「舞台すげえ!!!!」です。これに尽きる。舞台の上っていう限りなく狭い空間で、ドラマや映画のようにあちこちでロケをすることも天気や背景を合成したり操作したりすることもできない。この不自由な表現形態だからこそできるトリック(?)だと思う。もちろん、照明や音響、ある程度の舞台装置とかはあったけど、それでも観客の想像力で補完しなければならないところがとても多い。それはたとえば雨が降っていることだったり、星がきれいなことだったり、そこが屋内なのか屋外なのかとか、廊下なのか地下なのか、現在なのか4500年前なのか、そういうのを全部観る人の脳内で補わなくてはならない。その不完全さを生かし切っているように感じられて最高にゾクゾクした。だって、舞台じゃなかったら100年のズレがある場面を同じセットで演じてそれが同時点の出来事であるかのように見せかけることなんてできない。しかもこの作品では、4600年前に火事が起きて城が焼けている。かなり最初のギャグ比重の重いとこで、「100年前に起きた火事でこの古城もボロがきてる」というセリフがあった*2。その「100年前(観客から見た4600年前)の火事が起こるまでの回想」が実は「今(4500年前)」と同時に展開されていて、観客の脳内補完としてはアレン、クラウス、ピエトロのシーンでは古城、ソフィ、ウルetc…のシーンでは焼け落ちた古城を思い浮かべなきゃいけないんだけど初見でそれができる人多分誰もいない。普通に同じ城だと思ってたわ。

違和感がなかったわけじゃない。話のつなぎがやたら不明瞭だなーとは流石に思っていた。ソフィ&ウルパートと、アレン&ピエトロ・クラウスパートのぶつ切り感は特に隠されてなかったとも思う。ストーリーの構築の仕方がやたらガッタガタで話の筋が見えにくいなあ~と初見はみんな思うんじゃないだろうか。特に顕著だったのがソフィ・ウルとアレン・ピエトロの間に一切の絡みがないこと。絡みがないだけならまだいいんだけど、まるでお互い知らないみたいな振る舞いだった。まあ知らないみたいっていうか知らないんだから「みたい」もくそもない。この2つの主要そうなパートが待てど暮らせど関連づく様子がない。話の筋isどこ。

でもまさか100年のズレがあるとは思わなかった。だってクラウスは一貫して「アレン」を探してるし、何よりクラウスはソフィたちともアレンたちとも会話してる。「アレンを探し回るクラウス」がどちらの時代にもいるから、なんとなくあるいろんな違和感を「演劇観るモード」に入った脳がなんとなくなんとなく処理してくれちゃう。一番「あれ??」と思ったのはかなり後半、クランフェスのところ。度々人里に下りてはメリーベルと逢引きを繰り返していたアレンがヴァンプ狩りの標的になり、瀕死の重傷でクランの懲罰房に入れられる。メリーベルの元に行きたいとうわごとのように言うアレンの元に迫る人間たちの魔の手、叫ぶピエトロ、上がる火の手――。

で、だよ。その頃ソフィたちは何をしてるのかというと、なんと剣術の試合してる。いや試合どころじゃないだろ地下に人間きてますけど!?何のんきに模擬戦してんの!?って思ってたらまさか!!という。

ティーチャーミケランジェロが「あらアレンったらまた逃げてたのね~」と猫を抱き上げた瞬間、積み重なっていた違和感が全て綺麗に繋がって一瞬息がとまった。ソフィパートとアレンパートにつながりがなく断絶感が強い分、無意識にフラストレーションがたまっていたのだと思う。わからない、どういうことだろう、みえない、が全部一気に解消された。あの感覚って何て名前なんですかね。誰か教えてください。

ウルがダンピールなんだろうな~というのは薄々気づいていたのでそこまでの驚きはなかった。しかし、ダンピールは短命で繭期を越せない者も多い、ウルはそんな種であるダンピールなのだ、という2つの設定は、絶望の連鎖・輪廻としてのTRUMPシリーズを考えると極めて重要だったのではないかと思う。

 

アイドルと星のたとえ話が大好きなので、「不思議ちゃんアレンが『星に手が届きそうだよ』と空に手を伸ばす」→「『星には届かなかったよ』と死ぬ」→「『星に手が届いた』と言いながらソフィをかき抱き永遠の命を与えるクラウス」→「『死に手が届くまで』と言いながら空に手を伸ばすソフィ」という一連の流れに最高にゾクゾクさせられた。観ているときはただの興奮だった。かみ砕いて考えを巡らせる余裕ができた今、『星』について考えてみるとますます絶望が増す。観ているときは、一般に希望の象徴として使われる星がソフィにとっては死になってしまったこと、ソフィは死という希望を追い求めなくてはいけなくなってしまったことがとても皮肉な悲劇だと思った。しかし、よく考えてみるとおそらくはここで言う『星』はただの希望ではないのではないだろうか。確かに一貫して希望の象徴として描かれてはいるが、ただの希望ではなく『到底手の届かない希望』こそが『星』なのではないかと思う。劇中で自分の『星』を手に入れることができたのはクラウスだけだったが、あれは正攻法ではない。正攻法ではないし、もっと言えば本当の本当に欲しかったものを手に入れられたわけではない。クラウスが求めていたのは『永劫の時を共に生きる友人(?)としてのアレン』だが、ソフィはもちろんアレンではないし(アレンの血をひいてはいるがアレンとは別の個人であることは明らかだし見た目はどちらかと言うとメリーベル)、クラウスと共に生きることも選ばない。おそらく、星を比喩として使用するにあたって『手が届かない』というのはなかなかに重要なポイントだ。

 

話をウルとソフィに戻そう。作中、うわごとのように死を恐れるウルの姿が執拗に描かれる。繭期を越せる見込みがなさそうなウルは、ダンピールであることを恥じないソフィに憧れ、死を恐れ死にたくないと叫び、TRUMPになることを望む。ウルにとっての『星』はTRUMPになること、つまりは『生きること』だ。けれどその望みは叶わない。ウルは、不老不死となったソフィの腕の中で「生まれかわったら君になりたい」と言いながら息絶える。そして実際にウルとソフィは互いが互いに生まれ変わり輪廻を繰り返す――という裏設定がTRUMPには存在する。TRUTH公演(私が観たのはこれ)と主要キャストを反転したREVERSE公演を繰り返すことで輪廻を演出しているらしい。それを示すのがウルの今際の際の台詞ということになっている。

ソフィは生まれ変わったらウルになり、ウルは生まれ変わったらソフィになる。これをごく単純に解釈すると、ソフィとウルは同じ輪廻の輪の中をぐるぐる回り続けているようにみえる。しかし、TRUMP世界においてそのように小さな輪廻の輪はおそらく成立しない。なぜなら、不老不死が存在するため設定上物語世界の時間は永遠に続くからだ。『輪廻転生』と『永遠の命』は明らかに組み合わさりがたい概念だ。しかも生まれ変わりの片割れであるソフィが永劫の時を彷徨う、というのが主要な筋の1つでさえある。これを考慮すると、ここで言う生まれ変わりは循環し続ける輪というよりは分岐し続ける世界線に近いのではないか。ウルの台詞によりお互いの魂が入れ替わって『ウル』と『ソフィ』が誕生する世界線が発生し、その世界でもまた同じことが繰り返され望まぬ死と望まぬ生(不死)が与えられ永遠に世界が続いていく――

ウルとソフィは、何度も何度も世界の分岐を繰り返し互いを大事に思い大きな望みを抱いて、そして、今まで発生したすべての世界線で絶望を味わっている。2人の魂は何度も何度も何度も何度も生を望んでは潰え死を望んでは潰え、無数の世界線を漂い彷徨っているのではないだろうか、という想像に辿りついたとき本当にぞっとした。どちらを望んでも絶対に掴めない。何度も何度も何度も何度も何度も何度も絶望だけを繰り返し、永遠に『星』には届かない。こいつら繭期のヴァンプじゃなくて思春期の少女だったらまどか*3なんか目じゃないくらいの魔法少女になれるのでは……?キュゥべえ、ここにすごい逸材がいるからとりあえずまどかはあきらめてスカウトしてみたらいいと思うよ……??

この脚本考えた人まじ精神歪んでんだろ、と思ってたらまさかの脚本書いた人キャストもやってたっていう衝撃の事実。しかもウルの父親役。ウルの生みの親ってもはや苦しめてる張本人じゃん。それが父親って。

 

 

 

・『リリウム』感想

「舞台すげえ!!!!」となった観劇後、わりと速攻で『リリウム』のDVDを購入した。そして『四銃士』観る前にこっちを見た。我ながら心囚われすぎてて笑う。

こちらも端的に感想を述べますと、「『TRUMP』観る前に観たかった!!けど『TRUMP』観てから観れてよかった!!!!けど!!!!」です。あと絶望を共有したすぎて観て速攻人に貸してしまったので1回しか見てません。

 

こちらは『TRUMP』と違って若干キャストを知っている状態。最後まで誰だかわからなかったのは、紫蘭(福田花音)、ナスターシャム(勝田里奈)、キャメリア(中西香菜)の3人。スマイレージ時代に全員の顔と名前を一致させたつもりでいたけどタケちゃんさんとあやちょさんとめいめいさんしかわかりませんでした。反省。やっぱ知ってると違うわーと思えたのは、繭期の説明シーンなど『TRUMP』と同じく『リリウム』でもギャグパートになっている部分だ。なにせキャストを知っているから楽しい。後ろで役を忘れてきゃはきゃは笑うマーガレット(佐藤優樹)がめっちゃかわいいー、とか、滑るチェリー(石田亜佑美)がかわいいーとかそういうのが分かると楽しさ3割増しだなあと思う。

前情報はなんにも仕入れず観たので、時間軸的にどこにあたる物語なのかすらわからず、途中まで「もしかしてこの中にアレンの母親でもいるのか?」とか思ってたんですけど、まさかね、まさか。ファルスお前がソフィかよ!!!!

一番の絶望は、この事実により『絶望の連鎖』があらわになったことだ。『TRUMP』ではあれほど不老不死を拒んだソフィが、3000年の時を1人で生きる中他人を思いやることが出来なくなってしまったこと、そしてそれにより殺したいほど憎いはずのクラウスと同じことを繰り返していることがわれわれには見えるから絶望する。ただの絶望ではなく、これが繰り返された絶望だということが分かってしまう。そしてだからこそこれからも繰り返されるのではないかと思ってしまう。実際、ファルスの作り上げた『永遠の繭期』の中で生き続けることを拒み集団自決に走ったリリーは、絶望の蘇生ののち「みんな、起きて」と叫ぶ。リリーの中にも「ひとりで生きたくない」「一人ぼっちで永遠に生きるなんて嫌だ」という気持ちがある、もしくは今後芽生えるであろうことが分かる。そして、その気持ちはきっといつか「だから誰かに一緒に『永遠』という牢獄に入ってほしい」へと変貌する。

 

そして『TRUMP』を観劇した者だけがあの瞬間に味わえる絶望のような悲しみのような何か。

「この薬の名前は、『ウル』さ」

一体どんな気持ちで救えなかった友人の名前を付けたのだろう。「俺は君で、君は俺」だから自分の血にその名前を付けたのか。それとも、あの時これがあれば彼を救えたのにという思いからだろうか。どんな気持ちからだとしても、そこにウルへの何かしらの思慕があることだけは疑いようがないと思う。ファルスになったソフィもウルを忘れていない。ウルとの間に起きたこと、あのクランで自分を巻き込んだ運命、そういうものを忘れたわけではないのに、それでもファルスはあのサナトリウムを作りたい欲求に抗うことが出来なかった。って考えると、どんな暮らしをしてきて、どんな平穏とどんな失望を送ってきたのかなあと思ってしまう。

『TRUMP』観劇後からずっと気になってたんだけど、クラウスは結局ソフィを置いてどこかへ行ってしまう。不老不死にするだけして、共に生きることを選ばない。じゃあソフィが不老不死になった意味ってなんだろう。ソフィの苦しみは何のためなんだろう。それがどれほど救えないことか、その虚しさを否応なく思い知らされてるソフィが、結局はリリーに同じことをしてしまうというのもやりきれない。

ソフィは、多少のズレはあるものの自分がクラウスにされたことをなぞってリリーにほぼ同じ仕打ちをする。『TRUMP』のみを観劇した時点では、ソフィは『巻き込まれた哀れな主人公』でクラウスは『身勝手な欲望を抑えられなかった諸悪の根源』だった。しかし『リリウム』を観ることで、その印象は変わる。ソフィは、絶望の連鎖の中の1つのコマへと変わり、与えられた分の絶望を誰かに受け渡してしまう。だったらクラウスがソフィにもたらした絶望も、いつか誰かに押しつけられたものだったのかもしれない。そして、『リリウム』中では『TRUMP』のソフィと同じく『巻き込まれただけの主人公』を完遂したリリーもゆくゆくは誰かに絶望を受け渡してしまうのかもしれない。

 

『リリウム』のすごいなあと思ったところは、『TRUMP』を観なくても全然大丈夫だったところだ。ソフィが誰なのか、ウルとは何なのか全くわからなくても十分に謎があり、十分に迫力満点の展開であり、何の不満もなくストーリーに納得できる。でも、観ていると全然違う。特に大きいなと思ったのは、おそらくリリーはファルスに殺してもらうことはできないであろうことだ。『リリウム』だけを観劇した人は、おそらくファルスのことをTRUMPだと考えるだろう。しかし本当はファルスはTRUMP=True of Vampではない。ただ不死なだけのヴァンプだ。ソフィはクラウスにイニシアチブを掌握されているから、クラウスならソフィを殺すことが出来る。クラウスならソフィに『星』を贈ることが出来る。しかし、ファルスはリリーのイニシアチブをおそらくは既に失っている。リリーがソフィと同じく死を望んだとして、そのための彷徨の末ファルスに再び廻り逢っても彼はリリーの『星』を掴んではくれない。

私の記憶が正しければ、一度発生したイニシアチブは死ぬまで消えないという設定があったような気がする。これはおそらくヴァンプの中では当然の常識であるはずだ。でも、多分ファルスとリリーのイニシアチブは同化してしまっていて、この2人はお互いにお互いをどうにもできないのではないか、と思う。

 

忘れることと忘れられること、そして忘れられないことの残酷さが三重奏で襲い掛かってきてやっぱりこの脚本書いた人精神歪んでるのでは…と思った(褒め言葉)

スノウは徐々にファルスのイニシアチブの影響を受けなくなり、自分たちが閉じこめられているサナトリウムの真実をおそらくほぼ知っている。それでもなお、死ぬのが怖くて一度はそれを受け入れた。イニシアチブの影響下にあるほかの少女たちに何度も存在を忘れられ、自分だけが一方的に思い出を紡いでいくのはどれほど寂しいことだろう。そうして結局は人とあまり関わりを持とうとしなくなったスノウにとって、生きることはどんな意味を持っていたのだろう。「私を忘れないで」と言いながら死んでいったシルベチカにしても、死に方を観る限り自分が存在したという記憶が今後どうなるか薄々はわかっていたのではないかと感じた。愛した恋人にさえ自分を忘れられるとわかっていてもなお受け入れられないくらい、彼女にとって『永遠』の檻は苦痛なものだったのだろうか。

キャメリアとリリー。何か大切なことを忘れている、忘れているのはわかるのに何を忘れているのか思い出せない。私は覚えているのに周りは誰も知らない。本当は『覚えている』んじゃなくて『夢でも見ていた』だけなのかもしれない。ただでさえ不安定な繭期の少年少女にとって、自分の記憶さえ信じられないというのは相当な精神的負荷なのではないかと思うのだがどうなのだろう。

そして何よりもファルスだ。自分だけが覚えているたくさんのこと。自分だけが生きてきた時間が違うこと。自分だけの、自分だけで、自分だけが…本当にサナトリウムでの時間はファルスにとって幸せだったのだろうか。『永遠』にここにいたいと思うくらい幸せだったのだろうか。それを考えると、このサナトリウムにたどり着くまでにソフィが過ごした時はきっととてつもない孤独に満ちていたのであろうことが窺える。誰かと話して、軽口叩いて退屈だなあってうんざりして、そんな暮らしをソフィが味わうことはもう二度とできない。サナトリウムでの時間なんて嘘ばっかりだし、自我は奪ってないと言っても何度も何度も記憶を消してあれこれリセットして、って繰り返してそれを800年も続けたら普通は飽きる。脆くて嘘だらけで自分だけが異質で、そんな出来の悪い偽物でも愛してしまうくらいソフィは切羽詰まっていたんだなあと思うと、なんだか憎めなくてもっとうまいやり方あったでしょって叱ってあげたくて。しかもその始まりがただ遠い祖先にある少年がいただけ、というのがますますやりきれない。別にソフィの父親でも息子でも孫でもひいじいさんでも、誰だってよかった。クラウスにとってはアレンの血さえひいていれば誰だってよかったのに、そんな理由で背負わされるにしてはソフィの運命はあまりにも過酷だ。

 

ここからしばらくただただキャストを褒めるのだが、ファルスの前にまずはスノウから。

この舞台の中で一番清涼感があって、“静”の存在感に満ち溢れていた。人と関わらず、シルベチカを探すリリーにも意味ありげなことしか言わず、裏には長い絶望と苦悩がある。その末の静けさに和田彩花さんがとても似合っていたと思う。何より声がいい。なにせキャストが全員ハロプロなので大体みんなハロプロっぽい歌い方なのだが、スノウだけはあの歌い方は似合わなかったと思う。儚くて細くてなめらかでしなやかで、あの舞台にいた人の中で和田さんが一番スノウらしい声をしていた。お姫様みたいだった。

スノウと並ぶ主人公、リリー。物語のクライマックスに差し掛かるまで、出番こそ多いがほぼ自我がないようなものなので感情移入して憑依して演じるのはとても難しい役なのではないかと思う。だからこそ憑依に頼らず演じる必要があったと思うのだけれど、鞘師さんはこの触媒のような主人公にとてもあっていたと思う。そこからの後半の怒涛の歌唱。力強さ。でもそれはどこか身勝手で、必ずしも正しいわけではない。「まっすぐな心で『運命』に抗おうとするリリー」がまっすぐまっすぐ演じられるのが余計に怖さをそそる。ここからリリーもまた誰かにとっての過酷な『運命』になってしまう日が来るのかなあと思うとなんかもう本当につらさが半端ない。語彙力を失うレベル。ほんとうにつらい。語彙力死んだ。

「私は実力者です!」っていうのがものすごい勢いで伝わってきたのはやっぱりマリーゴールド。表情、迫力、鬼気迫る雰囲気、すべてが圧巻だった。コメディ担当ではないものの、主要な登場人物に含めていいかと言うとちょっと首を傾げてしまう。主人公かと言われると決してそうではない。けれど、“動”の存在感という意味では間違いなく彼女が群を抜いていた。一番強烈な光を放っていた。彼女の舞台はこのDVD一枚きりしか観たことがないのだけれど、先日の卒業発表を聞いて「ああ、やっぱりなあ」と思ってしまうくらい、きっとこの子は舞台の上で生きていくために生まれてきたんだと思ってしまうくらいすさまじかった。アイドルとしての彼女もきっとすごいのだろうと思う。きっとすごく可愛くてとてもかっこよくてたくさん愛されていて、それを知っていてなお「がんばって、ここで生きて!」と叫びたくなるくらいすごいのだ。本当に、どうか頑張ってほしい。

そしてファルス、工藤遥さん。最初の軽薄で女の子大好きな男子生徒から、後半まさかの黒幕へ。キャメリアが戸惑い悩む思春期の少年役だったのに対して、ファルスはもっと強くて狡猾で男らしい。そして少年であって少年ではない、老人だ。私が初めて見つけた時はおかっぱ頭でランドセルをしょった写真が公式で売られていたようなあのかわいい女の子がこんな狂気に満ちた男の役を演じているなんて、ビー玉だと思って拾い上げたら手榴弾だったみたいな衝撃だ。『リリウム』単体としての主役はリリーとスノウなのだろう。けれど、裏の主人公はソフィだ。そして、いつかソフィになるリリーだ。心がまだあるけれど身勝手さに支配されて、あの時のソフィのままだけどどこか狂ってしまっている、そんな役を演じるのはどれほど難しいことか。さらに、『リリウム』は『TRUMP』のメインパート(4600~4500年前)と冒頭部分(今)の間に挿入される物語だ。だからファルスは、ちゃんとソフィと繋がっていなくてはいけない。既にちゃんとした男性が演じている男性キャラをあの年ごろの女の子が演じる、っていうそれだけでもプレッシャーは大きいだろうに寄りにもよってファルスだ。でもとてもよかった。少なくとも私の目には文句なしに少年に見えた。あのハスキーボイスが演技仕事の世界(舞台でもテレビでも映画でも)でどういう評価を受けるものなのか私にはわからないけれど、今後も彼女に演技をする仕事を色々してほしい。もっとたくさんこの子の演技が観たい。狂気、不安、渇望、執着、そういう3000年生きたものにしか味わえない様々の感情が、ファルスの演技にはちゃんとこもっているように感じられた。

 

 

 

・感想とかいろいろ

『リリウム』まで観たあとにネットでちょろちょろ考察を漁っていたら、「クラウスがアレンにあれほどの執着を見せたことから考えて、クラウスは実は女なのではないか、そして『リリウム』のサナトリウムに実はクラウスはいたのでは」と言っている人がいた。いやーそれは違くない?と私は思うのだがどうなんだろうか。それに関連して、作り手は「ここまでは『そういうもの』として受け入れてね」ってラインをどうやってどこまで観客に知らせるべきなのかなあということをぼんやり考えている。

私はクラウスのアレンへの執着を、よくわからないけど成人男性が青少年に剥けるめっちゃ重くてめっちゃ強くてめっちゃすごい感情なんだなーとあっさり飲み込んだので、どこまでを伏線(の可能性がある表現)扱いするかって難しいなあと思う。でも、クラウスのアレンへの想いには確かにほんのり違和感がある。『TRUMP』『リリウム』2作まとめると、程度の甚だしく強いだろうと思われる関係は複数ある。ウル⇔ソフィ、アンジェリコラファエロ、クラウス→アレン、アレン⇔メリーベル、クラウス→ソフィ。リリー→シルベチカ、マリーゴールド→リリー、キャメリア⇔シルベチカ、リリー⇔スノウ、ファルス→リリー&スノウなどがぱっと思いつく。この中で、クラウス→アレンだけ、なんとなく異質なのだ。なんだろう、あんまりうまい言葉が見つからないけれど、「なんでそんなに好きなの?」ってつい思ってしまう。

家柄のこと、将来のこと、自分との実力差などがぐちゃぐちゃになって、名前をつけがたいラファエロへの気持ちを募らせるアンジェリコ。彼はある意味とても分かりやすい。勝ちたい、勝たなきゃ、勝てない、並びたい、一緒に。一緒に同じくらい輝きたい、って気持ちはとても想像しやすい。その果てにラファエロを殺そうとしたのにクラウスに先んじて彼を殺されてしまい、灰になった『ラファエロだったもの』をみながら「あいつは僕が殺すはずだったんだ!僕が!僕が!この僕が!!殺したかった!!!!――違う、本当は、仲良くしたかった……」と崩れ落ちるアンジェリコはとても分かりやすい。わかりやすいという表現もどうかと思うが、脳が違和感を感じないのだ。純粋にラファエロとアンジェリコの感情の機微に集中できる。

マリーゴールドもそうだ。母親に忌み嫌われ、人とまともに触れ合ったことがなかったマリーゴールド。「リリーに出会って初めて私は生きることを知ったの」「リリーに会って初めて私は生まれたの」と歌う彼女にとって、リリーはそりゃあ大事な大事なかけがえのない存在だ。そこに性別は関係ない。

アレンは確かに特別だった。不思議ちゃんで、なんか変だし、「永遠なんていらないよ」とか普通に言ってのけちゃうし。でもやっぱり、何でそこまで?って思う。何千年も生きていて、ずっとクランで教師をやっていて、人なんて腐るほどであって飽きるほど別れてきたはずのクラウスにとって、アレンの何がそんなに特別だったんだろう。永遠に共に生きたいだなんて、何がクラウスをそこまでの境地に追い立てたんだろう。案外答えは簡単で、本当に連想させられる通りクラウスはアレンが好きだっただけなのかもしれない。ただ恋をしていただけなのかもしれない。もしもそうだとしたら、クラウスはなんて人間くさいんだろう。アレンの方が人間離れした価値観を持っていたとさえいえるかもしれない。誰よりも人から遠いところにいるくせに、人間みたいに簡単に恋に落ちるなんてそんなことあるんだろうか。

最後に。ダンピールについて私は勝手に

・ダンピール=思春期までは人と同じ

・というより、思春期までは人間とヴァンプに違いはほぼない

・繭期を境にヴァンプには人間と異なる種々の特徴が発現する

・一部のダンピールもヴァンプと同じく繭期が来る

・繭期がきても越えらえない(=死ぬ)ダンピールもいる

・越えることが出来たら性質的にはヴァンプと同じになる

と解釈してたんですけどどうなんでしょう。ソフィやマリーゴールドの言動からして、ダンピールには繭期が来る者と来ない者がいるんじゃないか、そして、繭期が来なかった者は人間と変わらないまま一生を終える。つまり、ダンピールは繭期さえ来なければ人間の中で人間と全く同じ生活を送れる(逆に言えばヴァンプにはなれないことになる)のかと思っていた。TRUMPシリーズにまだまだ未見の作品があるため怖くてネタバレやら脚本家の話やらをみていないので既にこの疑問は解決されていそうだけど。

それに付随して、ヴァンプと人間て種として非常に近いところにいるいきものなんだろうなと思う。そもそもヴァンプ狩りが始まったのも、人間がヴァンプの不死の力を羨んだからだっていう説明があったようななかったような。「羨んだから」っていうのが私の記憶違いじゃなければ、ヴァンプ狩りの究極目標は『人間も不死を手に入れること』だったことになるのでは?応用すれば人間にも不死をもたらせる(ほどに種として近い)、ってますます人間とヴァンプの関係が気になる。そもそもクラウスも人間だったとか?ヴァンプは突然変異や神のイタズラが生んだ人間の亜種ということもありうるなあと思う。ただ、「羨んで」ではなく「不死を恐れて」とかが狩りの理由だったような気もするので何とも言えない。

まあ何はともあれめちゃくちゃ楽しかった。すんごい頭使ったし、考えてないと死ぬ脳みそ露出思考マグロとして非常にいい経験でした。また舞台観に行けたらいいな。

 

 

そんなこんなで『TRUMP』『リリウム』をめちゃくちゃ楽しんだ私は、『リリウム』視聴のその日にはモーニング娘。’15のコンサートのチケット(これまた死ぬほど楽しかった。感想を書く余裕がないのが悔しい。))を手に入れていたのでしたとさ。~完~

*1:幼少期に定期的に舞台を観る会みたいなものに入会していたので厳密には初めてではないですが、大人向けのものを観るのは初めてでした。

*2:どうでもいいけど「ボロがきてる」って日本語初めて聞いた。「ガタがきてる」じゃないのかなw

*3:魔法少女まどか☆マギカ

僕の後ろに道はできる

何を書いてもなんだか違う気がして、自分の心を自分の言葉で掬いきれなくて、これ以上なにか書くことに意味があるのかよくわからない。けれど、Twitterで見かけたたくさんの言葉の中にすとんと胸に落ちたものが2つあった。少しだけ書く。
とても短いので前記事の追記でいいくらいなんだけど、その前記事自体がそこそこ長いので分けます。


『微量の恐怖』『漠然とした不安』


どちらも私の書いた『君が幸せでありますように/君の幸せでありますように』を読んだ方の感想だ。あ、そうか私怖いんだな、と気づいた。そうだ、怖い。だから申し訳ない。


赤西さんがいなくなったときはまだ大丈夫だった。だって彼は特別だったから。錦戸くんがいなくなったときも大丈夫だった。だって彼はいつかはどちらかを選ばなければならなかった。山下くんがいなくなったことは、いつの間にか大丈夫になった。たくさんの美しい思い出と優しい今が大丈夫にしてくれた。田中さんがいなくなったのも大丈夫だった。彼がいなくなったのは100%の彼の意志じゃなかったから。


アイドルでいるということが1つの選択肢に過ぎないこと。「アイドル」を乗せられる天秤が存在すること。天秤にかけた結果、アイドル以外の「何か」に傾く人もいること。
ああそうか、私は目の前で道が作られてゆくのを目の当たりにしている。存在しないでほしかった道。

2012年の関ジャニ∞のコンサートMCを思い出した。ずっと三馬鹿のエピソードとして話されてきた旅行の話、実はあれにはそれぞれの彼女も来ていて6人旅行でした、今までメンバーのエピソードとして話してきたことの幾つかは本当は彼女のことです、というあれだ。あの時1番嫌だったのは、これから先ジャニーズの他のエピソードに素直に萌えられるかわからない気がしたことだった。私が大好きなあの話、この話は本当はほかの人がいたかもしれない、大好きな発言や行動が本当は違う人のものかもしれない。そういう疑いを植え付けられたのが嫌だった。だって、横山さんや渋谷さん、村上さんがそれがそうしてたんだから、ほかの人だってそうしてるかもしれない。これからほかのジャニーズ達も「こう言ってるけどほんとはもしかして…」って思われることになる。「前列」という道をエイトが作ってしまった、それがいやだった。だって誰かに出来たなら、誰にでも出来るかもしれない――。

 

「出来事そのもの」じゃなくて、「こういうことが有り得る」っていう前列が怖かった。

 

赤西さんが通った道は獣道だと思っていた。邪道とかそういうことが言いたいんじゃなくて、赤西さんが自分自身で自分のためだけに開いた、彼にしか通れない道だと思っていた。だから山下くんがその道を通ったときびっくりした。通りたくても通れない特別な道だと思っていたから。

それは私にとって本人の希望とは関係ない問題だった。山下くんが通りたくてもその道は通れない、だからほかのやり方で自分の希望と向き合っていくんだと思っていた。

 

田口くんが今、目の前で道を切り拓いている。広くて通りやすい綺麗に舗装された道。今度こそ獣道じゃなくて、誰にでも通れそうだ。だから怖い。何か理由があるなら教えてほしい。その道を通るにはやっぱり特別な通行証が要るんだと言ってほしい。でもどうやらそうではないらしい。

いいことも悪いことも、1番最初が1番勇気がいる。何もないところに0から道を作るのはとても大変だ。次に誰かがキャスターになったら、櫻井さんと小山さんの努力を汚さないようにしなきゃいけない辛さはあるけど「ジャニーズにキャスター務まるわけねえだろ」って声は櫻井さんよりよほど少ないだろう。次に誰かが気象予報士の資格をとっても、「ジャニーズなのにこんな難関試験に合格するなんて信じられない!!!」って声は阿部くんや岸本くんより少ないだろう。次に誰かが、辞めたいと思った時…

 

微量の恐怖と漠然とした不安。言い得て妙だ。
田口くんの歩いてゆくのが本当に広くて綺麗で誰でも通れそうな道だとしても、どうか一つの足跡もつきませんように。もう誰もそれを通りませんように。

 

 

だけどねえ本当は、君にもそんな道を歩かないでほしかったんだ、あなたが見れなくなるのがいやなんだ。なんて言う資格はきっと私にはないのでしょう。

 

 

はーーージャニオタめっちゃこええ!!でも辞めらんねえ!!やばくない!?現実の恋愛で好きになった人って絶対人間辞めないじゃん!?DIO様だけじゃんそんなことすんの!!!「君の好きなアイドルあと4ヶ月で消えまーーーす」とか言われてもどうしようもねえよ!!!つーかDIO様現実じゃねえし!!でもアイドル現実だし!!!なんだこれ!!意味わかんねえ!!!現実なのになんで消えたりすんの!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そしてまた自分の文章に殴られる。てやんでい。泣きそう。このやろー。 

君が幸せでありますように/君の幸せでありますように

4泊6日でタイに行ってきた。人生初の海外旅行だ。旅行自体はとても楽しかったのだが、ネットがほとんど使えないのがネックだった。ちょうど『四銃士』リリース日がど真ん中にあたる日程だったため、WSも各種番組もほぼほぼ見逃すことになる。ホテルのフリーWi-Fi(わりとクソ)以外は時折飲食店でちょっと使えるくらい。普段1時間にいっぺんは見ている気がするTwitterでさえ1日の終わりにちょっと見れるくらいで、日本の出来事がぼんやり遠い。

四銃士のリリース日に不在であることに加えてもう一つがっかりしたのが、ベストアーティスト2015を見られないことだった。LOVEメドレーを楽しみにしていた。愛言葉をやることを知って見れないことが尚更悔しくなった。だから、11月24日の夜にホテルに帰ってきてWi-Fiを繋いだあとは真っ先にTwitterを開こうとした。NEWSのパフォーマンスのキャプチャ画像だけでもみたい。やっと通信が繋がった瞬間、LINEが来た。ステータスバーの上部に姉からのメッセージの冒頭が表示される。


「田口が!田口が!!!!!!」


LINEを起動した画面に書いてある言葉の意味が分からなかった。

 

「田口がKAT-TUN辞めて、事務所も辞めちゃうんだって!!!!」

 

メンバーのコメントの画像が添付されていたけれど、ネットの速度が遅いせいで全然読み込めない。何を言っているのか全然わからない。本当に、意味が分からなかった。だって田口くんが、まさか、だって、だって1番あなたが。


正直言って、まだ心の中で少しだけ「間違いかもしれない」「日本に帰ったら脱退なんてなしになってるかもしれない」と、ほんの少しだけ、一欠片だけ思っている。今私は日本に向かう飛行機の中で、この飛行機が東京に着いたら本当の本当に現実を受け止めなくてはいけない気がして帰りたくない。でももうあと1時間もせずに成田に着いてしまう。

Twitterを開いてTLを2時間分くらい読んだところで、私の頭はほとんどの現実を理解した。あの日から既に3日が経ったが、いまだ足元が崩れ落ちたような心許なさだ。正直言って、私自身にこの出来事を悲しむ資格などないと思う。別に、KAT-TUNのものすごいファンというわけでもないし、実際悲しいというわけではない。悲しみもあるけれど、それを圧倒的に凌駕するむなしさのような何かがある。得体の知れない脱力感があの日から拭えない。
多分これが誰の脱退であっても、少なからず同じように感じたと思う。それが田口さんであったことでこの感情の強さは増しているだろうけど、でもNEWS以外なら誰だったとしても同じようなことを考えただろう。だから、私にこういう風に思いを綴る資格はないかもしれない。私の思いはちゃんとずっと彼らを好きな人を不愉快にさせるかもしれない。それでもどうしても不安で寂しくてたまらないから、この場を借りて吐き出させてほしい。

これは田口くんが辞めることへの悲しみではない。田口くんへの怒りでもない。ただの、1人のNEWSファンとしての、気の持ちようの話だ。悲しみも怒りも憎しみも想像もKATーTUNを愛する人たちのものであって私のものじゃない。でも、何も思わないなんてそんなことは出来ないから、思ったことを書かせてほしい。誰に謝りたいのか謝るべきなのかわかりもしないのに、ただただ何かに謝りながらこの文章を打っている。


ゆっくりゆっくり事実を理解して絶望した。亀梨さんと田口さんと上田さんと中丸さんのコメントを読んで、もう泣きたいくらいだった。田口くんの脱退は、全然全く『円満』ではないのだろうと思う。山下くんを思い出させられた。田口くんの選択は多分、一つの仕方なさも備えていない。彼が彼自身の頭で考えて、大事なもの同士を天秤に掛けて、そしてKAT-TUN以外の何かを選んだ。
私が2011年10月のあの日、山下くんの選択に絶望したのも、彼の脱退に「必要」も「仕方なさ」も見つけられなかったからだ。
山下くんはNEWSを選べなかったわけじゃない。NEWSを続けられないのっぴきならない理由なんて1つもなかった――彼の心以外には1つたりとも。


増田さんの存在を知って、ジャニーズを、アイドルを好きになって、高校生の私は信じていた。パフォーマンス自体よりMCをみる方が楽しかったあの頃、アイドルにキャラ萌えしていたあの頃、当たり前のように信じていた。アイドルグループのメンバーは他のメンバーのことが好きだし、なんだかんだ不満があってもそれはいつか乗り越えられてゆくものだし、アイドルにとって「アイドルであること」はとても特別なのだと信じていたのだ。「アイドルになる」ことは出来るけど、「アイドルを辞める」ことなんて出来ないと思っていた。
それが初めて揺らいだのは、赤西さんが脱退したときだった。でも、その時はまだ大丈夫だった。特に理由はないけれどなんとなく、赤西さんは特別な人なんだと思っていた。それは彼が留学や活動休止を過去にしていたからだったし、好きな音楽の方向性がジャニーズの中では突き抜けているように見えていたからだったし、すごく才能がある人だと知っていたからでもあった。中丸さんを弄る赤西さんが、背中合わせの仁亀がもう二度と見られないのだと思うと悲しくて仕方なかったけれど、それでも私にとってあの脱退は特殊事例だった。赤西さんだから許された、赤西さんにしか許されない行動なんだと思っていた。

「アイドルでいること」は必ずしもアイドルにとって至上の価値を持たない。それは私にとって不都合な真実だった。でもきっと、赤西さんだけが特別なんだと思っていた。私が期待する通りの愛や誇り、執着が必ずしもなくたってそれでも、「アイドルでいること」と天秤に掛けられるものなどない気がしていた。そんな天秤は存在しないと思っていた。

 

山下くんと錦戸くんの脱退が発表された時、何を言っているのか理解出来なかった。錦戸くんの脱退は仕方ないと思えた。だって彼は忙殺されていて、どんどん痩せて、NEWSとエイトが躍進すれば兼任がいつか破綻するのは目に見えていて。だから諦めることが出来た。錦戸くんのNEWSへの、NEWSファンへの愛を信じたまま、「NEWSの錦戸亮」を諦めることが出来た。
でも、山下くんは違う。彼にはNEWSを辞める必然性なんてどこにもなかった。山下くんがNEWSで見せてくれたもの、NEWSにいた山下くん、山下くんが好きだったのに、彼はそれを天秤に掛けて、捨ててしまった。私が大好きだった彼を、彼自身が私から奪った。奪われたことよりも、その天秤が存在したことの方が衝撃だった。何故か私は無根拠に、そんなことは不可能だと思い込んでいたのだ。何がしたかろうと何が嫌だろうと、そんな個人の希望だけでグループの脱退が許されるなんて思ってもみなかった。


ああ、もしかして本当はアイドルっていうのは辞めたければいつでも辞められるんだろうか。みんな心の中で、何かとアイドルを天秤に掛けながらアイドルを選び続けているんだろうか。そうじゃないと言ってほしい。「アイドル」っていうのは、アイドルにとって唯一無二の何かで、他のものと比べることなんて出来ないんだと……言えない。言えないのだ。
この時アイドルに抱いた脱力感を、結局私は忘れた。NEWSのメンバーのNEWSへの愛が、NEWSでいることへの執着が、アイドルでいることの誇りが、NEWSファンでいることの楽しさが、私にこの虚無感を忘れさせた。山下くんを嫌いになりたくなくて、NEWSを好きでいたくて、都合の悪い想像を頭から追い出してNEWSファンでい続けた。


田中聖さんがジャニーズ事務所を解雇されたとき、「ああ、馬鹿だ」と思った。KATーTUNが好きなくせに、厨二くさいけど真っ直ぐな言葉でKATーTUNへの愛を語っていたくせに、再三注意されても契約違反を重ねた田中さん。なんでだろう、どうしてアイドルとしての立場を危うくしてまで外で活動したんだろう。KATーTUNでいることと天秤に乗せなきゃいけないとしてもやりたいくらい、それって大事なことだった?
「こんなんでもジャニーズやってんだよ」って言う田中さんが好きだった。田中さんにとって、「『こんなん』な自分」と「ジャニーズの自分」は、「『こんなん』な自分」の方が大事だったんだろうか。
馬鹿だと思った。でもまだ大丈夫だった。田中さんは結果的にアイドルの自分を天秤に掛けたけど、それはあくまで結果だ。続けたらやばいとわかってはいたかもしれない。その時はその時だと思っていたのかもしれないし、大丈夫だとたかをくくっていたのかもしれないし、アイドルから気持ちが離れていたのかもしれない。それは私にはわからない。でも、彼は「KAT-TUNか、それ以外か」を直接的にハッキリ選択したわけではないのだと思い込んだ。怖いから今でも調べていない。彼は解雇された、それだけが私にとっての事実だった。ファンを泣かせてまで続けるほどの価値があるのか決める前に彼の前から選択肢はなくなった。「『こんなん』な自分」を選ぶかどうか決める前に、「ジャニーズの自分」を彼は失くした。捨てた、と思うことはしなかった。脳裏にその言葉を浮かべることさえ出来なかった。
山下くんのことが頭をよぎらなかったと言ったら嘘になる。けれど、同じだとは思わなかった。山下くんみたいな辞め方をする人なんてもういないはずだ。

好きな人たちを信じていたい。違う、信じる信じないの話なんてしたくない。アイドルでいるのが自明の理であってほしい。ステージでペンライトと歓声の波を浴びる以上の幸福なんてないと言ってほしい。私が不都合な真実を見て見ぬふりするの同じように、アイドルにも「アイドルでいること」が選択可能な道の1つに過ぎないことを見て見ぬふりしてほしかった。


田口くんが脱退した事実と目に見える範囲の経緯を知って絶望した。心の中で糸が1本切れた音がした。かなしいくらいにはっきりと、大事な大事な糸が1本切れた。
彼は選んだ。大事に大事にしていた「KATーTUNの田口淳之介」と、そうじゃない別の「田口淳之介」とを天秤に掛けて、KATーTUNじゃない方の田口淳之介を自分の意志で選んだ。山下くんを思い出した。今度は脳裏をよぎるとかじゃない。はっきり思い出した、あの日の感情が再び胸に押し寄せた。
赤西さんがいなくなったときはまだ大丈夫だった。だって彼は特別だったから。錦戸くんがいなくなったときも大丈夫だった。だって彼はいつかはどちらかを選ばなければならなかった。山下くんがいなくなったことは、いつの間にか大丈夫になった。たくさんの美しい思い出と優しい今が大丈夫にしてくれた。田中さんがいなくなったのも大丈夫だった。彼がいなくなったのは100%の彼の意志じゃなかったから。

田口くん。

長い手足で優美に踊る、いつもにこにこ笑っている王子様。水と油のように田中さんと反発しあっていつしか混ざりあって素晴らしいものを見せてくれた。1人だけ、最初からずっと「俺はKATーTUNが好き」と言い続けた。滑ってばかりでも心折れない田口くん。どんどん中丸と仲良くなっていく田口くん。笑顔が似合う田口くん。どこかの国から紛れ込んでしまった王子様みたいな田口くん。

天真爛漫でグループを愛し、アイドルになるべくしてなったような田口くんでさえ「アイドルの自分」を天秤に掛けることが出来るなら、それが出来ないアイドルなんて多分1人もいない。一縷の望みを掛けていた。山下くんがNEWSを天秤に掛けたのは、彼の心の中にずっと別の仲間への思慕があったからなのだと。それはそれで私にとっては嫌なことで、山下くんを嫌いになりうる理由で、だから正面から受け止めることは出来なかったけど、1つの可能性としてちゃんと認識していた。山下くんもまた『特殊事例』の1人だったのだと、ぼんやり頭の隅で考えて、あとは目の前の楽しいものに夢中になって、それで忘れた。
4年前のあの日知って、そして忘れていたことを田口くんに思い出させられた。

 

アイドルはアイドルである前に人間だ。アイドルとして得られる喜びや楽しみは他では得がたいかもしれない。けれど、逆にアイドルでいる限り得られない喜び楽しみだってある。アイドルがアイドルでいる限り得られない「何か」を切望することだって当然ある。彼らはアイドルという生き物ではない。人間だ。
自分自身の幸せのために、欲しいもののために何かを取捨選択することを止めることなんて誰にも出来ない。たとえ私がその人にどれほどありったけの夢と愛を乗せてたってそれでも、他人の選択をどうこう言うことなんて出来ない。他人の選択に、他人の幸せに、私は一切関与できない。当たり前だ。そしてアイドルは他人だ。
どんなに好きでも、どれほど好きでも、何をしても何を言われても、私が大好きな人たちは遠いところにいる他人だ。私が願う「彼らの幸せ」はある日突然彼らにとって「要らないもの」になるかもしれない。ある日突然、愛する人を愛する人自身に奪われる日が再び訪れるかもしれない。その時出来ることなんて何もない。その時、愛する人にしてあげられることは、もう1つもないのだ。そして、そんな日がいつかやってくるとして、「その日」まで私はまた不都合な事実から目を逸らす以外何も出来ない。

今見て見ぬふりをしていること、都合よく解釈していることは本当は目に映る通りの事実でしかない。NEWSと関ジャニ∞の活動が相互に支障をきたしはじめていた、と私は何度か書いている。あれは嘘だ。あの頃、NEWSは活動していなかった。それをエイトとの兼ね合いだと思い込んだ。無活動はただの無活動だ。そこに良い意味合いがあることなんてほとんどない。売上が足りないとか脱退が決まってるとか、何かが駄目だからそうなっているだけなのだ。私はこれからしばらくはそう思ってしまうだろう。NEWSの小休止が去年で良かったと心から思う。あれが今年だったら、きっと私は田口くんの脱退に耐えられなかった。これから先、不満足な現状を楽天的に捉えられる自信が全くなくなってしまったから。


私が好きな人たちの全員が、1人残らず、今この瞬間にも「アイドルの自分」を何かと天秤に掛けてしまう可能性を持っている。そして天秤は「何か」の方に傾いてしまうかもしれない。目の前にある何らかの嬉しくない現実は全てその兆候でありうる。田口くんでそれがありえたのだ。誰でだって同じことがありうる。
アイドルを好きになった時、私の足元には踏みしめられるしっかりした土台があった。少しずつそれは崩落していって、山下くんたちの脱退で完全に崩れ落ちた。でも、足元が何もなくなっても私はまだ同じところにいた。命綱があった。材料さえもわからないその綱は、何かある度繊維が少しずつ切れて、今回ついに完全に切れてしまった。私が踏みしめられるものは何もない。私を繋いでくれるものも何もない。それでも何故か浮いている。土台や命綱がなんだったのか、今浮かんでいる場所がなんなのかも分からないまま、多分「好き」だけで私は浮遊している。
好きでいていいのか分からない、それでも好きだ。好きだけど、今、どんな些細な不安にも抗えない気がする。

多分何を聴いてもそうなるんだろうけど、飛行機の中で『Faighting man』を聴きながら田口くんのことばかりぐるぐる考えていた。
「挑戦したらいいじゃん?ありのまま思うがまま 何もしなきゃ始まんないぜ 自分に負けんな」「誰かのために生きているわけじゃない 比べずに迷わずに歩んで」
彼らが進みたいと思う道・彼らの望む幸福と、私たちが願う彼らの幸福が重なることは一体どれほどの奇跡なんだろう。私の望む幸せは、いつまで彼らの幸せなんだろう。その不確かさを嫌というほど思い知らされたはずなのに忘れていた。田口くんに思い出させられた。


それでもいつか忘れるだろう。浮遊感も絶望も脱力感も奇跡だということも、そのうち再び忘れるだろう。可愛くてかっこよくて楽しい現実に紛らせて、必ず忘れる日が来る。そうしたらもう2度と思い出したくない。もう2度と思い出させられたくない。今度こそ最後であってくれ。お願いだから。

87年と87年/僕たちは違う生きものだから見つめあって手を繋ごう

 

2015年11月12日、テゴシゲ界に激震が走った。

11月11日、手越さんの誕生日当日がNEWS RING更新日に当たっていた加藤さんが「ごめん忘れてたわ明日更新すんね!!!(要約)」との投稿をしたところまではよかった。「短文でも謝罪入れるあたり、しれっと木曜更新(NEWS RINGの更新日は毎週水曜)する手越さんとの違いがNEWSの末っ子2人って感じで好きだわ〜」などとのたまう余裕があった。しかし翌12日、ようやく更新された加藤RINGには釣りのことしか書いていない。鰤釣れたのか。良かったな。鰤ってでかいもんな、そりゃテンション上がるし更新も忘れるよな。釣りする余裕があるみたいで何よりだよ。

が、しかし、手越さんへの言及がない。一言もない。まさかそんなことある?誕生日よ?空気の味さえも特別風味なんじゃなかったの!?鰤より引きの強い話題が!!あるでしょ!!?

 

と思いつつ読み進めると、RINGの最後に踊る「続きはシゲクラで☆」の文字。

 

そして見るシゲクラ。そしてそして躍動する『鰤』の文字。

TEGOSHI、BURIに負けたってよ。

 

続きってこれか。そんなに鰤のこと私らに伝えたいか。オーケー分かった今日は鰤食べるよ食べればいいんでしょ!!?

 

 

 

手越さんがソラジローのぬいぐるみを抱きしめている頃、テゴシゲ厨たちは鰤を噛み締めていたのである。まぁ私その夜魚介がウリの居酒屋行ったのに鰤なかったんだけどな。結局鰤食べてないけどな。

公式からの供給がないので好き勝手テゴシゲについて語り散らかします。

って気分で書き始めたらTVガイドで公式供給来た。

ふええテゴシゲかわいい。

 

 

テゴシゲコンビは『似てるのに似てなくて、似てないのに似てる』『開放系2人ぼっち』だ。この2人だけの輝きが、きらきらぴかぴか未来に走ってゆく。

 

 

 

・似てる?似てない?

手越さんと加藤さんは、一見全然似ていない。同じ87年生まれの同級生で共にNEWSの末っ子なのに、キャラも得意分野もアイドルとしての軌跡もぜーんぜん違う。可愛い手越さんとかっこいい加藤さん、ポジティブな手越さんとネガティブな加藤さん。エースを背負う手越さんと参謀を自称する加藤さん。正反対な2人だけれど、一方でとてもたくさんの共通点を持っていたりもする。

共に1人っ子で、中学受験を経験していて、人見知りで。人生における価値観にも似たものがあるのではないかな、と時々思う。たとえば子供の育て方とか遺言の内容とか、そういうものが似ていそうだなあとなんとなく思うのだ。人間という社会的生物が生きていく上でやった方がいいこと、大事にした方がいいものに関して極めてよく似た感覚を持っていそうな気がする。

2人の目に見える部分は似ていない。彼らが似ているのは、目につきにくい根っこの部分だ。テゴシゲ2人について考える時、私はいつも色とりどりに咲き乱れる花壇が思い浮かぶ。ダリア、コスモス、薔薇、カミツレ、パンジー、牡丹…2つの花壇に様々な種を蒔いて大事に水を遣って育てて開花の時期が来てみたら、植えられているのは同じ花なのに見た目が全く異なる花壇に仕上がりました、みたいな。根元の部分に似通った部分が結構あるのに完成品が全然違うのがテゴシゲコンビの面白いところで、それはもちろん私たちにとって面白いってことなんだけど、同時に彼ら自身にとってもそんな自分たちはなんだか面白いんだろうなあ、と思う。加藤さん本人も自分と手越さんを「同じ海で生まれた魚」とたとえていたことがあった。あったはずである。ちょっと出典が見つからないけど(笑)

 

 

パラレルワールドAとA´

同じ海で生まれた魚、と本人が称す彼ら。似てるけど似てて似てないけど似てるこの2人、なんだか少年漫画の主人公みたいだと思う。主人公と、「主人公の世界Aとよく似た世界A´の主人公´」という本来交わるはずのない2人が何故か同じ世界線で邂逅してしまったみたいなワクワク感。何かがほんの少し違うだけで、同じ魂を持った限りなく1つに近い2つがこんなにも違うものになる面白さ。そして、違うからこそ、1つだったら絶対生み出せなかったものを生み出すことが可能なのだろう。

私はテゴシゲコンビの、手越さんが加藤さんを「熟年夫婦!」と言うのに対して*1加藤さんは手越さんを「地球外生命体だと思ってます」と評しちゃう*2ようなところが大好きだ。なんかもうこのズレなんなの?愛おしすぎじゃない?手越さんなんだかんだで結構大分かなり加藤さんのこと好きだよねだって面食いだもんねあなた!と鼻息荒く興奮しているのだが、単純な萌えと同時にここでもパラレルワールド感を覚えている。

多分手越さんは、加藤さんと自分は深いところで強く通じあっていると思っている。2人にしかわからない何かがあると信じている。一方加藤さんは手越さんのことを、予測不能で自分と対極にいるわけのわからない生き物だとでも思っているようにみえる。たとえば2人がコンピューターだとしたら、同じ値を入力して同じ言語で演算してるのに全く違う答えを返すみたいな、そういう意味不明さ。与えられた値が同じなのに、同じプログラミング言語で思考しているのにあまりにも自分と違うから、余計にブラックボックスみたいに見えるのだろう。対する手越さんは、自分と加藤さんは実は同じプログラミング言語で内部演算を行っていることを知っているから自分たちの間の繋がりを信じているのではないか。パラレルワールドの『自分』に会ったらどんな感じがするんだろう。きっと深く通じ合えるだろう。だってもう一人の自分なんだから。きっと宇宙人みたいに感じるだろう。だって限りなく自分に近いのに、自分と違うものを見て違うものを感じて育ってきた違う人間なんだから。

熟年夫婦であり、地球外生命体。二人の互いへの見解はまったく違うけれど、多分どちらも同じくらい的を得ている。

 

 

・adore:尊敬する、敬愛する、大好きである

手越さんが持ってるものを加藤さんは持っていなくて、逆に加藤さんが持っているものを手越さんは持っていない。加藤さんに3年遅れて入所した手越さん*3の目には、エリート街道をひた走る加藤さんはものすごく輝いて見えていたはずだ。「俺だけが何も出来なくて悔しかった」「NEWS辞めたいってよく言ってた」などの当時抱いていた自分への不甲斐なさ、「シゲのことはテレビで見てたから知ってた」「シゲくんのことはキラキラのアイドルだと思ってた」などのシゲ評を見ても、入所〜デビュー前後は明らかに手越さんが加藤さんを眩しく見上げていた様子が伺える。

しかし、手越少年が先輩加藤を見上げることが出来た期間はそう長くは続かない。「シゲくん」は「思っていたよりドンくさく」て「おやじくさいところもあっ」て、あっという間に「シゲ」になった。グループ結成当時は歌以外になんの武器もなかった手越さんだが、実は加藤さんは「歌以外になにも」どころか全然全く一つの武器もなかった。少なくとも加藤さんの自覚の上では、彼にはこれといった魅力が一つとしてなかった。私は2003年当時まだNEWSファンではなかったのでこれは後の時代からの推測に過ぎないのだが、おそらく当初の加藤さんはどこかで手越さんのことを自分より下に見ていたのではないだろうか。下に見ていた、というと聞こえが悪いのだが、客観的な目を持つ加藤さんだから自分と手越さんとでは人気的にもビジュアル的にも自分が勝っていることは自覚していただろう。(同時に、自分が山下くんや錦戸くんに人気も実力も圧倒的に劣ること、草野くんや森内くんやマステゴ*4と比して歌唱力で完敗していることも自覚していただろうから大して愉快な気分ではなかっただろうが)

けれど手越さんは、入所からたった10ヶ月でデビューさせられるだけのものをちゃんと持っていた。もぎとった。できなかったダンスも垢抜けなかったビジュアルも、彼はきちんと努力でもって乗り越えた。今度は加藤さんの番だった。ガチャガチャの歯並びで笑っていた小さな少年は、あっという間に加藤さんの頭上で光る星にのぼりつめたように見えただろう。今もって『NEWSの目』と称されるほどの客観視を誇る加藤さんには、自分が手越さんに抜かされる様がハッキリ見えたはずだ。

手越さんの歌唱力、加藤さんの男前な顔立ち、手越さんの強靭な精神、加藤さんの人の懐に入り込む人柄、手越さんの屈託なく甘える可愛さ、加藤さんのお洒落でスマートなところ。そういう、自分が持っていないものを、テゴシゲはお互い心底尊敬しているようにみえる。自分にないものだからこそ、余計にきらめいて見えるのだろう。コヤシゲが文句なくラブラブ(?)なことと増田さんが加藤さんに対してだけアホほど甘いのとでそこまで目立たないが、手越さんも加藤さんに対しては意外なほどデレデレだ。顔についても性格についてもあっけらかんと褒めちぎっている。『ピンクとグレー』の出版と映画化がそれぞれ決まった時、一番喜んだのは手越さんだったと加藤さんは語る。手越さんにとって加藤さんは、男らしくて文句なしにかっこよくてすごく魅力的な人で、さらに言えばこれからも互いを尊敬しあっていきていける人なのだ。

一方の加藤さんも、原石だった時代からきらきらの宝石になる今までの手越さんの過程を全部見てきているわけで、自分には決して辿りつけないメンタリティを持つ彼を畏怖と尊敬の目で見ている。メンバーの膝に乗って甘える手越さんを見ながら「手越が乗っていいなら俺だって乗っていいはずなのに…」と言いながらそんなことはできなかった加藤さん。同い年なのに自分より遥かに可愛い手越さんと自分をまるで違うと感じていた。けれどそんな可愛くて、そして成長に従って華やかでチャラついててふざけてて意味不明なキャラを確立した手越さんが元は石ころと見紛う未熟な原石だったことを、NEWSのメンバーはみんな覚えている。手越さんがただの恵まれた天才なんかじゃないことも、トンチキな王子様だけど根は真面目なところもちゃーんと知っている。地球外生命体だなんて言うくせに、「手越は優しい」

「手越は真面目、昔から真面目だし不真面目」とあっさり言ってのけるあたり、手越さんの変わった部分も変わらない部分も見た上でエース手越祐也を誇らしく思っているように見える。

自分にないものを眩しく思い、尊敬し、大事に大好きでいる2人が大口開けて笑う様はとんでもなく可愛い。

 

 

・2人は末っ子

テゴシゲで1番好きなエピソードはなんですか?と訊かれたら、多分私は「選べるわけねーだろバーカバーカ!」と答える。が、しかしとりあえず5つくらいまでは絞り込もうと思う。5つまで絞った時に必ず食い込んでくる確信があるエピソードが『カルボナーラ記念日』である。

さっくり概要を説明すると、手越さんが二十歳の誕生日を迎える日をテゴシゲは加藤家で過ごし加藤さんが手作りのカルボナーラを振る舞ったという話だ。手越さんはようやく成人を迎えたのが嬉しくて酒を飲み見事に酔いつぶれたらしい。そして2日酔いになりそのまま加藤家に2泊したという。このエピソードの好きなところは単純な可愛さだけじゃなくて、手越さんの成人が2人(そしてNEWS)にとっていかに重要な通過地点だったかをつい想像してしまうからだ。現在のNEWSファンの間では「脱退」と言ったら即座に思い浮かぶのは2011年の山下くん錦戸くんの脱退の方かもしれない。けれど元々9人だったNEWSからの5人もの脱退者、その過半数の3人は不祥事による脱退だ*5

不祥事による相次ぐ脱退から活動自粛にまで追い込まれたNEWSメンバーとファンにとっては、未成年飲酒、未成年喫煙などのスキャンダルが本当にこわくてこわくてたまらなかったと思う。最年少の手越さんと加藤さんは中でも特にその怖さを感じていたはずだ。あの頃の2人はどちらもまだまだ子供で、NEWSが、自分のグループがないということの意味を嫌というほど噛み締めた。手越さんと増田さんはグループの活動自粛中にテゴマスとしての活動をスタートしたので、加藤さんほどの強烈な焦燥感はなかったかもしれないが、じゃあ苦悩がなかったかというと勿論そんなわけはない。ただのグループ最年少じゃなくて、NEWSというグループの最年少*6であることには大きな意味があったのだと思う。同じ焦燥の中、残ったメンバーの最後の1人がつつがなく成人を迎えることが出来たその日、彼らはどんな気持ちで祝杯をあげたのだろう。共に年上のシンメを持つテゴシゲがあえて2人で手越さんの誕生日を祝ったという事実に、彼らの間にある特別な連帯感を見出したくなるのは半ば自然の摂理ではないだろうか。だから私はいつまででも推します。11月11日はカルボナーラ記念日だよ!!

 

 

 

・開放系2人ぼっち

コヤシゲとテゴシゲの私にとっての1番の違いは、閉鎖系か開放系かだ。どちらの2人にも特別な2人だけの世界があるんだけど、コヤシゲは「2人でいつまでも」なのに対しテゴシゲは「2人でどこまでも」なのだ。お互いがお互いを敬愛し、尊敬し、大好きであるテゴシゲは、2人揃うと未来を切り拓く力が何倍にも高まる気がする。

特に今年になってから、その傾向はますます強まっているように見える。手越にばっかり任せてらんない、と加藤さんが明確に口に出した。全然得意分野の違う2人だから、一緒に戦うタイプではない気もする。けれど、手越がNEWSにもたらしただけの光を俺も必ず掴んでみせようと、きっと加藤さんは思っている。まるで違う光で、飛んだり跳ねたり抜いたり抜かされたりしながら、お互いがいる分だけ強く早くどこまでもいけるような、そんなきらめきがどんどん強くなっている気がしてならない。開かれた2人ぼっちなんて変な言葉だけれど真剣にそう思う。わかりやすく言うと、依存をあまり感じない2人だろうか。

私は以前、「NEWSの4人を精神に喩えるなら、小山さん:意志、加藤さん:理性、手越さん:本能、増田さん:感性 だと思う」とツイートしたことがあるのだが、今でもこの見解は変わらない。理性の力でもがき歩む加藤さんと、本能をむき出しにして戦う手越さんという磁石みたいな2人がタッグを組んだらそれはもうリニアモーターカーである。

 

 

・追いかけるから待たないで

手越だけに頼らない、キーパーだってシュートを打つんだ、と加藤さんが言った。これは、今のNEWSに絶対必要な覚悟だ。

テゴシゲは、コヤマスにはない大きな大きな強みを持っている。それがビジュアルだ。万人受けする最大公約数的なかっこよさを2人は備えている。NEWSが売れる第一陣になれるのはテゴシゲだと思う。NEWSの進撃がこれから始まるとして、あとから振り返ったらきっとその始まりは加藤さんの台頭だと思うのだ。コヤマスの容姿に文句をつけたいわけではない。全然ない。でもこの2人はどちらかというと「狭く深く刺さるタイプ」であり「かえしが大きくて飲み込んだら抜けない釣り針」だ。(増田貴久っていう釣り針が抜けずに8年目に突入したのが私です) テゴシゲが文句なしのビジュアル担当として前に立った時、2人が同等のエースになった時、きっとNEWSは本当の意味で「4人で、4人だから出来ること」を見つけられる、そんな気がする。

大好きなサッカーに繋がる仕事をしたいと言い続けて、手越さんは実際に個人仕事もグループ仕事も掴んでみせた。自分にできることを探して藻掻いて来た加藤さんも、小説という個人仕事、そしてそこからタイプライターズMCやビビットレギュラーなどを順調に重ねている。そして『傘を持たない蟻たちは』連ドラ化ではついに原作兼出演者という2重の仕事をこなす。「手越はすごいよ」「シゲはすごいよ」って言いながら、ぐんぐん前に進んでほしい。

 

 

 

・大好きがとまらねえ

最後に声を大にして言いたい。ここまで6500字費やして語ってきたわけだがこれが1番言いたい。テゴシゲって可愛いんだ。

2人ふざけ合うとこも、それを愛しそうに見守るコヤマスも、手越を理解できないシゲも、シゲが好きで熟年夫婦とまで言っちゃうのに小山さんに完敗してる手越も、なんもかんもひたすら可愛い。

手越さんに曲作って!って言われてほんとに作ってあげちゃう加藤さんも可愛い、加藤さんの家のシャレオツな照明に「テゴ」ってダサい署名しちゃう手越さんが可愛い。2人ふざけ合う時の笑顔がほんとにほんとに可愛い。揃って金髪だった時代はほんとに天使だった。テゴシゲ2人がもう一度曲を作るのを、コンサートでテゴシゲ/コヤマスユニット曲が披露されるのをいつまでも待っていようと思う。テゴシゲより先にマスシゲの共作の方が来そうとか聞こえません。

 

 

♯結局テゴシゲが好き♯可愛いは正義♯熟年夫婦♯地球外生命体♯ぞうさんのギターはよ♯誕生日祝ってねちゃんと♯鰤とテゴシゲと私♯美術館も行けよ♯コヤテゴに負けるな♯全コンビ供給待ってる♯NEWS

 

 

 

 

*1:2014年6月放送のLIVE MONSTER内の発言。手越さんがえらい唐突に小山さんに喧嘩を売ったので全私が騒然とした

*2:2014年5月の未来シアターにて

*3:加藤1999年、手越2002年

*4:2006年のデビュー以前はテゴマスではなくマステゴだった。

*5:森内さんの表向きの脱退理由は学業専念ですが、まぁ不祥事による脱退として扱ってもいいかなと思います。週刊誌に写真載っちゃったし。

*6:草野さんが1988年2月15日生まれ、森内さんが同年4月17日生まれなので、元々は森内さんが最年少。彼の脱退後は草野さんが最年少だった。

加藤シゲアキの声がある/君はビターセクシースパイシー

 

四銃士のフルがあれこれびっくりで未だびっくりしていますこんばんは。攻めたね?超攻めたね?超超テレビでやりづらそry

 

私はそれほど多くのジャニーズ楽曲に触れてきたわけではないし、曲のつくりに強く着目するタイプではない。ないので、なんの分析もしておらず単に印象の問題なのだが「ジャニーズの曲でこれはなかなか珍しいのでは?」とぼやーんと思う。イントロで長めにオーケストラ演奏が流れること、サビがソロ歌唱+追従コーラスであること、ソロパートの配分がテゴマス/コヤシゲで極端に1番2番に別れていること、などが私が感じた「珍しい」の中身だ。

この「珍しい」は多分そのまま「テレビでやりづらそry」の中身でもあって、まあ要するにだからこそ目新しく感じるんだろう。私はあまり気にかけたことがなかったけれど、アイドルグループの曲というものは通常TVサイズにカットすることも考慮にいれ、メンバーの魅せ場をどう散らすかを熟慮して作られているんだな!と感動した。そして今回そういう「アイドルソングのイロハ」をうっちゃったことにはちゃんと意味があるんだなあとも思ってますます感動した。すごい、ジャニオタ楽しい。

 

ただ、今のところ好きな場所は増田さんの大サビと加藤さんソロの「天高く」(特に「く」を伸ばすとこ)の2ヶ所でどちらも2番なのでTV披露する時カットされたらかなしい。笑

 

 

4人になってから、新しい曲が出来る度に「シゲ、歌上手くなったなあ〜」と思う。「上手い」じゃなくて「上手くなった」だ。それから、「シゲがいてよかったなあ」と。

残念ながら私は、加藤さんの歌が上手いと思ったことは1度もない。何分自分が音楽に関する素養が皆無であるため、音程の正確さや音域の広さなどがわからないのも関係していると思う。私にとって歌の上手い/下手はかなり感覚的な判断に基づいていて、早い話が私の耳には加藤さんの声が馴染まない。今後加藤さんがどれほどの訓練を積んでめちゃくちゃ正確な音程やどちゃくそ広い音域を手に入れたとしても、声質が変わらない限り「歌上手い!」と思うことは多分ない。

(一応言っとくと上手い/下手と好き/嫌いはまた別の話)

 

加藤さんが加藤さんの声である限り彼の歌唱力を高評価することは出来ないくせに、「シゲがいてよかったなあ」と思う理由もまた彼の声だ。自分でもなんだか矛盾している気がするけど、本当に心から思う。加藤さんの声がNEWSにはまだある、加藤さんがいてくれてよかった。NEWSの曲を聴く度にいつも思っている。

 

 

 

6人時代のNEWSを好きになった私が彼らの声を満足に聴き分け出来るようになるまでにはそこそこの時間が掛かった。

・「P亮シゲの誰かなのか、コヤテゴマスの誰かなのか」は結構簡単に分かるようになった。

・それから「Pシゲのどちらかなのか亮シゲのどちらかなのか」と、「手越なのかコヤマスどちらかなのか」がほぼ同時並行で分かるようになったと思う。強いて言うならテゴorコヤマスの方が先かな。

・次が「山下くんなのかシゲなのか」

・で、最後まで分かったり分からなかったりしたのが「亮ちゃんなのかシゲなのか」

・そして現在進行形でよく間違えるのが「小山なのかまっすーなのか」である。(増田担なのにね!!!)

 

実際には音程とか音域を考えたら「P亮シゲ」「コヤテゴマス」で二分出来たわけではないのかもしれないが(コヤマスの方が加藤さんより低音域だという話をちょいちょい本人達もしてるし)(P亮とコヤマスの音域比較トークが聞けることはこの先なさそうなのが残念無念)、なんとなくの声の印象として「男っぽい声のP亮シゲ」と「柔らかめ高め(?)の声のコヤテゴマス」というグループ分けをしていたのは私だけではなかったように思う。コヤマスの聴き分けや亮シゲの聴き分けに苦心している人を他にも見たし、ここはどっちが歌ってるのかな?という話もそこそこ見かけた。

錦戸くんは明らかに歌が上手くて、シゲは明らかに歌が下手で、それなのに2人の聴き分けが難しかった理由は今も分からない。でも、似ていたなと思う。これは私だけなのかもしれないけど、Porシゲなのか、亮orシゲなのかはしばしば迷うのに何故かP様なのか亮ちゃんなのかはあまり迷わなかった。うるうるした声のコヤテゴマスと、水分少なめニコチン多めのP亮シゲとが同じ人数なのが好きだった。合わさると不思議と溶け合って、NEWSだけの歌声になった。

私にとって「NEWSの歌声」とはそんな「『3人と3人が合わさった6人』の歌声が混ざったもの」だった。個々のメンバーの聴き分けこそ難しくとも、嵐は嵐、エイトはエイト、そしてNEWSはNEWS、と同じような男性ユニゾンでもグループによって声が違うこと、聴くだけでどのグループなのかハッキリ分かるのが不思議で面白かった。ちなみに今はこの3組にHey! Say! JUMPTOKIOSMAPを含めた6組のグループとしての声が分かる。あれ、TOKIOってこれに含めていいのかなまあいいや。NEWSの歌声が好きだった。

 

 

NEWSから山下くんと錦戸くんが抜けた時、ショックを受けてなんにも言えない自分とこれからのことを考えている自分がいて、後者の自分が気になっていたのが歌割変更のことだった。

声質のことを考えて歌い継ぎしたら全部シゲパートになっちゃうんじゃないの?wwwと想像してちょっと笑った。

もちろん蓋を開けてみればP亮パートをまとめて加藤さんが引き受けるなんてことになっているはずはなかった。歌割変更に関してはちゃんとまとめている方が既にいらっしゃるので詳しい言及はしないが、なんだかんだで割と均等に4人で埋め合わせをしている。(該当記事見つけたら後で貼ります)

加藤さんは元々のソロパートが少ないので均等に割り振った結果自パート率は大分高まったが、4人の中で飛び抜けて受け持ち箇所が多いということは全くない。ないけど、でも、今一番存在感があるのはある意味加藤さんなのではないかと思う。

 

私にとってNEWSのユニゾン=「3人と3人の歌声が混じったもの」だった。そして今、私の耳にはNEWSの歌声は「1人と3人が混じったもの」に聴こえている。すなわち「シゲ+コヤテゴマス」である。これは声域や音程とは(多分)全く関係なくおそらく声質(?)によって生じている感覚だと思われる。

NEWSを知った頃に比べると高くなったと思う。柔らかな声の勢いが増したと思う。特に、小山さんの歌唱力の上昇によってコヤマスの歌声がどんどん似てきているのも大きいのだろう。4人NEWSは6人NEWSに比べて爽やかで柔らかだ。でも、全くの別物かというとそんなことはないのだ。この「全く違うというわけではない」と言える最大の要因が加藤さんの声なのではないだろうか。低く独特だった山下くんの声、バンドマンみたいで魅力的だった錦戸くんの声はもうない。けれどまだ加藤さんがいる。

3人+3人は1人+3人になった。もし、もしも錦戸くんと山下くんと共に加藤さんもいなくなっていたら、今のNEWSは3人。あの頃あった二要素のうち片方を完全に失っていた。山下くんにも錦戸くんにも少しずつ似ていた加藤さんの声がまだあるから、今のNEWSの歌声はあの頃とまだ似ている。これからも似ている。今とあの頃は違うけれど、どちらの歌声を聴いても「あ、NEWSだ」と思える。これはきっと不幸中の幸いなんだろう。

スモークしたみたいな加藤さんの声がちゃんと聴こえる。少しがさついた声と化粧水みたいな果物みたいな声が合わさっている、というあの頃の印象がまだちゃんとある。歌声というの観点のみから見れば、あの頃と今とを接続しているのは絶対に加藤さんだ。スモーキーでスパイシーな声をユニゾンの中で拾う度、NEWSはちゃんとNEWSだなあと思える。錦戸くんの声、山下くんの声がないのはそりゃあ寂しいけど、まぁいいかな、これも好きだな、って思わせてくれてるのは、私にとっては加藤さんなのです。

 

 

そしてもう一つ、私にとっては決定的に重要な存在意義が加藤さんの声にはある。それはテゴマスとの差別化要素としての役割だ。

何度も前述しているが、小山さんと増田さんは歌声が大変似ている。増田さんの方が無性的な歌が似合うとか小山さんの方が失恋ソングが似合うとか思ったりはするので、全く同じというわけではない。(聴き分け出来てないやつが何言ってんだって感じですけども。笑) 同じというわけではないんだけど、似ているという事実は否定しようがない。加えて、歌唱力という物差しでコヤマスを測るとまず間違いなく増田さんに軍配が上がる*1。だから多分、コヤテゴマスの3人の歌声とテゴマスの2人の歌声との間に決定的な差異を生み出すのはとても難しい。

ところが加藤さんは違う。まあ歌唱力という点ではコヤシゲはテゴマスに叶わないんだろうけど、でも加藤さんの声は今のNEWSで唯一無二のものだ。手越さんにも増田さんにも小山さんにも真似出来ない、NEWSでたった1人のビターボイス。もしも加藤さんの声が小山さんと似ていたら、P亮だけが旧NEWSのスモーキー担当だったら、「NEWSだから出来ること」「テゴマスじゃなくてNEWSだから出来る表現」の幅は今よりずっとずっと狭かっただろう。

6人の中の2人と4人の中の2人では意味合いが全然違う。差別化の難易度も段違いだ。しかもNEWSではどうしたって歌を引っ張っていくのはテゴマスになってしまう。今、NEWSとテゴマスは両方が生きていくために結構な苦戦を強いられているような気がする。NEWSに加藤シゲアキがいる、NEWSに加藤シゲアキの声があることは、立派な武器の一つなのではないだろうか。

 

 

昔のNEWSの歌声も今のNEWSの歌声も好きだ。NEWSも好きだしテゴマスも好きだ。どっちもちゃんと尊んでどっちもちゃんと愛していられるのは加藤さんのビターでセクシーでスパイシーな声のおかげだったりするの、私だけじゃないんじゃないの?って勝手に思ってます。加藤さんのラフロイグみたいな声があるNEWSがとってもとっても大好きです。

 

 

 

ちなみにちなむと、なんか声質的な意味で若干加藤さんをディスってるぽいですが貶したいわけではないのです一応。実際、こんなにも歌が不得手に聴こえてしまう声があるの!?とはじめは驚いたものだけど(ついでに相葉さんも同じ枠だったりする)、そんな自分の声を最大限活かす術を模索し続ける加藤さんてすごいと思う、ほんとに。ラジオの声とかすーーーごい耳馴染みがよくていつまででも聴いてられるし、少し加工を掛けた時の魅力はピカイチな声だと思います。『Fighting man』をミュージックステーションで披露した時の拡声器使ったパフォーマンスとか最高に素敵だからディスク配って回りたいくらい。

多種多様な音楽に興味を示すしソロ曲は一貫して作詞作曲両方手掛けている加藤さんが色々な声の使い方をしてくるところも含めて『安心と信頼のシゲソロ』だなって。

 

そんでもって好みとか聴こえ方って多分十人十色千人千色です。私は二宮さんとか内さんの声がとってもとっても好きで、大野さんの方が上手いとは思うけど二宮さんの声に何度でも撃ち抜かれるし渋谷さんより内さんのソロパートの方がグッと来ます。でもきっとそうじゃない人もたーーくさんいる。大野さんの声が1番好きって人も松本さんの声が1番好きって人も丸山さんの声が安田さんの声が錦戸くんの声がっていろーーーんな人がいる。その中には加藤さんの歌声がもう本能とか感性とかでどうしようもなく好きな人も当然いるでしょう。そしてそんな人にとって加藤さんの声はきっと、かえしが強烈にでかくて1度刺さったら絶対抜けない魅力を持ってるんだろうなあと思うのです。

というわけでそんな風に加藤さんの歌声に胸貫かれてるタイプで不愉快に思った方がいらっしゃいましたらほんとにすいません。そしてそういうタイプの方で「加藤さんの歌声はラフロイグっぽい」っていう私の感想に共感してくれる方は是非握手してくださいお待ちしてます。

 

 

ベストアーティストの出演決定おめでとうー!やったー!

あと増田さん入所おめでとうございます大好きです。

四銃士に伴うあれやこれや全部楽しみだ〜!♡

*1:歌唱力がなんなのかは曖昧だけど音程の広さとか音程の正確さとか声量とかハモる時のつられなさとか的な感じ